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1964.10.9 上野 5
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「それこそあんまりだわ!」
「いいえ。これは私が志願したことでもあるのです。その、少し気になる点があって……」
そう続けるメグの瞳は、翳りの色を帯びていた。
「気になる……何が?」
「気のせいだとは思うんです。けれど、本当のことはこの目で見て確認しなければ」
迷いを立ち入るかのように言い切ったメグの顔は、ひどく凛々しくて眩しかった。姉のように慕う彼女が顔をあげているというのに、自分は彼女に全てを押し付けて、何も見なかったことにしていていいのだろうか。
それじゃいけない、そう思う自分がいる一方、けれど何もかも手遅れだ、と諦める自分もいた。そもそも明日、無事開会式が行われるかどうかだってかなり怪しい。
「でも、開会式は中止よ」
真理亜は絶望的な窓の外を見て言った。それに対し、一体その自信はどこから湧いてくるのか。メグが力強い声で言い切った。
「中止になんてなりません。必ず晴れます」
「まさか」
「明日からのオリンピックの為に、この国と日本人は頑張ってきたんです。神様だって、明日くらい晴れにしてくれますよ」
「でも、明日晴れて開会式が行われたとしたら、会場は危険にさらされることになるわ。お客さんたちを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。だって、菅野さんたちは爆弾がどうこうって話していたんだもの。草加次郎の名を騙って、なにかしでかそうとしているのかもしれない。ならいっそ、中止になったほうが」
「開会式は、身代金の受け渡しの為なんかに開かれるわけじゃありません。新しい日本に様々な国の人たちが集まって、争いや憎しみを越えて、ともに平和に競い合うことを誓うための聖なる儀式なんです。中止になんてさせません」
「けれどどうするっていうの?無事開催したとして、まさか、犯人を捕まえにでも行くつもり?」
投げやりな気持ちで真理亜が言った。会場に乗り込んで、大月さんと菅野さんを捕まえる?そんなの、出来っこないわ。
「ええ」
けれどメグは、あっけらかんとうなずいた。
「犯人が誰だかわからないけれど、そんなことをするやつ、この私が捕まえて見せます」
「そんなの危ないわ」
「真理亜お嬢様だって、最初は菅野さんの為に犯人を捕まえてやるんだって意気込んでたじゃあありませんか」
「そうだけれど、でも……」
その犯人が、あの人だったのだ。けれど、本当にそうなのだろうか。
「でも、草加が送ってきたチケットは、私、失くしてしまったの」
迷いが真理亜の口を動かした。そうよ、入れなきゃどうにもならないじゃない。
「順次郎様が、ご自分とお嬢様の為に確保していた分を一枚分けてくださいました。申し訳ないがこれを使って、犯人の要求に従ってくれと」
「お父様が?お父様も、メグさんと一緒に会場に向かうの?」
「いえ、娘に持って来させるよう犯人が指定してきた以上、おとなしく従ったほうがいいだろうと刑事が言ったそうです、だから、私一人で行ってきます」
「ダメよ、一人でだなんて!」
「大丈夫ですよ、当日は警察も周りを張っていてくれるそうです。ただでさえ要人が多くいらっしゃる開会式です、警備が厳重になるのは当たり前。犯人に何かされるはずなんてありませんもの。逆に、私がボコボコにしてやるんだから」
そう言って気丈にメグは笑いながら軽くこぶしを握ったが、その手が震えているのを真理亜は見逃さなかった。
「ダメよ、メグさん一人に、そんな危険なことはさせないわ」
健気なメグの姿を見て、沈んでいた真理亜の瞳に光が戻ってきた。こんなの駄目だわ、メグさんの言う通りよ、逃げてばかりじゃダメ、本当のことを確認しないと。
「私も一緒に行くわ」
「そっちのほうがダメですよ!順次郎様がどれだけお怒りになるか」
「そんなの知らないわ。メグさんを危険な目に遭わせるお父様のことなんて」
それに真理亜は順次郎にも腹を立てていた。いくら自分の娘の身が危ないからって、いくら申し出てくれたって言ったって、こんな女性を危険な目に遭わせて、自分はのうのうと安全な場所にいるだなんて。なんて男らしくないのかしら!
「そうよ、一人で行くより、二人で行った方が犯人を捕まえられる可能性は倍になるんだもの。メグさんを一人でなんて行かせやしないわ」
「お気持ちはありがたいですが、でもどうやって会場に入るって言うんです」
「あら、私のチケットが一枚余っているじゃない」
「もしかして、順次郎様が用意してくださった分ですか?」
「そうよ。それに輝かしい日本の第一歩を象徴する開会式よ。テレビで見るのもいいけれど、誰だって見に行きたいのは同じだわ。例え草加に脅されていたとしてもね」
そう言って、真理亜は軽くウインクした。青い瞳は晴れた空のように澄んでいた。
「真理亜お嬢様……」
「それに、まだ菅野さんが本当に草加次郎なのか、直接聞いたわけじゃないもの。今度こそ私、本当のことを教えてもらうわ」
「ええ、きっと菅野さんにも会えますよ。その時菅野さんが犯人としてなのか、それとも人質としてなのか、あるいは助けに来てくれるヒーローとして現れるのかどうかは分かりません。けれどきっと、明日の開会式ですべてが明らかになる」
メグが笑顔を浮かべてうなずいた。
「それに、最悪なことに、もし菅野さんたちが怪しい動きを見せるようなら止めさせないと。ほんとうの犯罪者になってしまいますもの」
「そうね、そうだわ」
まだ手遅れではないのかもしれない。真理亜はそう思い始めていた。本当に後戻りできなくなる前に、何とかしなければ。話を聞いてくれるかどうかはわからない。けれどあの人を、平和のためのオリンピックで爆弾に火を点けるような人間にはしたくはなかった。
「わかったわ、メグさん。私、行くわ」
メグの黒い目を見据えて、真理亜は言った。「二人で行けば、なんとかなるわ」
「きっと何とかなります。お金だか爆弾だか不思議な力だかしりませんけど、愛の力の前では何もかも無力だってことを、男どもに見せつけてやりましょう!」
「いいえ。これは私が志願したことでもあるのです。その、少し気になる点があって……」
そう続けるメグの瞳は、翳りの色を帯びていた。
「気になる……何が?」
「気のせいだとは思うんです。けれど、本当のことはこの目で見て確認しなければ」
迷いを立ち入るかのように言い切ったメグの顔は、ひどく凛々しくて眩しかった。姉のように慕う彼女が顔をあげているというのに、自分は彼女に全てを押し付けて、何も見なかったことにしていていいのだろうか。
それじゃいけない、そう思う自分がいる一方、けれど何もかも手遅れだ、と諦める自分もいた。そもそも明日、無事開会式が行われるかどうかだってかなり怪しい。
「でも、開会式は中止よ」
真理亜は絶望的な窓の外を見て言った。それに対し、一体その自信はどこから湧いてくるのか。メグが力強い声で言い切った。
「中止になんてなりません。必ず晴れます」
「まさか」
「明日からのオリンピックの為に、この国と日本人は頑張ってきたんです。神様だって、明日くらい晴れにしてくれますよ」
「でも、明日晴れて開会式が行われたとしたら、会場は危険にさらされることになるわ。お客さんたちを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。だって、菅野さんたちは爆弾がどうこうって話していたんだもの。草加次郎の名を騙って、なにかしでかそうとしているのかもしれない。ならいっそ、中止になったほうが」
「開会式は、身代金の受け渡しの為なんかに開かれるわけじゃありません。新しい日本に様々な国の人たちが集まって、争いや憎しみを越えて、ともに平和に競い合うことを誓うための聖なる儀式なんです。中止になんてさせません」
「けれどどうするっていうの?無事開催したとして、まさか、犯人を捕まえにでも行くつもり?」
投げやりな気持ちで真理亜が言った。会場に乗り込んで、大月さんと菅野さんを捕まえる?そんなの、出来っこないわ。
「ええ」
けれどメグは、あっけらかんとうなずいた。
「犯人が誰だかわからないけれど、そんなことをするやつ、この私が捕まえて見せます」
「そんなの危ないわ」
「真理亜お嬢様だって、最初は菅野さんの為に犯人を捕まえてやるんだって意気込んでたじゃあありませんか」
「そうだけれど、でも……」
その犯人が、あの人だったのだ。けれど、本当にそうなのだろうか。
「でも、草加が送ってきたチケットは、私、失くしてしまったの」
迷いが真理亜の口を動かした。そうよ、入れなきゃどうにもならないじゃない。
「順次郎様が、ご自分とお嬢様の為に確保していた分を一枚分けてくださいました。申し訳ないがこれを使って、犯人の要求に従ってくれと」
「お父様が?お父様も、メグさんと一緒に会場に向かうの?」
「いえ、娘に持って来させるよう犯人が指定してきた以上、おとなしく従ったほうがいいだろうと刑事が言ったそうです、だから、私一人で行ってきます」
「ダメよ、一人でだなんて!」
「大丈夫ですよ、当日は警察も周りを張っていてくれるそうです。ただでさえ要人が多くいらっしゃる開会式です、警備が厳重になるのは当たり前。犯人に何かされるはずなんてありませんもの。逆に、私がボコボコにしてやるんだから」
そう言って気丈にメグは笑いながら軽くこぶしを握ったが、その手が震えているのを真理亜は見逃さなかった。
「ダメよ、メグさん一人に、そんな危険なことはさせないわ」
健気なメグの姿を見て、沈んでいた真理亜の瞳に光が戻ってきた。こんなの駄目だわ、メグさんの言う通りよ、逃げてばかりじゃダメ、本当のことを確認しないと。
「私も一緒に行くわ」
「そっちのほうがダメですよ!順次郎様がどれだけお怒りになるか」
「そんなの知らないわ。メグさんを危険な目に遭わせるお父様のことなんて」
それに真理亜は順次郎にも腹を立てていた。いくら自分の娘の身が危ないからって、いくら申し出てくれたって言ったって、こんな女性を危険な目に遭わせて、自分はのうのうと安全な場所にいるだなんて。なんて男らしくないのかしら!
「そうよ、一人で行くより、二人で行った方が犯人を捕まえられる可能性は倍になるんだもの。メグさんを一人でなんて行かせやしないわ」
「お気持ちはありがたいですが、でもどうやって会場に入るって言うんです」
「あら、私のチケットが一枚余っているじゃない」
「もしかして、順次郎様が用意してくださった分ですか?」
「そうよ。それに輝かしい日本の第一歩を象徴する開会式よ。テレビで見るのもいいけれど、誰だって見に行きたいのは同じだわ。例え草加に脅されていたとしてもね」
そう言って、真理亜は軽くウインクした。青い瞳は晴れた空のように澄んでいた。
「真理亜お嬢様……」
「それに、まだ菅野さんが本当に草加次郎なのか、直接聞いたわけじゃないもの。今度こそ私、本当のことを教えてもらうわ」
「ええ、きっと菅野さんにも会えますよ。その時菅野さんが犯人としてなのか、それとも人質としてなのか、あるいは助けに来てくれるヒーローとして現れるのかどうかは分かりません。けれどきっと、明日の開会式ですべてが明らかになる」
メグが笑顔を浮かべてうなずいた。
「それに、最悪なことに、もし菅野さんたちが怪しい動きを見せるようなら止めさせないと。ほんとうの犯罪者になってしまいますもの」
「そうね、そうだわ」
まだ手遅れではないのかもしれない。真理亜はそう思い始めていた。本当に後戻りできなくなる前に、何とかしなければ。話を聞いてくれるかどうかはわからない。けれどあの人を、平和のためのオリンピックで爆弾に火を点けるような人間にはしたくはなかった。
「わかったわ、メグさん。私、行くわ」
メグの黒い目を見据えて、真理亜は言った。「二人で行けば、なんとかなるわ」
「きっと何とかなります。お金だか爆弾だか不思議な力だかしりませんけど、愛の力の前では何もかも無力だってことを、男どもに見せつけてやりましょう!」
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