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愚かな男たち

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 塔の牢獄に入れられたレイナルドは、寒さに震えていた。石畳の隅に身を寄せる。ガラスのない窓からは風雨が容赦なく入り込む。味わったことのない屈辱に、レイナルドの怒りは収まらない。
  
 鉄格子が開く音がして顔を上げる。レイナルドは怒りをあらわにした。

「アン!」

 アンは護衛を連れて牢獄に入ってきた。レイナルドが掴みかかろうとすると、護衛が止める。

「どけ!俺は王だぞ!」

 声を荒らげても、難なく組み伏せられる。うつ伏せになり背中を押さえつけられ、息が出来なくなる。

「かっ…はっ…!」

 もがいていると、解放される。レイナルドは咳き込みながら身を起こした。

 アンは小さな小瓶を床に置いた。

「毒です。苦しみません」
「…ふざけるな!俺に死ねと言うのか!」
「無様に生きるよりは、名誉を守れます」
「誰が死ぬか!」

 レイナルドは小瓶を床に叩きつけた。ほのかな毒の香りが立ち上る。

「お前のせいだ…お前が、記憶喪失のフリなんかするから俺は戦争に集中出来なくなった。お前が惑わすから、戦争に負けたんだ!」
「あの一時ひとときは、私にとっても不名誉でした。あんなことで戦争を止めようと決断なさってくださるなら、いくらでも色を使いましたのに」
「娼婦のくせに!悪魔とも交わった愚か者が、俺を侮辱するな!」
「……恨みは尽きませんね」

 アンは牢獄を出ていく。足音一つさせないで、まるで白昼夢を見ていたかのようにあっという間に消えていった。




 ラジュリー国から使者が来ているという。エイドスは人払いして執務室に呼んだ。

 一人で入ってきた男は長い髪で目を覆っている。昔、指摘したら病気で酷い有り様だから隠していると言った。目が見えないわけでは無いようで、杖もなしに普通に歩いている。

 男が挨拶をする前に、エイドスは手を差し伸べた。男も心得たもので握手を交わす。

「よく来たな。ラジュリー国への立ち入りを許可してもらった恩は、何倍にして返す」
「クインツ国の横暴は目に余るものがあった。我がラジュリー国もそちらとの交易を牽制され少なからず損害が出ていた」 

 男の名はグレンと言った。ラジュリー国の何番目かの王子らしいが、母親の地位が低いから王位継承権は無い。

 ナセル軍をラジュリー国を通ってクインツ国へ攻め込む、という話を持ってきたのは、この男だ。わざわざ本陣営の幕屋に一人で乗り込んできた怪しい風防の男に、初めは何かの罠かと思ったが、グレンの話は決して独断ではなく、ちゃんとラジュリーの国王の親書も持ってきていて、食糧や武器の支援もしてくれるという万事整ったものだった。

 うまい話には裏がある。話を聞いていたエイドスは親書をひらめかせて、グレンの前髪を揺らした。

「親書の件は分かった。だがここには見返りが書いていない。何が望みだ」
「人を探してほしい」
「ひと?」
「アンという、クインツ国の前王妃だ」

 何の冗談かと思った。グレンは他に条件を提示しなかった。これでは、女一人の為に一国が動いたことになる。

「ラジュリー国が動くほどの女なのか」
「戦争終結は誰もが望んでいる。この戦争は長引き過ぎた。そろそろ終わらせるべきだ」
「質問の答えになってないな。女の話をしている」

 グレンは黙った。話す気はないようだ。エイドスはその長い前髪を無理やり暴いてやろうかと思った。こういうイタズラ心が湧くのは自分の悪い癖だ。親書を巻いて筒にしまう。

「──分かった。遠慮なく話に乗らせてもらう。返書するから待っていろ」
「…感謝する」
「こちらの台詞だ。女の件は保証しかねるが、いいな?」

 グレンは頷いた。黒い髪越しに、こちらを見つめる視線を確かに感じた。

 そんなやり取りを経て、今に至る。実際にこうして戦争を終わらせた今、ラジュリー国の使者として、祝辞を持ってきたのだろう。

 グレンはまさに戦勝を祝う貢物を持ってきたと言った。目録を受け取り目を通す。

「ナセル国へも貢物は別で届けている」
「本国にだけ送ってくれればよかったものを。律儀だな」
「攻め落とした本人にも渡すのが筋だ。私が最初に殿下と交渉したので、陛下は私を遣わされた」
「違うだろ?」

 意地悪くグレンに言ってやる。

「女が気になって、やって来たんだろ」
「見つかったのか?」

 エイドスは、大げさに長いため息をついた。

「──いや、まだ見つかっていない」

 あからさまにグレンは落胆する。笑ってしまいそうになるのを堪えた。

「調べさせてはいる。見つかったら連絡する」
「ああ、頼む」
「そちらの国王に、クインツ国の現状を報告したいだろう。外交官を行かせるから、色々聞くといい」

 何も知らないグレンは丁寧に礼を述べて部屋を辞していった。アンを渡すつもりなど毛頭無かった。金の瞳を手放すわけにはいかない。いずれ、自分の妻となったとの情報が向こうに届くだろう。そうなったとき、顔を隠した男がどんな顔をするのか、今から楽しみで仕方なかった。


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