上 下
12 / 50
一章(エレオノール視点)

密かな協力者

しおりを挟む

 一つ一つの詩は短い。十数ページ続く詩も音にしてしまえば短い。もともと薄い本というのもあって、読み慣れていないエマでも直ぐに終わってしまうほどだった。

 時間にしておよそ十分ほど。エマは本を閉じてペレに返した。

「不思議なものだな」

 ペレは膝に本を置いて、手で表紙を滑らせた。俯いているからか、鋭い瞳が見えないおかげか、うなだれているようにも見えた。

「不思議とは?」
「意味もわからないのに音だけが聞けるところ」

 それもそうだ。音だけを唱えられる点だけをみれば、まるで楽器のようだ。
 
「確かに不思議ですね」
「これは死んだ母が読んでいた本でな。暗誦するほど好きだったらしい。最後の言葉はおそらく、この本のどれかの一片だ」

 聞き覚えがある音があった、とペレは言った。

 死んだ母が最後に残した言葉。外の国のアビア国は国教が異なるから、中々表立って調べられなかったのかもしれない。だからこんな国にまでやって来て、こんな娼婦を頼って来たのだろうか。
 エマも実母を亡くしていた。同じ共通点を見つけると、自然と親しみを感じた。
 なんとなく、鋭い眼差しが優しく見える。

「これの意味が知りたい。訳してみろ」

 次から次へと無理難題を押し付けてくる。エマは面倒な客に当たってしまったと今更に後悔した。
 改めて本を観察する。薄いのに重厚な本。紺に金糸があしらわれて、装丁にかなりこだわりがあるようだ。

「私に詩作の心得はありませんから」
「難しいのは分かってる」
「ですが、それだけ仰々しい作りなら、訳されてこの国にも出版されているかもしれません」

 訳書が存在すればの話だが、その探し方にしても、どちらにせよ辞書は必要だ。

「書店よりは図書館の方が辞書の取り扱いが豊富でしょうから、明日にでも行ってみます」
「なら私は、この本の出どころでも探してみるか」

 こんな男らしい人が、己のことを「私」と言うのに違和感を感じてしまうのは、少し無礼かもしれない。金持ちであれば、育ちも良いのは当然。外の国の人にとってここの言葉は外国語だから、母国語だったら「俺」と話すのかもしれない。
 ふと、一階でなにやら騒ぎ声が聞こえた。下は下で盛り上がっているらしい。ここは娼館なのに、エマとペレは色恋沙汰とは離れた場所にいる。

「詩か。考えたこともなかった」

 ペレは本に目を落として、ポツリと呟いた。アビア国にも詩はある。考えたことも無いと言ったのは、ひとえに彼自身の生い立ちからだろう。詩と縁のない人生を送ってきたこの人の中身を、詮索するような無粋な真似をエマはしない。
 異国の地まで母の面影を探しに来た。その事実だけでエマには十分だった。
 
 

 
 早速、翌日に図書館へ繰り出す。エマは人目をはばかって目深に帽子を被っていた。娼婦は夢を売る職業。おいそれと街中で遭遇するような軽率な行動は禁じられている。

 図書館は昼間というのもあり人はまばらだった。職員にラ・シーヌ語の辞書を出してもらい、共用のテーブルに腰掛ける。辞書類は貸出禁止だ。作業は図書館の開館時間のみに限られる。
 エマは昨日、書き写した詩のメモを広げ、早速、翻訳を開始しようとする。

 ふと、前に何者かが座る。顔は帽子で見えないが、口元の髭は見て取れた。どこぞかの紳士の出で立ちだが、彼らが持ち歩くステッキの音はしなかった。

「──珍しいことをしていますね」

 声で誰か直ぐに分かった。エマは警戒を和らげた。

「ジョースターさん」

 彼はハットのツバを指で押し上げて顔を見せてくれた。紛れもなく酒場のマスター、ジョースターだ。

「奇遇ですね。こんな所で」
「ええ全く」

 ──とは思わない。エマはこの日、あらかじめジョースターと会う約束をしていた。

「先日は驚きました。まさかうちの酒場にいらっしゃるとは」
「驚かせたかったんです」
「いけませんよ。貴女は売れっ子なんですから。あんな物騒な所に行くのはおやめください」
「物騒だなんて。ジョースターさんのお店じゃないですか」
「ならず者の集まりです。現に、隣に座っていた男が貴女に手を出そうとしていた」

 確かに。ジョースターが助け舟を出さなかったら、あの男に触れられていた。少し目を合わせただけだったのに、簡単に落とせてしまった。

「気をつけます。それで、今日は説教だけですか?」

 ジョースターは思わせぶりに口元に人差し指を当てた。そしてエマが広げている辞書を手に取るふりをして、下に何かを忍ばせた。酒場のマスターならではの器用な手つきだ。

 ジョースターは酒場の主人であり、エマの協力者だった。大したことは頼んでいない。ときどき、ちょっもした噂を流してもらっているだけだ。

「ジョースターさん、手首の調子はどうですか?」
「痛めたと言うほどでもありません。絶好調ですよ」
「そう。心配していたんです。良かった」

 重たい死体を扱ったのだ。他に頼む人がいなかったとはいえ、一人で大変だっただろう。ジョースターには感謝してもしきれない。
 酒場に行った時に聞きたかったが、周りの目を警戒して、今の今まで聞けなかった。
 
「酒場に来た城の兵士たちも、貴女の噂をしていましたよ」
「ジョースターさんが流してくださるおかげです」
「そろそろ、お耳に入る頃かと」
「そうですね。準備をしておかないと」

 短いやり取りで、ジョースターは立ち上がる。過度な接触はしないほうがいい。情報は受け取っている。詳細はそれを見ればいい。

 立ち去ろうとする間際、ジョースターは僅かに顔をこちらに向けた。

「アビアの男は調べておきましょうか?」
「必要ありません」
「そうですか。では」

 シルクハットを掲げて、ジョースターは去っていく。紳士に扮した彼のステッキがコツコツと響く。おそらく、エマに聞かせているのだろう。音が聞こえなくなる頃、ジョースターが置いていった辞書の下の物を抜き取る。手のひらの小さな手紙だった。封もちゃんとしてある。館に戻ってから読もうと懐にしまい込み、エマは翻訳を再開した。 



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

選ばれたのは私以外でした 白い結婚、上等です!

凛蓮月
恋愛
【第16回恋愛小説大賞特別賞を頂き、書籍化されました。  紙、電子にて好評発売中です。よろしくお願いします(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾】 婚約者だった王太子は、聖女を選んだ。 王命で結婚した相手には、愛する人がいた。 お飾りの妻としている間に出会った人は、そもそも女を否定した。 ──私は選ばれない。 って思っていたら。 「改めてきみに求婚するよ」 そう言ってきたのは騎士団長。 きみの力が必要だ? 王都が不穏だから守らせてくれ? でもしばらくは白い結婚? ……分かりました、白い結婚、上等です! 【恋愛大賞(最終日確認)大賞pt別二位で終了できました。投票頂いた皆様、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾⁾応援ありがとうございました!  ホトラン入り、エール、投票もありがとうございました!】 ※なんてあらすじですが、作者の脳内の魔法のある異世界のお話です。 ※ヒーローとの本格的な恋愛は、中盤くらいからです。 ※恋愛大賞参加作品なので、感想欄を開きます。 よろしければお寄せ下さい。当作品への感想は全て承認します。 ※登場人物への口撃は可ですが、他の読者様への口撃は作者からの吹き矢が飛んできます。ご注意下さい。 ※鋭い感想ありがとうございます。返信はネタバレしないよう気を付けます。すぐネタバレペロリーナが発動しそうになります(汗)

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

お飾り王妃の受難〜陛下からの溺愛?!ちょっと意味がわからないのですが〜

湊未来
恋愛
 王に見捨てられた王妃。それが、貴族社会の認識だった。  二脚並べられた玉座に座る王と王妃は、微笑み合う事も、会話を交わす事もなければ、目を合わす事すらしない。そんな二人の様子に王妃ティアナは、いつしか『お飾り王妃』と呼ばれるようになっていた。  そんな中、暗躍する貴族達。彼らの行動は徐々にエスカレートして行き、王妃が参加する夜会であろうとお構いなしに娘を王に、けしかける。  王の周りに沢山の美しい蝶が群がる様子を見つめ、ティアナは考えていた。 『よっしゃ‼︎ お飾り王妃なら、何したって良いわよね。だって、私の存在は空気みたいなものだから………』  1年後……  王宮で働く侍女達の間で囁かれるある噂。 『王妃の間には恋のキューピッドがいる』  王妃付き侍女の間に届けられる大量の手紙を前に侍女頭は頭を抱えていた。 「ティアナ様!この手紙の山どうするんですか⁈ 流石に、さばききれませんよ‼︎」 「まぁまぁ。そんなに怒らないの。皆様、色々とお悩みがあるようだし、昔も今も恋愛事は有益な情報を得る糧よ。あと、ここでは王妃ティアナではなく新人侍女ティナでしょ」 ……あら?   この筆跡、陛下のものではなくって?  まさかね……  一通の手紙から始まる恋物語。いや、違う……  お飾り王妃による無自覚プチざまぁが始まる。  愛しい王妃を前にすると無口になってしまう王と、お飾り王妃と勘違いしたティアナのすれ違いラブコメディ&ミステリー

【完】皇太子殿下の夜の指南役になったら、見初められました。

112
恋愛
 皇太子に閨房術を授けよとの陛下の依頼により、マリア・ライトは王宮入りした。  齢18になるという皇太子。将来、妃を迎えるにあたって、床での作法を学びたいと、わざわざマリアを召し上げた。  マリアは30歳。関係の冷え切った旦那もいる。なぜ呼ばれたのか。それは自分が子を孕めない石女だからだと思っていたのだが───

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

わたしの夫は独身らしいので!

風見ゆうみ
恋愛
結婚をして約1年。 最近の夫は仕事を終えると「領地視察」に出ていき、朝に帰って来るという日々が続いていた。 情報屋に頼んでた調べてもらったところ、夫は隣の領に行き、複数の家に足を運んでいることがわかった。 伯爵夫人なんて肩書はいらない! 慰謝料を夫と浮気相手に請求して離婚しましょう! 何も気づいていない馬鹿な妻のふりを演じながら、浮気の証拠を集めていたら、夫は自分の素性を知らない平民女性にだけ声をかけ、自分は独身だと伝えていることがわかる。 しかも、夫を溺愛している義姉が、離婚に向けて動き出したわたしの邪魔をしてきて――

処理中です...