悪い冗談

鷲野ユキ

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仕事始め

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「あけましておめでとうございます」
「ああ、今年も頼むよ、スパロウホーク」

 下手くそなウインクが返ってくる。このたかだか数日の休暇で太ったように見える笹塚課長が、よせばいいのにせんべいを食べている。食べすぎだ。
 いつものチュパチュパという音がし始めたところで、私は上司への新年のあいさつも早々に相談室を抜け出した。

 ともかくは情報を集めなければ。私はその使命感に燃えていた。気になるところで中断されて、長々とつまらないコマーシャルを見させられていた気分だった。
 あれから、竜宮洞穴で見つかった女の遺体はどうなったのだろう。黒川刑事が呼ばれたくらいだ、やはり事件性があると考えられたのか、それともただの自殺と片されたか。

 そこに行けば会える気がして、私は喫煙所に向かった。
 ここにいれば小野さんに会える気がして、とうぶなことを言っていた厳つい男の影を探したが、黒川刑事はおろか小野さんもいなかった。

「カラ振りか」

 誰もいないことをいいことに独り言をつぶやいて、私はパイプ椅子に腰掛ける。煙草臭いだけでちっとも気の休まらないこの休憩所に用はない。
 が、もう少し待てば、アイツが来るかもしれない。
 待ち人が黒川だなんて、最悪だ。思わず悪態をついたところで「先輩、こんなとこで何してるんです?」

 すっかり脱力していたところに急に声を掛けられて、私は危うく椅子から転げ落ちそうになる。
 振り向けば、脇に書類を抱えたまま、自販機でジュースを買う安藤の姿があった。

「なんだ、安藤か」
「なんだってなんですか。かわいい後輩に向かってあんまりじゃないですか」
「それよりお前、なんか少し痩せたか?」

 一回り大きくなった笹塚課長を見たせいか、なんとなく安藤が小さくなった気がして私は声を掛ける。

「わかります?」

 声を掛けられた安藤の顔が、ぱあっと明るくなるのが嫌でもわかった。

「お正月、頑張ったんですよ」
「ふーん。普通は正月休みなんて太っちまうけどな」笹塚課長みたいに。

「そのほうが健康にいいんでしょう」
「それは、まあ」

 確かにそう言ったのは私だ。けれどなんだ、やれば出来るんじゃないか。単純な動機で見事成し遂げようとしている後輩のことを、すごいじゃないかと手放しでほめる気にはなれなかった。

「お前はいいな。どうとでもなる」

 椅子に深くもたれかかり、私はひとりごちる。

「けれど俺は駄目だな。今更背が伸びるはずもないし。こんなチビじゃなければ刑事にだってなれてたかもしれないし、そうだったらいちいち事件についてこそこそ嗅ぎまわらなくても捜査出来たのにな」

 そうだ、私が黒川刑事だったならば、どれだけよかっただろう。恐らく事態はもっと簡単だったはず。

「年末に見つかった竜宮洞穴の遺体のことですか?」
「ああ」
「仮に先輩が刑事になれてたとしても、だからって事件がすぐ解決するとも限らないじゃないですか」
「なんだよ、アイツと一緒にしないでくれよ」
「アイツって黒川刑事のことですか?」
「そうだよ。アイツ、俺のこといつも馬鹿にしてくるんだ。嫌なやつ」

 だがそんな嫌なやつに縋らなければ、事件の情報ももらえない自分がもっと嫌だった。

「確かにあの人は嫌なやつですよ。今日ちょっと会っただけで、もう五回もブス姫って言われました」
「黒川刑事に会ったのか?」
「ええ。合同捜査会議があるそうで、資料を人数分コピーするように言われて」
「雑用か」
「それが事務員の仕事なんだから仕方ないでしょう。黒川さんだって、正月返上で働いてるんですから。呑気に家でゴロゴロしてた先輩が偉そうなこと言わないでくださいよ」
「悪いか」
「加賀見さんから聞きましたよ。正月はふて寝してたようだって。そんなに暇なんだったら、一緒に初詣くらい行ってくれたってよかったじゃないですか」
「もしかしたら俺のとこにきた偽物の木村馨が殺されたかもしれないってのに、呑気に自分のことなんて神様にお祈りしてる場合じゃないだろ」

「その、偽物の木村馨のことなんですが」
「なんだ」
「黒川さんから頼まれた資料のコピー、一部多く刷ったんです」

 安藤が大事そうに抱えた書類の束から、こっそりと一部抜き出した。

「そんなに気になるなら、これあげます。でも私があげたって絶対に言わないでくださいよ」
「安藤、ありがとう。恩に着る」

 渡された白い紙束を奪うように手にすると、私は慌てて羅列する細かい文字を追う。

「被害者は、有栖千暁」

 私は、そこに書かれた情報を食い入るように見つめた。白黒でわかりづらいが、目の下に大きなほくろをもつ、少し強気そうでいて、けれどはかなげな女の顔がそこには載っていた。

「見覚え、ありますよね?」
「ああ……」

 新たな被害者は、彼女で間違いなかった。

「彼女こそが、先輩と加賀見さんが鼻の下を伸ばしていた女です」
「加賀見先生、も?」

 一瞬耳を疑った。どういうことだ?

「やだなあ先輩、自分が鼻の下を伸ばしてたってことは否定しないんですか?」

 安藤が冗談めかして言うが、私にはそのセリフは聞こえなかった。そのかわり飛び込んできたのは、「佐伯総合病院・医師」という、彼女の肩書だった。

「おい、これはどういうことなんだ?」
「知りませんよ。ただ一つ言えるのは、美人薄命っていうのは本当なんだな、ってことくらい」

 そう言う安藤の顔が、笑みを浮かべていた気がするのは気のせいだろうか。

「けれどなんで、彼女が加賀見先生の想い人と一致するんだ?」
「黒川さんたちだって馬鹿じゃありません。先輩がダラダラしている間に、被害者の人間関係を洗っていたんです。加賀見さんがストーカーしてた女医さんは、夏ぐらいまでに嫌がらせを受けていたって言ってましたよね?」
「ああ」
「ここ、読んでください」

 そこには、以前に先生が想い人について話したこととそっくり同じことが書かれていた。

「さらに、最近は姿を見ないって加賀見さんしきりに言ってたでしょう?多分、もう亡くなってたんじゃないかしら」
「死んでた?」
「死亡時期は、十一月下旬ごろじゃないかって」
「確かに、EoBのなかでエーオースが姿を消した時期と一致するが……」
「加賀見さんも言ってたでしょう?ゲームの中でも見かけなくなったって」

 すでに資料の中身に精読しているらしい安藤が、得意げに続けた。

「そんなことより大変なことがあるんですよ」

 今より大変なことがあるっていうのか。もはや私は資料を読むことを諦め、安藤の口上に耳を寄せることにした。

「どうやらこの有栖って女の人、結城誠一の担当医だったみたいなんです」
「結城誠一……の?」
「ええ。木村馨の元恋人の、主治医なんですよ」
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