悪い冗談

鷲野ユキ

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バラとリンドウ

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 さして期待もしていなかったが、思いのほか早く返信が来た。帰宅後、二十三時。

 公務員だからって、八時五時で上がれるとは限らない。それが、同じ公務員の中でも警察行政職員の人気の低いゆえんだ。白茶けた畳に胡坐をかいたところで、ポケットに入れたスマホが静かに震えているのに気が付いた。

『確実とは言い難いが、手がかりは充分に得られる可能性がある。サンプルは用意できるか?』

 なんとも気の早い返信だ。夕餉にと買ってきたコンビニ弁当がどんどん冷めていくのも構わず、私は画面を食い入るように見つめた。

 安藤から連絡先を聞いた旨、そして気になる自殺遺体があること、だが警察はそれを調べてくれない。自力で調べたいがもう骨しか残ってない、という内容を事細やかに、苦心して書いたメールへの返信がこれだ。

 少なくとも、加賀見と言う人は変わり者なのかもしれない。いや、単に私に頭の良い知り合いがいないからそう思うだけで、賢い人間と言うのはこんな感じなのだろうか。

『早速のご返信ありがとうございます。お忙しい先生のお手を煩わせてしまい恐縮ではありますが、ご協力いただけるならありがたく存じます』

 加賀見氏からの簡潔なメールに対し、なんと回りくどいことだろう。我ながらそう思ったが、しがない文官はとりあえずは定型文から始めないと落ち着かない。空腹を追いやって、私はポチポチとスマホの画面をタップする。

『遺骨はこちらで保管しております。見ていただけるようなら、お持ちいたします』

 そう送信すると、即返信が来た。ようやく箸を出した私の手が止まる。なんとまあ、行動の速い男なのだろうか、加賀見氏は。せっかちなのか、あるいは暇なのか。

『早ければ早い方がいい。明日はどうか?』
 
 明日。この急なアポイントに私は困惑する。明日は金曜だ。土日を平穏に休むために、必死に努力をしなければならない週末。

 とは言えいかに私が自分の仕事をきれいに片そうとも、警察官らに土日はない。彼らに急に呼び出されて、つまらない仕事を押し付けられる可能性もあるのだが。

『明日なら、十八時以降なら』

 どうせ休日出勤するかもしれない身の上だ。仕事を片すことを私は諦めた。

『では、二十時に新宿駅、東口で。一輪のバラを持った男が私だ』

 ようやく箸を口に運んだところに送られてきたこの内容を見て、私はむせる。なんだ、バラを持っているのが私だ、だなんて。いつの時代の文通だ。

 だが、なんとなく好意を持ったのも確かだ。私だって若かりし頃、すてきな誰かと巡り合えていたならば、やってみたかったとは思う。残念ながら今回会うのはかわいい異性ではなく、せっかちな男だが。

『わかりました。では私は、リンドウの花を持って行くことにします』

 せめてものユーモアを。そう思い、一言付け加える。加賀見氏との会合を、楽しみにしている自分がいた。

「絶世の美女と会うわけでもなし……」

 苦笑して、一人つぶやく。

『なるほど、安藤君の知り合いだと言うし、君は刑事なのかな?』

 ピコン、とスマホがメールを受信する。相手はどうやら花言葉にも詳しいらしい。さすがインテリ、と言うところか。

 明日は何が何でも定時で上がってやろう。私は心に誓った。ここから新宿駅まではちょっとした小旅行だ。なに、次の日は休みだ。都内ならばどこにでも泊まれる場所はあるだろう。

 相手が、自分を刑事だと思っているのも面白かった。リンドウの花言葉は、正義。私の好きな言葉だ。その言葉から彼は私をそう判断したのだろう。どうせバレるだろうが、なるべくうまくやって見せよう。

 冷めた弁当をかっ込むと、私はシャワーを浴び眠りについた。
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