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再びソフィア邸
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それからの日々は順調すぎるくらい順調だった。
毎日歩き、食べ、眠る。比呂人はフェロモンを抑える薬湯も毎日飲んだ。
特に事故もなく、獣に襲われることもなく着実に道程をこなしていった。
グリノルフは毎夜、比呂人を抱きしめて眠るようになった。
そして毎夜ではないが体を重ねた。グリノルフはどうやら比呂人の体調や疲れ具合をみて、比呂人を抱くかどうか判断しているらしかった。
薬湯でフェロモンを抑えているので比呂人を抱く必要はないはずなのだが、どうしてなのだろうか。
疑問には思うものの、実際にグリノルフの手に触れられるとそんなことはどうでもよくなってしまう。
いくつかの街を越えて、比呂人が見覚えのある景色が現れる。家が段々増えていき何度か通った市場に着いた。
ほんの少し前のことなのに、この市場に来たことが遠い昔のことのように感じる。
昼過ぎて夕方前の時間、市場のにぎわいは大分落ち着いている。
甘い菓子のにおいが比呂人の鼻をくすぐるが、無視してグリノルフについていく。
狩りは成功したのだし、あとで報酬で思いっきりうまいものを食べてやる。そう思っているうちに広大な邸が見えてきた。
門扉からたっぷり歩き、邸に着くと応接室に通された。しばらくするとヨンナがお茶と茶菓子を持って現れた。
あいにくソフィアは不在らしく先に部屋を用意するのでそちらで休んでいてほしいとのことだった。
とりあえず応接室のソファに腰を下ろし茶菓子にかじりついた。
「うまっ」久々の果物ではない、人が作った甘味に比呂人が声をあげる。
「まだまだあるのでたくさん召し上がってください」
ヨンナが比呂人のカップに茶を注ぎながら言う。
「無事に戻ってこられてよかったです」
「まあいろいろあったけどなんとかなったよ」
比呂人とヨンナがぽつりぽつりと話しているあいだに、グリノルフは黙々と茶菓子を頬張っている。
やがて従僕がやって来て、陰鰐の戦利品をどこかに運ぶということで、グリノルフと従僕が荷物を持って行ってしまった。応接室には比呂人とヨンナが残された。
「でも、グリノルフさんと仲良くなられたようでよかったです。グリノルフさんがいらっしゃるから無事に戻られるとは思っていましたが、出発のときには、その、あまりいい雰囲気ではなかったので」
ヨンナの言葉に比呂人が耳先から赤くなる。ヨンナが当て擦りで言っているのではないとわかってはいるが比呂人は赤くなるのを止められなかった。
そんな比呂人を見て、事情を察したヨンナが徐々に赤くなる。
「すいません、そのような意味で言ったんではないんですが……」
「そうなんだよ、随分仲良くなっちゃってさ」
恥ずかしさでうつむきながら最後のほうはほとんど聞こえないくらいの声で比呂人が言う。
「私はいいと思いますけど」
「あのさ、わかったらでいいんだけど、俺のその香りと言うかフェロモンみたいなもんってどのくらいグリノルフに効くのかな」
「私はほとんど出ていないらしいのでわからないのですが、中村さんは相当強力な香りが出ていると聞きました。なのでグリノルフさんにも影響はあるはずです」
「そっか」
「気になりますか」
「そりゃ、気になるよ。グリノルフとそういうことになってんのはこのフェロモンのお陰だろうから。もしなくなったらどうなるんだろう、とか」
「それは、気にしても仕方のないことだと思います。香りも含めて中村さんなので。中村さんはグリノルフさんのどういうところが好きになりました?」
「いや、どういうところが好きって」
「綺麗な顔ですか?なんでもできて頼りになるところですか?もしグリノルフさんがなにかの事故で顔が変わってなにもできなくなったら中村さんは嫌いになりますか」
「それはわかんないけど、たぶん、ならない、と思う」
「香り、というのはきっかけにしかすぎないと思います。フェロモンはきっかけかもしれませんが、気持ちが動いてしまえばそこから先は関係ないと思います」
ヨンナはそこで一旦言葉を切り、苦しそうに続けた。
「私は向こうにいるときは、自分にはなにもないと思っていました。でもここに来て、いろいろあって、そういうふうに考えるのはやめようと思ったんです」
「そっか、そうだよな。なんかごめん」
「いえ」
「せっかく全然違う世界に来たんだし、いつまでも昔みたいな考え方もよくないよな」
「私もそう思います。なかなか自分を変えることは難しいですが、ここでは昔の自分を知る人はいないから、全然違う自分になってもいいんだと思います」
「だね。あ、あとさ、俺のことは比呂人でいいよ、みんなヒロトって呼んでるし」
「じゃあ、比呂人さん、で」
「うん。もっとヨンナさんの話聞かせてよ、嫌じゃなければだけど」
「そんなに面白くないですよ。比呂人さんの旅のほうがよっぽど面白いと思います」
「面白い、面白くないじゃなくてヨンナさんの話が聞きたいんだよ」
ヨンナは笑ってうなずいた。
折よくグリノルフが戻って来て、笑いあっている比呂人とヨンナを見て表情をゆるめた。
その後、比呂人とグリノルフは各々の部屋に移動した。清潔で整えられた室内で過ごせることのありがたさをかみしめる。
比呂人は久しぶりのふかふかの寝台を堪能しながら、心の中でヨンナに言われたことを反芻した。
自分を、変える……
毎日歩き、食べ、眠る。比呂人はフェロモンを抑える薬湯も毎日飲んだ。
特に事故もなく、獣に襲われることもなく着実に道程をこなしていった。
グリノルフは毎夜、比呂人を抱きしめて眠るようになった。
そして毎夜ではないが体を重ねた。グリノルフはどうやら比呂人の体調や疲れ具合をみて、比呂人を抱くかどうか判断しているらしかった。
薬湯でフェロモンを抑えているので比呂人を抱く必要はないはずなのだが、どうしてなのだろうか。
疑問には思うものの、実際にグリノルフの手に触れられるとそんなことはどうでもよくなってしまう。
いくつかの街を越えて、比呂人が見覚えのある景色が現れる。家が段々増えていき何度か通った市場に着いた。
ほんの少し前のことなのに、この市場に来たことが遠い昔のことのように感じる。
昼過ぎて夕方前の時間、市場のにぎわいは大分落ち着いている。
甘い菓子のにおいが比呂人の鼻をくすぐるが、無視してグリノルフについていく。
狩りは成功したのだし、あとで報酬で思いっきりうまいものを食べてやる。そう思っているうちに広大な邸が見えてきた。
門扉からたっぷり歩き、邸に着くと応接室に通された。しばらくするとヨンナがお茶と茶菓子を持って現れた。
あいにくソフィアは不在らしく先に部屋を用意するのでそちらで休んでいてほしいとのことだった。
とりあえず応接室のソファに腰を下ろし茶菓子にかじりついた。
「うまっ」久々の果物ではない、人が作った甘味に比呂人が声をあげる。
「まだまだあるのでたくさん召し上がってください」
ヨンナが比呂人のカップに茶を注ぎながら言う。
「無事に戻ってこられてよかったです」
「まあいろいろあったけどなんとかなったよ」
比呂人とヨンナがぽつりぽつりと話しているあいだに、グリノルフは黙々と茶菓子を頬張っている。
やがて従僕がやって来て、陰鰐の戦利品をどこかに運ぶということで、グリノルフと従僕が荷物を持って行ってしまった。応接室には比呂人とヨンナが残された。
「でも、グリノルフさんと仲良くなられたようでよかったです。グリノルフさんがいらっしゃるから無事に戻られるとは思っていましたが、出発のときには、その、あまりいい雰囲気ではなかったので」
ヨンナの言葉に比呂人が耳先から赤くなる。ヨンナが当て擦りで言っているのではないとわかってはいるが比呂人は赤くなるのを止められなかった。
そんな比呂人を見て、事情を察したヨンナが徐々に赤くなる。
「すいません、そのような意味で言ったんではないんですが……」
「そうなんだよ、随分仲良くなっちゃってさ」
恥ずかしさでうつむきながら最後のほうはほとんど聞こえないくらいの声で比呂人が言う。
「私はいいと思いますけど」
「あのさ、わかったらでいいんだけど、俺のその香りと言うかフェロモンみたいなもんってどのくらいグリノルフに効くのかな」
「私はほとんど出ていないらしいのでわからないのですが、中村さんは相当強力な香りが出ていると聞きました。なのでグリノルフさんにも影響はあるはずです」
「そっか」
「気になりますか」
「そりゃ、気になるよ。グリノルフとそういうことになってんのはこのフェロモンのお陰だろうから。もしなくなったらどうなるんだろう、とか」
「それは、気にしても仕方のないことだと思います。香りも含めて中村さんなので。中村さんはグリノルフさんのどういうところが好きになりました?」
「いや、どういうところが好きって」
「綺麗な顔ですか?なんでもできて頼りになるところですか?もしグリノルフさんがなにかの事故で顔が変わってなにもできなくなったら中村さんは嫌いになりますか」
「それはわかんないけど、たぶん、ならない、と思う」
「香り、というのはきっかけにしかすぎないと思います。フェロモンはきっかけかもしれませんが、気持ちが動いてしまえばそこから先は関係ないと思います」
ヨンナはそこで一旦言葉を切り、苦しそうに続けた。
「私は向こうにいるときは、自分にはなにもないと思っていました。でもここに来て、いろいろあって、そういうふうに考えるのはやめようと思ったんです」
「そっか、そうだよな。なんかごめん」
「いえ」
「せっかく全然違う世界に来たんだし、いつまでも昔みたいな考え方もよくないよな」
「私もそう思います。なかなか自分を変えることは難しいですが、ここでは昔の自分を知る人はいないから、全然違う自分になってもいいんだと思います」
「だね。あ、あとさ、俺のことは比呂人でいいよ、みんなヒロトって呼んでるし」
「じゃあ、比呂人さん、で」
「うん。もっとヨンナさんの話聞かせてよ、嫌じゃなければだけど」
「そんなに面白くないですよ。比呂人さんの旅のほうがよっぽど面白いと思います」
「面白い、面白くないじゃなくてヨンナさんの話が聞きたいんだよ」
ヨンナは笑ってうなずいた。
折よくグリノルフが戻って来て、笑いあっている比呂人とヨンナを見て表情をゆるめた。
その後、比呂人とグリノルフは各々の部屋に移動した。清潔で整えられた室内で過ごせることのありがたさをかみしめる。
比呂人は久しぶりのふかふかの寝台を堪能しながら、心の中でヨンナに言われたことを反芻した。
自分を、変える……
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