上 下
42 / 92
雪に閉じ

冷徹からはじまる

しおりを挟む
   ≪雪に閉じる≫


 突然、メリーが前方を指差した。
 
 彼女の指の先に、目を送ってみる。
 薄暗い空間に、黒い石畳の道が延びていた。遠くは、陽炎のようにゆらめいている。ゆれる道の先に、途切れたように見える場所があった。

「出口ですよね!?」

 走りながら、メリーが嬉々とした声で叫んだ。

「そのようだ」

 道の終わりを見て、セウラザはうなずく。
 セウラザの同意に、メリーはペルゥと顔を見合わせた。ペルゥは瞳を輝かせて、彼女に笑顔を見せる。メリーは顔を明るくさせて、跳ねるように走りだした。

 だが、出口らしき道の終わりは、予想以上に遠かった。
 上下左右に曲がりくねった道がつづいている。やっと見えた出口は、何度も薄暗い空間に溶けて見えなくなったり、陽炎のように現れたりを繰り返すのだった。
 メリーは、出口が見えなくなるたびに悲しい表情になり、また見えるようになると、子供のように嬉々として騒ぐのを繰り返した。

 その間にも、夢魔の群れは何度もおそいかかってくる。
 幸いにも、走りつづけているうちにセウラザは戦う力を取りもどしていた。メリーは夢魔の見た目に臆することなく、戦うことに慣れてきている。悪夢の回廊に入ったばかりの時とは比べ物にならないほど、夢魔の殲滅は楽になっていた。

 巨大な夢魔も、悲嘆の夢魔の後には現れていない。危機的な状況に陥ることは、ほぼ無くなっていた。

 ラトスは、短剣の剣身を伸ばす。
 目の前にせまっていた夢魔の身体に、黒い短剣を突き立てた。びくりとふるえる夢魔を、乱暴に横へ薙ぎ払う。
 夢魔の身体は、黒い短剣に引き裂かれながら黒い塵を噴きだした。千切れた身体の一部が飛んでいく。
 虫のような形をした夢魔だが、ずいぶんと軽い身体だ。黒い塵となって消えていく夢魔を見て、ラトスは思った。
 自分が強くなったのだろうかとも思ったが、身体を動かしてみてもそんな感じはしない。度重なる夢魔との戦いで、祓いの力なるものを使い慣れてきたのだろうか。しかし、それも目に見えるものではない。結局、自分ではよく分からなかった。

 虫のような夢魔を殲滅し、またしばらく走りつづける。目の前に、黒い石畳の道の終わりが見えてきた。陽炎のようにゆれている道の終わりまでは、ほぼ一直線となった。

「着いたようだな」

 ラトスがため息混じりに言う。
 隣を走っていたメリーも複雑そうな表情でうなずいた。長かったですと、声をこぼす。

 進むほどに、道の終わりははっきりと見えてきた。
 道の突き当りには、悪夢の回廊に入った時と同じように、ぽつりと不思議な泉がある。変わり映えのない道を走りつづけていた彼らにとっては、飛び跳ねて喜びたくなるほどの大きな変化だ。緊張感が切れて、崩れ落ちてしまうのではないか。ラトスは、安堵する気持ちを拭いきれなかった。

「やっと、ここまで……」

 メリーは不思議な泉の前まで来ると、膝から崩れ落ち、倒れた。
 飛び跳ねて喜ぶのを想像していたが、自分と同じ気持ちだったのだろうと、ラトスは苦笑いした。ずいぶんといきおいよく倒れたので、あわててペルゥが彼女の頭の近くまで飛んでいく。心配そうに彼女の顔をのぞきこんだ。

「大丈夫? メリー」
「ごめんなさい。ちょっと……足がもつれちゃって」
「頑張ったもんね。すごいよ!」

 ペルゥはそう言いながら、メリーからラトスに視線を移し、にやりと笑った。
 何か言ってやれということなのだろうか。ラトスはペルゥの視線を払いのけるように手をふると、倒れこんだメリーに手を伸ばしてみせた。

「……やったな」
「はい……! やりましたね!」

 差し伸べられた手につかまって、メリーはふらつきながら身体を起こした。
 衣服に付いた黒い塵を、ぱたぱたと払い落とす。メリーの様子を見てペルゥは満足したのか、ふわりと浮きあがって彼女の肩の上に飛び乗った。

「今のうちに扉を開けてもらおう」

 ラトスの後ろから、セウラザの声が聞こえた。
 ふり返ると、不思議な泉のそばでセウラザが辺りを見回していた。
 釣られてラトスも辺りを見回す。周囲には、夢魔の影はなかった。今なら、安全に扉を開くことができるだろう。

「そうだな。行こう。休むにしても、この先のほうがいい」

 ラトスはうなずく。後ろをふり返り、メリーに手招きをした。
 彼女はラトスの手招きに気付くと、小さくうなずいてから、小走りに近寄ってきた。

「メリーとラトスが先に入ってよ。ボクはセウラザと一緒に、後ろを見ているから」

 ペルゥはそう言うと、メリーの肩から飛びあがった。
 弧を描くように、不思議な泉の前まで飛んでいく。泉の淵に降り立つと、小さな前足で水面をたたいた。

 水面をたたいたことで幾重にも広がった波紋が、次第に大きく波を立たせていく。
 泉に広がった大きな波は、徐々に中心に集まりはじめた。どくんと脈打つように、波が中心に沈む。ラトスとメリーが沈んだ部分をのぞきこむと、人の目のようなものが見えた。目はしばらく上下左右を見回す。何度かまたたきをすると、静かに閉じて、泉の底に消えていった。同時に、不思議な泉の中心から水が湧きあがりはじめた。ゆっくりと隆起して、大きな水の球体が水面の上に浮かびあがっていく。

 浮かびあがった水の球体は、表面を波立たせながら水面の上に降りた。
 水の球体の動きに合わせて、不思議な泉の水面は、幾重も波紋を広げる。水の波は、泉を取り囲んでいる石の淵に何度も打ち付けた。

 やがて水の球体が、ゆっくりと凹みはじめた。
 凹んだところは徐々に広がっていく。ついには大きな穴を開けて、球体は大きな水の輪になった。

「じゃあ、先に行く」
「待ってますね」

 ラトスとメリーが、泉の石の淵に足をかける。
 メリーは一度ふり返り、セウラザとペルゥに手をふった。

「ああ。すぐに行く」
「待っててねー!」

 セウラザとペルゥがうなずく。
 彼らの様子を見届けて、最初にラトスが水の輪に飛びこんだ。
 水の輪に張った薄い膜は、ラトスの身体を音もなく吸いこんだ。メリーはラトスが水の輪の反対側に飛びだしていないかどうか、左右に首をふって確認する。間を置いて、メリーは唾を飲みこんだ。石の淵を蹴り、水の輪に飛びこんでいく。

 残ったセウラザとペルゥは、辺りを警戒しながら不思議な泉に近寄った。

「気付いてる?」

 泉のそばまで来てから、ペルゥがセウラザに声をかけた。その声は、いつもの陽気な声色ではなかった。静かで、冷たい声だ。

「何をだ」

 セウラザは足を止め、ふり返った。
 ペルゥは、じっとセウラザの顔をのぞきこむようにして飛んでいた。小さな前足と後ろ足、三本の尻尾をだらりと垂らしている。セウラザをにらむようにしている目だけが、鈍く、力強く、光っていた。

「ラトスのことだよ」
「……ああ」
「あれは、よくない」
「そうだな」
「分かってるなら、いいけど」

 冷たい声でペルゥは言い、目をほそめた。瞳の奥に、鈍い光がゆれている。
 セウラザは、ペルゥの目の光を見て静かにうなずいた。

「あのままだと、ラトスは長く持たない」

 うなずくセウラザを見て、ペルゥはゆっくりと前進する。セウラザの顔の横をとおりすぎながら、冷たい視線を彼に向けた。

 ペルゥの声は、冷たく、重たい。
 セウラザは目をほそめ、泉をじっと見るのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方

ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。 注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

転生調理令嬢は諦めることを知らない

eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。 それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。 子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。 最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。 八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。 それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。 また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。 オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。 同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。 それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。 弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。  主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。  追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。  2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

処理中です...