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第四章 神々の邂逅と偽りの錬金術師(アルケミスト)

第十話「賢者の石」

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 ハンス達の命運が尽きようとしていたその場所に突如姿を現したのは、メイド服を纏った一人の少女とその肩に乗る黒猫だった。


 その姿を認めた男爵は、


「貴様!何者だ!」


 と声を荒げたが、ランタンの灯りで照らし出された世にも美しい少女の姿を目にすると、怒りの表情が一気に崩れてその顔に下卑た笑いを浮かべた。


「これはこれは!なかなか美しい娘では無いか。こんなところに出くわすとは運の無い娘だ」


 そう言ってアリスの姿を上から下まで舐めまわすように眺めた。


 頭に中では何の想像をしているのか知れないが、既に服の上からでも分かる程に男爵の身体の一部が変化していた。


 一方、ハンスもまたアリスを見て驚きの表情を浮かべた。


「あんたは……!?」


 しかし当のアリスはそんな男爵とハンスには目もくれず、地面に倒れ伏しているローブの集団を見ると、


「……まだ、間に合いそうですね」


 そう言って天に向かって手を差し伸べた。


 アリスの手からは地面に倒れているローブの集団に対して金色の光が優しく降り注ぎ、その光景を男爵の従者たちとハンスは驚きの表情で見ていた。


 すると、どうした事か、それまで死んだように倒れ伏していたローブの男女が一人、二人と身を起こし、驚きの表情で自分達の身体を確かめ合った。


「みんな!」


 その様子を見たハンスは、仲間の元へ駆け寄り、一人一人の身体を確認して無事を喜んだ。


「俺達、どうしたんだ?もうダメだって思ったのに……」


「もう死んだと思ったのに、傷も無いわ。一体これは……?」


 改めて自分達の身体を確認して、先程受けた傷すら残っていない事を知ると、ハンスを含めて仲間たちは一様に驚きを隠せなかった。


一方、その様子を見た男爵は、


「な、なんだ!?それは!?お前、魔法を使うのか!?」


 先程まで呆けた顔で見ていたアリスの美しい顔を、一気に憎しみの色に染まった表情で睨みつけた。


 横に立つファブルスと他の従者たちは驚愕の表情を浮かべ、言葉すら出てこない雰囲気であった。


「貴様!いったい何者だ!」


 剣呑な雰囲気を漂わせて男爵がアリスに怒号を浴びせると、当の少女はそんな男爵の雰囲気を気に留める様子もなく、


「私はただの旅の美少女占い師です」


とだけ返した。


『……それ、もう定型文なんだね』


 若干呆れ気味につぶやくご主人様の言葉をスルーするアリスに、


「……ただの占い師がこんな所に何の用だ?ただの通りすがりではあるまい。ここはそんな場所では無いからな」


 男爵は警戒心を露にしながら問いの言葉を投げかける。


 ここはかつてハンスとエルミーナが連れ去られ、エルミーナが最後を遂げた森の奥だった。


 近辺では妖魔の跋扈する森として知られ、近づくものはいない。男爵たちは魔物よけの護符を用意し、この場に臨んでいるし、ハンスたちもまた例の男から同じものを与えられていた。そうでなければ、とても近寄れる場所ではなく、ましてこんな夜更けに立ち入るなど言語道断であった。


「あなた方が“石”と呼んでいるアレの件で私はここに来たのですよ」


 アリスがそう答えると、男爵とファブルスは再び驚愕の表情を浮かべて少女を凝視した。


「……貴様!何故“石”の事を知っている!?」


 そう問いかける男爵に対し、


「あなた方はアレが何なのか分かっているのですか?」


 アリスもまた男爵に問いを返した。


「貴様こそアレの何を知っている?アレは私に莫大な利益を生み出すものだぞ!アレはまだ誰も知らない秘密の宝物だとあの男は言ったのだ!一介の占い師風情が知っているものか!」


 自分のみが知り得た秘密、自分のみが手に入れた幸運をこんな小娘が知り得るはずが無いとタカを括った男爵はそう銀髪の少女に言葉を返したが、少女の次の一言で凍り付いた。


「……賢者の石」


「!!……貴様!何故その名前を知っている!?」


「やはり、そうでしたか……では、あそこに積んである金貨はその石の力で得る事が出来たという事ですか?」


「そんな事まで知っているのか!?……まぁ、いいだろう。あれはその“石”の力で金塊を作り出して手に入れたものだ。お前が何を知っているか知らんが、アレは私のもので、アレの力で作り出されたものも私のものだ」


 そう嘯く男爵をため息交じりに眺めたはアリスは、最後の爆弾を投下した。


「……それで、何人その“石”の糧になったのですか?五十人?百人ですか?」


 自分たち以外知るはずの無いアレの名を知っていた少女は、更に絶対に知られてはならない事実も知っていた。ファブルスは背中に冷たいものが流れるのを感じたが、男爵は更に凶悪な表情をその顔に浮かべると、


「色々と腑に落ちんこともあるが、何故貴様がそんな事を知っているのかは、この後ゆっくりとその体に聞いてやる事にしよう」


 そう言いながら、男爵は腰の剣を引き抜いた。


「とりあえず、足の腱でも切って逃げられ無くしてから可愛がってやるから楽しみにしておれ!」


 そう言って厭らしい笑みをその顔にたたえた。


 だが、その言葉を聞いたアリスは侮蔑を含んだ笑みをその顔に浮かべると、


「ぷぷっ!ご冗談を!あなたのその貧相な持ち物で私を満足させることが出来るとでも思ったのですか?」


と男爵に返した。そのセリフを聞いていた黒猫はやれやれというような表情を浮かべるとアリスの肩から飛び降りた。


 アリスの返答を聞いた男爵は怒りの為に顔を赤黒く染めて、自身の従者に


「おのれ!後悔させてやる!お前たち、その小娘を捕らえよ!間違っても殺すなよ!」

と声高に命令を下した。


 その様子を見ていたアリスは、ハンス達を取り囲むように立つ仮面の男達に向かって


「おとなしくここから去るなら、私は何もしません。もし歯向かうなら、少し痛い目に遭ってもらいますよ?」


 と告げた。


 男爵の従者たちはその少女が何を言っているのか初め理解できなかったが、少女の言葉を反芻しその言葉が意味するところを理解した時、馬鹿にしたような雰囲気が場に流れた。


 自分達よりかなり小柄で、とても荒事には向かない少女が、自分達を痛い目に遭わせると言う。


 冗談にしても少し度が過ぎていると感じた一人が無造作にアリスに近づくと、やおら手を伸ばしてアリスを捕らえようとしたが、その時アリスの姿は既にそこには無かった。


 男が慌ててアリスの姿を探そうと横を向いた瞬間、


「よそ見はいけませんね」


 と後ろから耳元に囁かれた。


 反射的にそちらから距離を取ろうとした従者は、わき腹に鈍い衝撃を受けて地面に倒された。


 その男は痛みのためにうまく呼吸が出来ない様子だったが、特に出血した風では無かった。


 その一連のやり取りを目撃した他の従者たちは、慌ててその手に剣を携え一旦アリスから距離を取ろうと試みたが、いつの間にか手にトンファーのような刃の無い武器を手にしたアリスに間を詰められると、あるものは腹部に、あるものは肩口に痛打を浴びせられ、あっという間に制圧されてしまった。


「まったく歯ごたえが無くてがっかりです。今のは手加減してますが、もしまだやるならこちらも本気でやりますよ」


 何事も無かったかのように元の位置にたたずむアリスは、地面に倒れこんだ仮面の男達を見回してそう告げると、いつの間にかその両手にそれぞれショートソードを逆手に持ち、双剣使いのいでたちを見せていた。


 先程のやり取りで自分達にかなう相手ではない事を悟った仮面の男たちは、畏怖の表情を浮かべて一斉に手にした剣を地面に投げた。


 一部始終を見ていた男爵とファブルスはアリスの戦闘能力の高さに驚きを隠せなかったが、ファブルスの脳裏にはある最悪の考えが浮かんでいた為、男爵よりも更に顔色が悪く見えていた。


 一気に色々な考えが頭を巡ったファブルスだったが、意を決してアリスに問いかけた。


「……お前は教会騎士団の者なのか?」


 自身の従者のセリフにギョッとした男爵は、警戒心を露わに少女と対峙する姿勢を取った。


「違いますよ。先ほども言った通り、私は旅の美少女占い師です」


「……ただの占い師が、何故この“石”を欲しがる?」


 一方のファブルスは自らの問いに軽い調子で答えるアリスに返しながら、事態を打開する方法に考えを巡らすが、焦りのためかうまく考えをまとめる事が出来なかった。


 すると、それまでそれらの様子を呆然と眺めていたハンスがハッとして声を上げた。


「あんた!アリスさんと言ったか。この石は何なんだ!?石の糧とはどういうことだ?」


 それまでの展開の早さに思考が付いて行っていなかったハンスだったが、一連のやりとりを思い返し、一気に疑問をまくしたてた。


 ハンスの言葉を聞いたアリスはタロとお互いを見交わし合い、悲しげな表情を浮かべて、


「ハンスさん、世の中には知らない方が良いこともあるんですよ」

と語りかけたが、


「……俺は、エルミーナがこの石に吸い込まれるところを見たんだ……」


 そう言って俯くハンスを見ると、諦めたようにため息をついて静かに話し始めた。


「その手に持っている”石”は【賢者の石】と言います。”石”とは言ってますが、本当は……擬似生命体です」


 ハンスをはじめ、男爵とファブルスもその事は初耳だったらしく、


「生命体?これが生き物だとでも言うのか!?」


 そう問いかける男爵の言葉を軽く受け流したアリスは、ハンスへの話を続ける。


「これは本来、人が持つべきものではありません。この”石”の力は強大で、先程そこのクズが言ったように、ただの石ころでも金塊に変えてしまう程の力があるのです。ですが……」


 そこまで言ったアリスは、その先を言うべきか逡巡する。


 すると、その言葉を引き取るように、男爵が声を荒げた。


「貴族たる私をクズ呼ばわりするとは、貴様、何様のつもりだ!まぁいい。その後は私が説明してやろう。この”石”はな、その力を発揮するために生き物を生贄として求めるのさ!一番効果があるのは……人間だ!」


 そう言ってニタリと笑った男爵を見たハンスは、反射的に荷車に積み上げられた革袋を見ると、再び男爵に視線を戻し、


「まさか……あんな物のためにエルミーナの命を奪ったというのか!?」

と男爵に言葉を投げつけた。


 アリスは余計な言葉を吐いた男爵を苦々しげに見ると、ハンスに向き直り


「ハンスさん、起こってしまったことはもう取り戻せません。ですが、このクズには遠からず天罰が下ります。復讐の事は諦めてその”石”を私に渡してください」


 そう言ってハンスの目を見つめた。


 アリスの言葉を聞いても目に涙を滲ませながら怒りの眼差しを男爵に向けるハンスは、


「ここまで来て諦めろというのか!?奴はもう目の前なのに!?」


 と反論したが、


「でも、魔法は効かなかったのでしょう?あなたに戦う術がおありですか?」


 そうアリスに返され、言葉を継げなくなった。


「……天罰って、あんたが下すってことなのか?」


「私ではありません。ですが、間違いなく下ると思いますよ」


 ハンスの問いかけの言葉に対してアリスは意味深に返す。二人の言葉に数瞬の沈黙が落ちた時だった。


 しばらく様子を見ていた男爵は、ファブルスの静止を振り切ってハンスに近づくと、


「どちらにしろ、これは私が返してもらうからな!!」


 そう叫んで手に持った剣をハンスに向かって振り下ろした。


《シュッ!》


《ボスッ!》


 鋭い剣の風切音と何かが地面に落ちる音が聞こえた直後、男爵の叫び声があたりに響き渡った。


「ギャーッ!!私の…私の手が!!」


 そう言う男爵の足元には、剣を握りしめた男爵の右手が落ちており、手首からは夥しい量の血があふれていた。


 アリスは振りぬいたショートソードを一振りして血糊を払った。


「クラウス様!!」


 ファブルスはあまりの事態に、普段は決して使わない男爵幼少期の呼び名を叫び、治癒魔法を使える従者に直ちに手当の指示を出した。もっとも、指示を受けた従者も高位の魔法が使えるわけでは無い為、応急の止血程度しか出来なかったので、切り落とされた右手は他の従者が素早く回収してファブルスの近くへ退避していた。


 アリスはそれら男爵一行の対応を眺めつつ、


「だから、そんな貧相なものでは私を満足させることは出来ないと言ったじゃないですか」

と、特に興味も無さそうに告げた。


「おのれ!おのれ!!おのれ!!!」


 まだ痛みはあるものの、一旦止血を施された男爵はそう叫びながらアリスに憎しみのこもった眼差しを投げつけ、


「この報いは必ず受けさせてやるからな!覚えておれ!!」


 そう告げると踵を返して一目散に走りだした。


 主の行動を目の当たりにしたファブルス以下の従者たちも、一瞬あっけに取られたが、主の後を追うべく走りだした。


 その際、この場に持ち込まれた金貨の山は置き去りにされたのだが、その事に気を配る余裕は、今の男爵たちにある筈もなかった。


 一方、男爵たちが逃げ出したことに気づいたハンス達は、その後を追おうとしたのだが、アリスがそれを留めた。


「まだ復讐を続けるのですか?先ほど死にかけたのをお忘れですか?」


「それでも俺達は。今日までその事だけを考えて生きてきたんだ!それに、この復讐さえ終わればもう生きている意味もないんだ!」


 そう言った一人の男性の言葉を聞いたアリスは、反射的にこう叫んだ。


「生きる意味が無いなんて事はありません!あなた方が失った大事な方がそれを望んでいるとお考えですか?例え自分の命が失われても、その人が生きてくれさえすれば、自分の死は無駄にならない。自分の分まで生きて欲しい!そう願っているのではないですか?少なくとも、私はそう思いました」


 自分よりもずいぶん年若に見える少女の妙に説得力のあるセリフに諭され、その集団は互いに顔を見合わせる。


 仲間たちのそんな様子を見ていたハンスは、アリスの視線が自分から外れた瞬間を見計らい、その場から身を隠すように姿を消していた。


 一方アリスは、その場でお互いの顔を見合う集団に、再び言葉をかける。


「先程も申し上げましたが、あの男には近いうちに必ず天罰が下ります。私が下すわけではありませんが、心当たりがあります。ですから、皆さんは今の悲しみを乗り越えてどうか生きてください。それが、皆さんが失った方の本当の願いだと思いますよ」


 その言葉を聞いた面々は、誰もがその目から涙を流し、その場に崩折れた。


 そんなローブの集団の様子を見ていたアリスに、いつの間にか近くに戻った黒猫がこう告げた。


『アリス、ハンスが消えたが?』


 主の言葉を聞いたアリスは、


「はい、分かっていました。今、ハンスさんが向かっている方向を魔法で追尾していますので、このまま追いかけようと思います」


 と、タロに小さく答えた。


 他の面々もハンスがこの場に居なくなったことにようやく気づいたらしく、


「ハンスがいない?ハンスはどこに行ったんだ!?」


 と口々にハンスの行方を確認し合った。


 そんな彼らにアリスは再び口を開くと、


「ハンスさんの事は私に任せてください。皆さんは、一刻も早くこの場を離れるのです。そして、ここでの出来事は決して口外してはなりませんよ?私は旅の占い師ですから、もう皆さんに会うことはないと思いますが、皆さんの未来を信じています」


 そう告げた。


 アリスのその言葉を聞いた一人の男が、


「お嬢さん、命を救ってくれた事には感謝している。だが、心の整理がついた訳じゃないから、さっきの

あんたの言葉をそのまま受け入れる事は、正直まだ出来ない。家に帰ってよく考えてみるよ」


 そう言って深々と頭を下げた。他の面々も同じようにアリスに頭を下げると、ひと塊になってその場から離れていった。


 ローブの集団を見送ったタロとアリスの主従は、アリスの追尾魔法を逐う形でハンスの追跡を開始した。


 追跡を開始して間もなく、タロは先程の従者の発言を窘めた。


『そう言えばアリス、お前がいつも言ってる乙女の発言にしては、先程の男爵への物言いは下品すぎると思うのだが?』


 アリスはそう苦言を呈する主人を不思議そうに眺め、


「なんのお話ですか?」


 と疑問を口にした。


『いや、だから、男爵に貧相な持ち物がどうとか言ってたじゃないか……』


 そう問われたアリスが


「だって、あまり腕も大したこと無さそうでしたし、持ってる剣があれでは……」


 と返すと、


『えっ!?それって剣の話だったの??……なんだ、そういう事か』


 アリスの言葉にタロは一人納得したのだが、一方のアリスは


「タロ様、一人で何を言ってるんですか?剣の話以外に何があると言うんですか?」


 そう主人に再度問いかけた。


『あ、いや、それはこちらの勘違いで……』


 今ひとつハッキリと煮え切らない主人の様子を怪訝な眼差しで見ていたアリスは、はたとある事に思い至り、一気に顔が赤くなっていった。そして、タロに一言こう告げた。


「……タロ様、サイテー!」


 そう言ってそっぽを向く従者に、


「いや、あれは不可抗力というか、だってあのシチュエーションではそういう想像にいくだろう!?」


 と自分の否を誤魔化そうとしたタロだったが、結局あとで好きなだけモフモフさせるという条件で機嫌を直してもらうことに成功したのだった。


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