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真実②
しおりを挟む馬車の中、向かいに座るエイドスは足を組み腕を組んで、ソフィアを見据えている。何か言うわけでもないから居心地が悪かった。
「話があるのなら、お話しください」
たまりかねて聞いてみると、エイドスは口を開いた。
「何故、冬の川に落ちた」
「覚えて──」
「覚えておりませんは無しだ。すり合わせしたい。両者の言い分を聞かないとな」
両者ということは相手がいる。ソフィアは今、その相手いる所へ向かっているのだと知った。
「本当に落ちた記憶は無いんです。頭を打ったせいか、カリス樹海に入ってからの記憶が無いんです」
「信じてやろう。なら何故、カリス樹海へ行った。金鉱脈でないのは分かりきっている。誰に会いに行った」
エイドスは全てを知っているのだ。相手の者から洗いざらい聞いたのだろう。ソフィアももう隠すつもりも無かった。
「グリゴリー辺境伯に会いに行きました」
ハインツ地方を領地に持つのは、グリゴリー辺境伯である。
聖域を保護し守護する立場にある辺境伯は、今回の戦争には加わらなかった。
「辺境伯は、政治には関わりません。歴代の辺境伯は、女神の神託を受け取る為に、聖域で一生を終えます」
「初耳だな。ディアナ教は、教皇に力が集約されているものだと思っていたが」
「教皇とはまた違った話です。カリス樹海のリビア山に住まう女神は、元々ディアナ教の信者でした。神の声を聞き人々にその知恵を授けましたが、異端とされ殺され、リビア山に葬られました。その後、リビア山に女神ディアナが直々に降り立ち、彼女を殺した人々を殺しました。女神の怒りを収めるため、信者の妹を生贄に差し出すと、殺さずにその妹に神託を授けるようになりました。それが辺境伯の始まりです」
辺境伯の成り立ちを、エイドスは興味深げに聞き入った。馬車の中、外は牧草地が広がりのどかな風景を見せてくる。
「──グリゴリー辺境伯には、戦争を止める神託を下していただく予定でした。神託が王宮に届けば、例え王が反対しようとも止めないわけにはいきません。神託を無視したとなれば、女神ディアナによる天罰が下るからです」
「そんなに拘束力があるのか?信じられないな」
「かつてこの国を治めたレネード二世は、神託を無視し隣国を攻めました。結果は、王自ら出陣した戦争で、槍で目を突かれ絶命しました。また、その年は凶作でした。前例があれば余計、人は信じるものです」
「だが偽の神託を辺境伯が下せば、それも女神の怒りに触れるんじゃないのか?」
「ええ。なので私が嘘をつけば、辺境伯も信じると思いました」
エイドスは胡乱げな顔をする。
「私の実の母の叔父が、グリゴリー辺境伯です。神託は常に女に下ります。辺境伯の血を継ぐ私が神託を受けたとでっち上げれば、戦争を終わらせることができます」
「だが実際には辺境伯には会ってないんだな?」
「はい。カリス樹海からの記憶がありません。きっと女神の怒りに触れたのでしょう」
「なるほどな」
その言葉は、実に確信めいた言い方だった。今の話で何か腑に落ちることがあったのだろう。
「あの…私たちは今、辺境伯の元へ?」
「まさか」エイドスは鷹揚に両手を上げる。「あんな遠い所誰が行くか。用もないしな」
「では、誰に会いに行っているのですか」
「もうすぐ着く」
ガタン、と大きな音がする。視界が暗くなって、窓を見ると門をくぐっている最中だった。
石積みの壁から城門のようだと気づく。そこを抜けた先には、白漆喰の壁が続く。窓から覗く限りでは、天井が見えない程の高い建物だ。
不思議なのは建物の窓には鉄格子が嵌められている。まるで何か囚人を閉じ込めておくような造りだ。
馬車が止まる。扉が開き降り立つと、そこで待っていたのは黒のベールを被った修道女たちだった。
簡単な挨拶をして、直ぐに中に通される。窓の少ない建物は昼間でも夜のようだった。案内の修道女がランプで足元を照らしながら進んでいく。細い迷路のような廊下を歩いていくと、一つの扉の前にで立ち止まる。
「もう中に?」
エイドスが聞く。修道女は肯定する。
「拘束しております。話さなければ、話すようにさせますので」
「信用出来る者か?」
「口がきけず文字も書けない者です」
「結構。頼む。…ソフィア、中に入ったら何も喋るな。何があっても、絶対に」
ソフィアは訳がわからないまま頷く。中に入れば分かるのだ。それから考えればいい。
部屋の中に入る。そこは二人が入るのがやっとの広さの部屋だった。椅子が二脚あり、それぞれ座ると、肘が触れ合うほどになった。
目の前の壁には、一枚のカーテンが敷かれていた。黒いカーテンで明かりも無いから、扉が閉まれば部屋は真っ暗だ。
静かになると、何か音が聞こえた。小さな呼吸のような。考えていると、エイドスが切り出した。
「カリス樹海でのことを話せ」
小さな呼吸音が、引きつったような声になる。まるで苦しんでいるような。ソフィアは耳を傾けた。
「…カ、カリス樹海で…ア、アンを、川に沈めた…」
ソフィアは目を見張った。エイドスを見るが、この暗闇では彼がどんな顔をしているのか分からない。
告白の内容もそうだが、この声は、レイナルドとレオンの姉、オリアーナのものだった。
「仔細を話せ」
「…ア、アンが廃されてから、動向は常に…見晴らせてあった。娼館で…働き始めたと思ったら…夜中に人目につかないように出ていったと知らせがあったから、私自ら見張りと共に追いかけた。そしたら、カリス樹海に入ったから…もしかして、辺境伯に会う気なのかと思って…問い詰めた」
聞いていると、ソフィアの目の前に、かすかな情景が浮かんできた。一面真白な景色。案内を頼んだ村人たちの死体。男たちに暴行されながら、視界の先にはオリアーナが嘲笑っていて──
「あの女は…」
オリアーナの声で連れ戻される。心臓は早鐘を打っている。この先、オリアーナが何を話すのか、ソフィアには分かっていた。
「あの女は金鉱脈を探しに来ただけだと。鉱脈さえ見つかれば、国の借金の返済の当てになると。でも雪の中でそんなものを探せるわけがない。嘘だと分かりきっていた。それで連れて来た男たちに暴行させて、むりやり吐かせようとした」
「それで?吐いたのか?」
「…何も言わなかった。服を脱がせて何か持ってないか探したけど…何も持っていなかった。その時にはもうアンは息をしていなかったから…川に捨てた」
そしたら、とオリアーナの声の震えは酷くなる。
「そしたら…大吹雪に見舞われて、気づいたら…ひ、一人だった…お、男たちの姿は見えなくて…帰り道もわ、分からなくて…命からがら樹海から抜け出した…」
「女神の罰が下ったんだな」
エイドスの呟きに、カーテンの向こうが笑う。
「生き返ってくるなら…ちゃんと殺しておけば良かった…。そうしておけば、今もレイナルドは負けることなく王であり続け、ナセルにも蹂躙されなかった。あの女のせいで…クインツ国の権威は地に落ちた」
「アン前王妃がいなければ、もっと容易にクインツ国を落とせた。前王妃様に感謝するんだな」
「そんなはず無いわ!レイナルドは誰よりも王だった!教皇様より褒章もいただいていたのよ!」
「民が王と崇めての王だ。お前の兄は王の資質を備えていなかった。こうなったのは、女神ディアナの導きだと思えないか?」
「何が女神よ!女神が本当にいるのなら、この国が負けるなどあり得なかったわ!」
「これ以上は無駄話だな。耳障りだ。連れていけ」
ガタガタ、と音がする。オリアーナの悲鳴。扉が閉まる音がして、遠ざかっていく。
あっという間の出来事だった。静まり返った部屋で、衣擦れの音を聞く。
肩を叩かれる。扉が開くとわずかな明かりが差し込む。薄明かりを頼りに部屋を出た。
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