クオリアの呪い

鷲野ユキ

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飛び石連休 4/30

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今年のゴールデンウィークは出来が悪くて、今日は連休の狭間の平日だった。さらに天気が妙に不安定で、昨日は暑かったと思ったら、今日は雷雨と大荒れだ。
そんな中不平たらたらで学生たちが講義に向かうのをすり抜けて、俺は通い慣れた部室に足を向ける。

びしょびしょの傘を閉じながら、薄暗い室内への扉を開けると。
ピシャリ、と閃光。続いて音が轟く。
なぜか暗幕の開かれた窓に、雷光が何かを映し出した。

うつむく女の顔。長い髪が恨めしげに絡まった、その顔には血走った目。
俺を出迎えたのは、そんなものだった。

「うわあああっ」
これにはさすがに俺も驚いて、持っていた傘を放り投げる。
まさか、これをシロは見たのか?

しっかりと閉じられていなかったジャンプ傘が弾みで開いた。雨水が飛び散り、俺の顔を濡らす。
それを拭く間もなく、扉から離れようとしたところで。

「……まさかこんなに驚いてくれるとはな」
ガラスに映った女の頭からなぜか毛が取れて、そして思っていたよりずいぶん低い声で呟いた。この声は。
あいつ。

あの野郎、どういうつもりだ。
驚きを塗り替えるかのように、怒りが沸々と湧いてきた。
「お前、何してんだ」

まさか女装の趣味があるわけでもなかろうに、シロがロングヘアーのカツラを手にしている。
そしてうまくガラスに映りこむ場所でニヤニヤと笑っていた。
「ずいぶん悪趣味なドッキリを仕掛けてくれたな」
俺は怒りも露わにシロに詰め寄った。
こんなことしやがって、暇人が。

「別にお前を狙ったわけじゃないんだ、とりあえず誰か驚かせてやろうと」
反省するそぶりもなく奴は屈託なく笑う。「だってこんな悪天候なかなかないぜ?春の生暖かい風が余計に不気味で。そうなったら、ミス研部員としては何かが起こるような、いや、起こさなきゃならないような気がしてきてな」

運良く演劇部のやつからカツラも借りられたしな、と満足そうに椅子に腰かけた。  
「ちょうどお前が事件に巻き込まれて、みんなソワソワしてるからな。カンフル剤代わりになるかと」
「なるわけないだろ」

俺は動揺を隠すかのように開いた傘をきれいに閉じた。そして、シロとは向かい側の椅子に座りこむ。
「俺じゃなくて、愛しのココナッツ嬢でも来たらどうするんだ。こんな小学生みたいないたずら、余計呆れられて二度と見向きもしてもらえなくなるぞ」
「別に構わないさ、どうせ彼女は俺には興味ないみたいだし」

カツラを撫でながらシロはふてくされる。「別に、他にもっといい出会いがあるだろうし」
「いい出会いをしたいなら、こんなとこにいないでどっか行けよ」
こいつがいると飽きないが、けれど一人で物を考えたいときには不都合だ。
見た目は従順な犬のくせに、時折こちらの都合などお構いなしな猫のような一面を持っている。

犬がネコナデ声で鳴いた。「つれないなあ」
「どこの世界に、こんないたずら仕掛けられて喜ぶ奴がいるんだ」
「たくさんいるだろ、学祭のときのお化け屋敷だって、みんなキャーキャー叫んで喜んでたじゃないか」
「それとこれとは別だろ」

俺は目線を合わせず返した。
その態度に、シロもさすがにやりすぎたと観念したらしい。
「さっき驚かせた詫びだ、お前に土産がある」と席を立ちあがった。

ゴールデンウィークにどこかにでも行ってきたのだろうか。出不精なこいつにしては珍しい。
いい歳して家族旅行にでも行ったのか。けれどこいつの口からあまり家族のことを聞いたためしもないが。

「どこにでもある温泉まんじゅうとかだったら許さないからな」
ようやく軽口が叩けるくらいに俺の気分は回復してきた。
もともと、こいつはそういうところがある。悪気はないのだろう。
が、ついこの間、その自殺した女性に関する話を聞いたばかりだ。その彼女を茶化して驚かすのは、死者に対して失礼な気がした。

「そんなんじゃないって」
だらしなく口元を緩めながら、シロはカバンの中からクリアファイルを取り出した。
「旅行土産じゃないのか?」
そうと言えばそう言えるが、とシロが俺の目の前に突き出したのは、薄いA4サイズのファイル。
渡されたそれを訝しげに覗けば、なにやら手書きでごちゃごちゃと書かれた、メモのようなもの。

「『平成十年の頃にミス研に所属していた、「大福」こと福田大氏の証言』」
大福。その名をどこかで見たことがあるような。

「お前がヤヨイ先輩から貰ってきた会報誌に評論を載せてた人だ。なんとなく見覚えがあるペンネームだったからネットで検索したら、未だにこのペンネームで評論家の端くれをやってるみたいで」

あいにくとミス研からプロの作家は生まれていないようだったが、場末の評論家は存在したらしい。
「結構すごい人みたいだぜ。いろんなミステリ作品のガイドブックとか出してるみたいで」
そう言いながらカバンをあさる。一冊の本を取り出し、表紙を開いて見せた。『初心者にもおすすめ・トリックがすごいミステリ傑作選」そう書かれた下に、サインが書かれている。

「で、その人が長野に住んでるもんだから、ちょっと当時の話を聞きに行ったんだ」
得意げに話す目の前の男を、俺はまじまじと見つめてしまった。
よくもまあ、こいつがそこまでしてくれたものだ。

「イーグルやアリスにばかり手柄を取られたんじゃ面白くないからな」
鼻を鳴らすシロに、俺は労いの言葉をかけてやる。
「悪いな、遠くまで」
「長野くらいなら車で日帰りできるしな」そう返す姿は、尾を振る犬のように見えた。

「いやあ、すごかったぜ。人、人、人で」
ゴールデンウィークに遠出なんてするもんじゃないな。そう言いながら、シロはカバンの中から菓子折りを取り出して机にそっと置いた。「お前は要らないんだろ、どこにでもある温泉まんじゅうは」

シロの嫌味をよそに、俺は渡されたメモを読み漁る。
どうやら、福田氏の話した内容をわざわざ文字に起こしてくれたらしかった。
この丁寧さを他に生かせれば、この男はもっと評価されるだろうに。
そんなことを思いながら文面に目を落とす。


『私たちの時代は読むだけじゃなくて評論をまとめたり作品を書く人が多かったから、もともとペンネームで互いを呼び合う習慣があったんだ。だから呪いの言伝云々の話がある以前から、そういう文化があったってわけ。

本名で呼ばれるとバラバラにされる?
そんなはずないだろ、恐らくその風習をもとに作ったお話だ。

じゃあ目を合わせたら目玉を抉り出されるのも?
そりゃそうだろ、そんな猟奇的な事件があったら、さぞ騒がれてただろ。
ほらあれだ、学校の怪談と同じだよ。
赤い紙、黄色い紙、青い紙のどれが欲しいかって聞かれて、どれを答えても殺されるっていうやつ。実際血を抜かれたりだとか首を絞殺された児童なんていないんだ。

話が逸れたな、すまない。じゃあ、最後のやつは?
それがだな、あいにくとそれだけは事実なんだ。
私たちの仲間が、ある男に捨てられて自死を選んでしまった。まったく嘆かわしいことだよ。
その男について?いや、詳しくは……ただ、なんだか偉そうなやつだったみたいだ。好き好んで私も話したくはなかったな。

自殺した女性の素性?そうだな、もうだいぶ昔のことだし……。その人は、ルラキラ。
え、本名?それがね、最初にも言っただろう?皆ペンネームで呼び合ってたから、本名を思い出せないんだ。
相手の男?それはもっとわからない。なにしろ事件の後、どこか……噂だと他の大学に移ったとか聞いたけど、兎に角すぐに逃げたんだ。

この話を作った人物?それが、それもよくわからないんだ。いや、さすがにミス研の仲間が書いたなら誰が書いたか――まあ、ペンネームなら――わかるんだ。
けど、これを書いたのはうちのじゃなかったと思うんだ。確か会報誌にも寄稿、ってあったと思う。

白紙?そういやそんな名前だったかな。確か、自殺したルラキラの友達だったと思うんだ。彼女の死を悼んで書いたとか。うまいかどうかは別として、一応作品としては完成している。
これを書いたのは、文章に対して全くの素人ではないと思うんだ。例えばそうだな、文芸部とかの人間かもしれない。

え、ルラキラが子供を産んでたか、って?それはどうだろう。そんな話も聞いたような。
それは男の子?女の子?いや、子供がいたことだって怪しいのに、そこまで……。
いや、まてよ。誰かからプレゼントされてたな、あれは……赤のタオルだか毛布だか。なら、あれは女の子だったのかな』 
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