【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。

112

文字の大きさ
上 下
3 / 90

娼館へ

しおりを挟む

 心やさしい継母は馬車まで出してくれた。店の少し手前で止まり降り立つ。馬車を見送って、アンは表から堂々と乗り込んだ。
 
 まだ開店前で、中には一人の従業員が椅子に座り込み酒をあおっていた。細身の中年の女性で、建物の中でも白い顔をしているのがハッキリ分かった。

「なんだいアンタ。身売りに来たのかい?」
「ここは、伯爵以上の方も利用するのですか?」
「あ?やめときな。玉の輿なんてまず無いよ」

 アンは周りを見回した。入り口のカウンターの上には何も置かれておらず、秘密にしたい客に対する配慮が見て取れる。母が紹介するだけあって、雑然としていない、おそらくはそれなりの身分の人にも対応出来るような所なのだろう。

「侯爵の方も来られるのですか?もしかして王さまも?」
「さてね。来てるかもしれないね」
「この館の主人と話がしたいのですが」
「身売りに来たのなら、会わせられるよ。アンタは器量が良いし、姿勢も言葉遣いも上品だ。でもね、耐えられるとは思えないね。止めときな。身体を売らなくていい酒場を紹介してあげるから、そっちに行きな」

 思わぬ優しい言葉をかけられて、アンは少し困ってしまった。自分に近しい人たちから散々心無い言葉を浴びせられてきたのに、まさか会ったばかりの赤の他人から気遣われるなんて。やはり人間というのは階級だけでは推し量れない、本物を感じることに貴賤など関係ないのだ。

 だからアンはこの人を信用してみることにした。

「実は、身売りではないのです」
「はぁ…そうかい」
「情報を買っていただきたいのです」

 従業員はまた酒を呷る。酒瓶を置くと、カウンターから乗り出して顔を近づけてきた。酒のニオイが漂って、アンは少しむせた。

「こんな所に来るんだ。それなりの情報じゃないと買わないよ」
「王家の財政に関すること、とだけは言えます。伯爵以上の方に売っていただきたいのです。出来れば王に近しい方」
「そりゃなんで?」
「お答えできません」

 情報は流すためにあるもの。アンがしたいのは、その情報を流しているのが自分だと陛下に知ってもらうこと。

 やや勿体ぶった言い方が功を奏したのか、従業員はカウンターから出てきた。親指で二階を指差す。

な。アタシがこの館の主人だ。上で話を聞こうじゃないか」
「…主人とは知らず、ご無礼しました」
「良い意味として受け取っておくよ」

 主人は、にや、と笑ってみせた。陰湿な笑いでなく、男のような明るい笑みだった。


 二階には一本の廊下が伸びて左右三つずつ、計六つの扉があった。鉢合わせないためなのか、両側の扉は互い違いになっていた。

 一番奥の部屋に入る。ベッドと小さなテーブルが置かれただけの簡素な部屋だった。
 女主人は壁にかかったカーテンを開けた。するともう一つ、扉が現れた。そこを開けて中に入るように手招きされる。それなりの秘密が守られるようになっている。アンは密かに驚きながら、部屋に入った。

 その部屋も同じような造りだった。ベッドは少し大きいかもしれない。
 丸テーブルを挟んで座る。女主人はヒルダと名乗った。

「お前さんの名は?」

 と聞かれて、アンはどう言うべきか迷った。ありふれた名前だから素直に言っても構わなかったが、偽名を使っておいた方がいいかもしれない。

「アニーです」
「そ。アニー、ここなら誰にも聞かれない。概要で構わないから情報の内容と、値段を提示しておくれ」

 アンは予め用意しておいた紙をテーブルに置いた。折りたたんでいて、中身は見れない。

「この国の借金の額と内訳です。どこにどれだけ借りているかも記載してあります」
「凄いのを持ってきたね。これが本物なら大事になる」
「内容が内容なだけに、新聞社などには売れません。秘密裏に処理してくださるような、陛下の側近の方に売っていただきたいのです」

 王家が借金まみれだと民衆に知られでもしたら、反戦に一気に傾くだろう。それだけで事が済めばいいが、熱狂した民衆が王家打倒を掲げるかもしれない。王権が揺らぐようなことになれば、その下にいる貴族たちだけでなく、国自体が存亡の危機に立たされるかもしれない。それはアンの望むところでは無かった。

「本物だという証拠は?」
「その字は、王妃さま自らが記入しました。知る者が見れば本物だと分かるでしょう」
「王妃さまだなんて。それだけでも価値があるよ」
「金額ですが、私は旅費が欲しく、金貨十枚はあると助かるのですが」

 女主人は片眉を上げた。

「じゃあそれを最低の金額にしておくよ。その倍は貰えると思うけどね」
「交渉成立でしょうか」
「ああ。情報が売れたら金を渡すから、家を教えておくれ」
「今貰えないでしょうか。住むところもなく無一文なんです」

 打ち明けると、女主人は更に目を吊り上げた。怒っているのかもしれない。

「余程の事情持ちと見たけど、あいにく情報は賞味期限が短くてね。買ったはいいものの貰い手がいなかったらウチの大損になっちまう。いくら価値があっても売る相手をそれだけ絞られちゃあ、こちらもそれなりにリスクと手間がかかる。第一、娼館ここは花を売るのが目的で、情報のやり取りじゃないんだ。悪く思わないでおくれ」

 早口で言われたら、世間を知らないアンは、そうかと思うしかない。だが怒っているように見えた女主人の顔は、何やら同情的にも見えた。

「こんな大層な情報一枚持って無一文だなんて。アンタ、何かやらかしたのかい」
「…………」
「まぁ、人それぞれだわな」

 ぞんざいに言い切って、女主人は立ち上がった。情報の入った紙切れを胸元にしまうと、にっと、やはり男のような笑みを見せた。

「アンタ、行くあてはあるのかい?」
「いえ。ですが、ある場所に行くつもりです」
「その為の旅費が必要なんだね?」
「そうなります」

 うんうん頷いて、女主人は腕を組む。人差し指だけをピン、と立てた。

「じゃあ決まりだ。アンタ、ウチで働きな」
「…いえ、私は」
「ウチに変な客が来るんだよ。ソイツの相手をしておくれよ」
「私は、お役に立てないかと」
「そんなことない。上手いことやってくれるさ」

 情報のお金は貰えなさそうで、今度は働き手として勧誘されている。何とか断れないものだろうか。
 
「そう身構えなさんな。何も床の相手を頼むわけじゃないんだ。変な客って言ったろ?ソイツは本の朗読を頼んでくるんだよ」
「朗読、ですか」
「そ。目を患ってるみたいでね。読書がままならないからって、ウチらみたいなのにわざわざ金を払って読ませてるんだよ。だけどウチらは文字もろくに読めない。下手に読むと怒ってきやがる。その点アンタなら朗読くらい朝飯前だろ。情報が売れるまでの間、三食部屋付きで住まわせてあげるから、ソイツの相手もしてやっておくれよ」

 確かに妙な客だ。それに良い話だと思った。直ぐにお金が手に入らないとなった上で、飛びつきたくなる提案だった。
 出来れば早く目的の場所へ行きたかったが、幸いまだ。金が手に入るまでの間ここでお世話になるのも、やぶさかではなかった。

「願ってもない話ですが、私は本当に娼婦としてはお役に立てません。その方だけのお相手で住まわせてもらうのは心苦しいです」
「良い心がけだね。なら雑事も手伝ってもらおうかね。綺麗なが汚れても構わないんならね」
「勿論です」

 交渉成立、と女主人は手を伸ばす。握手を求められているのだと気づいて、アンは慌てて手を取った。力強い握手を交わした。


しおりを挟む
感想 110

あなたにおすすめの小説

記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?

ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」 バシッ!! わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。 目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの? 最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故? ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない…… 前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた…… 前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。 転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり(苦手な方はご注意下さい)。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

婚約破棄されたショックですっ転び記憶喪失になったので、第二の人生を歩みたいと思います

ととせ
恋愛
「本日この時をもってアリシア・レンホルムとの婚約を解消する」 公爵令嬢アリシアは反論する気力もなくその場を立ち去ろうとするが…見事にすっ転び、記憶喪失になってしまう。 本当に思い出せないのよね。貴方たち、誰ですか? 元婚約者の王子? 私、婚約してたんですか? 義理の妹に取られた? 別にいいです。知ったこっちゃないので。 不遇な立場も過去も忘れてしまったので、心機一転新しい人生を歩みます! この作品は小説家になろうでも掲載しています

処理中です...