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視えるもの
視えるもの-1
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目の前に、白い女の姿があった。長い髪を垂れ、ところどころが赤く。
「ぎゃああああっ!」
僕は途端にソファから跳ね上がり、慌ててミサキの影に隠れた。
「ちょっと、いきなりその反応とかヒドくない?」
聞こえたのは、聴いたことのない声だった。ミサキの甘ったるい声とも、丸藤さんの硬い声とも違う、若い女性の声。
その声にさらに驚いて、僕は恐る恐るミサキの背から顔を出す。
「別に、ナオちゃんに何かするような娘じゃないから大丈夫よぉ」
頭上からミサキの声がする。丸藤さんも無反応だし、二人ともこの突如現れた人物とは知り合いらしい。
「……その、いきなり叫んですみませんでした」
僕は恐る恐る、その女性に向かって謝った。急に現れたことを除けば、白い……今の時期にふさわしい、ノースリーブのワンピースに赤い花を胸元にあしらった、二十代くらいの女性だった。流れる髪は艶やかで、日に焼けることもないのか、透き通った肌色。街中で見かけたら、思わず振り返ってしまうかもしれない。そのくらいに美人。
「そうよ、こんな美女捕まえて悲鳴とかありえなくない?」
その人が怒ったように腰に手を当てる。僕はますます萎縮する。そりゃあ、初対面の人に悲鳴なんか上げたら失礼なのはわかってる。
けれどこの人、一体どこから?いつの間に現れたんだ?
「仕方ないだろ、さっきまで視えなかったんだから」
その女性と僕の間に、やれやれと言った様子で探偵が割り込んだ。そして、僕をちらりと見てこう言った。
「彼女が、君が加害者にしたがっていた幽霊だ」と。
「ゆうれい」
その言葉を受けて、僕は硬直する。これって……まさか、本物?本当に、あそこには人の血を抜いて殺す霊がいたのか?
「勘違いしないでよね、私そんなことしないから」
ふん、と髪を払って、その女性――いや幽霊?がそっぽを向いた。
「たまったもんじゃないわよ、勝手に人殺しの汚名を着せられて」
そうぼやく彼女の胸元には、赤い――あれは椿だ、椿の花がコサージュのように飾られている。
血に見えたのはこれらしい。けれど、この真夏に椿?あれは冬の花じゃなかったか。あれは……血じゃなかった?
「けど、幽霊なんて、いるわけないって」
そう言って、馬鹿にしてきたのは丸藤さんだ。彼の顔に向ける僕の視線は、さぞ恨めしかっただろう。
「ツバキを守るためには、そう言うしかなかったんだ」
悪かったな、とちっともそう思っていない声色で彼は言う。
「もともと受けていたのが、彼女の依頼だったものだから」
「依頼?」
「そう。私にかけられた無実の罪を晴らしてくれって、ランちゃんに頼んだの」
まるで旧知の仲かのように、気軽に幽霊――ツバキと言うらしい、が言う。
「そうそう、なんやかんやで結局ランちゃんは犯人を懲らしめてくれるからねぇ」とミサキもうなずいた。
「なんやかんやが余計だ」
文句を言いながらも、探偵は穏やかな顔つきだ。そのことが、なんだか意外だった。
「人間たちが勝手に、自分を人殺しの霊だと騒いでいる。名誉棄損で訴えたいから調べてくれ。それが、彼女からの依頼だ」
丸藤さんの言葉にうなずいて、彼女は僕をちらりと見た。
「で、まんまと彼女を殺人霊だと思っている人間が来た、と」
その視線に耐えられなくなり、僕は目をそらす。
「そんな人間に、本当に霊はいるが、そんなことはしないといくら口で説明したって無意味だ」
確かに、そんなことを言われたら、却って勘ぐってしまいそうだ。
「だからそんなものはいないと否定してしまうのが一番手っ取り早かった」
そう言われて、僕は納得した。あれは気のせいだったのだと。けれど、確かに何かがいて、それに驚いたのも事実。
「けれど、実際君は怯えていたようだったから……今にして思えば、君が本当に怯えていたのはほかの存在だったんだろうが」
けれど彼女を見かけてしまったせいで、すべてを霊の仕業だとすら思い込もうとした。
「それは良くないことだ。真実から目を背けるために、違うものに罪を擦り付ける。人間が良くやることだ。気持ちはわからなくはないが……」
その方が、簡単だ。知りたくない事実より、安易なものに飛びついた方が楽だから。
「けれど、それは却って悲劇を生むだけだ」
「そうよ、私みたいなかわいそうな被害者が生まれるだけ」
幽霊が、強い口調で言った。
「あなた私の何を知ってるっていうのよ。幽霊だってだけで、なにか悪さするって決めつけて。あんまりじゃない」
「すみません……」
さっきから謝ってばかりだ。
「じゃあその……あなたは、別に蜂を使って人を襲ったりなんて」
「してないわよ」彼女はきっぱりと断言した。
「まあ、蜂ちゃんたちは友達だけど」
彼女がそう言ってすうっと指先を上に向ける。すると、どこから入り込んできたのか、ぶうんという羽音。
「うわっ」
黄色い虫が天井を一周した。
「危ない!」
思わず逃げ惑う僕をツバキが笑う。
「別にアンタを刺したりしないわ。害のない蜜蜂よ」
確かによく見ると、それは優しい黄色をしていて、思ったより小さい虫だった。
「むしろこの子たちは、あなたたち人間にとって害になるようなスズメバチとかがいる近くを警備してくれてるの」
あえて羽音を響かせて飛ぶことで、スズメバチの巣の存在を警告してくれている、のだという。
「まあアンタたちにとっては蜂なんてどれだって怖いでしょ。たぶんアンタが聞いた怪談話は、純粋に蜂に気をつけなさいっていう教訓だったんだとは思う」
暗い夜道を歩いていると、油すましがやってくる――。そういう類の、大人が子供を注意するためのおとぎ話。この道は蜂がいるから気をつけなさい、それくらいの話が飛躍した、それだけ。
「けれど尾ひれがついて、あろうことか私が殺人バチを操る主犯格みたいになってるじゃないの」
彼女は唇を上に向けた。
「だから、そんなわけわかんないこと言ってる人間を懲らしめてもらおうって思って、ランちゃんにお願いしたんだけど」
そう言って、ツバキがこちらを見る。続けて、丸藤さんも。
ってことは?
「えっ、もしかして僕……これからひどい腹痛に見舞われる、とか……?」
丸藤さんから聞いた、父親だった人間の顛末を思い出す。まさか、あれと同じ目に遭えと?
そこまで僕は、悪いことをしてしまったのだろうか。いや、けれど……。
「確かめもせずに、うのみにして、それが正しいと思い込むのは罪だ」
丸藤さんが、ゆっくりと僕を見る。後ろの方で、ミサキが手を口に当てるのが見えた。
「ぎゃああああっ!」
僕は途端にソファから跳ね上がり、慌ててミサキの影に隠れた。
「ちょっと、いきなりその反応とかヒドくない?」
聞こえたのは、聴いたことのない声だった。ミサキの甘ったるい声とも、丸藤さんの硬い声とも違う、若い女性の声。
その声にさらに驚いて、僕は恐る恐るミサキの背から顔を出す。
「別に、ナオちゃんに何かするような娘じゃないから大丈夫よぉ」
頭上からミサキの声がする。丸藤さんも無反応だし、二人ともこの突如現れた人物とは知り合いらしい。
「……その、いきなり叫んですみませんでした」
僕は恐る恐る、その女性に向かって謝った。急に現れたことを除けば、白い……今の時期にふさわしい、ノースリーブのワンピースに赤い花を胸元にあしらった、二十代くらいの女性だった。流れる髪は艶やかで、日に焼けることもないのか、透き通った肌色。街中で見かけたら、思わず振り返ってしまうかもしれない。そのくらいに美人。
「そうよ、こんな美女捕まえて悲鳴とかありえなくない?」
その人が怒ったように腰に手を当てる。僕はますます萎縮する。そりゃあ、初対面の人に悲鳴なんか上げたら失礼なのはわかってる。
けれどこの人、一体どこから?いつの間に現れたんだ?
「仕方ないだろ、さっきまで視えなかったんだから」
その女性と僕の間に、やれやれと言った様子で探偵が割り込んだ。そして、僕をちらりと見てこう言った。
「彼女が、君が加害者にしたがっていた幽霊だ」と。
「ゆうれい」
その言葉を受けて、僕は硬直する。これって……まさか、本物?本当に、あそこには人の血を抜いて殺す霊がいたのか?
「勘違いしないでよね、私そんなことしないから」
ふん、と髪を払って、その女性――いや幽霊?がそっぽを向いた。
「たまったもんじゃないわよ、勝手に人殺しの汚名を着せられて」
そうぼやく彼女の胸元には、赤い――あれは椿だ、椿の花がコサージュのように飾られている。
血に見えたのはこれらしい。けれど、この真夏に椿?あれは冬の花じゃなかったか。あれは……血じゃなかった?
「けど、幽霊なんて、いるわけないって」
そう言って、馬鹿にしてきたのは丸藤さんだ。彼の顔に向ける僕の視線は、さぞ恨めしかっただろう。
「ツバキを守るためには、そう言うしかなかったんだ」
悪かったな、とちっともそう思っていない声色で彼は言う。
「もともと受けていたのが、彼女の依頼だったものだから」
「依頼?」
「そう。私にかけられた無実の罪を晴らしてくれって、ランちゃんに頼んだの」
まるで旧知の仲かのように、気軽に幽霊――ツバキと言うらしい、が言う。
「そうそう、なんやかんやで結局ランちゃんは犯人を懲らしめてくれるからねぇ」とミサキもうなずいた。
「なんやかんやが余計だ」
文句を言いながらも、探偵は穏やかな顔つきだ。そのことが、なんだか意外だった。
「人間たちが勝手に、自分を人殺しの霊だと騒いでいる。名誉棄損で訴えたいから調べてくれ。それが、彼女からの依頼だ」
丸藤さんの言葉にうなずいて、彼女は僕をちらりと見た。
「で、まんまと彼女を殺人霊だと思っている人間が来た、と」
その視線に耐えられなくなり、僕は目をそらす。
「そんな人間に、本当に霊はいるが、そんなことはしないといくら口で説明したって無意味だ」
確かに、そんなことを言われたら、却って勘ぐってしまいそうだ。
「だからそんなものはいないと否定してしまうのが一番手っ取り早かった」
そう言われて、僕は納得した。あれは気のせいだったのだと。けれど、確かに何かがいて、それに驚いたのも事実。
「けれど、実際君は怯えていたようだったから……今にして思えば、君が本当に怯えていたのはほかの存在だったんだろうが」
けれど彼女を見かけてしまったせいで、すべてを霊の仕業だとすら思い込もうとした。
「それは良くないことだ。真実から目を背けるために、違うものに罪を擦り付ける。人間が良くやることだ。気持ちはわからなくはないが……」
その方が、簡単だ。知りたくない事実より、安易なものに飛びついた方が楽だから。
「けれど、それは却って悲劇を生むだけだ」
「そうよ、私みたいなかわいそうな被害者が生まれるだけ」
幽霊が、強い口調で言った。
「あなた私の何を知ってるっていうのよ。幽霊だってだけで、なにか悪さするって決めつけて。あんまりじゃない」
「すみません……」
さっきから謝ってばかりだ。
「じゃあその……あなたは、別に蜂を使って人を襲ったりなんて」
「してないわよ」彼女はきっぱりと断言した。
「まあ、蜂ちゃんたちは友達だけど」
彼女がそう言ってすうっと指先を上に向ける。すると、どこから入り込んできたのか、ぶうんという羽音。
「うわっ」
黄色い虫が天井を一周した。
「危ない!」
思わず逃げ惑う僕をツバキが笑う。
「別にアンタを刺したりしないわ。害のない蜜蜂よ」
確かによく見ると、それは優しい黄色をしていて、思ったより小さい虫だった。
「むしろこの子たちは、あなたたち人間にとって害になるようなスズメバチとかがいる近くを警備してくれてるの」
あえて羽音を響かせて飛ぶことで、スズメバチの巣の存在を警告してくれている、のだという。
「まあアンタたちにとっては蜂なんてどれだって怖いでしょ。たぶんアンタが聞いた怪談話は、純粋に蜂に気をつけなさいっていう教訓だったんだとは思う」
暗い夜道を歩いていると、油すましがやってくる――。そういう類の、大人が子供を注意するためのおとぎ話。この道は蜂がいるから気をつけなさい、それくらいの話が飛躍した、それだけ。
「けれど尾ひれがついて、あろうことか私が殺人バチを操る主犯格みたいになってるじゃないの」
彼女は唇を上に向けた。
「だから、そんなわけわかんないこと言ってる人間を懲らしめてもらおうって思って、ランちゃんにお願いしたんだけど」
そう言って、ツバキがこちらを見る。続けて、丸藤さんも。
ってことは?
「えっ、もしかして僕……これからひどい腹痛に見舞われる、とか……?」
丸藤さんから聞いた、父親だった人間の顛末を思い出す。まさか、あれと同じ目に遭えと?
そこまで僕は、悪いことをしてしまったのだろうか。いや、けれど……。
「確かめもせずに、うのみにして、それが正しいと思い込むのは罪だ」
丸藤さんが、ゆっくりと僕を見る。後ろの方で、ミサキが手を口に当てるのが見えた。
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