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一章
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しおりを挟むダジュール王国の第一王子アーネストが目覚めると、そこは牢獄だった。
目覚めて、アーネストは気づいた。これが三度目の人生だと。しかも二度目も三度目も同じところで巻き戻る。
一度目も二度目もアーネストは同じ場面で死んでいた。いわれもない罪で投獄され、王である父が亡くなると同時に、即位した弟によって処刑される。
弟のオスカーは異母弟だ。特に親しく接したことは無いが、まさか弟が王位を狙っているとは投獄されるまで全く気づいていなかった。弟とはほとんど面識は無く、どんな声なのかも記憶にない程だ。それくらいに関係性は希薄でオスカー自身も寡黙だった。今思えば、王位簒奪の真意を悟られまいと距離を取っていたのだろう。
処刑が行われたのが、父が死んだ直後という用意周到さ。
オスカー単独ではなく彼の母親の公爵家が暗躍したのは明白だった。
そこまで振り返ってアーネストは周囲を見回す。鉄格子の窓からは青空が広がっている。そこだけが明るく部屋は暗闇に沈んでいる。石造りの牢獄。湿気くさく、粗末な木の寝台からはカビの臭いがする。投獄されているとはいえ、この時点ではまだ王位継承権第一位を有してる王太子に対する処遇とはまるで思えない。が、これが現実だ。三度目ともなれば慣れる。アーネストは寝台に腰かけ、足を組んだ。
処遇よりも目下、処刑の回避を考えなければならない。
父が亡くなるのはこの三日後。時間はない。
二度目までと同じように今回も処刑されては、三度目の機会を与えてくださった女神ディアナに申し訳が立たない。処刑を回避する方法。脱獄、は無理だ。鉄格子は外せないし扉は二重扉だ。監視もついている。父に許しを請う。これは二度目でしようとしたが連絡手段がなかった。
非情にもアーネストが処刑されるまで、ここまで見舞いに来てくれるような身内や腹心はいなかった。
となるともう死ぬしかない。
何もしなければ死んでしまうし、何かしようとしても何も出来ない。女神ディアナよ、出来れば投獄される前に戻して欲しかった。潔く諦めて遺書でも書こう。これは初めての試みだ。もしかしたら生きるのではなくこうした機会を与えるために巻き戻してくださっているのかもしれない。だとしたら今度こそ巻き戻らずに死なせてほしい欲しい。
そこまで考えて、アーネストは、ん?と首を捻った。
もしかして自殺したら何か変わるのか?
殺されるのではなく自殺する。これは今までとは違う方法だ。試す価値はある。かと言って死ねるような道具はここにない。どうしたものか。
思考を巡らせていると、二重扉が開いた。見張りが食事をもって来た。この見張りも三度目ともなれば顔を覚える。若い兵士のようだが、弟のオスカー同様、感情の読めない顔をしている。テーブルは無い。兵士は食事をいつも寝台に置く。椅子もない。よって寝台が椅子代わりだ。アーネストの隣に置かれた食事は、パンにスープという粗末さだった。こればかり食べさせられてすっかり宮殿の食事を忘れてしまった。
ごくろう、と声をかけると兵士は軽く会釈をして去っていった。あの兵士は処刑の最期の瞬間までアーネストに同行していた。二度とも最後に見たのはあの兵士の顔だ。転がるアーネストの首を、どちらの時も涼しい顔をして見下ろしていた。
──顔は良かったな。
あれ程の容姿の良さならば近衛兵にも採用されたろうに。監獄の兵士に留まっているのは、身分が低いからだろう。
食事を引き取りに来た兵士にアーネストは声をかけた。
「名は?」
突然だったせいか、兵士は一瞬固まった後、何事も無かったかのように盆を持って部屋を出ようとした。
「待て待て。耳が聞こえんのか」
背を向けた兵士はまた固まり、ゆっくりこちらへと振り返った。おそるおそるだったのかもしれないが、いかんせん兵士が無表情過ぎて何を考えているのか読み取れない。
「私ですか?」
低く、聴き心地の良い声だった。聴く者を安心させるような落ち着いた声音。朗読者に向いている。
「他に誰がいるというのだ。お前、そんな抜けてよく見張りが務まるな」
「は。面目ありません」
そう言ったきり、兵士はそこに立ち尽くして動かなくなる。アーネストは手招きした。
「名は?」
「グレーテス隊所属のレイフ・ノートです」
「階級は?」
「三等兵です。この春、訓練を終えました」
下っ端だ。今は夏。まだ兵士になって五ヶ月ほどならば、年は十八か。
「その若さで私の見張りに抜擢されるとは。将来有望であるな」
兵士は無反応だった。王族を前にして気の抜けた奴。肝が据わっている。
「有望ではありません」
「そうか」
「有望でしたらボーテ様かと」
思いがけない名が出てきて、アーネストは息を漏らした。ボーテは、アーネストの侍従だからだ。
「ほう、ボーテか。あやつは私の腹心だが、私が囚われの身ゆえ、有望とは思えんがな」
三日後にアーネストは処刑される。主を失ったボーテもまた失脚しただろう。
しかしこの若輩の兵士は全く違うことを言い出した。
「ボーテ様が、オスカー殿下に情報を流しておりました」
「なんだと…」
「アーネスト様を騙せた報酬として、ボーテ様はナイトの爵位を賜り貴族となりました」
腹心の裏切り。なるほどと納得する。でなければ距離を置いて内情を知らない弟が、いきなり私室に入り込んで来て糾弾出来るわけがない。弁明も聞き入れられないまま、カビ臭い牢獄に放り込まれるわけだ。
どうりで助けが来ないはずだ。一度目も二度目も知らなかった事実に、アーネストはうなった。
「やはりあれこれ考えて身の内だけに留めて置くべきではないな。使えるものは猫をも使えと言うが、いやはや、そなたは猫以上の情報をもたらしてくれた。礼を言う」
礼を言われた兵士は、いえ、と短く答えた。淡々としていて年相応には見えない。風貌は若者なのだが、どこか老成した雰囲気がある。
「もう下がってもよろしいでしょうか」
「駄目だ。もっと話がしたい。どうせ暇であろう。付き合え」
若者は返事をしなかった。どうにも反応が薄い。アーネストが指摘すると、若者はすみません、と謝った。
「高貴なお方と話す機会がなく、どう答えればよいものか分かりません」
と、殊勝に答える割に、口調は無だ。声のトーンも低い。感情が乏しすぎて、死人みたいだ。
この若者を知りたい欲もあるが、今はとにかく時間がない。無事に処刑を免れたら、直々に呼び出して私兵に取り立ててやるのも吝かではない。
「では私が勝手に色々喋る。そなたは私の質問に答えればよい」
「は…仰せのままに」
「ではレイフ。実はこれで三度目なのだ」
指を立てて3を示す。
「私は三日後、処刑される。それを二度、繰り返している。そなたは二度とも私の首が切り落とされるのを目撃している」
己の首をトンと叩く。
「腕の良い処刑人でな。痛みはほとんど無かった。が、打ち付けられるあの衝撃は筆舌しがたいほど恐ろしかった。出来れば二度と味わいたくないが、残念ながら既に二度、味わってしまった」
ど、という全身に走る衝撃。一瞬なのに、ノコギリでゆっくり首を削られていくような、じわじわくる気持ち悪さがあった。
「三度目はなんとしても避けたい。私は死にたくないのだ。まぁ死ぬことになるとしても斬首は嫌だ。せめてもっと安らかに死にたい」
「分かります。私も死にたいです」
素っ頓狂な話をしているのに、レイフは大前提を抜かしてズレた同意をしてきた。
「気になるのはそこなのか?」
「どういうことでしょうか」
「三度目、と言ったろう。普通はそこを突っ込むと思うんだが」
「特にそこは気になりません」
「もうすぐ死ぬ者の妄言だとでも?」
「いいえ信じます」
「何故だ?」
レイフがこちらを見下ろす。処刑された時に見た、最後と同じ顔をしていた。
「私も三度目ですから」
落とされた爆弾に、アーネストは目を見開いた。
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