悪い冗談

鷲野ユキ

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捜査報告

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 気もそぞろにせっかくの安藤の手作り料理を平らげる。
 私が病人であることを信じて疑わずか、あるいはそれしか材料を用意してこなかったのか、出されたのはおかゆだった。飲むかの如くにそれを胃に流し込む。
 とりあえず身体が暖まり、体力も少し回復した、ように思う。

 元気になった途端、私たちは再び画面を凝視する。
 食べ終えた皿も片さずゲームに群がる様は、しつけのなっていない子供のようだった。その様を不満そうに安藤が見ている。

「で、今度はゲームで遊ぶんですか?」
「遊ぶんじゃない、このなかにはきっと、重大な秘密が隠されているんだ」
「いいんですか?二人とも。私がせっかくとっておきの情報を持ってきたって言うのに」
「情報って、なにを」

 あと少しでダウンロードが終了する、というところで声を掛けられ手が止まる。

「有栖千暁に関する情報です」 

 安藤が得意げに、コピー用紙を我々の前でひらひらとさせた。

「先輩がサボってる間に、彼女が行方不明になる十一月中ごろまでの足取りと、スマホの内容をちゃあんと私は用意してきたんです」
「また黒川に雑用頼まれたのか?」
「そのおかげで捜査一課の情報が手に入るんですから、もっと私の仕事を敬ってください」

 両手を腰に当てる安藤に、とりあえず私と先生は平伏した。

「せっかく用意してくれたんだ、先にそちらに目を通そう」

 名残惜しそうに画面から目を離し、先生がコピー用紙をめくる。

「『有栖千暁の通話履歴』?」
「そうなんですよ、これ!」途端に安藤が大声で喚いた。「ほら、先輩。この人とメールでやり取りしてるでしょう?先輩の名前が出たもんだから、みんな驚いちゃって」
「ゲームの中に手がかりがあるかもって誘われた時のだろ」

 確かにそこには、署内のパソコンのアドレスと、スマホのアドレスの二つ、私の連絡先が挙がっていた。

「相談に来たとは言っていたし、その話は黒川さんも小野さんも知ってましたから大丈夫だとは思うんですけど。どこまで本気か黒川さんたら『事情聴取してやる』だなんて息巻いてるんですよ」

 あまりされて嬉しいものでもないし、それ以外に今日のことで大変やましいことがあるので、できればそれは願い下げだった。やはり明日は休むしかないだろう。

「それ以外に、有栖さんと連絡をしていたのは、佐伯修二。この通話が最後だ」

 先生が静かに読み上げた。「佐伯総合病院の跡取り息子だな」
「ああ、あのイケメン」

 縛り上げてきたあの男は、今頃我々の行方を探すのに躍起になっているのだろうか。聖書に加えてiPadまで持って行かれたと知られたら、見つかったらタダでは済まされないだろう。

「イケメンかどうかは知りませんけど、どんなやりとりをしたのか確認したそうです」

 安藤が黒川から聞いたのだろう、補足してくれた。

「別に仕事上の話をしただけだと佐伯修二は言っていたそうですが、本当ですかね?」

 大病院の跡取り息子と、一介の医師がわざわざ個人的なやり取りなどするものだろうか。

「怪しいな」

 先生が呟いた。私も同感だった。

「やっぱり、口封じのために呼び出したのか?」
「かもしれません」
「それと、有栖千暁のiPhoneの中身ですが、木村馨のスマホに入っていたのと同じ追跡アプリが入っていました」
「やはりそうか」

 先生が納得したようにうなずいた。

「それ以外は大したものも入っていませんでした。SNSの類もなし。珍しいですよね」

 三十代くらいだったらツイッターとかLINEの一つでも入ってておかしくないのに、と同年代の安藤は納得いかないらしい。

「そのくせ、ゲームアプリが一個入ってんですよ?」
「それってもしかして」
「ええ、そのゲームと一緒です」

 安藤がiPadを指さした。

「関係あるかはわからないけれど、ゲーム内の人間関係を今洗ってるみたいです。でもアカウントが二つあって、手間がかかるみたい」
「二つ?」
「〈アテネのエーオース〉と〈へパイトスのエーオース〉。最大12個までアカウントを作れるみたいで」
「まあ、メインキャラとサブキャラくらいは作るかもしれないな。見た目も種族も職業も異なるキャラを作れるんだ。そういうのが好きな人もいるだろうに」

 先生が知ったふうに答えた。そう言えば彼は、ゲームの中まで有栖医師のことを追いかけまわしていたんだったっけ。

「先生が知っているエーオースはどちらですか?」

 私の知る剣士のエーオースは、アリスタイオスを探すために作ったアカウントなのだろう。確か、〈アテネのエーオース〉は魔術師だと彼女は言っていた。

「魔法使いの姿の方だな」
「ゲーム内での交友関係だから、現実世界の誰なのかを特定するのが大変みたいで。みんなカタカナの名前ばかりでうんざりって、駆り出された春日部さんとか榎本さんとか文句言ってましたよ。オルフェウスだのメリッサだの、勘弁してくれって」

 不平タラタラな刑事らの姿が用意に浮かんだ。

「後は、車ですね」

 安藤が先生の手元の資料を覗き込んだ。「木村馨殺害現場から消えたのは黒のヴィッツ。有栖千暁が所有しているのものとナンバーが一致しました」

 先生が確認した通りの話を、安藤が読み上げる。

「あと、これは有栖千暁の行動ではないのですが」

 そう前置きして安藤が続けた。「有栖医師の患者の結城誠一らしい人物が、木村馨がバスで氷穴に向かった一つ前のバスに乗っているのが確認されたそうです」

 そこには、大して参考にならない荒い白黒の写真が載っていた。「これだと全然わからないんですけど、白のスニーカーにポロシャツ、こげ茶のスラックス姿に真深に白い帽子をかぶってる人物がいたそうです」

 その服装は、見事蜂蜜男の格好と被っていた。

「この件もあるから、黒川さんはぜひ先輩に話を聞きたいっていうんですけど……」

 それでも明日もサボるつもりなんですか?暗にそう責められた気がした。が、今下手につつかれてしまっては、余計なぼろを出しそうで怖かった。

「仕方ないだろう、俺は今絶賛インフル罹患中だ」

 そう言ってわざとらしく咳をしてやる。「ほら、移すといけないから、安藤はもう帰ったほうがいい」

 時刻はもうすぐ正午をまわろうと言うところだ。当然安藤からは非難の声が挙がった。「えっ、こんな時間から一人で帰れって言うんですか?」
「タクシーを呼んでやる。無理言って俺が呼んだんだ、もちろん金も出すから」

 ネットで検索して、近くのタクシー会社に配車を依頼する。深夜料金と送迎代は痛いが、これ以上安藤を付きあわせることの罪悪感の方が金に勝った。

「そう言う問題じゃないでしょう、せっかく心配してきたのに」
「すまない安藤、これ以上お前を巻き込みたくないんだ」

 不本意ながら、私はすでに犯罪の片棒を担いでしまっている。どれもこれも、自分の潜入捜査の仕事に私を巻き込んだ先生が悪いわけだが、さらに彼女を巻き込むには気が引ける。

「すまないが、いろいろと面倒なことになっていてね」

 先生も申し訳なさそうに口を開いた。「リンドウ君にはまだ手伝ってもらわなければならないことがあるんだ」
「二人して一体何に首を突っ込んでるんです?事件のことだけなら、明日職場で黒川さんたちと話した方が早いでしょう?」

 それはそうだが、そう言うわけにはいかなかった。

「お願いだから安藤、お前は家に帰って、明日は何事もなかったように仕事に出て欲しいんだ」
「出来れば捜査状況がどうなっているか逐一教えてもらえるとなお嬉しい」

 便乗したのは先生だった。

「我々の命運がかかっているんだ」
「本当に、何しでかしたんです」

 気丈な安藤の声が弱くなる。「大丈夫なんですか?」

 それはこちらが聞きたかったが、状況的に「大丈夫だ」と答えるしか出来なかった。

「本当に?」不安におびえる安藤の肩を両手でつかんで、耳元でささやいてやる。「ああ」
「大丈夫だ、なにせこの私が付いているからな」

 ドンと先生が胸を叩くが、見向きもせずに安藤がうなずいた。

「そう言う事なら、また明日連絡しますから」

 思っていたよりも早くタクシーが来たことに安堵して、彼女を見送る。おとなしくタクシーに揺られていく安藤を見送って、先生が呟いた。

「惚れた弱み、ってやつだな」

 面白くなさそうな声色だった。

「君はその気持ちに応えるつもりはあるのかね?」
「たぶん、無理でしょう」

 私は月空の元、そうとしか答えられなかった。私に彼女は、もったいない。
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