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視えるもの
視えるものー4
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とはいえ、さほど忙しくもなく日々は過ぎて行く。身構えていた僕は、内心がっかりしてしまったほどだ。簡単な事務作業のやり方とか、事務所の掃除とか。
それ以上に多いのは、ミサキの愚痴。やれランちゃんが愛想がないだの、自分を労わってくれないだの。
とそんなに文句を言う一方、なんやかんやでミサキは甲斐甲斐しく探偵の世話を焼いてる。一度理由を聞いてみたら、
「うーん、刷り込みかしら?」
とだけ笑って返された。結局二人の関係もわからないまま、いよいよ夏が猛威を振るい始めたとても暑い日に、依頼人――仕事を連れてきたのは、あろうことか僕だった。
「あれ、益田さんやなか?」
皮膚を焼くような暑さの中、うんざりしながら商店街を歩く僕に掛けられた声。建物ばかりのこの場所で、いったいどこにしがみついているというのだろう。蝉の大声の中にそれは放たれたものだから、最初僕は気が付かなかった。
「ちょっと、益田さんったらぁ」
再びの声にようやく気が付いて僕は足を止める。聞き間違いでなければ、声は僕に掛けられているようだった。若くて甲高い、女の子の声。
怪訝に思って僕は足を止める。その肩をいきなり叩かれた。
「もう、無視せんでよ!」
気安い様子で僕を捕まえたのは、僕より小柄な女の子だった。短いスカートからは細い足が覗いていて、どういう意味で書かれているのかもわからない英文のプリントされたTシャツ。その子が僕に向かって笑いかける。
僕は困ってしまって、曖昧に唇の端を持ち上げた。
「そん顔、誰だかわからんって顏やろ」
まさにその通りのことを指摘され、僕はさらにうろたえる。どうやら相手は僕を知っているらしい、が。
「いくら転校してきたばっかりったって、ひと月もなるとやけん、いーかげんクラスメイトん顔と名前ぐらい覚えなって」
「あ、うん、ごめん、その……」
僕の態度に彼女はあからさまにがっかりしてみせてから、
「同じクラスん、ルリよ。白石瑠璃」
と口を開いた。
「ごめん、白石さん。その……私服だとわからなくて」
とっさに出た言い訳はそんなものだった。
「まあ、確かにそうかもね」
僕の言葉を特に疑うでもなく、彼女はにっこりと笑う。
「益田さんも、けっこー意外」
僕の全身を見回して、彼女は言った。「スカート、似合うなって思うとったんに」
「そうかな」
そうなんだろうか。個人的には、好きじゃないあのヒラヒラ。似たような紺色の制服。あんなのが似合ってても、ちっとも嬉しくないけれど。
「ま、別に学校も休みだし、好きなかっこしとりゃよかて思うけど」
そう言いながら、彼女は片手のドリンクを一口飲む。
「あ、知っとる?東京で流行りん店がこっちにもオープンしてさ、一時間並んでやっとゲットしたところ」
と聞いてもいないのに彼女は教えてくれた。
「まあ、益田さんにとっちゃ別に珍しゅうもなかやろうけど」
彼女の右手には、やはりアルファベットが並んでいて。どこかで見覚えもあった気がするけれど、僕はその店を知らない。
「いや、ぼ……わたしは、知らないんだ。そのお店」
「ふーん」
慌てて返す言葉に、彼女はつまらなさそうに返事した。その態度に、僕は軽い苛立ちさえ覚えて、この場を去ろうとする。
そうだ、バイトに行かなきゃだし、こんな暑いところに突っ立って、話したってこの人だって面白くなんてないだろうし。
「じゃあ、また二学期に、学校で」
そう返して去ろうとした僕の肩を再び叩かれる。
「やけんちょっと待ってってば」
話があるから引き留めたんですけど、となぜか彼女は怒ってる。そしてその勢いのまま、彼女は唇を開いた。
「益田さん、あん人んとこでバイトしてんやろ?」
「へ?」
あの人って……丸藤さんのことだろうか。思わず目が泳ぐ。確かにそうだけれど、あの人について話すなと釘を刺されている。契約を破るとどうなってしまうのか、わからなくて僕は家族にすら『マックでバイトしてる』と嘘をついている。
「よかよ、別に隠さんで。うち、知っとるし」
だらだらと汗を流す僕に、けれど彼女はどうといったことのないように気軽に言った。
「あん人の正体」
そして、にっこりときれいな笑みの形に唇を持ち上げる。
知ってる?丸藤さんの正体を?この、今の今まで名前すら思い出せなかった、ただのクラスメイトが?
「大丈夫だって、別に益田さんだけがトクベツってわけやなかやけん」
ちゅうう、とやたらと太いストローを吸って、白石さんが手を振った。
「またなんかもったいぶっていったんやろ、俺ん正体はがらん何とかって」
無邪気に笑う彼女に、僕はなんと返せばいいのだろう。けれど一つ明らかなことは、彼女はやはりあの探偵について何か知っている、と言うことだった。
僕は観念して、とっておきの秘密を話すように小声で言った。
「ええと……確か、がんどらん、とか」(後でミサキに聞いたら、それも違っていた)
「そうそれ、がらんどう」(これも違かった)
納得したのか、大きくうなずいて彼女が笑った。
その様子に、僕はなぜだか気落ちしてしまった。別に――自分がトクベツだって、思ってたわけじゃ、ないんだけど。
「これからバイトなんやろ?やったらちょっと、うちもついてってよか?」
気軽に言われ、僕は答えに窮する。ついてきて、何を?
「遊びに来るなら、僕……わたしじゃなくて、丸藤さんに直接聞いた方がいいと思うけど」
動揺は言葉にも現れていたらしい。高校生にもなって、自分のことを僕って言うのはやめなさい、と前の学校の担任に注意されたのに。
あの先生は、僕の事情なんてちっとも知らないくせに。けれどわたしは大人しくそれに従ってしまう。反抗するほどの勇気もない。
わたしは失言を誤魔化すように慌てて口を開いた。
「だからわたしの許可なんていらないし、行きたければ行けば」
わたしちょっと図書館に寄ってから事務所に行くから、と咄嗟に嘘までついてしまう。もちろん、そんな寄り道してる暇はないのだけど。
けれど僕のうっかりに気が付かなかったのか、それとも聞こえなかったのか、白石さんは僕の意向などかまわず僕の腕を取ると、
「図書館なんていつでん行くるやろ」と取り合わない。
「それに、ちゃんと仕事しとるって雇用主にはアピールしとかんと」とも。
「アピールって?」
引きずられるようにして歩く僕は、目の前の女の子に声を掛ける。ひどく情けない声だった。
「依頼人ば連れてきたら、あん人だってきっと喜ぶよ」
そう振り返る彼女の先には燦燦と太陽が輝いてて、僕は目を細めるしかできなかった。
それ以上に多いのは、ミサキの愚痴。やれランちゃんが愛想がないだの、自分を労わってくれないだの。
とそんなに文句を言う一方、なんやかんやでミサキは甲斐甲斐しく探偵の世話を焼いてる。一度理由を聞いてみたら、
「うーん、刷り込みかしら?」
とだけ笑って返された。結局二人の関係もわからないまま、いよいよ夏が猛威を振るい始めたとても暑い日に、依頼人――仕事を連れてきたのは、あろうことか僕だった。
「あれ、益田さんやなか?」
皮膚を焼くような暑さの中、うんざりしながら商店街を歩く僕に掛けられた声。建物ばかりのこの場所で、いったいどこにしがみついているというのだろう。蝉の大声の中にそれは放たれたものだから、最初僕は気が付かなかった。
「ちょっと、益田さんったらぁ」
再びの声にようやく気が付いて僕は足を止める。聞き間違いでなければ、声は僕に掛けられているようだった。若くて甲高い、女の子の声。
怪訝に思って僕は足を止める。その肩をいきなり叩かれた。
「もう、無視せんでよ!」
気安い様子で僕を捕まえたのは、僕より小柄な女の子だった。短いスカートからは細い足が覗いていて、どういう意味で書かれているのかもわからない英文のプリントされたTシャツ。その子が僕に向かって笑いかける。
僕は困ってしまって、曖昧に唇の端を持ち上げた。
「そん顔、誰だかわからんって顏やろ」
まさにその通りのことを指摘され、僕はさらにうろたえる。どうやら相手は僕を知っているらしい、が。
「いくら転校してきたばっかりったって、ひと月もなるとやけん、いーかげんクラスメイトん顔と名前ぐらい覚えなって」
「あ、うん、ごめん、その……」
僕の態度に彼女はあからさまにがっかりしてみせてから、
「同じクラスん、ルリよ。白石瑠璃」
と口を開いた。
「ごめん、白石さん。その……私服だとわからなくて」
とっさに出た言い訳はそんなものだった。
「まあ、確かにそうかもね」
僕の言葉を特に疑うでもなく、彼女はにっこりと笑う。
「益田さんも、けっこー意外」
僕の全身を見回して、彼女は言った。「スカート、似合うなって思うとったんに」
「そうかな」
そうなんだろうか。個人的には、好きじゃないあのヒラヒラ。似たような紺色の制服。あんなのが似合ってても、ちっとも嬉しくないけれど。
「ま、別に学校も休みだし、好きなかっこしとりゃよかて思うけど」
そう言いながら、彼女は片手のドリンクを一口飲む。
「あ、知っとる?東京で流行りん店がこっちにもオープンしてさ、一時間並んでやっとゲットしたところ」
と聞いてもいないのに彼女は教えてくれた。
「まあ、益田さんにとっちゃ別に珍しゅうもなかやろうけど」
彼女の右手には、やはりアルファベットが並んでいて。どこかで見覚えもあった気がするけれど、僕はその店を知らない。
「いや、ぼ……わたしは、知らないんだ。そのお店」
「ふーん」
慌てて返す言葉に、彼女はつまらなさそうに返事した。その態度に、僕は軽い苛立ちさえ覚えて、この場を去ろうとする。
そうだ、バイトに行かなきゃだし、こんな暑いところに突っ立って、話したってこの人だって面白くなんてないだろうし。
「じゃあ、また二学期に、学校で」
そう返して去ろうとした僕の肩を再び叩かれる。
「やけんちょっと待ってってば」
話があるから引き留めたんですけど、となぜか彼女は怒ってる。そしてその勢いのまま、彼女は唇を開いた。
「益田さん、あん人んとこでバイトしてんやろ?」
「へ?」
あの人って……丸藤さんのことだろうか。思わず目が泳ぐ。確かにそうだけれど、あの人について話すなと釘を刺されている。契約を破るとどうなってしまうのか、わからなくて僕は家族にすら『マックでバイトしてる』と嘘をついている。
「よかよ、別に隠さんで。うち、知っとるし」
だらだらと汗を流す僕に、けれど彼女はどうといったことのないように気軽に言った。
「あん人の正体」
そして、にっこりときれいな笑みの形に唇を持ち上げる。
知ってる?丸藤さんの正体を?この、今の今まで名前すら思い出せなかった、ただのクラスメイトが?
「大丈夫だって、別に益田さんだけがトクベツってわけやなかやけん」
ちゅうう、とやたらと太いストローを吸って、白石さんが手を振った。
「またなんかもったいぶっていったんやろ、俺ん正体はがらん何とかって」
無邪気に笑う彼女に、僕はなんと返せばいいのだろう。けれど一つ明らかなことは、彼女はやはりあの探偵について何か知っている、と言うことだった。
僕は観念して、とっておきの秘密を話すように小声で言った。
「ええと……確か、がんどらん、とか」(後でミサキに聞いたら、それも違っていた)
「そうそれ、がらんどう」(これも違かった)
納得したのか、大きくうなずいて彼女が笑った。
その様子に、僕はなぜだか気落ちしてしまった。別に――自分がトクベツだって、思ってたわけじゃ、ないんだけど。
「これからバイトなんやろ?やったらちょっと、うちもついてってよか?」
気軽に言われ、僕は答えに窮する。ついてきて、何を?
「遊びに来るなら、僕……わたしじゃなくて、丸藤さんに直接聞いた方がいいと思うけど」
動揺は言葉にも現れていたらしい。高校生にもなって、自分のことを僕って言うのはやめなさい、と前の学校の担任に注意されたのに。
あの先生は、僕の事情なんてちっとも知らないくせに。けれどわたしは大人しくそれに従ってしまう。反抗するほどの勇気もない。
わたしは失言を誤魔化すように慌てて口を開いた。
「だからわたしの許可なんていらないし、行きたければ行けば」
わたしちょっと図書館に寄ってから事務所に行くから、と咄嗟に嘘までついてしまう。もちろん、そんな寄り道してる暇はないのだけど。
けれど僕のうっかりに気が付かなかったのか、それとも聞こえなかったのか、白石さんは僕の意向などかまわず僕の腕を取ると、
「図書館なんていつでん行くるやろ」と取り合わない。
「それに、ちゃんと仕事しとるって雇用主にはアピールしとかんと」とも。
「アピールって?」
引きずられるようにして歩く僕は、目の前の女の子に声を掛ける。ひどく情けない声だった。
「依頼人ば連れてきたら、あん人だってきっと喜ぶよ」
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