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二章
6 レイフ視点
しおりを挟む夜の森に入る。夜とは言っても朝方で、空は既に白んできている。
木々の葉のざわめきに耳を傾けながら、レイフは料理人から聞き出した情報をもとに、とある場所へゆったりと向かう。
別邸に滞在するようになってから、密かに森の中を散策して、地形を頭にたたき込んでいた。夜目の効くレイフは危なげなく木の幹を越えて、目的の場所へたどり着く。
そこは森の中に建てられた掘っ立て小屋だった。中には人が居るのか、窓から明かりが灯っているのが見える。
レイフは躊躇せずに扉を叩いた。が、返事はない。扉を開けて中に入る。一部屋だけの小屋には、さっきまでそこに人が居たのか、荷物の入った小袋や汚れた上着が散乱していた。
上着を拾おうと屈んで見せて、レイフは土を掴み、振り向きざまに浴びせる。
レイフの背後には、剣を振り下ろす大男が立っていた。
「──!きさま、卑怯な!」
「どちらが」
レイフに奇襲をかけた大男は、ボーテ・イエローだった。第一王子アーネストに背信した者。今回はナイトの爵位を得てはいないものの、裏切り者であることに変わりはない。
土が目に入り後ずさるイエローに、すかさずレイフは懐に入り込み、みぞおちに肘打ちする。
「がはっ…!」
悶絶するイエローにとどめを刺そうと剣を抜く。が、間合いを読まれ、空振りに終わる。
レイフは感心していた。みぞおちを打たれて気絶しないとは。よほどの強靭な精神の持ち主だ。
精神が強いからこそ、アーネストへの妄信も強くなった。
アーネストには反対されたが、やはりレイフは力で解決したかった。説得や色仕掛けなどという中途半端な方法では、この男を屈服させるのは困難だ。
それに平和的解決とは言い難い。対峙して確信する。こちらに向けられた殺気の鋭さがひしひしと伝わってくる。
「ボーテ・イエロー様、私がこの場所を知り得たのは、内通者の料理人を脅したからです」
レイフは剣を構えながら、イエローと距離を詰める。対するイエローも、剣を持ってはいたがそれは使わず、片手をレイフに向けていた。
「一人で来た度胸は認めてやろう。だが軽薄だったな。私を殺すつもりならば、複数で来るべきだった」
「殺そうとなさったのはボーテ様の方でしょう」
「ほう。気づいていたか」
気づくもなにも、実際殺されかけたのだ。
あれは森で初めて会った時だ。フード姿でこちらに近づく間に、レイフは剣で攻撃を受けていたのだ。アーネストからは見えない絶妙な角度で差し向けられた刃を、レイフは間一髪で避けていた。
「貴様ごときがアーネスト様の伴侶など、あってはならんのだ」
「百も承知です」
「ならば死ね!」
イエローの手から炎が繰り出される。灼熱の炎は小屋を焼き、一瞬にして燃え広がった。
レイフは毛先を焼かれながらも逃れていた。無演唱での発火はさすがだが、手の動きで放出の向きが予測出来るからそれほど脅威では無い。
初手で体にダメージを負ったから、イエローは剣での戦いを避け魔術での戦闘に切り替えたのだろう。魔力量が多ければ術も多く繰り出せる。今の術の範囲からして、魔力切れは期待できない。もたもたしていたら炎で包囲される。
「貴様に当たらずとも、森が燃えれば逃げ場はなくなる。大人しく殺されろ」
レイフは魔力が無い。剣技のみで戦争を生き抜いてきた。当然、魔術師の攻撃を受けたこともある。戦い方は知っている。レイフは刀を振り構えた。
「私はアーネスト様に相応しくない下賤の者ですが、大人しく殺されるつもりはありません」
「自覚はあるのに死ぬつもりがないとは。そうやってアーネスト様も貴様に感化されて、あのような醜態を晒したのか。嘆かわしい」
「アーネスト様を死なせたかったのですか?何故ですか」
イエローの額に青筋が浮き出る。怒っているのに笑っていた。
「それを貴様に明かすと思うか」
炎が放射される。先よりも速いが、範囲は狭い。速射性を優先して魔力を絞ったようだ。
難なく避ける。この状況は危機に瀕していると言えるのかもしれない。だがレイフの冷めきった心は揺らぎもしなかった。
戦争に明け暮れた人生だった。殺伐とした世の中を生かされて、三度目となって、処刑を免れた人間が生き残って、どうなるのかと思いきや、嫉妬に駆られた男と戦うハメになっている。
馬鹿らしい、と思う反面、大きく変わり始めた今世に、今度こそ、と期待する自分もいる。
その為には死ぬわけにはいかない。アーネストを支え行く末を助ける。あの人はレイフの唯一の希望だった。
剣を両手で構える。レイフは迫りくる炎を薙ぎ払った。
消え去る炎。イエローは驚愕した。
「──な、んだと…!」
「現実の炎と魔術の炎は根源が異なります。酸素と結合して火を起こすのとは違い、魔術の炎は自身の魔力によって火を起こします。魔力によって作られた火は魔力によって消し去る事が出来る。簡単な理屈です」
レイフ自身には魔力は無い。だが魔力に抗う抗魔力は剣に付与してある。剣士の基本だ。
「馬鹿な!そんな事が可能な訳が無い!」
イエローが不可能と言い張るのは、それが理屈だけの話で、現実には魔力を消し去るのは難しいからだ。抗魔力の剣を持っていても、完全に魔術に対抗出来るわけではない。せいぜい、焼き殺される時間が遅くなる程度だ。
魔力には波があり、糸のように繋がっている。通常は目に見えない。
レイフは通常では無かった。それだけだ。糸を断ち切れば魔法は消える。そうやって生き抜いてきた。もしかしたら魔力が糸のように繋がっているのを知っているのは、レイフだけなのかもしれない。
イエローの炎を断ち切り、あるいは避けながら近づく。追い詰められたイエローは剣で対抗しようとするが、あっけなく弾かれる。
倒れるイエローの首元に剣を向ける。決着はついた。睨みつけるイエローを見下ろして、レイフは告げた。
「ボーテ様の負けです。認めてください」
「貴様…何者だ。あれはなんだ。どうやって私の炎を消した」
「陛下に寝返らずアーネスト様の味方になってくださるならお教えします」
「私がアーネスト様を裏切ったことなどない!」
「アーネスト様は貴方の裏切りを既にご存知です」
絶句するイエローの顔が青ざめていく。地面をつく両手が、震えながら土を握りしめた。
「アーネスト様が陛下に捕らわれるよう協力し、黙認されていた『魅了』の罪をでっち上げ、処刑しようとした。翡翠のブレスレットを用意したのもボーテ様だと判明しております。その上でアーネスト様は素知らぬ顔をして、貴方を迎え入れた」
「知って、おられたのか…」
力なくうなだれるイエローの頭を掴み上を向かせる。よほどの侮辱と感じたのだろう。イエローは渾身の力で振り払い、レイフの手から逃れた。
「貴様…!」
「ご不満なら何度でも相手いたします。お相手する度に手足をもぎ取ります。その覚悟があるのであれば、怒りを向けてください。無いのなら、ただの負け犬の遠吠えですね」
「貴様…!貴様ぁ!」
掴みかかってくるボーテの手首を掴み返し、足を払い倒す。レイフはイエローの首を足で踏み潰した。
「が…ぁ、…!」
「今回はもぎ取るのは止めておきます。アーネスト様もお望みではないと思われますし」
足をゆるめ、イエローを解放する。少し力を入れ過ぎたようだ。
イエローは立ち上がってこない。咳き込むばかりだ。
「生きる理由がアーネスト様にあり、私も同じ理由を共有しております。故に、その邪魔立てをされては困るのです」
「なんだその理由は…!私に…おしえろ…!」
もがきながらも何とか絞り出すイエローに、レイフは冷たく言い放った。
「それを貴様に明かすと思うか」
イエローは尚も何か言おうとしていたが、やがて意識を失って倒れた。大男を介抱する理由は無いので放っておく。死ぬような怪我は負わせていない。
空はすっかり明るくなっていた。今からでも戻って少しは眠りたい。願わくば二度と覚めない眠りにつきたいと、レイフは夜に取り残された月を見上げながら思った。
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