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お年玉
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「ほんとに富士山なんて登るつもりですか?」
今からじゃ遅い。そもそも正月に富士山に登るようなやつらは、ご来光とやらを見たくて登るんじゃないのか。今から行ったところでただの山登りだ。
それに、山なんて普段登らない人間がうかつに行くような場所でもない、と必死に身振り手振りで説明したところで、「本気なはずないだろう」と軽くあしらわれてしまった。
「じゃあなんで」
わざわざこんなところに。
「なに、寂しい君のことだ、一人で不毛な正月をすごしてるんじゃないかと思ってな」
「不毛なのはどっちです。俺は年末からずっと、正月は寝て過ごそうって楽しみに思ってたんだ」
そう考えていたはずだった。けれど偽物の木村馨と思われる女が殺されたと聞いて、妙に心がそわそわするばかりで、ちっとも休めた気がしない。
「そうなのか?いや、それなら悪いことをしたな」
律儀なのか、彼はわざわざ手土産に四合瓶を持ってきてくれた。重たい荷物を置きながら、
「確かに正月は何もしないのが最適解ではあるけれど、君のことだ。さぞ例の事件が年内に解決しなかったことを、もどかしがっているだろうと思ってね」
と玄関に上がり込む。
「もどかしいのは確かですけど」
来客用のスリッパを出しながら私は続けた。珍しく来客が続くので、仕方がなく買ったものだ。
「それに、まだそうとは決まっていないんですが、また被害者が……」
「ああ、偽物の木村馨だったね?」
年内最終日のあの日。私は居ても立ってもいられなくなり、取り合えず先生にそのことをメールした。返ってきたのは、まだ確実でないことに気をもむのはやめた方がいい、という毒にも薬にもならないセリフだったが。
「そうでないことを祈るばかりだが」先生は神妙な顔もちで呟いた。
「本当に美人薄命だとしたら、この世は地獄だな」
なんとも面白くない世界だ、そう先生は呟いた。
「しかし、こんな偶然あるもんでしょうか」
「どうだろう。とにかく被害者が誰であれ、犯人が早く捕まるといいんだが」
「でも、早期解決したからって死んだ人間は戻らない」
「その言い方だと、まるで犯人は逃げないとでも思っているようじゃないか」
「まさか。逃げたって、この世界は狭いんだ。いつかは必ず捕まりますよ」
罪は償われなきゃならないんです。私はぼそりと呟いた。
「そうだな、だとすると、人は生きているだけでどれだけの罪を償わななければならないんだろうな」
我が物顔で先生が居間へと上がり炬燵で足を延ばしている。
「そんな話をするためにわざわざ来たんですか?というか、先生にだって家族はいるでしょうに、いいんですかこんなところに来て」
「まあ、かまわない。その辺は妹がつつがなく行ってるだろう」
妹。初耳だった。先生に妹がいたのか。私は思わずボサボサ頭に赤ら顔の女性を想像してしまった。
「今のは分かるぞ。何か、失礼なことを考えただろう」
「いや、別に」
「一応妹の名誉のために言っておくが、彼女は私とは全然似ていない」
それはよかったですね、とうっかり言わなくて良かった。
「君は毎年、一人で正月を迎えているのか?」
確かご両親は亡くなられたんだったな、とすっかり我が家の間取りを覚えたらしい先生が、仏壇のある部屋の襖をあけて合掌している。
「別に、何人で迎えようがやって来るものでしょう、新年なんて」
どう抗っても明日が来るのと同じで、未来は望まずとも必ず我々の元にやって来る。過去に留まることを許しはしない。起きたくないのに、無理やり親に起こされた憂鬱な朝のことを思い出す。
「じゃあ、お年玉をあげよう」
先生が勝手に台所からコップを持ち出し日本酒の栓を開け、私と乾杯するでもなく飲みながら言った。「正月の楽しみなど、これくらいだろう?」
「まさかこの年で、そんなものもらえるとは思っても見ませんでした」
一応胡坐から正座に座り直し、私は両手を揃えて先生に突き出す。なんだか懐かしい。貰った金ですぐにでもゲームソフトを買いに行きたがっていた子供の頃の自分を思い出す。だが、渡された『お年玉』はその当時の物とは違っていた。
「以前樹海に行ったとき、遺体があった場所にブタクサの芽が出ていたな?」
「え?ええ」
「単に繁殖力の強い植物の種子が犯人によって運ばれてきただけだと思っていたんだがな、どうにも意味合い違うようなんだ」
「意味合い?」
私は恥ずかしくなって、揃えていた両手をそっと下した。どうやら彼の言う『お年玉』は、事件についての情報らしい。
「ブタクサの学名を知っているか?」
「学名?」
「ブタクサの英名は、Ambrosia artemisiifolia」
どこかで聞いたことのあるような名前だ。私はそれを必死に思い出そうとする。
「思い出せないか?君は私と違って、毎日使っているものなんだが」
毎日使っているもの?先生からのヒントを聞いて、よけいわからなくなってしまった。
「歯ブラシ、とか?」
「そんなわけあるか。君は今でも毎日やってるんだろう?アリスタイオスもエーオースも、見つかるはずがないのに」
「毎日……ああ、ゲームですか」
別に毎日やってるわけでは、と言い返そうとしたところで思い返す。
いや確かに、暇さえあればログインしているぞ。おかげで読みかけの本の続きがちっとも進まない。
「体力を回復するキノコの名前がそんなだった気がします。アンブロシア」
ヒントを出されてようやく気付いた。確かに毎日使っているかもしれない。
「そこで問題だ。焼死体の傍にはなにが落ちていた?」
「……キノコ、ですか?」
「ああ。どこの誰かはアヒージョみたいなぞと言うが、あれには意味があったのだとしたら」
「意味って。そもそもアンブロシアって何ですか?」
聞き返す私に、先生が心底呆れた様子でため息を吐いた。
「君はもっと博識なものだと思っていたのだがね。せっかくご両親があれだけの蔵書を残してくれたというのに」
そう嘆いて、襖の先に視線を送る。「花にまつわる蔵書もたくさんあるじゃないか。あれらを読んだから、君は花言葉に詳しいのではないのかい?」
「そんな、全部目を通すなんてできませんよ」
それには時間が足りなさすぎる。
「庭に生えている植物について、調べるくらいしかしてないもので」
花言葉と共に簡単な世話の方法が記されているそれを見て、せめて母の悔いが残らぬようこの庭の世話をしてあげようと考えたのがきっかけだった。
だがあっけなく挫折して、せいぜい水をやるだけになってしまったが。
「まあ、私ももともと知っていたわけではないのだがね」
そう一言置いて、先生が続ける。
「アンブロシアとは、ギリシャ神話において神々が食べるもので、それを食べれば不老不死になれるという妙薬のことを指すらしい」
「不老不死……」
これから殺そうって人間には、およそ手向けないような代物だ。
「その正体について正確な情報はないが、花粉と蜜の混ざったようなものだとか、キノコだとかいろんな説がある」
「蜂蜜も?」そういえば、MP回復アイテムが『ハニーネクター』だった。
「ああ。木村馨の遺体の側に落ちていたキノコは、恐らくそれを表していたんじゃないだろうか」
「殺した人間に不老不死を、ですか?なんで?」
「なんでかなんて私だって分からん。が、同じく『アンブロシア』の名を持つものが、例の蜂蜜男の遺体発見現場に置かれていた。蜂蜜もだ。果たしてこれは偶然だろうか」
「偶然、にしては……うまく行きすぎてる気がします」
私は神妙にうなずいた。
「恐らく、焼死体にキノコを供えたのと、蜂蜜男に蜂蜜を塗り、遺体発見現場にブタクサを植えた人間は同一人物だ」
「それが犯人?」
「なのかはわからん」
どうしてそんなことをしたのかもわからない。
「とりあえず考えられるのは、その人物は例のゲームとやらに関係のある人物」
そう言って、先生が私のスマホに目線を寄越す。
「じゃあ、やっぱりメリッサが?」
彼女は自分が作った蜂蜜で、蜂蜜男が健康を害したのを知っている。もしやその弔いの意味でそれらを供えたのでは、と私が発言するも、
「だがメリッサとやらは、蜂蜜男が死んだことを知らなかったのだろう?」と肩を竦められる。
「知らないふりをしていただけじゃ」
「仮にメリッサが嘘をついていたとする。例えば自分の作った蜂蜜で健康被害が起こったと世間に吹聴されると困るから、自殺に見せかけて彼を殺したとする。だとしても、その元恋人の木村馨まで殺す理由がわからない」
「木村馨も、そのことを知ってしまったから、とか」
「だが蜂蜜男と木村馨は連絡を取り合ってはいなかったのだろう?だとすると、どうやって木村馨はそれを知ったんだ?」
「例えば、表面上は何事もなかったように振る舞っていたけれど、本当は捨てられたことを木村馨は恨んでいて、結城誠一のことを追いかけまわしていた、とか……」
「ちょっと待ちたまえ」先生が会話を遮った。
今からじゃ遅い。そもそも正月に富士山に登るようなやつらは、ご来光とやらを見たくて登るんじゃないのか。今から行ったところでただの山登りだ。
それに、山なんて普段登らない人間がうかつに行くような場所でもない、と必死に身振り手振りで説明したところで、「本気なはずないだろう」と軽くあしらわれてしまった。
「じゃあなんで」
わざわざこんなところに。
「なに、寂しい君のことだ、一人で不毛な正月をすごしてるんじゃないかと思ってな」
「不毛なのはどっちです。俺は年末からずっと、正月は寝て過ごそうって楽しみに思ってたんだ」
そう考えていたはずだった。けれど偽物の木村馨と思われる女が殺されたと聞いて、妙に心がそわそわするばかりで、ちっとも休めた気がしない。
「そうなのか?いや、それなら悪いことをしたな」
律儀なのか、彼はわざわざ手土産に四合瓶を持ってきてくれた。重たい荷物を置きながら、
「確かに正月は何もしないのが最適解ではあるけれど、君のことだ。さぞ例の事件が年内に解決しなかったことを、もどかしがっているだろうと思ってね」
と玄関に上がり込む。
「もどかしいのは確かですけど」
来客用のスリッパを出しながら私は続けた。珍しく来客が続くので、仕方がなく買ったものだ。
「それに、まだそうとは決まっていないんですが、また被害者が……」
「ああ、偽物の木村馨だったね?」
年内最終日のあの日。私は居ても立ってもいられなくなり、取り合えず先生にそのことをメールした。返ってきたのは、まだ確実でないことに気をもむのはやめた方がいい、という毒にも薬にもならないセリフだったが。
「そうでないことを祈るばかりだが」先生は神妙な顔もちで呟いた。
「本当に美人薄命だとしたら、この世は地獄だな」
なんとも面白くない世界だ、そう先生は呟いた。
「しかし、こんな偶然あるもんでしょうか」
「どうだろう。とにかく被害者が誰であれ、犯人が早く捕まるといいんだが」
「でも、早期解決したからって死んだ人間は戻らない」
「その言い方だと、まるで犯人は逃げないとでも思っているようじゃないか」
「まさか。逃げたって、この世界は狭いんだ。いつかは必ず捕まりますよ」
罪は償われなきゃならないんです。私はぼそりと呟いた。
「そうだな、だとすると、人は生きているだけでどれだけの罪を償わななければならないんだろうな」
我が物顔で先生が居間へと上がり炬燵で足を延ばしている。
「そんな話をするためにわざわざ来たんですか?というか、先生にだって家族はいるでしょうに、いいんですかこんなところに来て」
「まあ、かまわない。その辺は妹がつつがなく行ってるだろう」
妹。初耳だった。先生に妹がいたのか。私は思わずボサボサ頭に赤ら顔の女性を想像してしまった。
「今のは分かるぞ。何か、失礼なことを考えただろう」
「いや、別に」
「一応妹の名誉のために言っておくが、彼女は私とは全然似ていない」
それはよかったですね、とうっかり言わなくて良かった。
「君は毎年、一人で正月を迎えているのか?」
確かご両親は亡くなられたんだったな、とすっかり我が家の間取りを覚えたらしい先生が、仏壇のある部屋の襖をあけて合掌している。
「別に、何人で迎えようがやって来るものでしょう、新年なんて」
どう抗っても明日が来るのと同じで、未来は望まずとも必ず我々の元にやって来る。過去に留まることを許しはしない。起きたくないのに、無理やり親に起こされた憂鬱な朝のことを思い出す。
「じゃあ、お年玉をあげよう」
先生が勝手に台所からコップを持ち出し日本酒の栓を開け、私と乾杯するでもなく飲みながら言った。「正月の楽しみなど、これくらいだろう?」
「まさかこの年で、そんなものもらえるとは思っても見ませんでした」
一応胡坐から正座に座り直し、私は両手を揃えて先生に突き出す。なんだか懐かしい。貰った金ですぐにでもゲームソフトを買いに行きたがっていた子供の頃の自分を思い出す。だが、渡された『お年玉』はその当時の物とは違っていた。
「以前樹海に行ったとき、遺体があった場所にブタクサの芽が出ていたな?」
「え?ええ」
「単に繁殖力の強い植物の種子が犯人によって運ばれてきただけだと思っていたんだがな、どうにも意味合い違うようなんだ」
「意味合い?」
私は恥ずかしくなって、揃えていた両手をそっと下した。どうやら彼の言う『お年玉』は、事件についての情報らしい。
「ブタクサの学名を知っているか?」
「学名?」
「ブタクサの英名は、Ambrosia artemisiifolia」
どこかで聞いたことのあるような名前だ。私はそれを必死に思い出そうとする。
「思い出せないか?君は私と違って、毎日使っているものなんだが」
毎日使っているもの?先生からのヒントを聞いて、よけいわからなくなってしまった。
「歯ブラシ、とか?」
「そんなわけあるか。君は今でも毎日やってるんだろう?アリスタイオスもエーオースも、見つかるはずがないのに」
「毎日……ああ、ゲームですか」
別に毎日やってるわけでは、と言い返そうとしたところで思い返す。
いや確かに、暇さえあればログインしているぞ。おかげで読みかけの本の続きがちっとも進まない。
「体力を回復するキノコの名前がそんなだった気がします。アンブロシア」
ヒントを出されてようやく気付いた。確かに毎日使っているかもしれない。
「そこで問題だ。焼死体の傍にはなにが落ちていた?」
「……キノコ、ですか?」
「ああ。どこの誰かはアヒージョみたいなぞと言うが、あれには意味があったのだとしたら」
「意味って。そもそもアンブロシアって何ですか?」
聞き返す私に、先生が心底呆れた様子でため息を吐いた。
「君はもっと博識なものだと思っていたのだがね。せっかくご両親があれだけの蔵書を残してくれたというのに」
そう嘆いて、襖の先に視線を送る。「花にまつわる蔵書もたくさんあるじゃないか。あれらを読んだから、君は花言葉に詳しいのではないのかい?」
「そんな、全部目を通すなんてできませんよ」
それには時間が足りなさすぎる。
「庭に生えている植物について、調べるくらいしかしてないもので」
花言葉と共に簡単な世話の方法が記されているそれを見て、せめて母の悔いが残らぬようこの庭の世話をしてあげようと考えたのがきっかけだった。
だがあっけなく挫折して、せいぜい水をやるだけになってしまったが。
「まあ、私ももともと知っていたわけではないのだがね」
そう一言置いて、先生が続ける。
「アンブロシアとは、ギリシャ神話において神々が食べるもので、それを食べれば不老不死になれるという妙薬のことを指すらしい」
「不老不死……」
これから殺そうって人間には、およそ手向けないような代物だ。
「その正体について正確な情報はないが、花粉と蜜の混ざったようなものだとか、キノコだとかいろんな説がある」
「蜂蜜も?」そういえば、MP回復アイテムが『ハニーネクター』だった。
「ああ。木村馨の遺体の側に落ちていたキノコは、恐らくそれを表していたんじゃないだろうか」
「殺した人間に不老不死を、ですか?なんで?」
「なんでかなんて私だって分からん。が、同じく『アンブロシア』の名を持つものが、例の蜂蜜男の遺体発見現場に置かれていた。蜂蜜もだ。果たしてこれは偶然だろうか」
「偶然、にしては……うまく行きすぎてる気がします」
私は神妙にうなずいた。
「恐らく、焼死体にキノコを供えたのと、蜂蜜男に蜂蜜を塗り、遺体発見現場にブタクサを植えた人間は同一人物だ」
「それが犯人?」
「なのかはわからん」
どうしてそんなことをしたのかもわからない。
「とりあえず考えられるのは、その人物は例のゲームとやらに関係のある人物」
そう言って、先生が私のスマホに目線を寄越す。
「じゃあ、やっぱりメリッサが?」
彼女は自分が作った蜂蜜で、蜂蜜男が健康を害したのを知っている。もしやその弔いの意味でそれらを供えたのでは、と私が発言するも、
「だがメリッサとやらは、蜂蜜男が死んだことを知らなかったのだろう?」と肩を竦められる。
「知らないふりをしていただけじゃ」
「仮にメリッサが嘘をついていたとする。例えば自分の作った蜂蜜で健康被害が起こったと世間に吹聴されると困るから、自殺に見せかけて彼を殺したとする。だとしても、その元恋人の木村馨まで殺す理由がわからない」
「木村馨も、そのことを知ってしまったから、とか」
「だが蜂蜜男と木村馨は連絡を取り合ってはいなかったのだろう?だとすると、どうやって木村馨はそれを知ったんだ?」
「例えば、表面上は何事もなかったように振る舞っていたけれど、本当は捨てられたことを木村馨は恨んでいて、結城誠一のことを追いかけまわしていた、とか……」
「ちょっと待ちたまえ」先生が会話を遮った。
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