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大玄関の大きな扉を開けて、四人は外に出た。
扉の外に広がる雪原の世界は、光にあふれているように感じた。あまりに城内が暗かったからだ。舞っている雪は、弱まっていた。寒さもあまり感じない。
見あげてみると、空に浮かんでいる逆さまの城下街がはっきりと見えた。宙を舞っている雪が減ったからだろう。粉雪に濁っていたほうが良かったと、見あげながらラトスは息を吐いた。街の姿がはっきりと見えすぎて、落ちてきそうに思えたからだ。
「圧迫感が、すごいですね」
ラトスが思っていたことを、メリーが言った。
隣で逆さまの街を見あげているメリーを見て、そうだなとラトスは同意した。
ふり返ると、雪に半分埋もれた小さな家があった。
大玄関から外に出た時は大きな扉だったが、外から見る扉は、小さく、みすぼらしかった。まったく高さも幅も違うのに、扉をくぐった時は何も違和感がなかったなとラトスは不思議に感じた。夢の世界だと分かっていても、奇妙なものはなかなか慣れない。
「どこから、元の世界に戻れるのですか?」
メリーの傍からはなれないフィノアが、ラトスの顔をのぞきこむようにして言った。
当然の質問だ。フィノアの問いに、ラトスはしばらく沈黙した。どうすれば現の世界にもどれるか、ラトスは知らなかった。来たのだから、帰れる。漠然とそう思っていただけだった。
寝て、夢を見て、ここに来たわけではない。目を覚ませば帰れるという簡単なことではないだろう。となると、転送で現の世界に帰るのだろうか。
夢の世界にわたってきてから、さんざん転送を繰り返してきた。すべての転送がそうではないが、転送中の感覚はだいたい同じである。身体の感覚が消えて、意識だけになるのだ。
意識だけになる感覚を最初に味わったのは、森の中にある不思議な沼だった。
不思議な砂粒に合言葉を言って光につつまれたあの現象も転送なのだとしたら、出入口はひとつだ。
「あの石室に、行ってみよう」
「石室って、最初の、何もなかった、大きな部屋ですか?」
メリーが首をかしげて言う。確証はなかったが、ラトスはうなずいてみせた。
「メリーたちも、あそこに行ったのです?」
驚いた声をあげて、フィノアが言った。つまり王女も石室に行ったということだ。ただただ広く何もない石室だったが、特別な場所なのかもしれない。メリーはフィノアにうなずいてみせると、少女はわずかに安心したような表情になった。
フィノアは、一人でここまで来たのだ。二人で相談しながら歩き回ってきたラトスとメリーとは、違う。心細かったに違いなく、やっと自分の夢の世界にたどり着いて、自身のセウラザに出会った時は安堵もしただろう。妙に自身のセウラザを気にかけているのは、依存心ができてしまったからかもしれない。
「石室、というのは、≪現を覗く間≫のことだろうか?」
三人の話を聞いていたセウラザが、声をはさんだ。
「≪現を覗く間≫?」
ラトスはセウラザにふり返って、首をかしげながら聞き返した。メリーとフィノアもつづいて、セウラザの顔を見る。
「そうだ。部屋の中央に、光る石が刺さっている場所だが」
「……確かに刺さっていたな。光った、杭のようなものが」
「それならば、おそらく、現を覗く間だろう。そこへ行くのだな?」
セウラザが再度確認すると、ラトスは短く返事をしてうなずいた。
むしろ、他の選択肢を思いつかなかった。草原までもどったら、ペルゥに相談してみても良いかもしれない。
行先が決まると、四人は雪原を歩きだした。
宙を舞う雪のいきおいは弱かったが、降り積もった雪はまだ深い。地図になっているであろう逆さまの城下街の道から少し外れただけで、突然膝上まで雪に埋まったりもする。
草原への出入り口は、フィノアしか分からない。
フィノアは何度も逆さまの城下街を見あげて、位置を確認していた。夢魔によって意識を失う前の記憶をたどっているのだろうから、あまり覚えていないのかもしれない。不安そうな顔をしながら、少女はゆっくりと足を進めていた。
来た時ほど寒さを感じなかったので、ゆっくりとした行進でも苦にはならなかった。
苦になったとしても、フィノアの案内がなければこの広い雪原を延々と探し回ることになるのだ。ラトスはいつもの歩幅の半分以下で歩いていたが、黙って少女の後に付いていった。
フィノアの隣からはなれないようにしているメリーは、雪原の風景を存分に楽しんでいるようだった。
肩の荷が下りて、純粋に景色を楽しむ余裕ができたのかもしれない。時々、険しい表情をしているフィノアに話しかけたり、セウラザに夢の世界の説明をしてもらったりしていた。まるで観光に来たかのようだが、重苦しい雰囲気になるよりは良い。
「溶けない雪って、綺麗ですよね」
不意に、メリーがラトスに話しかけてきた。
「そうか? 冷たいだけだが……」
「えええ……。つまらないですー。童心を無くしたおじさんみたいですよ」
「……おじ、さん」
当然のおじさん呼ばわりに、ラトスは固まった。これでも、まだ二十六なのだ。メリーやフィノアに比べればずいぶん年上なのかもしれないが、まさか、おじさんと呼ばれる日が来ようとは思わず、ラトスはにがい顔をした。
「雪が好きじゃない奴も、いるだろう?」
実際、ラトスは雪が好きではなかった。傭兵時代に雪中行軍の経験もあって、にがい記憶がよみがえってくる。雪は、死に直結しているように見えるのだ。
「それは、そうですけど」
メリーは雪景色を見ながら、釈然としない表情をした。苦労を知らない、子供の表情だ。それはそれで良いと、ラトスは思った。
「でも、確かに、あの小さな家に辿り着くまでは、寒かったですね」
「そうだろう」
「ラトスさんが一番寒そうでしたしね」
「……まあ。そうだな」
メリーも寒そうにはしていたが、それ以上に自分のほうが身体を冷やしているのは自覚していた。手足の感覚などは、ほとんど無くなっていたぐらいだ。その時に比べれば、今はずいぶんと楽だった。暖かいわけではないが、歩いていれば身体が冷えることはない。
夢魔に囚われていたフィノアの意識がもどったことに、多少関係があるのだろうか。もしかすると、少女のセウラザが元通りになれば、春になったりするのだろうか。
どこまで歩いても、銀世界が広がっていた。
逆さまの城下街を見あげる。中心のエイスガラフ城からは、ずいぶんはなれたようだ。わずかに舞っている粉雪が、城をぼんやりと濁らせていた。
真上は、そろそろ街を囲う城壁に差しかかろうとしていた。
「……この辺りだと思うのですが」
そう言いながら、フィノアは辺りを見回しはじめた。
ラトスの夢の世界と同じだとすれば、草原に転送できる転送石は白い柱のはずだ。周囲は一面真っ白なので、探すのは苦労しそうに思えた。もし小さな家と同様に雪の中に埋まっているとすれば、苦労どころではない。
「……風で、吹き飛ばします?」
メリーが銀色の細剣をぬいて、雪原を見回しながら言った。
「いや。それは最後の手段だ」
雪を吹き飛ばすつもりで白い柱も吹き飛ばしてしまったら、厄介なことになる。小さな家を掘りだしたときのように慎重に雪を取り除ければいいが、どこに何があるか分からない状態なのだ。端から吹き飛ばしていくという手段すら、この状況にはない。
「もう少し探そうか」
「そうですね。大きな柱ですし、簡単には埋まらないかも……?」
メリーの言葉は、もっともだった。人の背よりも高い柱なのだから、埋まっていたとしても目に付くだろう。道から逸れたところになければ、見つけられるはずだ。
道から外れないように逆さまの城下街を見あげ、歩き回る。埋もれてしまったかもしれない柱を見落とさないよう、上下に見渡すのは、なかなかに面倒だった。夢の世界だからか疲れはしなかったが、現の世界なら首を痛めていただろう。ただ、四人で手分けして頭をがくがくと上下に振っている様は、無様以外のなにものでもない。
そのうちに、だいぶはなれたところまで進んでいたセウラザが声をあげた。
見ると、そこは逆さまの城下街の城壁を越えたぐらいの場所だった。セウラザが指差す先には、小さな丘があった。不思議なことに、丘の周囲だけ粉雪がいきおいよく舞っていた。
「まるで、わざと隠してるかのようだな」
ラトスが言うと、フィノアは小さくうつむいた。
意識して隠しているわけではないだろうから、気に病むことは何もない。だが、帰りたくないという気持ちが反映されている可能性もある。フィノアの様子を見るかぎり、心当たりはあるのだろう。
「メリーさん。出番だぞ」
「任せてください!」
メリーはいきおいよく剣をぬきはなって、剣先を小さな雪の丘に向けた。巻きこまれないように、セウラザが遠くに避難しているのが見える。
「行きますよ」
「頼む」
ラトスの声を受けて、メリーはじわりと剣に力をこめた。風が舞い、銀色の細剣に吸いこまれていく。剣身がわずかに輝いて、柄頭の赤い宝石の光がかすかにゆれた。
剣先から風の渦が生まれる。
メリーの背後に立っていたフィノアは目を丸くして、驚いた声をあげた。
フィノアの声を背中に受けて、メリーはかすかに肩をゆらした。剣先の風の渦が、大きくなって、ゆっくりと前方に飛びだしていく。
光る風の渦は、小さな家をおおっていた雪を吹き飛ばしたときより安定しているように見えた。あっという間に雪の丘のふもとにたどり着き、端のほうから雪を散らしていく。
「メリーが、このような力を使えるなんて……」
フィノアは長く息を吐きながら、感心したように言った。
「本当だな」
「クロニスさんも、出来るのですか?」
「いや。出来ない。あんなことが出来るのは、メリーだけだ」
「……そう……なのですね」
剣先と光る風の渦をじっと見て集中しているメリーの背中を、フィノアもじっと見た。意外な姿だと思ったのだろうか。彼女と出会う前の姿を知らないので分からないが、少なくとも魔法を使っているメリーを見たのは初めてだろう。
ラトスとフィノアが話をしている間に、雪の丘は半分ほどに削られていた。中心部を削ると危ないと思ったのか、光る風の渦は反対側に回りこんで、雪の丘を削りだしている。
「器用なものだ」
ラトスは素直に驚いて、息を吐いた。
「メリーは、器用ですよ。時々、大失敗するだけで」
「そうなのか」
「ええ。城中の剣術大会でも、上位を獲りましたから」
「……そうなのか」
意外な情報だった。賢くはないが、感覚だけで昇り詰める者は、時々いる。メリーがそうだとは思わなかったが、目の前の光景を見るかぎり、否定はできなかった。フィノアは、従者であるメリーにずいぶん懐いているようだ。それは、彼女にそれなりの実力があるから慕っているのだろうと理解した。
光る風の渦が、散りはじめた。
小さな雪の丘は、ほとんど消えていた。中心部はいくらか雪が残っていたが、雪の白とは別の何かが姿を現していた。
削られた丘の周囲を舞っている粉雪のいきおいは、弱まっていなかった。のんびりとしていると、またおおい尽くされてしまいそうだ。
「行こう」
ラトスが言うと、フィノアは小さくうなずいてメリーの隣に走り寄った。
メリーは息を吐いて、剣を鞘に納めていた。顔に疲れが見える。集中していたのだろう。フィノアもメリーの疲労を察したらしく、彼女の身体を支えるようにほそい腕を背中に回した。
「ずいぶんと上手く、操れるようになったな」
メリーの後ろから声をかけると、彼女はふり返って笑顔を見せた。かすかに寂しそうな雰囲気があったが、実際寂しいのだとすぐに分かった。
「もう、これが最後だと思いますから」
「そうだな……。もう、来ることはないかもしれない」
現の世界にもどれば、もう自らの意思で夢の世界に来れるかは分からない。また森に行こうにも、長い間行方不明になった王女は気軽に外出できなくなるだろう。
ラトスに至っては、間違いなく二度とこの世界にもどることはない。
「草原に戻ったら、ペルゥが待ってるぞ」
「ですね……。ペルゥとも、もうお別れですけど」
励ますつもりが、余計に落ち込ませる言葉を選んでしまったようだ。メリーはあからさまにがっかりとして、肩を落とした。
ラトスは、メリーから、雪の丘の下から現れた白い何かに目を向けた。残っている雪をセウラザが払いのけている。間違いなく、転送石の白い柱だった。
メリーの肩を軽くたたくと、ラトスは白い柱に向かって歩いていった。メリーはしばらく肩を落としていたが、フィノアが背中を小突いたので、顔をあげた。
「ペルゥっていう、その腕輪から聞こえてくる声の子。私も会ってみたいわ」
メリーの顔を下からのぞきこんで、フィノアは笑ってみせた。
気を遣わせてしまったことに気付いて、メリーはあわてた。感傷的になっていることに自分で気付いていなかったのだ。メリーは両手をせわしなく動かすと、急いで笑顔を作ってみせた。
「ペルゥは、すごく可愛いですよ」
「そうなの? 期待してしまうわ」
「ふふ。期待、してください!」
そう言って、メリーはフィノアの手を取った。
白い柱の前で、先に行ったラトスがこちらを見ている。メリーは手を大きくふって、フィノアと一緒に歩きだした。
扉の外に広がる雪原の世界は、光にあふれているように感じた。あまりに城内が暗かったからだ。舞っている雪は、弱まっていた。寒さもあまり感じない。
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「圧迫感が、すごいですね」
ラトスが思っていたことを、メリーが言った。
隣で逆さまの街を見あげているメリーを見て、そうだなとラトスは同意した。
ふり返ると、雪に半分埋もれた小さな家があった。
大玄関から外に出た時は大きな扉だったが、外から見る扉は、小さく、みすぼらしかった。まったく高さも幅も違うのに、扉をくぐった時は何も違和感がなかったなとラトスは不思議に感じた。夢の世界だと分かっていても、奇妙なものはなかなか慣れない。
「どこから、元の世界に戻れるのですか?」
メリーの傍からはなれないフィノアが、ラトスの顔をのぞきこむようにして言った。
当然の質問だ。フィノアの問いに、ラトスはしばらく沈黙した。どうすれば現の世界にもどれるか、ラトスは知らなかった。来たのだから、帰れる。漠然とそう思っていただけだった。
寝て、夢を見て、ここに来たわけではない。目を覚ませば帰れるという簡単なことではないだろう。となると、転送で現の世界に帰るのだろうか。
夢の世界にわたってきてから、さんざん転送を繰り返してきた。すべての転送がそうではないが、転送中の感覚はだいたい同じである。身体の感覚が消えて、意識だけになるのだ。
意識だけになる感覚を最初に味わったのは、森の中にある不思議な沼だった。
不思議な砂粒に合言葉を言って光につつまれたあの現象も転送なのだとしたら、出入口はひとつだ。
「あの石室に、行ってみよう」
「石室って、最初の、何もなかった、大きな部屋ですか?」
メリーが首をかしげて言う。確証はなかったが、ラトスはうなずいてみせた。
「メリーたちも、あそこに行ったのです?」
驚いた声をあげて、フィノアが言った。つまり王女も石室に行ったということだ。ただただ広く何もない石室だったが、特別な場所なのかもしれない。メリーはフィノアにうなずいてみせると、少女はわずかに安心したような表情になった。
フィノアは、一人でここまで来たのだ。二人で相談しながら歩き回ってきたラトスとメリーとは、違う。心細かったに違いなく、やっと自分の夢の世界にたどり着いて、自身のセウラザに出会った時は安堵もしただろう。妙に自身のセウラザを気にかけているのは、依存心ができてしまったからかもしれない。
「石室、というのは、≪現を覗く間≫のことだろうか?」
三人の話を聞いていたセウラザが、声をはさんだ。
「≪現を覗く間≫?」
ラトスはセウラザにふり返って、首をかしげながら聞き返した。メリーとフィノアもつづいて、セウラザの顔を見る。
「そうだ。部屋の中央に、光る石が刺さっている場所だが」
「……確かに刺さっていたな。光った、杭のようなものが」
「それならば、おそらく、現を覗く間だろう。そこへ行くのだな?」
セウラザが再度確認すると、ラトスは短く返事をしてうなずいた。
むしろ、他の選択肢を思いつかなかった。草原までもどったら、ペルゥに相談してみても良いかもしれない。
行先が決まると、四人は雪原を歩きだした。
宙を舞う雪のいきおいは弱かったが、降り積もった雪はまだ深い。地図になっているであろう逆さまの城下街の道から少し外れただけで、突然膝上まで雪に埋まったりもする。
草原への出入り口は、フィノアしか分からない。
フィノアは何度も逆さまの城下街を見あげて、位置を確認していた。夢魔によって意識を失う前の記憶をたどっているのだろうから、あまり覚えていないのかもしれない。不安そうな顔をしながら、少女はゆっくりと足を進めていた。
来た時ほど寒さを感じなかったので、ゆっくりとした行進でも苦にはならなかった。
苦になったとしても、フィノアの案内がなければこの広い雪原を延々と探し回ることになるのだ。ラトスはいつもの歩幅の半分以下で歩いていたが、黙って少女の後に付いていった。
フィノアの隣からはなれないようにしているメリーは、雪原の風景を存分に楽しんでいるようだった。
肩の荷が下りて、純粋に景色を楽しむ余裕ができたのかもしれない。時々、険しい表情をしているフィノアに話しかけたり、セウラザに夢の世界の説明をしてもらったりしていた。まるで観光に来たかのようだが、重苦しい雰囲気になるよりは良い。
「溶けない雪って、綺麗ですよね」
不意に、メリーがラトスに話しかけてきた。
「そうか? 冷たいだけだが……」
「えええ……。つまらないですー。童心を無くしたおじさんみたいですよ」
「……おじ、さん」
当然のおじさん呼ばわりに、ラトスは固まった。これでも、まだ二十六なのだ。メリーやフィノアに比べればずいぶん年上なのかもしれないが、まさか、おじさんと呼ばれる日が来ようとは思わず、ラトスはにがい顔をした。
「雪が好きじゃない奴も、いるだろう?」
実際、ラトスは雪が好きではなかった。傭兵時代に雪中行軍の経験もあって、にがい記憶がよみがえってくる。雪は、死に直結しているように見えるのだ。
「それは、そうですけど」
メリーは雪景色を見ながら、釈然としない表情をした。苦労を知らない、子供の表情だ。それはそれで良いと、ラトスは思った。
「でも、確かに、あの小さな家に辿り着くまでは、寒かったですね」
「そうだろう」
「ラトスさんが一番寒そうでしたしね」
「……まあ。そうだな」
メリーも寒そうにはしていたが、それ以上に自分のほうが身体を冷やしているのは自覚していた。手足の感覚などは、ほとんど無くなっていたぐらいだ。その時に比べれば、今はずいぶんと楽だった。暖かいわけではないが、歩いていれば身体が冷えることはない。
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真上は、そろそろ街を囲う城壁に差しかかろうとしていた。
「……この辺りだと思うのですが」
そう言いながら、フィノアは辺りを見回しはじめた。
ラトスの夢の世界と同じだとすれば、草原に転送できる転送石は白い柱のはずだ。周囲は一面真っ白なので、探すのは苦労しそうに思えた。もし小さな家と同様に雪の中に埋まっているとすれば、苦労どころではない。
「……風で、吹き飛ばします?」
メリーが銀色の細剣をぬいて、雪原を見回しながら言った。
「いや。それは最後の手段だ」
雪を吹き飛ばすつもりで白い柱も吹き飛ばしてしまったら、厄介なことになる。小さな家を掘りだしたときのように慎重に雪を取り除ければいいが、どこに何があるか分からない状態なのだ。端から吹き飛ばしていくという手段すら、この状況にはない。
「もう少し探そうか」
「そうですね。大きな柱ですし、簡単には埋まらないかも……?」
メリーの言葉は、もっともだった。人の背よりも高い柱なのだから、埋まっていたとしても目に付くだろう。道から逸れたところになければ、見つけられるはずだ。
道から外れないように逆さまの城下街を見あげ、歩き回る。埋もれてしまったかもしれない柱を見落とさないよう、上下に見渡すのは、なかなかに面倒だった。夢の世界だからか疲れはしなかったが、現の世界なら首を痛めていただろう。ただ、四人で手分けして頭をがくがくと上下に振っている様は、無様以外のなにものでもない。
そのうちに、だいぶはなれたところまで進んでいたセウラザが声をあげた。
見ると、そこは逆さまの城下街の城壁を越えたぐらいの場所だった。セウラザが指差す先には、小さな丘があった。不思議なことに、丘の周囲だけ粉雪がいきおいよく舞っていた。
「まるで、わざと隠してるかのようだな」
ラトスが言うと、フィノアは小さくうつむいた。
意識して隠しているわけではないだろうから、気に病むことは何もない。だが、帰りたくないという気持ちが反映されている可能性もある。フィノアの様子を見るかぎり、心当たりはあるのだろう。
「メリーさん。出番だぞ」
「任せてください!」
メリーはいきおいよく剣をぬきはなって、剣先を小さな雪の丘に向けた。巻きこまれないように、セウラザが遠くに避難しているのが見える。
「行きますよ」
「頼む」
ラトスの声を受けて、メリーはじわりと剣に力をこめた。風が舞い、銀色の細剣に吸いこまれていく。剣身がわずかに輝いて、柄頭の赤い宝石の光がかすかにゆれた。
剣先から風の渦が生まれる。
メリーの背後に立っていたフィノアは目を丸くして、驚いた声をあげた。
フィノアの声を背中に受けて、メリーはかすかに肩をゆらした。剣先の風の渦が、大きくなって、ゆっくりと前方に飛びだしていく。
光る風の渦は、小さな家をおおっていた雪を吹き飛ばしたときより安定しているように見えた。あっという間に雪の丘のふもとにたどり着き、端のほうから雪を散らしていく。
「メリーが、このような力を使えるなんて……」
フィノアは長く息を吐きながら、感心したように言った。
「本当だな」
「クロニスさんも、出来るのですか?」
「いや。出来ない。あんなことが出来るのは、メリーだけだ」
「……そう……なのですね」
剣先と光る風の渦をじっと見て集中しているメリーの背中を、フィノアもじっと見た。意外な姿だと思ったのだろうか。彼女と出会う前の姿を知らないので分からないが、少なくとも魔法を使っているメリーを見たのは初めてだろう。
ラトスとフィノアが話をしている間に、雪の丘は半分ほどに削られていた。中心部を削ると危ないと思ったのか、光る風の渦は反対側に回りこんで、雪の丘を削りだしている。
「器用なものだ」
ラトスは素直に驚いて、息を吐いた。
「メリーは、器用ですよ。時々、大失敗するだけで」
「そうなのか」
「ええ。城中の剣術大会でも、上位を獲りましたから」
「……そうなのか」
意外な情報だった。賢くはないが、感覚だけで昇り詰める者は、時々いる。メリーがそうだとは思わなかったが、目の前の光景を見るかぎり、否定はできなかった。フィノアは、従者であるメリーにずいぶん懐いているようだ。それは、彼女にそれなりの実力があるから慕っているのだろうと理解した。
光る風の渦が、散りはじめた。
小さな雪の丘は、ほとんど消えていた。中心部はいくらか雪が残っていたが、雪の白とは別の何かが姿を現していた。
削られた丘の周囲を舞っている粉雪のいきおいは、弱まっていなかった。のんびりとしていると、またおおい尽くされてしまいそうだ。
「行こう」
ラトスが言うと、フィノアは小さくうなずいてメリーの隣に走り寄った。
メリーは息を吐いて、剣を鞘に納めていた。顔に疲れが見える。集中していたのだろう。フィノアもメリーの疲労を察したらしく、彼女の身体を支えるようにほそい腕を背中に回した。
「ずいぶんと上手く、操れるようになったな」
メリーの後ろから声をかけると、彼女はふり返って笑顔を見せた。かすかに寂しそうな雰囲気があったが、実際寂しいのだとすぐに分かった。
「もう、これが最後だと思いますから」
「そうだな……。もう、来ることはないかもしれない」
現の世界にもどれば、もう自らの意思で夢の世界に来れるかは分からない。また森に行こうにも、長い間行方不明になった王女は気軽に外出できなくなるだろう。
ラトスに至っては、間違いなく二度とこの世界にもどることはない。
「草原に戻ったら、ペルゥが待ってるぞ」
「ですね……。ペルゥとも、もうお別れですけど」
励ますつもりが、余計に落ち込ませる言葉を選んでしまったようだ。メリーはあからさまにがっかりとして、肩を落とした。
ラトスは、メリーから、雪の丘の下から現れた白い何かに目を向けた。残っている雪をセウラザが払いのけている。間違いなく、転送石の白い柱だった。
メリーの肩を軽くたたくと、ラトスは白い柱に向かって歩いていった。メリーはしばらく肩を落としていたが、フィノアが背中を小突いたので、顔をあげた。
「ペルゥっていう、その腕輪から聞こえてくる声の子。私も会ってみたいわ」
メリーの顔を下からのぞきこんで、フィノアは笑ってみせた。
気を遣わせてしまったことに気付いて、メリーはあわてた。感傷的になっていることに自分で気付いていなかったのだ。メリーは両手をせわしなく動かすと、急いで笑顔を作ってみせた。
「ペルゥは、すごく可愛いですよ」
「そうなの? 期待してしまうわ」
「ふふ。期待、してください!」
そう言って、メリーはフィノアの手を取った。
白い柱の前で、先に行ったラトスがこちらを見ている。メリーは手を大きくふって、フィノアと一緒に歩きだした。
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仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
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