クオリアの呪い

鷲野ユキ

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早朝の訪問 4/22

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「しかし、先日の肝試しは面白かったな」

俺はなぜ早朝から、こんなところで男と並んでベンチに腰掛けているのか。

寝不足でぼんやりする頭を、春の優しい風が撫ぜる。
名も知らぬ小さな花々が咲き誇るのは、岩崎美術館の脇にある小さな庭園だ。
平日の昼先となれば近くの企業に勤める会社員らが、お弁当を食べる憩いの場。はたまた夜ともなれば木々がライトアップされ、格好のデートスポットにもなる。

ともかくそんな雰囲気のある手入れのされた場所で、この男と早朝デートは少々いただけなかった。

そんな俺の心境になど気づくはずもなく、目の前の男は上機嫌そうに笑みを浮かべている。
だがその顔はとてもサキのような良くできた笑顔ではなく、ひどく不細工な出来だった。

「その感想を言うためだけに、朝っぱらからわざわざ呼び出したのか?」
俺はあからさまに不機嫌の色をにじませたが、その皮肉は彼には通じなかった。

「まさか。あの話を理論的にするのは難しい。まずは幽霊が存在するのかしないかの定義をするところから始めなければならない。だが仮にあれが幽霊でないとしたらいったいどこの誰があそこにどうやって入ってきたのかを考えなければならなくなり、そうなるとおよそそんなことは不可能だろうから、結局はあれは幽霊だったのかという結論に陥ってしまう。が、そもそも霊などいないと定義した場合」

ペラペラと男の口から流れ出る言葉が、鳥たちの優雅な歌声の邪魔をする。俺は加賀見の声をどこか遠くで聞こえる踏切の音のように聞き流すと、
「アンタ、ずいぶん朝が早いんだな」とだけ言った。昨日、深夜まで騒いでいたというのに。

「仕方ないだろう、今日は開館から夕方までシフトが入ってるんだ。サボるわけにもいくまい」
無断で監視室に入るくせに、妙に真面目なやつだな。思わず感心したところで、「私は君みたいな暇な大学生とはわけが違うのだよ」と嫌味を言われた。

「悪かったな、暇な大学生で」
「自由に使える時間は多ければ多い方がいいだろうが、何も縛りがないと人生張り合いがないだろう?別に金に困っているようにも見えないが、どうだ、君もここでバイトでもしてみたら」

まるで自分も趣味でバイトしているみたいな体で、あろうことかこの男は仕事の勧誘をしてきた。
「まさか。人殺しのあった場所でなんて働くもんか」
「そんなことを言ったら君、地球上のどこでも生きていけないぞ」
「俺にそんなことを話したくてわざわざ呼び出したのか?」
「いや、失敬。どうにも君は、私の関心を引くようで」
 私は面白いものを見つけるには多少の自信があるのだ、と得意げに彼は胸を逸らす。「君と一緒にいれば、しばらく飽きなさそうだ」
「はあ」

確かに、事件に巻き込まれるミス研部員なんて、現実にはレアものだろう。そういう職業に就いていない限り、死というものは現実から一番遠い出来事だ。
その実、この国だけでも一日に幾つの死が訪れているのだろう。決して少ない数ではないはずだ。
けれど、それに遭遇することはまずない。

「なんだ、アンタ。人が殺されたってのに、面白そうだなんて」
言外に不謹慎だ、という声色をにじませて、俺は男を非難する。

「別に面白がろうが、憐れもうが、死者が生き返るわけじゃない」
しかしそんな俺のまっとうな意見を踏みにじるかのように、加賀見は笑った。「よく、仕事は楽しめと言うじゃないか。じゃあ、検死官や解剖医や捜査一課の刑事が仕事を楽しむのは不謹慎なのだろうか」
「それとこれは話が別だろ、それにアンタは、ただの監視アルバイトじゃないか」

単に出歯亀して楽しんでるだけじゃないか。そう俺が指摘すると、
「まあ、そうだな、確かに。今は」
と急にヤツは大人しくなった。

「で、その野次馬根性甚だしいアンタは、一体何を知ってるって言うんだ」
これ以上朝っぱらからくだらない会話に花を咲かせるのにも飽きて、俺は話題を切り出した。この男が、わざわざ俺に教えたいこととやら。

「そう、そうだ。なぜ岩崎氏が保管庫に入ったか、だが」
男は出来の悪い子どもに教えるかのように、明瞭な発音で言った。

「岩崎氏は一人で入り、そこで後から来た何者かによって殺害された、そう皆考えている」
当たり前のことを今更に言われ、俺はげんなりする。
「そりゃあ、入ったっきり出てこなかったんだ。そこで殺されたって考えるのが当然だろ」

おそらく、岩崎は犯人に呼び出されたのだ。俺はそう考えていた。じゃなきゃ経営者が、わざわざあんな暗くて寒い場所にわざわざ赴く理由がわからない。

「警察も、君と似たようなことを考えているようだ」
俺の考えなどお見通しとばかりに加賀見が指を振った。
「岩崎氏は犯人に呼び出された、まあそう考えるのが妥当だな」と一人勝手に頷いている。
「そうじゃないのか?」
「いや、私もそう思っていたさ。だがスタッフらの証言を聞くと、彼は定期的に南北両方の保管庫を訪れていたらしい」
「岩崎が?」

だってあいつは、美術には何も興味を持たない守銭奴だったのではないのか。俺はオオトリ女史の漏らした不平不満を思い出す。美術になど何の関心もないサル、とまで言っていた。

「そもそも、岩崎氏があそこに行く理由もないだろうに」
「その理由があったとしたら?」
にやり、と加賀見氏が笑みを浮かべた。ルックスとあいまって、怪物のようだった。俺はそれにたじろぎつつ、「理由?」とかろうじて言い返す。

「そう、岩崎があそこに出向いたのには、理由がある」
「一体、どんな……」
「それはまだ、言えない」
「は?」
「可能性としては非常に高い。けれどまだ、憶測の域を越えない」
「その憶測ってのは」
「それはまだ言えないのだ。残念ながら、私の立場からはまだ」

残念そうに加賀見が唇に人差し指を乗せる。キザったらしいその動作が、こうも似合わない人間はいないだろう。そう思うほどの出来だった。

「そんな、結局まだ何もわかってないってことじゃないか」
俺は怒りを通り越して落胆してしまった。別段学業が忙しいわけでもないが、無駄足をあえて踏むほど暇ではない。まして、こんな朝早くから呼び出されたなら尚更。
軽く頭が痛いのは、昨日飲みすぎたせいだけではないだろう。

「なに、それを考えるのもまた一興」
ちらり、と加賀見が俺に視線を投げかける。
「少しは自分で考えてみたまえ、探偵君。すでに君は手がかりを手に入れていると思うのだが」
「手がかりって」

そう言われても、俺にはなにもピンとこなかった。美術品にたいして関心のないサルが、わざわざ美術品しかない場所に赴く理由。
さらには、わざわざその謎を、もったいぶって教えようとしないこの目の前の男。
改めて思う。こいつは一体、何者だ?

「加賀見さん。アンタは、どこまで知っているんだ?」
最初に会った時からの違和感がぬぐえない。実はこいつは土森なんかより偉い刑事で、俺のことを試しているのか?なんて。

「さあな。それは――」
なにやら格好つけて目の前のボサボサ頭が言おうとしたところで、開館前の美術館から、けたたましいベルの音が鳴り響いた。

「なんだ、朝から騒がしい」
ジリジリと騒ぐ高音が、俺の頭をかき混ぜる。
「何かあったようだな」

グワングワンと響くそれを必死に追い出そうとする俺とは対照に、加賀見はすくと立ち上がると、音の鳴る方へと惹きつけられていく。「さて、今度は何があったのかな」
何をそんな、面白そうに。

「そろそろ勤務時間だ。私は館内に向かおうと思うが、君はどうするかね?」

早く渦中に飛び込みたいとばかりに、そわそわした様子で赤ら顔がさらに頬を染めている。
行ってもさらに面倒事に巻き込まれるだけだ。俺の予感はそう告げていた。
けれど一方、このまま帰るわけにもいかないという、脅迫感が俺を責め立てる。

「……わかった、付いて行けばいいんだろ」
「その通りだ、探偵君」
「その呼び方はやめろ」

俺は気持ちの悪い笑みを浮かべる、自称監視員の後を追うことにした。
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