87 / 92
シャーニ
雪解けからはじまる
しおりを挟む
≪シャーニ≫
色あざやかな緑が、よぎった。
視線を移すと、緑は風にゆれて、高く飛んでいった。
視界いっぱいに、青い空が広がっている。
青の中には、いくつもの岩山が浮いていた。小さなものから、大きなものまである。それぞれゆったりとゆれていて、生きているかのようだった。
「起きたか」
すぐ隣から、セウラザの声が聞こえた。
目を向けると、無表情な男の顔が映った。
「ここは、外殻の草原か」
「そうだ」
ラトスの問いに、セウラザは即答した。
相変わらずの事務的な対応だ。自分の分身というのは、楽でいいとラトスは思った。疲れ切った脳には、なおさらいいものだ。
ラトスの身体は、草原に横たわっていた。大地のひやりとした感触と、空のあたたかさが心地よい。意識を失う直前まで殺伐としていたのが嘘のようだと、ラトスは苦笑いした。
すぐ近くには、フィノアもいた。少女はすでに目を覚ましていて、マントを敷いて腰を下ろしていた。ラトスが目を覚ましたことは、一応気付いたらしい。わずかに視線を向けてきたが、すぐに空へ視線をもどした。その先になにがあるのかは、聞かなくても分かる。ゆっくりと草原からはなれていく、いびつな岩山だ。
いびつな岩山は、すでに目視では判別しづらいほどの高さまで浮きあがっていた。フィノアの視線の先を追わねば、見つけることはできなかっただろう。
フィノアの目は、虚ろだった。涙は流れていないが、目の周りは赤く腫れていた。
「不思議です」
フィノアは小さな声で言った。
「何がだ」
「もっと、止まらないほどの涙が出ると思っていました」
「……そうか」
ラトスが短く応えると、フィノアはうなずいた。
いびつな岩山は、かろうじて見える。現の世界の国王は、まだ亡くなっていないだろう。だが、このまま夢の世界から脱出するのが遅れれば、死に目には会えないに違いない。
脱出する手段が整っていない今、希望を持つのは愚かしい。余計な励ましは、互いの心をえぐるだけだ。
ふわりと、風が流れた。
フィノアの白い髪が浮きあがり、ゆれる。
王族特有の髪色らしいが、綺麗なものだとラトスは思った。老人の白髪とはまた違う。透き通るほどに神秘的な白さなのだ。人としての差は無いはずだが、奇妙な格差を感じる。
「良かったこともあります」
空から目をはなさず、フィノアは静かに言った。
声には、わずかに力強さがもどっていた。
「夢魔から、父を解放できました」
「そうだな」
「わずかにでも、安らかな時を得られたはずです」
「ああ」
フィノアの言葉に、ラトスはうなずいた。
小さな希望だが、そうあればいいと、ラトスも思った。
ゼメリカとの戦いは、国王の寿命を大きく削るものだった。
国王の夢の世界は、すでに衰えはじめていた。夢魔の寄生による支えを失えば、衰弱は加速していくだろう。実際、空に浮かぶ岩山は上昇をつづけているのだ。あと数か月早ければ、助けられたかもしれない。考えても意味のないことではあるが、見えなくなる岩山を見て、思わずにはいられないことだった。
「感謝します。クロニスさん」
フィノアはラトスに向き直って、深く頭を下げた。
「よせ。気持ち悪い」
「無礼が過ぎますね、本当に」
「そうか」
「そうです」
そう言ったフィノアは無表情だったが、瞳に光がもどっていた。
「ですが、私の父を、人に戻してくれたのはあなたです。私には、出来ませんでした」
「結果的にそうなっただけだ」
「分かっています」
「みな、お互いの目的のために戦った。メリーさんもな」
「ええ」
フィノアがうなずく。
メリーは、三人からはなれたところで立っていた。空を見ながら、うろうろとしている。いびつな岩山を探しているわけではなく、ペルゥを探しているのだろう。時折、腕にはめた銀色の腕輪をなでていた。
「俺は、親の記憶がない。家族への愛情というのが、どういうものか、俺は知らない」
メリーに目線を向けながら、ラトスはぽつりと言った。彼の言葉に、フィノアは目を丸くさせた。家族を知らないという人間に会ったことがなかったのだ。
「シャーニへの感情が、家族への愛情なのかと思うことはある。結局分からないままになってしまったが」
「そう、ですか」
「もしそれと同じなのだとすれば、辛いだろう。これまでも、今も。これからも」
「ええ。きっと」
フィノアはうなずくと、そっと目をほそめた。
親や兄弟を失う痛みは、大きい。目の前で失えば、尚のことだ。
「あんたはその戦いに、よくやってる」
「そうでしょうか」
「そうさ。俺の手を見ろ」
そう言うとラトスは、左手をかざしてみせた。手の甲から指先まで、黒く染まっている。表面はごつごつとしていて、指先に至っては獣のようにとがっていた。もはや、人の手の形とは言えない。
「上手く戦えていないと、こうなるらしい」
「……そのようですね」
「王女さん。あんたは十分耐えた。よくやったさ」
ラトスは目をほそめると、フィノアの頭に右手を置いた。
白い髪は、ほそくやわらかい。猫でもなでているようだと、ラトスは思った。彼の手の下で、フィノアは複雑そうな表情をしていた。なでられることは拒否しなかったが、顔をしかめてラトスをにらんでいるようにも見える。
「……本当に、無礼ですね」
「そうか」
「そうです」
フィノアは口元をゆがませて、短く言う。少女の瞳の色は、明るかった。怒ってはいない。子供扱いされたとでも思ったのだろう。ラトスはフィノアの頭から手をはなすと、両手のひらを見せて、ひらひらと振った。
「元気になったようで、何より」
ラトスはそう言うと、立ち上がった。眉根を寄せているフィノアから、半歩距離を取る。追うように少女の目がラトスの顔をにらんが、彼は気付かないふりをして、空に視線を向けた。
いびつな岩山は、空に溶け入りそうだった。
だが、上昇は止まったか、ゆるやかになったらしい。溶け消える直前のところで、とどまっているようにも見えた。そのことをフィノアに伝えようかと思ったが、やめた。ラトスは唇を結ぶと、小さく肩をゆらした。
「あ、ラトスさん!」
空を見上げていたメリーが、ラトスに向かって手を振ってきた。目をしぼって彼女に向く。ほそい指先が、空を指していた。指す方向に視線を移すと、空になにかがまたたいていた。同時に風のような音が近付いてくる。
「ペルゥか?」
「たぶん!」
「ずいぶん速く落ちてきているようだが」
ラトスは目をしぼりながら言った。
白くまたたいているものは、次第に大きくなってきていた。その大きさは、ペルゥの身体よりも大きかった。違うのではないかとメリーに伝えたが、彼女は頭を横に振った。落ちてきた方向を見るかぎり、いびつな岩山から一直線に飛んできていたからだ。
「少し前に連絡もありましたから」
「じゃあ、落ちるまで様子を見よう」
「え!? 受け止めないのですか!?」
「まさか。怪我をするのはペルゥだけで十分だ」
ラトスは興味無さ気に言った。ペルゥならば、地面に直撃などしないだろう。むしろこちらをあわてさせるために、わざと派手に降りてきている線まである。メリーはあわてていたが、ラトスはなだめるようにして彼女をおさえた。
落ちてきているものが、目視で分かるほどに近付く。白い、大きな球体だった。球体は光に照らされて、何度かきらめく。魔法のようなものだろうかと見ているうちに、球体はいきおいよく地面まで接近した。地面に直撃するかと思った瞬間、寸前で止まる。ふわりと一度跳ねあがり、左右にゆれながら回転した。
メリーが不思議そうに球体へ近づいていく。
念のため、ラトスは彼女の後を追った。
草原の上でふわふわと浮く白い球体は、メリーの姿をに気付いたらしい。跳ねるように上下すると、しぼるように小さくなった。
「メリー!」
小さくなった球体から現れたのは、やはりペルゥだった。駆け寄ってきたメリーに飛びこむ。彼女はペルゥを抱きかかえると、小さな白い身体をなで回した。
「おかえりなさい!」
「ただいまー! あ、ラトスもいるんだね」
「ああ」
「また、無茶したんだねー?」
ペルゥは、小さな前足をラトスの左手に向ける。
ラトスは顔をしかめると、ペルゥも困った顔をして小さくうなずいた。
「まあ、無事なら良いよね」
「ああ、そうだな」
ラトスがうなずくと、ペルゥは小さく笑う。メリーの肩に飛び乗り、彼女の頬に白い身体をすり寄せ、甘えだした。その仕草にメリーは高揚したのか、自らも頬をペルゥに押し付ける。
「じゃれ合ってるところ、申し訳ないが。なんであんな妙な方法で降りてきたんだ」
「うーん? ああ、えっとね」
ラトスの言葉に、ペルゥは耳を立てた。ふふんと鼻息をして、胸をそらせる。
「岩山が高く飛び過ぎて、丸くくっ付きそうになったから、魔法で固まって落ちたんだ」
言い切ると、ペルゥはもう一度鼻息を鳴らした。
ラトスとメリーは目を丸くして、同時に首をかしげる。
「……なんだって?」
「え? だから、岩山がね。丸くくっ付いてね? 引っ張られそうになったの。分かる? だから、落ちたの」
「……そうか」
「分かってくれた?」
「いや、全く。興味もなくなった」
「あっははー! ひどい、ひどいよー! ボクは傷付いたよー!」
まったく傷付いていない様子で、ペルゥが笑いだした。説明は分からなかったが、とにかく緊急事態だったということだけ、ラトスは飲みこんだ。白い球体は、防御のような魔法なのかもしれない。ラトスは両手のひらをペルゥに向け、頭を横に振ってみせた。その仕草が面白かったのか、ペルゥの笑う口がさらに開き、メリーの肩の上で何度も跳ねた。
「ペルゥが戻ったのか」
ラトスの後ろから、セウラザの声が聞こえた。
振り返ると、セウラザとフィノアが近くまで歩いてきていた。フィノアはペルゥの姿を見ると、小走りに近寄っていく。邪魔にならないようラトスが足を引くと、フィノアは彼のそばを跳ねるようにして抜けた。
「ううん? フィノア。大丈夫ー?」
「はい。おかげさまで」
フィノアはうなずくと、メリーの肩の上にいるペルゥに手を伸ばした。
ペルゥは小さな耳をぴくりとゆらし、とんとメリーから飛び降りた。ふわりとフィノアに近寄り、少女のほそい腕の上で浮きあがる。ペルゥの挙動にフィノアは顔を明るくさせると、白い小さな身体を両手でつかんだ。
「うぐ」
ペルゥは一瞬つぶれるような声をあげたが、我慢した。フィノアが傷心だと分かっているのだ。ペルゥなりに、気遣おうと考えたのだろう。
「可愛いわ。本当に」
両手でつかみながら、掻き混ぜるようにペルゥをなで回す。ペルゥは、フィノアの手が顔面を通過するたびに、しぼるような声をこぼした。ペルゥの様子を見てメリーは戸惑ったようだが、彼女もまた我慢したらしい。両手をそわそわさせながら、フィノアとペルゥを見るのみだった。
「ペルゥ」
なで回されるペルゥを見て、ラトスが静かに言った。
「うぎゅ……な、なに?」
「良い気分だな」
「それは、う、ぎゅ……良かった!」
ペルゥはがっかりした表情をフィノアに見せないようにして、明るい声をだす。献身的なものだとラトスが口の端を持ちあげてみせると、ペルゥは観念したように、そっと目を閉じた。
ペルゥとラトスの様子を見て、メリーはふと目をほそめた。そわそわさせていた両手を止め、肩から力を抜く。フィノアを含め、全員が明るく振舞おとしていることに気付いたのだ。メリーは悲しい気持ちになりそうだったが、ぎゅっと唇を強く結んだ。すると、彼女の肩をセウラザが後ろから軽く叩いた。振り返ると、セウラザが無表情にうなずいていた。
メリーは肩に乗ったセウラザの手を見ると、黙ってうなずき返すのだった。
色あざやかな緑が、よぎった。
視線を移すと、緑は風にゆれて、高く飛んでいった。
視界いっぱいに、青い空が広がっている。
青の中には、いくつもの岩山が浮いていた。小さなものから、大きなものまである。それぞれゆったりとゆれていて、生きているかのようだった。
「起きたか」
すぐ隣から、セウラザの声が聞こえた。
目を向けると、無表情な男の顔が映った。
「ここは、外殻の草原か」
「そうだ」
ラトスの問いに、セウラザは即答した。
相変わらずの事務的な対応だ。自分の分身というのは、楽でいいとラトスは思った。疲れ切った脳には、なおさらいいものだ。
ラトスの身体は、草原に横たわっていた。大地のひやりとした感触と、空のあたたかさが心地よい。意識を失う直前まで殺伐としていたのが嘘のようだと、ラトスは苦笑いした。
すぐ近くには、フィノアもいた。少女はすでに目を覚ましていて、マントを敷いて腰を下ろしていた。ラトスが目を覚ましたことは、一応気付いたらしい。わずかに視線を向けてきたが、すぐに空へ視線をもどした。その先になにがあるのかは、聞かなくても分かる。ゆっくりと草原からはなれていく、いびつな岩山だ。
いびつな岩山は、すでに目視では判別しづらいほどの高さまで浮きあがっていた。フィノアの視線の先を追わねば、見つけることはできなかっただろう。
フィノアの目は、虚ろだった。涙は流れていないが、目の周りは赤く腫れていた。
「不思議です」
フィノアは小さな声で言った。
「何がだ」
「もっと、止まらないほどの涙が出ると思っていました」
「……そうか」
ラトスが短く応えると、フィノアはうなずいた。
いびつな岩山は、かろうじて見える。現の世界の国王は、まだ亡くなっていないだろう。だが、このまま夢の世界から脱出するのが遅れれば、死に目には会えないに違いない。
脱出する手段が整っていない今、希望を持つのは愚かしい。余計な励ましは、互いの心をえぐるだけだ。
ふわりと、風が流れた。
フィノアの白い髪が浮きあがり、ゆれる。
王族特有の髪色らしいが、綺麗なものだとラトスは思った。老人の白髪とはまた違う。透き通るほどに神秘的な白さなのだ。人としての差は無いはずだが、奇妙な格差を感じる。
「良かったこともあります」
空から目をはなさず、フィノアは静かに言った。
声には、わずかに力強さがもどっていた。
「夢魔から、父を解放できました」
「そうだな」
「わずかにでも、安らかな時を得られたはずです」
「ああ」
フィノアの言葉に、ラトスはうなずいた。
小さな希望だが、そうあればいいと、ラトスも思った。
ゼメリカとの戦いは、国王の寿命を大きく削るものだった。
国王の夢の世界は、すでに衰えはじめていた。夢魔の寄生による支えを失えば、衰弱は加速していくだろう。実際、空に浮かぶ岩山は上昇をつづけているのだ。あと数か月早ければ、助けられたかもしれない。考えても意味のないことではあるが、見えなくなる岩山を見て、思わずにはいられないことだった。
「感謝します。クロニスさん」
フィノアはラトスに向き直って、深く頭を下げた。
「よせ。気持ち悪い」
「無礼が過ぎますね、本当に」
「そうか」
「そうです」
そう言ったフィノアは無表情だったが、瞳に光がもどっていた。
「ですが、私の父を、人に戻してくれたのはあなたです。私には、出来ませんでした」
「結果的にそうなっただけだ」
「分かっています」
「みな、お互いの目的のために戦った。メリーさんもな」
「ええ」
フィノアがうなずく。
メリーは、三人からはなれたところで立っていた。空を見ながら、うろうろとしている。いびつな岩山を探しているわけではなく、ペルゥを探しているのだろう。時折、腕にはめた銀色の腕輪をなでていた。
「俺は、親の記憶がない。家族への愛情というのが、どういうものか、俺は知らない」
メリーに目線を向けながら、ラトスはぽつりと言った。彼の言葉に、フィノアは目を丸くさせた。家族を知らないという人間に会ったことがなかったのだ。
「シャーニへの感情が、家族への愛情なのかと思うことはある。結局分からないままになってしまったが」
「そう、ですか」
「もしそれと同じなのだとすれば、辛いだろう。これまでも、今も。これからも」
「ええ。きっと」
フィノアはうなずくと、そっと目をほそめた。
親や兄弟を失う痛みは、大きい。目の前で失えば、尚のことだ。
「あんたはその戦いに、よくやってる」
「そうでしょうか」
「そうさ。俺の手を見ろ」
そう言うとラトスは、左手をかざしてみせた。手の甲から指先まで、黒く染まっている。表面はごつごつとしていて、指先に至っては獣のようにとがっていた。もはや、人の手の形とは言えない。
「上手く戦えていないと、こうなるらしい」
「……そのようですね」
「王女さん。あんたは十分耐えた。よくやったさ」
ラトスは目をほそめると、フィノアの頭に右手を置いた。
白い髪は、ほそくやわらかい。猫でもなでているようだと、ラトスは思った。彼の手の下で、フィノアは複雑そうな表情をしていた。なでられることは拒否しなかったが、顔をしかめてラトスをにらんでいるようにも見える。
「……本当に、無礼ですね」
「そうか」
「そうです」
フィノアは口元をゆがませて、短く言う。少女の瞳の色は、明るかった。怒ってはいない。子供扱いされたとでも思ったのだろう。ラトスはフィノアの頭から手をはなすと、両手のひらを見せて、ひらひらと振った。
「元気になったようで、何より」
ラトスはそう言うと、立ち上がった。眉根を寄せているフィノアから、半歩距離を取る。追うように少女の目がラトスの顔をにらんが、彼は気付かないふりをして、空に視線を向けた。
いびつな岩山は、空に溶け入りそうだった。
だが、上昇は止まったか、ゆるやかになったらしい。溶け消える直前のところで、とどまっているようにも見えた。そのことをフィノアに伝えようかと思ったが、やめた。ラトスは唇を結ぶと、小さく肩をゆらした。
「あ、ラトスさん!」
空を見上げていたメリーが、ラトスに向かって手を振ってきた。目をしぼって彼女に向く。ほそい指先が、空を指していた。指す方向に視線を移すと、空になにかがまたたいていた。同時に風のような音が近付いてくる。
「ペルゥか?」
「たぶん!」
「ずいぶん速く落ちてきているようだが」
ラトスは目をしぼりながら言った。
白くまたたいているものは、次第に大きくなってきていた。その大きさは、ペルゥの身体よりも大きかった。違うのではないかとメリーに伝えたが、彼女は頭を横に振った。落ちてきた方向を見るかぎり、いびつな岩山から一直線に飛んできていたからだ。
「少し前に連絡もありましたから」
「じゃあ、落ちるまで様子を見よう」
「え!? 受け止めないのですか!?」
「まさか。怪我をするのはペルゥだけで十分だ」
ラトスは興味無さ気に言った。ペルゥならば、地面に直撃などしないだろう。むしろこちらをあわてさせるために、わざと派手に降りてきている線まである。メリーはあわてていたが、ラトスはなだめるようにして彼女をおさえた。
落ちてきているものが、目視で分かるほどに近付く。白い、大きな球体だった。球体は光に照らされて、何度かきらめく。魔法のようなものだろうかと見ているうちに、球体はいきおいよく地面まで接近した。地面に直撃するかと思った瞬間、寸前で止まる。ふわりと一度跳ねあがり、左右にゆれながら回転した。
メリーが不思議そうに球体へ近づいていく。
念のため、ラトスは彼女の後を追った。
草原の上でふわふわと浮く白い球体は、メリーの姿をに気付いたらしい。跳ねるように上下すると、しぼるように小さくなった。
「メリー!」
小さくなった球体から現れたのは、やはりペルゥだった。駆け寄ってきたメリーに飛びこむ。彼女はペルゥを抱きかかえると、小さな白い身体をなで回した。
「おかえりなさい!」
「ただいまー! あ、ラトスもいるんだね」
「ああ」
「また、無茶したんだねー?」
ペルゥは、小さな前足をラトスの左手に向ける。
ラトスは顔をしかめると、ペルゥも困った顔をして小さくうなずいた。
「まあ、無事なら良いよね」
「ああ、そうだな」
ラトスがうなずくと、ペルゥは小さく笑う。メリーの肩に飛び乗り、彼女の頬に白い身体をすり寄せ、甘えだした。その仕草にメリーは高揚したのか、自らも頬をペルゥに押し付ける。
「じゃれ合ってるところ、申し訳ないが。なんであんな妙な方法で降りてきたんだ」
「うーん? ああ、えっとね」
ラトスの言葉に、ペルゥは耳を立てた。ふふんと鼻息をして、胸をそらせる。
「岩山が高く飛び過ぎて、丸くくっ付きそうになったから、魔法で固まって落ちたんだ」
言い切ると、ペルゥはもう一度鼻息を鳴らした。
ラトスとメリーは目を丸くして、同時に首をかしげる。
「……なんだって?」
「え? だから、岩山がね。丸くくっ付いてね? 引っ張られそうになったの。分かる? だから、落ちたの」
「……そうか」
「分かってくれた?」
「いや、全く。興味もなくなった」
「あっははー! ひどい、ひどいよー! ボクは傷付いたよー!」
まったく傷付いていない様子で、ペルゥが笑いだした。説明は分からなかったが、とにかく緊急事態だったということだけ、ラトスは飲みこんだ。白い球体は、防御のような魔法なのかもしれない。ラトスは両手のひらをペルゥに向け、頭を横に振ってみせた。その仕草が面白かったのか、ペルゥの笑う口がさらに開き、メリーの肩の上で何度も跳ねた。
「ペルゥが戻ったのか」
ラトスの後ろから、セウラザの声が聞こえた。
振り返ると、セウラザとフィノアが近くまで歩いてきていた。フィノアはペルゥの姿を見ると、小走りに近寄っていく。邪魔にならないようラトスが足を引くと、フィノアは彼のそばを跳ねるようにして抜けた。
「ううん? フィノア。大丈夫ー?」
「はい。おかげさまで」
フィノアはうなずくと、メリーの肩の上にいるペルゥに手を伸ばした。
ペルゥは小さな耳をぴくりとゆらし、とんとメリーから飛び降りた。ふわりとフィノアに近寄り、少女のほそい腕の上で浮きあがる。ペルゥの挙動にフィノアは顔を明るくさせると、白い小さな身体を両手でつかんだ。
「うぐ」
ペルゥは一瞬つぶれるような声をあげたが、我慢した。フィノアが傷心だと分かっているのだ。ペルゥなりに、気遣おうと考えたのだろう。
「可愛いわ。本当に」
両手でつかみながら、掻き混ぜるようにペルゥをなで回す。ペルゥは、フィノアの手が顔面を通過するたびに、しぼるような声をこぼした。ペルゥの様子を見てメリーは戸惑ったようだが、彼女もまた我慢したらしい。両手をそわそわさせながら、フィノアとペルゥを見るのみだった。
「ペルゥ」
なで回されるペルゥを見て、ラトスが静かに言った。
「うぎゅ……な、なに?」
「良い気分だな」
「それは、う、ぎゅ……良かった!」
ペルゥはがっかりした表情をフィノアに見せないようにして、明るい声をだす。献身的なものだとラトスが口の端を持ちあげてみせると、ペルゥは観念したように、そっと目を閉じた。
ペルゥとラトスの様子を見て、メリーはふと目をほそめた。そわそわさせていた両手を止め、肩から力を抜く。フィノアを含め、全員が明るく振舞おとしていることに気付いたのだ。メリーは悲しい気持ちになりそうだったが、ぎゅっと唇を強く結んだ。すると、彼女の肩をセウラザが後ろから軽く叩いた。振り返ると、セウラザが無表情にうなずいていた。
メリーは肩に乗ったセウラザの手を見ると、黙ってうなずき返すのだった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
転生調理令嬢は諦めることを知らない
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。
子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。
八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。
また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。
オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。
同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。
それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。
弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。
主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。
追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。
2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
悪役令嬢にざまぁされた王子のその後
柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。
その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。
そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。
マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。
人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。
城で侍女をしているマリアンネと申します。お給金の良いお仕事ありませんか?
甘寧
ファンタジー
「武闘家貴族」「脳筋貴族」と呼ばれていた元子爵令嬢のマリアンネ。
友人に騙され多額の借金を作った脳筋父のせいで、屋敷、領土を差し押さえられ事実上の没落となり、その借金を返済する為、城で侍女の仕事をしつつ得意な武力を活かし副業で「便利屋」を掛け持ちしながら借金返済の為、奮闘する毎日。
マリアンネに執着するオネエ王子やマリアンネを取り巻く人達と様々な試練を越えていく。借金返済の為に……
そんなある日、便利屋の上司ゴリさんからの指令で幽霊屋敷を調査する事になり……
武闘家令嬢と呼ばれいたマリアンネの、借金返済までを綴った物語
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる