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赤い毒リンゴにはご用心?

第39話 ……湊くんから目が離せない!

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「始まる!」

 化粧品会社のロゴが巨大スクリーンに現れる。スッと消えたあと、始まるCM。僕らが見上げているのを見た通行人も、何かが始まったと徐々に足を止めていた。

 撮影現場で僕が陽翔にコンテの解説をしながら基礎スキンケアの説明をしているところが流れた。これを撮っていたのは、月影じゃない。小園のスマホだ。

「これって……」
「メイク室で、僕が陽翔に教えてたシーンだ。あっ、今、切り替わったな?」

 ……こんな映像まで? でも、歩いている人が、立ち止まってスクリーンを見上げ始めた。

 周りをチラチラと見ると、足早に歩いていた人、電話をしている人、おしゃべりをしている女性たちがみんな見上げていた。映像の真正面で、僕は陽翔の手をギュっと握る。陽翔からも緊張が伝わってくる。握った手をきつく握り返された。

「……湊、綺麗だな?」
「それ、誉め言葉でいいんだよな?」
「もちろん。色っぽいなぁ……ほら、周りにいる女性、すっごい釘付け」

 クスクスと小さく笑いながら、誇らしげに見上げている。被っている帽子が落ちそうなのか、反対側の手で押さえていた。

「ヒナの手の表情もいいんじゃない? 大事なものを触っているって感じで」
「そう? じゃあ、教える人がやっぱりいいんだ。あっ、次のだね?」

 CMに使われる楽曲は僕が歌う『シラユキ』だ。シーンシーンで曲のいいとこどりをしているのだが……月影の選ぶ30秒はどれも素晴らしい出来であった。

「これって、ロングバージョンとかあるんだっけ?」
「CMによってはあるな。今回のもあるって言ってたから、HP見れば出てくると思う」
「そっか。帰ったらみよう」

 ファンデーションとチーク、アイメークが終わり、とうとう最後の口紅のCMが流れ始めた。

 大きな姿見の鏡のシルエットから始まる口紅バージョン。ベールが流れていけば、最後に抱きつかれたシーンから始まり、膝をついた僕が映る。そのあと、陽翔の手が、僕の頬に触れ、顎を撫でた。完璧な手の表情にほぅっと思わず息がもれる。

 驚いたのは、陽翔の顔が映っていたこと。

「な、なぁ……俺、出てるんだけど?」
「……本当だな」

 それより、僕の表情だ。何だ、この表情……! こんなの全国に流していいもんじゃなくないか!

「アイドルの如月くんだよね? あの触れられてるほう」
「そう……すごい色気だね?」
「あのもう一人の男の子、誰だろう?」
「すごい大事そうに触れるね?」
「……ラブシーン見せられてるみたい。こっちが恥ずかしいよ」
「でも……湊くんから目が離せない!」
「このCM、最後どうなるんだろう?」

 周りから聞こえてくる声に僕は思わず見渡した。みなが上を向いている今、まさか、本人たちがこんな往来で、周りの声に耳を傾けているとは誰も思わないだろう。

「あっ、これ、シラユキだね?」
「この前の歌番組で歌ってた?」
「あの曲か……いいよね!」
「私、CD買った!」
「サブスクのランキング上がってたって知ってる?」


『魔女に魅せられた仮初の幸せがあるのなら』
  陽翔の親指が遠慮がちに僕の下唇の感触を確かめていく。

『赤い毒リンゴを口にした君の唇に 触れてみたい』
  赤い新作の口紅をカメラに見せるようにしながら、薄く開かれた僕の下唇に手慣れたふうに色をのせた。

『零れてしまったままの君の笑顔を 拾い集める』
  赤く濡れそぼった唇にキスをするようにそっと触れる指先が、やたら艶めいている。

 僕は瞼を閉じていたから知らなかったけど、こんなに愛おしそうな眼差しを陽翔が僕に向けていたなんて知らなかった。

 周りからため息が漏れ始める。それはひとつやふたつではない。見回したら、顔を覆う人や口を開けたまま呆けている人、CMを釘いるように見ている人……。この数分のCMに魅入られたように、みながジッとスクリーンを見つめていた。

 撮影の最中、目を開けて陽翔を見上げたとき、愛おしいと語る視線と『寂しい』と一言口パクで言ってから笑った。その意味を当日には分からなかったけど、全部を見ればわかる。
 恥ずかしさで、体がカッと熱くなった。演技だったと言われても、僕の方は、手遅れなのかもしれない。隣を見ると、陽翔もこちらを見ていた。CMでは、僕が陽翔を見上げているところで終わっているが、こちらでは、陽翔が僕を見上げていた。

「……湊」
「……えっと、その」
「そんな身構えんなって。まさか、あの表情を抜かれるとは思いもしなかったな。あぁ、やだやだ。大人って怖いね? ここで毒リンゴぶつけてくるとか」
「……その、いつから?」
「さぁ? 質問の意味が、わかんないなぁ……。それより、移動しない?」
「えっ?」
「そろそろ、惚けた時間は終わるから」

 繋いだ手を引っ張られ、渋谷駅まで駆けて行く。人をかき分けながら、耳に聞こえる感想も風のように過ぎて行く。一目散に陽翔とマンションへ帰って、小園に電話をかけた。

「小園さん!」
「湊か」
「湊かじゃないよ! CM!」
「……あれな。陽翔くんの顔出ちゃってたよなぁ」
「小園さんも知らなかったんですか?」
「そう。だから、驚いてるところ。それと、二人の表情にも……何?」
「……何って……演技です……」
「陽翔くんのほうは見てなかったんだけどさ……、湊の方。あれは作った感じしなかったけど?」
「……演技です! ヒナが思った以上にいい演技をしてたので」
「まぁ、いいや……明日、事務所に来るんでしょ? そのとき話そうか」

 小園との電話は終わった。陽翔は、ソファで寛ぎながら、CMのロングバージョンをテレビに映し出してみている。余程気に入った……? のか、口紅バージョンばかりだ。

「電話終わった?」
「ん、終わった」
「それで、これの説明だけど……」
「……説明、いる? こんな表情しておいて」
「俺は顔が出ないって聞いていたからなぁ……油断した」
「何? ヒナは僕のこと、好きなの?」
「ストレートに聞くなぁ、湊は。……人として? 尊敬くらいだよ。幼馴染みたいだって話したじゃん? 恋愛には程遠いでしょうに」
「はぁ……何にしても全国にこれが流れるとか……憂鬱」
「今晩からだっけ?」
「……そう。絶対、未彩から電話の嵐だよ」
「いいじゃん。大人に毒リンゴ食わされたっていえば。実際、いい演技ができたね? っていっておけばいいんだよ」
「実際、いい演技するなぁーって思ってたんだよなぁ……やられた」

 大きなため息とともに、明日のレッスンのために今日のところは解散することになった。いうまでもなく、21時過ぎたところで、巡業中の未彩から電話がかかってきて、散々電話に付き合わされる。

 あの日、たった数秒、数分の陽翔の演技に喰われると思った。それに対抗しようとした僕は、どうやら本物の感情まで引っ張り出されてしまったようだった。
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