クオリアの呪い

鷲野ユキ

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泣く少年 5/4

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「男?」

すっかり当てが外れて、上ずった声が飛び出た。
「じゃあ、犯人は誰なんだ」
「君はだいぶ近づいてはいるのだが」
薄暗い室内を見回して、加賀見が乾いた唇を開く。
「君の、自殺した女性の子が復讐のために言伝を利用した、という考えは私も賛成だ」

その独白はまるで、誰かに言い聞かせるようにも見えた。
「だがそうなると、なぜ窃盗に関わっていた岡本まで殺されたのか」
カツカツと靴音を鳴り響かせ、彼は部屋を闊歩する。
「話は簡単。考えすぎるのも考え物だ」
そこで立ち止まると、何のつもりかパチンと指を鳴らした。

「犯人は、その子であり、窃盗にも関わっている人物。そして、君と同じか少し上かくらいの年頃の男性」
パチン。もう一度指を鳴らす。
「さらに、窃盗犯たちはどうやって実際に価値ある美術品を盗んでいったのか」
「岩崎が関わってたんだろ、それならいくらだって」
答える俺の声が響く。

「そう簡単にいくものか。おいそれと盗まれないよう、監視の目が光ってるだろう?」
加賀見が意味深に、どこか遠くを見る目つきをした。
その態度に気づいたオオトリが、あり得ないとばかりに声を張る。「まさか、その監視役が?」

「その通り。簡単なベン図だ。すべての条件が重なる人物。そして、あの岡本の暗号」
「解けたのか?」
「あなたのみえぬせかいがほし」
加賀見が残った謎を諳んじる。
「だからこうやって、私はわざわざここに来たのだ。まあ、今更犯人を特定しようとも、我々がすることは決まっているのだが」

タイミングを見計らったかのように、突如声がふってきた。
まるで、空から急に現れたかのように。
「そうだ、もうお前たちの運命はもう決まっている」
扉の方から光が差した。あれは……人影なのか?
「お前たちに恨みはないが、鳳に関わったのが運の尽きだ。罪を悔いた鳳とともに、ここで心中する運命だ」
どこか遠くで喋っているような、影の声。

「誰だ」
加賀見が声を放つ。だが、それは鋭い誰何の声ではなく、見知った誰かに声を掛けるかのような気安さがあった。
「泣きわめけ。運が良ければ誰か助けに来るかもしれない」
この声は。どこかで聞いたことのあるような……。少しくぐもった、低い声。

「けれど母は、親友でさえ助けに来てくれなかった」
「もしかして、あなたがあの子の?」
オオトリが喘ぎに似た声を漏らす。「ルラキラの、あの小さかった男の子」
「お前は」
俺の誰何をものともせず、影は光を背負ったまま動かない。この声の主を俺は思い出した。
くぐもった低い声の、あの男。
「赤城警備員、なのか?」

それに答えずに、乾いた笑いが響く。そして、急に俺の目の前が明るくなった。
炎だ。
それが奇遇にも、入り口付近に置かれていた大きなキャンバスをメラメラと燃やしていく。
それに驚いたのか、あるいは火を消そうとした結果だったのか、加賀見がキャンバスを倒した。
炎は見えないスクリーンを燃やすかのように広がり、一瞬にしてあたりが赤く染まった。

なんだ、あれだけ燃えずに残るんじゃなかったのかよ。
火のはぜる音が空間を埋め尽くす。
ガチャン!と、ただ閉めただけにしては大きな音が鳴り響く。差し込む照明の光が消える。
代わりに、熱を帯びた赤い光源だけが残る。

「おい!」
扉の方へ向かおうにも、炎が俺の皮膚を舐めようとする。慌てて後ろに後ずさる。
「ああ、美術品が!」
悲鳴を上げるのはオオトリだった。
「今はそれどころじゃないだろ」
声を掛けるも聞かずに、手近な品物を奥の方へと移動しようと無駄足をあがいている。

「そんなことより」
「嘘、これもしかして偽物?」
注意を促す俺の声は、オオトリ女史の大声で打ち消された。
「よく似てるけど……これも、あれも偽物じゃない!」
「その通り。ここにあるのはもう、ほとんどよく似た贋作だろう」
迫りくる炎が怖くないのか。加賀見が入り口に背を向けて、俺たちの方を向いた。

「本物と偽物を入れ替えるために、岡本は殺されたんだ」
「今は謎解きしてる場合じゃないだろ」
「それはそうだが」
渋る加賀見がなおも口を開こうとしたところで、何か気体が流れ込むような音を俺の耳は拾った。

シュー、シュー、シュー。
ここにダースベイダーがいるならともかく、そんなものはいやしない。ならば。
「なんだ、炎の次は毒ガスか?」
気分は罪なく殺されるアウシュビッツの囚人だ。降りかかる気体を避けるようにやみくもに腕を振る。
似たような動作を隣でオオトリがやっている。炎にガスだなんて、ここはどんな地獄だ。
やっぱり、こいつに付いてきた俺が間違っていた。
こんな状況だというのに、飄々と立っている加賀見を俺は睨んだ。

「早くここを出ないと」
「しかし、入り口付近には炎が……」
加賀見が指さす先には、未だ燃え続ける『泣く少年』。だが心なしか、炎がどんどん勢いを無くしていくではないか。
「良かった、スプリンクラーがちゃんと作動してるみたい!」
オオトリが歓喜の声を上げた。「これ、ガスじゃなくてスプリンクラーよ!」
彼女が顔を上げた。勢いよく吹く風が、彼女の髪をもみくちゃにする。 

「スプリンクラーって、水が出てくるんじゃないのか?」
「馬鹿言わないで、水なんか掛けたら、大事な美術品が台無しじゃない」
「そうだ、一般的に水濡れを嫌う場所の消火には、消火ガスが用いられる」
ではこれは毒ガスなどではなく、俺たちを救う神の息吹だったというわけだ。
やみくもに風をよけようと動かしていた腕を俺は止める。あとはここから出るだけだ。
だが加賀見はそこから動きもせずに口を開く。

「一般的に消化ガスに使われるのはハロン化合物や窒素、二酸化酸素」
この加賀見の態度に、なんだか嫌な予感を俺は覚えた。
「ここの消火ガスはなんだか知っているか?」
加賀見がオオトリに問う。
その声が、なんだかぼんやりと聞こえたのは俺の気のせいだろうか。

「そこまでは」
答えるオオトリも、先ほどまでの勢いはどこへやら。ずいぶんゆったりと答えた。
「……この感じ。違和感」
そう話す加賀見の声も、ずいぶんとスローリィ。
こんな場合だというのに、あくびが出るのはなぜだろう。
「察するに、二酸化酸素と思われる」
地球温暖化の敵、CO2。
そいつは地球どころか、俺たちにだって。
「そしてここは密室。こうしている間にも、二酸化酸素で満たされて……」
「まさか、窒息死、だなんて言わないよな?」
「そのまさかだ」

まさかであってたまるか。俺は扉の方へと向いた。
消火ガスのおかげで炎は鎮圧されてきたが、そのおかげで酸欠だなんて。
「なんでそんな危ないもん使ってるんだ」
「これが展示室ならさすがに人体に無害なものを選んだだろうが、ここに人がいる状態で火災が起こることは想定していなかったのだろう」
「けどとりあえず、ここから出れば済む話だろ」
単純なことだ、ここを出られれば。
けれど加賀見が悲しそうに頭を左右に振った。

「残念ながら、扉はビクともしない。おそらく、赤城がリーダーを壊して行ったんだろう」
「体当たりでもすれば開くんじゃないのか?」
「強力なロックが掛っている」
「壊れてんのになんでロックが掛ってるんだ」
「カードリーダーを壊して、窃盗犯が忍び込まないように、セキュリティが組み込まれているんだ」
「じゃあ、どうやってここから出れば」

物理的に外に出られない密室。
世紀の大マジシャンだって、タネや仕掛けがなければ脱出不可能。これこそが、密室。
どうやってここから出ろと? 
絶望が俺を襲った。
「あきらめるな」
膝から崩れる俺に、加賀見が声を掛けた。
「そう簡単に、物語の主人公は死なないんだ」

こんな状況だというのに、何をこいつは言っているのだろう。
「俺は主人公なんかじゃない、ただの凡人だ」
答える言葉は自然ととげとげしいものとなる。「あっけなく死ぬ、ただの一市民だ」
自分で言っておきながら、それが現実となることに寒気を覚える。
本当にここで死んで……それでいいのか?俺は――。
「何を言っている。君の人生という物語の主人公は君だろう?」
どこかで聞いたことのあるようなセリフを、さも自分が考えた言葉のように加賀見は言い放つ。

「主人公が死んだら、そこで世界は終わりだ。それでいいのか?」
加賀見の問いに、オオトリが声を絞り出した。
「……嫌よ」
そして彼女は弱々しく手を伸ばした。
「私、あの子のことひっぱたいてやりたい。こんなことをするために、あの子は……」
その言葉に俺も顔を上げた。
「俺も」

ようやく声を絞り出す。俺だって。そうだ、約束したじゃないか。
近々完成する話があると、読んでくれとあいつは言っていた。
「そうだ、我々には生きる義務と使命がある。たとえどんな人間にもだ。再確認できたようで何よりだ。ほら君たち、呑気に這いつくばってる場合じゃない」
加賀見が元気よく声を張り上げて、そこから少しの間口を閉ざす。まるで聞き耳を立ててるように。
そして、こうも呟いた。
「もう十分すぎるくらいだな。そろそろ、いい頃合いだろう」

早くこちらに来たまえ、と俺たちを手招く動作をして彼は扉へと近づいた。
センサーを破壊され、ロックのかかってしまった鉄の扉。とても人の力でどうにかなるようなものでもない。
一体どんな策があるというのだろう。
何か便利なアイテムや策でも彼にはあるというのだろうか。

期待に満ちた目で、俺とオオトリは加賀見を見つめる。その視線を受けて、彼は少しバツが悪そうに笑った。
そしてその扉を、彼はいとも簡単に片手で押して開けて見せたのだ。
まるで魔法を解くように。
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