上 下
59 / 90

真実②

しおりを挟む

 馬車の中、向かいに座るエイドスは足を組み腕を組んで、ソフィアを見据えている。何か言うわけでもないから居心地が悪かった。
 
「話があるのなら、お話しください」

 たまりかねて聞いてみると、エイドスは口を開いた。

「何故、冬の川に落ちた」
「覚えて──」
「覚えておりませんは無しだ。すり合わせしたい。両者の言い分を聞かないとな」

 両者ということは相手がいる。ソフィアは今、その相手いる所へ向かっているのだと知った。

「本当に落ちた記憶は無いんです。頭を打ったせいか、カリス樹海に入ってからの記憶が無いんです」
「信じてやろう。なら何故、カリス樹海へ行った。金鉱脈でないのは分かりきっている。

 エイドスは全てを知っているのだ。相手の者から洗いざらい聞いたのだろう。ソフィアももう隠すつもりも無かった。

「グリゴリー辺境伯に会いに行きました」

 ハインツ地方を領地に持つのは、グリゴリー辺境伯である。
 聖域を保護し守護する立場にある辺境伯は、今回の戦争には加わらなかった。
 
「辺境伯は、政治には関わりません。歴代の辺境伯は、女神の神託を受け取る為に、聖域で一生を終えます」
「初耳だな。ディアナ教は、教皇に力が集約されているものだと思っていたが」
「教皇とはまた違った話です。カリス樹海のリビア山に住まう女神は、元々ディアナ教の信者でした。神の声を聞き人々にその知恵を授けましたが、異端とされ殺され、リビア山に葬られました。その後、リビア山に女神ディアナが直々に降り立ち、彼女を殺した人々を殺しました。女神の怒りを収めるため、信者の妹を生贄に差し出すと、殺さずにその妹に神託を授けるようになりました。それが辺境伯の始まりです」

 辺境伯の成り立ちを、エイドスは興味深げに聞き入った。馬車の中、外は牧草地が広がりのどかな風景を見せてくる。

「──グリゴリー辺境伯には、戦争を止める神託を下していただく予定でした。神託が王宮に届けば、例え王が反対しようとも止めないわけにはいきません。神託を無視したとなれば、女神ディアナによる天罰が下るからです」
「そんなに拘束力があるのか?信じられないな」
「かつてこの国を治めたレネード二世は、神託を無視し隣国を攻めました。結果は、王自ら出陣した戦争で、槍で目を突かれ絶命しました。また、その年は凶作でした。前例があれば余計、人は信じるものです」
「だが偽の神託を辺境伯が下せば、それも女神の怒りに触れるんじゃないのか?」
「ええ。なので私が、辺境伯も信じると思いました」

 エイドスは胡乱げな顔をする。

「私の実の母の叔父が、グリゴリー辺境伯です。神託は常に女に下ります。辺境伯の血を継ぐ私が神託を受けたとでっち上げれば、戦争を終わらせることができます」
「だが実際には辺境伯には会ってないんだな?」
「はい。カリス樹海からの記憶がありません。きっと女神の怒りに触れたのでしょう」
「なるほどな」

 その言葉は、実に確信めいた言い方だった。今の話で何か腑に落ちることがあったのだろう。

「あの…私たちは今、辺境伯の元へ?」
「まさか」エイドスは鷹揚に両手を上げる。「あんな遠い所誰が行くか。用もないしな」
「では、誰に会いに行っているのですか」
「もうすぐ着く」

 ガタン、と大きな音がする。視界が暗くなって、窓を見ると門をくぐっている最中だった。
 石積みの壁から城門のようだと気づく。そこを抜けた先には、白漆喰の壁が続く。窓から覗く限りでは、天井が見えない程の高い建物だ。

 不思議なのは建物の窓には鉄格子が嵌められている。まるで何か囚人を閉じ込めておくような造りだ。
 
 馬車が止まる。扉が開き降り立つと、そこで待っていたのは黒のベールを被った修道女たちだった。
 
 簡単な挨拶をして、直ぐに中に通される。窓の少ない建物は昼間でも夜のようだった。案内の修道女がランプで足元を照らしながら進んでいく。細い迷路のような廊下を歩いていくと、一つの扉の前にで立ち止まる。

「もう中に?」

 エイドスが聞く。修道女は肯定する。

「拘束しております。話さなければ、話すようにさせますので」
「信用出来る者か?」
「口がきけず文字も書けない者です」
「結構。頼む。…ソフィア、中に入ったら何も喋るな。何があっても、絶対に」

 ソフィアは訳がわからないまま頷く。中に入れば分かるのだ。それから考えればいい。

 部屋の中に入る。そこは二人が入るのがやっとの広さの部屋だった。椅子が二脚あり、それぞれ座ると、肘が触れ合うほどになった。

 目の前の壁には、一枚のカーテンが敷かれていた。黒いカーテンで明かりも無いから、扉が閉まれば部屋は真っ暗だ。

 静かになると、何か音が聞こえた。小さな呼吸のような。考えていると、エイドスが切り出した。

「カリス樹海でのことを話せ」

 小さな呼吸音が、引きつったような声になる。まるで苦しんでいるような。ソフィアは耳を傾けた。

「…カ、カリス樹海で…ア、アンを、川に沈めた…」

 ソフィアは目を見張った。エイドスを見るが、この暗闇では彼がどんな顔をしているのか分からない。
 告白の内容もそうだが、この声は、レイナルドとレオンの姉、オリアーナのものだった。

「仔細を話せ」
「…ア、アンが廃されてから、動向は常に…見晴らせてあった。娼館で…働き始めたと思ったら…夜中に人目につかないように出ていったと知らせがあったから、私自ら見張りと共に追いかけた。そしたら、カリス樹海に入ったから…もしかして、辺境伯に会う気なのかと思って…問い詰めた」

 聞いていると、ソフィアの目の前に、かすかな情景が浮かんできた。一面真白な景色。案内を頼んだ村人たちの死体。男たちに暴行されながら、視界の先にはオリアーナが嘲笑っていて──

「あの女は…」

 オリアーナの声で連れ戻される。心臓は早鐘を打っている。この先、オリアーナが何を話すのか、ソフィアには分かっていた。

「あの女は金鉱脈を探しに来ただけだと。鉱脈さえ見つかれば、国の借金の返済の当てになると。でも雪の中でそんなものを探せるわけがない。嘘だと分かりきっていた。それで連れて来た男たちに暴行させて、むりやり吐かせようとした」
「それで?吐いたのか?」
「…何も言わなかった。服を脱がせて何か持ってないか探したけど…何も持っていなかった。その時にはもうアンは息をしていなかったから…川に捨てた」

 そしたら、とオリアーナの声の震えは酷くなる。

「そしたら…大吹雪に見舞われて、気づいたら…ひ、一人だった…お、男たちの姿は見えなくて…帰り道もわ、分からなくて…命からがら樹海から抜け出した…」
「女神の罰が下ったんだな」

 エイドスの呟きに、カーテンの向こうが笑う。

「生き返ってくるなら…ちゃんと殺しておけば良かった…。そうしておけば、今もレイナルドは負けることなく王であり続け、ナセルにも蹂躙されなかった。あの女のせいで…クインツ国の権威は地に落ちた」
「アン前王妃がいなければ、もっと容易にクインツ国を落とせた。前王妃様に感謝するんだな」
「そんなはず無いわ!レイナルドは誰よりも王だった!教皇様より褒章もいただいていたのよ!」
「民が王と崇めての王だ。お前の兄は王の資質を備えていなかった。こうなったのは、女神ディアナの導きだと思えないか?」
「何が女神よ!女神が本当にいるのなら、この国が負けるなどあり得なかったわ!」
「これ以上は無駄話だな。耳障りだ。連れていけ」

 ガタガタ、と音がする。オリアーナの悲鳴。扉が閉まる音がして、遠ざかっていく。

 あっという間の出来事だった。静まり返った部屋で、衣擦れの音を聞く。

 肩を叩かれる。扉が開くとわずかな明かりが差し込む。薄明かりを頼りに部屋を出た。




しおりを挟む
感想 110

あなたにおすすめの小説

【完結】彼の瞳に映るのは  

たろ
恋愛
 今夜も彼はわたしをエスコートして夜会へと参加する。  優しく見つめる彼の瞳にはわたしが映っているのに、何故かわたしの心は何も感じない。  そしてファーストダンスを踊ると彼はそっとわたしのそばからいなくなる。  わたしはまた一人で佇む。彼は守るべき存在の元へと行ってしまう。 ★ 短編から長編へ変更しました。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。

やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。 落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。 毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。 様子がおかしい青年に気づく。 ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。 ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 最終話まで予約投稿済です。 次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。 ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。 楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

寡黙な貴方は今も彼女を想う

MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。 ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。 シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。 言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。 ※設定はゆるいです。 ※溺愛タグ追加しました。

【完結】不誠実な旦那様、目が覚めたのでさよならです。

完菜
恋愛
 王都の端にある森の中に、ひっそりと誰かから隠れるようにしてログハウスが建っていた。 そこには素朴な雰囲気を持つ女性リリーと、金髪で天使のように愛らしい子供、そして中年の女性の三人が暮らしている。この三人どうやら訳ありだ。  ある日リリーは、ケガをした男性を森で見つける。本当は困るのだが、見捨てることもできずに手当をするために自分の家に連れて行くことに……。  その日を境に、何も変わらない日常に少しの変化が生まれる。その森で暮らしていたリリーには、大好きな人から言われる「愛している」という言葉が全てだった。  しかし、あることがきっかけで一瞬にしてその言葉が恐ろしいものに変わってしまう。人を愛するって何なのか? 愛されるって何なのか? リリーが紆余曲折を経て辿り着く愛の形。(全50話)

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

姉の所為で全てを失いそうです。だから、その前に全て終わらせようと思います。もちろん断罪ショーで。

しげむろ ゆうき
恋愛
 姉の策略により、なんでも私の所為にされてしまう。そしてみんなからどんどんと信用を失っていくが、唯一、私が得意としてるもので信じてくれなかった人達と姉を断罪する話。 全12話

処理中です...