上 下
57 / 72

◇守りたい①

しおりを挟む
***

『次の休みはいつ?』

 事件があった数日後のお昼休憩の時間、日下さんから突然電話がかかってきた。
 どうやら日下さんは私の引越し先を探してくれていたみたいで、良い物件が見つかったから一緒に見に行かないかと提案してくれた。
 目星をつけてくれたのは、勤務先から程近いマンションだそうだ。

『手付けを打っても良かったんだが……俺が勝手に決めるわけにもいかないだろ? 住むのは君なんだから』

 そんな当然のことを口にする日下さんの言葉がおかしくて、フッと電話口でほくそ笑む。

 事件があった日。
 同情と心配の気持ちから、彼がホテルの部屋を用意してくれた。
 何泊でも泊まっていいと言ってくれていたけれど、私は翌日から樹里のマンションに居候させてもらっている。
 新しく住むところを決めたら、引越業者を手配して速やかにそちらに移るつもりだ。
 だけど親友宅の居心地の良さに甘え、私はあまりあせってはいなかった。

 樹里が一緒に物件探しを手伝うと言ってくれていたけれど……彼女も仕事が忙しい。
 その上、会社員の樹里と販売員の私では基本的に休みが合わない。
 日にちを合わせて一緒に物件を見て回るとなると、いつになることやら。
 だから、不動産屋にはひとりで行くつもりだった。
 良い物件があれば内見させてもらい、話を持ち帰って樹里に相談すればいい。

 日下さんにはもう会わないつもりでいた。
 あの事件の夜、最後にしようと決めたから。
 だから十年も前の、笑われそうな思い出話までしたのだ。

 これ以上日下さんと一緒にいたら離れられなくなりそうで怖い。
 不倫でもいいから、ずっと二番目の女でもいいからと、彼にすがってしまいそう。
 そんなのはやっぱりダメだ。
 公序良俗に反するだとか、真面目すぎることを言うつもりはないけれど。
 最初はただ一緒にいたいという気持ちだとしても、いつの間にか彼を独占したい気持ちに変わってしまうかもしれない。
 貪欲で厚顔無恥な女には絶対にならないとは言い切れないのだ。
 日陰の身で不毛な関係をずっと続けられるほど、私は強くいられないと思う。

『知り合いの不動産屋が隠し持ってた物件なんだ。わけありでもないのに家賃も安い。一緒に見に行ってみないか?』

 日下さんはどうしてここまで私によくしてくれるのだろう。

 もしかして……私と都合よく身体だけの関係になりたいのかな?
 いや、ありえない。それならこの前会った夜になにか仕掛けてきてもおかしくなかった。ホテルの部屋でふたりきりだったのだから。

 だけど日下さんは私に指一本触れなかった。
 ツインで並べられた隣のベッドで横になり、結局朝まで一緒にいてくれた。
 だから彼にそういう気はないのだろう。
 それに私じゃなくても、彼とそういう関係になりたい女性は探せばいくらでもいそうだ。
 日下さんがほかの女性を抱きしめて首筋にキスを落とすところを想像し、あわててその妄想を頭からかき消した。
 たったそれだけの妄想で、胸が締め付けられるようにギシギシと痛い。

「日下さん、私も仕事がありますし……」
『悠長にそんなことを言ってたら、優良物件がよそに流れてしまう』
「はぁ……でも……」
『あんな良い物件はほかにない。逃してもいいんだな?』

 まるで脅されているみたいだ。
 そこまで言われると、ものすごく惜しくなってくる。
 新しい住み家を探しているのは事実だし、もちろん良い物件のほうがいいに決まっている。

『わかった。俺が代わりに見て、問題がないなら手付けを打っておく』
「え?!」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

デキナイ私たちの秘密な関係

美並ナナ
恋愛
可愛い容姿と大きな胸ゆえに 近寄ってくる男性は多いものの、 あるトラウマから恋愛をするのが億劫で 彼氏を作りたくない志穂。 一方で、恋愛への憧れはあり、 仲の良い同期カップルを見るたびに 「私もイチャイチャしたい……!」 という欲求を募らせる日々。 そんなある日、ひょんなことから 志穂はイケメン上司・速水課長の ヒミツを知ってしまう。 それをキッカケに2人は イチャイチャするだけの関係になってーー⁉︎ ※性描写がありますので苦手な方はご注意ください。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※この作品はエブリスタ様にも掲載しています。

隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません

如月 そら
恋愛
旧題:隠れドS上司はTL作家を所望する! 【書籍化】 2023/5/17 『隠れドS上司の過剰な溺愛には逆らえません』としてエタニティブックス様より書籍化❤️ たくさんの応援のお陰です❣️✨感謝です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) 🍀WEB小説作家の小島陽菜乃はいわゆるTL作家だ。  けれど、最近はある理由から評価が低迷していた。それは未経験ゆえのリアリティのなさ。  さまざまな資料を駆使し執筆してきたものの、評価が辛いのは否定できない。 そんな時、陽菜乃は会社の倉庫で上司が同僚といたしているのを見てしまう。 「隠れて覗き見なんてしてたら、興奮しないか?」  真面目そうな上司だと思っていたのに︎!! ……でもちょっと待って。 こんなに慣れているのなら教えてもらえばいいんじゃないの!?  けれど上司の森野英は慣れているなんてもんじゃなくて……!? ※普段より、ややえちえち多めです。苦手な方は避けてくださいね。(えちえち多めなんですけど、可愛くてきゅんなえちを目指しました✨) ※くれぐれも!くれぐれもフィクションです‼️( •̀ω•́ )✧ ※感想欄がネタバレありとなっておりますので注意⚠️です。感想は大歓迎です❣️ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)💕

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

家族愛しか向けてくれない初恋の人と同棲します

佐倉響
恋愛
住んでいるアパートが取り壊されることになるが、なかなか次のアパートが見つからない琴子。 何気なく高校まで住んでいた場所に足を運ぶと、初恋の樹にばったりと出会ってしまう。 十年ぶりに会話することになりアパートのことを話すと「私の家に住まないか」と言われる。 未だ妹のように思われていることにチクチクと苦しみつつも、身内が一人もいない上にやつれている樹を放っておけない琴子は同棲することになった。

処理中です...