上 下
75 / 92

記憶のない記憶からはじまる

しおりを挟む
 ラトスは、腰の短剣をぬいた。黒い短剣が、カチと鳴る。セウラザも背中の剣に手をかけた。
 ゆっくりと、取っ手を回す。錆びた音と感触が、手のひらに伝わった。扉が悲鳴のような音を立てると同時に、開いた隙間から風鳴の音が流れこんでくる。

 間違いなく、戦場の音だった。
 扉の先から、無数の声がひびいてくる。熱気が肌に触れ、ひやりとした緊張感が背中を駆けめぐった。

「武器を構えておけ」

 ラトスが言うと、メリーはあわてて銀色の細剣を引きぬいた。遅れてフィノアも大樹の剣を両手でにぎる。

 扉を開き切る。
 その先は、部屋ではなかった。
 炎がおどり狂う、深い森の中だった。

「火事!?」
「いや、ただの戦場だ」

 身をすくめるメリーに、ラトスは冷静に応えた。
 森で戦っている最中に、炎に巻かれてしまうのはめずらしいことではない。ラトスはぐるりと周囲を見回した。燃えさかる森の中には、無数の人形がならんでいた。すべて兵装していて、武器をかまえている。いずれも鬼気迫る表情をしていて、今にも動きだしそうだった。

「これは、人形側の部隊が火を付けたのだろう」

 そう言ってラトスは、兵士の人形を指差した。
 人形たちの目は、炎を恐れているようではなかった。むしろ、森の奥をにらみつけている。

「火は、付いているだけだな。広がっていない」

 セウラザが森におどる炎を見て、静かに言った。

「記憶の一部、みたいなものか」
「そのようだ」

 ラトスの言葉に、セウラザはうなずいた。
 するとフィノアが訝し気な表情でラトスをにらんだ。

「これがお父様の記憶ではありません」

 火の付いた森と、人形たちを指差して、フィノアは強い口調で言う。

「何故だ?」
「お父様も、その前の王も、戦争をしていません。このような記憶、あるはずがないです」
「だが、見てきたかのような鮮明さだが」

 フィノアの言葉をあしらうように、ラトスは森の様子を見た。想像力で、この戦場の凄惨さは作れないはずだ。兵士の人形たちは、武器をかまえている姿だけではない。倒れていたり、腕や足を失っているものもあった。それらの人形の表情は、苦痛でゆがんでいた。

 フィノアの言葉が間違っているとも、思っていない。
 エイスの国は、現国王もふくめて何代も戦争をしていなかった。無論、公にされていない戦いもあるが、見るかぎり、隠しきれる戦争には見えない。木々にはばまれて全体は見えないが、戦場にひびく音から察するに、一師団(一万人)は動いていそうだった。

「……ラトスさん!」

 遠くから、メリーの声が聞こえた。
 見ると、彼女はずいぶんはなれたところまで歩いて行っていた。前の部屋で人形におびえていたのが嘘のようだ。

「どうしたんだ」
「夢魔がいます!」
「なに?」

 メリーの言葉を受けて、ラトスは駆けだした。
 短剣をにぎりなおし、兵士の人形の群れをすりぬけていく。メリーは銀色の細剣をかまえながら、じっとひとところを見ていた。そこに夢魔がいるのかと、ラトスも顔を向けた。

 兵士の人形が、数十。一か所に集まっていた。
 その中心に、大きな人形が立っていた。

「夢魔の……人形か?」

 気がぬけたような声をこぼして、ラトスは短剣を下ろした。
 兵士の人形に囲まれた夢魔らしき人形は、明らかに人の姿ではなかった。かといって、獣でもない。頭は熊のようだったが、目が四つ付いている。人の二倍以上の高さで、全身に毛と羽が生えていた。太い腕の先には、剣のような爪が伸びていた。
 剣の爪は、周囲の兵士の人形に向けられている。いくつかの人形は、その爪で引き裂かれたようだ。無残な姿になって、地面に転がっていた。

「どういうことだ? 何故、国王の夢の世界に夢魔の人形があるんだ?」
「悪夢の回廊から……出てきたのでしょうか?」

 ラトスと同じように、メリーも首をかしげた。
 周囲を見ると、夢魔の人形はひとつだけではなかった。数百もの夢魔の人形が、兵士の人形たちにおそいかかる格好で止まっていた。

「夢魔と、戦争しているのか……?」

 言いながら、ラトスは困惑した。セウラザの考えでは、すべての人形は元々夢の住人なのだ。とすれば、この夢魔の人形も同じものだということになる。

 ラトスは、悩みながら自身の左手を見た。黒くなっている左手には、夢魔が宿っているはずだ。この夢魔が成長すれば、ここにいる夢魔の群れのように、夢の住人の一部となって増えるのだろうか。増えた後は、夢の住人達におそいかかってくるというのか。

 ラトスは奥歯を噛み締める。後ろから、人の声が聞こえた。振り返らなかったが、フィノアとセウラザが追い付いてきたようだった。

「これは、いったい……」

 フィノアが小さく声をこぼす。少女はメリーのそばに駆け寄って、夢魔と兵士が戦っている様子をじっと見まわした。その表情は、引きつっていた。

「セウラザ」

 振り返らずに、ラトスは声をかけた。

「なんだ」
「これが、末路なのか」
「そうだろう」

 セウラザは短く応えて、うなずいた。彼の言葉を受けて、ラトスの胸の奥は重くなった。地面に転がる壊れた人形を見て、無残なものだと、息を吐く。

「何の話ですか?」

 ラトスの言葉に、メリーが首をかしげた。彼女は、ラトスの身体に夢魔が宿っていることを知らない。言葉の意味を汲み取ったのは、セウラザと、メリーの隣にいるフィノアだけだった。
 ラトスを見て顔をしかめたフィノアの中に、夢魔はもういない。だが、成長した夢魔に、乗っ取られる直前まで追い詰められたのだ。ここにいる夢魔の人形を見て、なにも感じないはずがなかった。それどころか、今のラトスの心情を誰よりも理解できるだろう。

 フィノアは、メリーの袖を引っ張った。メリーが、少女に顔を向ける。フィノアは、難しい話は分からないでしょうと彼女に言った。そして、意地悪そうな顔をして見せた。メリーは驚いた顔をすると、がくりと肩を落とす。

 メリーの質問をくじいたフィノアに、ラトスは口の端を小さくあげてみせた。ラトスの表情に、フィノアはかすかにうなずいた。まだまだ幼いはずのこの少女は、必要な時に的確な補助をしてくれる。年齢で人の能力は計れないものだなと、ラトスは心の内で両手をあげた。

「だが、妙だ」

 目をほそめながら、セウラザが言った。彼は、夢魔の人形と、それを取り囲む兵士の人形たちに近付いていく。じっと人形の顔を見つめ、なにか考えるような表情をした。

「何が妙なんだ」
「これらはすべて、夢の住人ではないようだ」
「どういうことだ。前の部屋で言っていたことと違うじゃないか」
「そうだな。だが、違う。これらは、半分以上作り物だ」

 そう言ってセウラザは、夢魔の人形を手で触れた。
 夢魔の人形も作り物なのかと問うと、半分はそうだと、セウラザはうなずいた。

「つまり、どういうことなんだ」
「私にも、全ては分からない。今分かるのは、これらの半分以上は記憶の産物ということだ」

 セウラザの言葉に、ラトスは困惑した。振り返って、フィノアとメリーを見る。彼女たちも目を見開くだけで、理解が追い付かないといった表情だった。

「だが、エイスの現国王は、戦争に行ってないのだろう?」
「そうです。少なくとも、お父様は」
「じゃあ、これは、何の記憶だ……?」

 頭をかかえたい気持ちでいっぱいになる。きっと今はどれだけ考えても、分からないことだろう。だが、知らねばならないことではないかとラトスは思った。奇妙な感情が、胸の奥を突き動かしているからだ。

 夢魔が宿った左手も、かすかに脈打った気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

転生調理令嬢は諦めることを知らない

eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。 それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。 子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。 最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。 八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。 それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。 また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。 オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。 同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。 それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。 弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。  主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。  追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。  2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

城で侍女をしているマリアンネと申します。お給金の良いお仕事ありませんか?

甘寧
ファンタジー
「武闘家貴族」「脳筋貴族」と呼ばれていた元子爵令嬢のマリアンネ。 友人に騙され多額の借金を作った脳筋父のせいで、屋敷、領土を差し押さえられ事実上の没落となり、その借金を返済する為、城で侍女の仕事をしつつ得意な武力を活かし副業で「便利屋」を掛け持ちしながら借金返済の為、奮闘する毎日。 マリアンネに執着するオネエ王子やマリアンネを取り巻く人達と様々な試練を越えていく。借金返済の為に…… そんなある日、便利屋の上司ゴリさんからの指令で幽霊屋敷を調査する事になり…… 武闘家令嬢と呼ばれいたマリアンネの、借金返済までを綴った物語

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

処理中です...