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第1話 靴を舐めるくらいで、許して差し上げますわ!
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「おーっほっほっほっ! メアリー、あなた平民のくせに私と張り合おうだなんて、1千万年は早くてよ!」
大きな物音と共にドレスを着た女性が階段上から踊り場転がり落ち崩れるように倒れた。メアリーと呼ばれた少女は、怯えたような潤んだ瞳で階段の上で腕を組んでいる男女を見上げる。その仕草や表情はとても儚げで思わず手を差し伸べたくなるほど可愛らしい。
メアリーの周りを遠巻きに囲った貴族たちはみな口元を抑え、ヒソヒソと隣同士で話をしているが、誰も彼女を助けに行こうとはしなかった。その中の一人である僕自身も彼女に駆け寄ろうとは考えられず、どこか演技めいたメアリーのことを冷めたように見ていた。
階段の上から降ってくる言葉は、ひとつひとつが冷たく棘のあるもの。とうとう、メアリーと呼ばれた彼女は「酷いですわ、アルメリア様」と弱々しく震え涙を流し始めた。
「メアリー!」
「いきなりなんですの? レオナルド様。耳元で叫ばないでくださいまし、煩いですわ!」
階段の上、アルメリアと呼ばれる高嶺の花のような女性は、突然叫んだ隣に並び立っていた彼を眉間に皺をよせ迷惑そうに睨んだ。階上から二人のやり取りをアルメリアの隣で一部始終見ていたボンクラそうな彼が腕を組んでいた彼女をドンと押しやり、階下にいるメアリーの傍らに駆け寄った。
レオナルドはメアリーをそっと抱きしめ「大丈夫か?」と心底心配しているような声音でケガの具合をきいている。
僕から言わせれば、メアリーのケガなんてたいしたことはないだろう。どうせ、か弱く見せるための演技なのだろうから。あの手の女性は、ああいう頭の弱そうな王子様風の男に守ってくださいと雰囲気だけだしておけば、勝手に守られて生きていけるすこぶる人生イージーモードな人種だ。僕とは無縁の女性だからこそ、これっぽっちも興味がわかないし、正直、裏表がありそうで苦手なタイプでもある。好きなだけその甘ちゃん王子様をいいように使ってあげればいい。
むしろ、この後の展開こそが、僕には気になった。
階段の上から甘い雰囲気を駄々洩れにさせている二人を見下ろし気丈に振る舞っている彼女こそが、僕の目を惹いた。大勢の貴族の目の中でどのようにこの難局をすり抜け、あまつさえ甘ちゃん王子様の顔を見るも無残に顔を歪めさせるのか、きっと、彼女……アルメリアと呼ばれた女性は、僕のこの高鳴る期待に応えてくれるに違いない。じっくりその場を見てやろうと意地の悪い僕は楽しくなって仕方がなかった。
「アルメリア! メアリーに何てことをしてくれるのだ! そなた、何の権限でこのような恐ろしいことができる! これまでのメアリーへ虐めや恐喝など学園でのことも含め、今すぐ悔い改めよ!」
階段の上、豪奢な赤い薔薇のドレスに輝くような金髪を揺らすアルメリアは、とても困ったような顔をしてレオナルドを見つめていた。……いや、見下《みくだ》していた。
エスコートもなしに優雅にドレスを揺らし、二人のいる階段の中ほどの踊り場へゆっくりと降りていく。
その気品に満ちた彼女にどれほどのものが悩ましいため息をついたことだろう。
「『何の権限で』ですか? 私に悔い改めることなど、どこにもありませんが、何を悔い改めればよいのでしょう? レオナルド様は、私にそもそもなぜそうおっしゃるのですか? わかりかねますわ。残念なことにレオナルド様は私の婚約者。その婚約者に悪い虫がつかぬようにするのも、ティーリング公爵家の令嬢である私の役目ではありませんか?」
アルメリアは、甘ちゃん王子レオナルドにニコッと笑いかけながら、スッと扇子を取り出し先端を頬にあてる。その表情は、「何をおっしゃるのかしら? 全然意味が分かりませんわ」と少々威圧的であったが、それくらいで慄く王子ではないと思いたい。実際は、腰が引けて尻餅をついたことが、こちらからでも見て取れ情けなくて笑えてくる。
「私が好き好んで貴族の夜会に迷い込んでしまった礼儀知らずのお可哀想な勘違い平民をわざわざ私の手を使って階段から突き落としたわけでもありませんし、メアリー自身が勝手に階段から転んで落ちただけではありませんか? お二人とも何を騒ぎ立てたいのか知りませんが……。レオナルド様には目がついていらっしゃるのかしら? それとも……考える頭《おつむ》が溶けてしまわれたのかしら?」
「大げさね?」と詰め寄るようにレオナルドへズイッと近づき、口元をパッと開いた扇子で隠して睨んでいる。王子といえど、アルメリアのその堂々とした態度に逆らうことが難しいのか、子犬がきゃんきゃんと鳴いて喚く寸前のようで、見ていて情けない。
「……なっ、不敬であろう! 王太子である俺に、そのような……」
「ど、の、ようなです? ふふっ、レオナルド様。私、レオナルド様に対しても、メアリーに対しても、何もしておりませんわ」
「き、貴族……、公爵家の娘であるだけのアルメリアには、王太子の婚約者候補だというだけで、権限など何もないであろう!」
「……そうですか。実に残念ですね? 見た目だけではなくて中身やおつむまでとは」
憂いを帯びた表情は美しくアルメリアに注目していた貴族たちからは悩まし気なため息が再度聞こえてくる。こちらから見えるのは瞳だけであるのに、表情をさらに曇らせていることが全てを雄弁に語っていた。
「レオナルド様は私ではなく、あの小汚い何もできない小娘を妃としてお選びに?」
明らかに挑発をしているアルメリアは、憂い顔の裏側は少し楽しそうに見える。
「そ、そうだ! そ……そなた、アルメリア・ティーリングと……」
「と?」
「お、俺は、アルメリア・ティーリングとただちに婚約破棄をし、聖女メアリー・ブラックと婚約をする!」
さっきまで、ヒソヒソと話し合っていた階下の人だかりは、王太子の言葉に静まり返った。まるで、その言葉を王太子が言ってくれるのを待っていたかのようにだ。みながその場に膝をつき、メアリーの隣でアルメリアに人差し指をさし婚約破棄を宣言した王太子レオナルドと侮蔑の視線で王太子を見下している公爵令嬢アルメリアを仰いだ。
二人が婚約を宣言したかのような雰囲気には違和感しかないが、この貴族たちはどちらに向けて頭を垂れたのだろう? と観察する。
……残念ながら王太子ではないな。みるからに、アルメリアのほうが女王らしい風貌なのだから。
「ここに宣言する!」
「……ふーん」とレオナルドの堂々たる宣言を聞き流し、同時に興味なさげにアルメリアはレオナルドへ失笑した。広げていた扇子をパチンと閉じると、明らかにレオナルドはぶるっと大きく震える。露わになったアルメリアの表情はまさに悪役令嬢そのもの。ニィっと口角をあげ、高笑いがホールに響き渡る。その様子を見て顔をひきつらせたのは、他の誰でもなくレオナルドだ。俯いたメアリーの表情は見えないが、一瞬、歯を食いしばったように見えた。
「レオナルド様」
「……ひゃ、ひゃい!」
「なんですの? その情けない返事は。王太子なら、もっとしっかりしてくださいませ! 王太子の位が泣いていますわ。クスクス」
「……アル、メリア?」
「気安く私の名を呼ばないでくださいませ。私はもう、あなた様の婚約者ではありませんもの。それとも、何かしら? 私に泣いて、縋って、媚びて……婚約破棄を取り消してほしいなんて、泣きついてきますか? 今なら、」
扇子を華奢な顎に当てて「うーん」と考えている。言葉を選んでいるのだろう。年相応の可愛らしい仕草にはみなが釘付けだ。
「そうですね……、私の靴を舐めるくらいで、許して差し上げますわ!」
「そ、そ、そんなことするわけが!」
「えぇ、えぇ、えぇ、そんなことできませんわよね? この国一高い山よりプライドだけは高い王太子殿下がたかだか公爵令嬢に頭を下げるぅ? 靴を舐めるくらいの安いプライドなんて私もいりませんし、ばかげていて全く笑えませんわ!」
「な……何を!」
立ち上がろうとするレオナルドを扇子で肩を叩いて立たせない。レオナルドに向けられたその冷笑には強い意志が込められていた。
「ふふっ、メアリーとのご婚約パーティーのおりは、是非とも私もご招待ください。とびっきりのドレスを着て、おしゃれして、お祝いにはせ参じますわ!」
「ごきげんよう!」とドレスを翻し、颯爽と残りの階段を下りるアルメリア。その手を取ろうと多くの階下にいた貴族令息が争っている。レオナルドはそんな令息たちのことを蔑む様に睨み、泣いていたはずのメアリーはさっきまでとは違い、意地の悪い微笑みを浮かべていた。
その様子を蚊帳の外である僕は、よくやるよなぁ……と壁際の花となり、ぼんやりと笑えない茶番劇を見ていた。
大きな物音と共にドレスを着た女性が階段上から踊り場転がり落ち崩れるように倒れた。メアリーと呼ばれた少女は、怯えたような潤んだ瞳で階段の上で腕を組んでいる男女を見上げる。その仕草や表情はとても儚げで思わず手を差し伸べたくなるほど可愛らしい。
メアリーの周りを遠巻きに囲った貴族たちはみな口元を抑え、ヒソヒソと隣同士で話をしているが、誰も彼女を助けに行こうとはしなかった。その中の一人である僕自身も彼女に駆け寄ろうとは考えられず、どこか演技めいたメアリーのことを冷めたように見ていた。
階段の上から降ってくる言葉は、ひとつひとつが冷たく棘のあるもの。とうとう、メアリーと呼ばれた彼女は「酷いですわ、アルメリア様」と弱々しく震え涙を流し始めた。
「メアリー!」
「いきなりなんですの? レオナルド様。耳元で叫ばないでくださいまし、煩いですわ!」
階段の上、アルメリアと呼ばれる高嶺の花のような女性は、突然叫んだ隣に並び立っていた彼を眉間に皺をよせ迷惑そうに睨んだ。階上から二人のやり取りをアルメリアの隣で一部始終見ていたボンクラそうな彼が腕を組んでいた彼女をドンと押しやり、階下にいるメアリーの傍らに駆け寄った。
レオナルドはメアリーをそっと抱きしめ「大丈夫か?」と心底心配しているような声音でケガの具合をきいている。
僕から言わせれば、メアリーのケガなんてたいしたことはないだろう。どうせ、か弱く見せるための演技なのだろうから。あの手の女性は、ああいう頭の弱そうな王子様風の男に守ってくださいと雰囲気だけだしておけば、勝手に守られて生きていけるすこぶる人生イージーモードな人種だ。僕とは無縁の女性だからこそ、これっぽっちも興味がわかないし、正直、裏表がありそうで苦手なタイプでもある。好きなだけその甘ちゃん王子様をいいように使ってあげればいい。
むしろ、この後の展開こそが、僕には気になった。
階段の上から甘い雰囲気を駄々洩れにさせている二人を見下ろし気丈に振る舞っている彼女こそが、僕の目を惹いた。大勢の貴族の目の中でどのようにこの難局をすり抜け、あまつさえ甘ちゃん王子様の顔を見るも無残に顔を歪めさせるのか、きっと、彼女……アルメリアと呼ばれた女性は、僕のこの高鳴る期待に応えてくれるに違いない。じっくりその場を見てやろうと意地の悪い僕は楽しくなって仕方がなかった。
「アルメリア! メアリーに何てことをしてくれるのだ! そなた、何の権限でこのような恐ろしいことができる! これまでのメアリーへ虐めや恐喝など学園でのことも含め、今すぐ悔い改めよ!」
階段の上、豪奢な赤い薔薇のドレスに輝くような金髪を揺らすアルメリアは、とても困ったような顔をしてレオナルドを見つめていた。……いや、見下《みくだ》していた。
エスコートもなしに優雅にドレスを揺らし、二人のいる階段の中ほどの踊り場へゆっくりと降りていく。
その気品に満ちた彼女にどれほどのものが悩ましいため息をついたことだろう。
「『何の権限で』ですか? 私に悔い改めることなど、どこにもありませんが、何を悔い改めればよいのでしょう? レオナルド様は、私にそもそもなぜそうおっしゃるのですか? わかりかねますわ。残念なことにレオナルド様は私の婚約者。その婚約者に悪い虫がつかぬようにするのも、ティーリング公爵家の令嬢である私の役目ではありませんか?」
アルメリアは、甘ちゃん王子レオナルドにニコッと笑いかけながら、スッと扇子を取り出し先端を頬にあてる。その表情は、「何をおっしゃるのかしら? 全然意味が分かりませんわ」と少々威圧的であったが、それくらいで慄く王子ではないと思いたい。実際は、腰が引けて尻餅をついたことが、こちらからでも見て取れ情けなくて笑えてくる。
「私が好き好んで貴族の夜会に迷い込んでしまった礼儀知らずのお可哀想な勘違い平民をわざわざ私の手を使って階段から突き落としたわけでもありませんし、メアリー自身が勝手に階段から転んで落ちただけではありませんか? お二人とも何を騒ぎ立てたいのか知りませんが……。レオナルド様には目がついていらっしゃるのかしら? それとも……考える頭《おつむ》が溶けてしまわれたのかしら?」
「大げさね?」と詰め寄るようにレオナルドへズイッと近づき、口元をパッと開いた扇子で隠して睨んでいる。王子といえど、アルメリアのその堂々とした態度に逆らうことが難しいのか、子犬がきゃんきゃんと鳴いて喚く寸前のようで、見ていて情けない。
「……なっ、不敬であろう! 王太子である俺に、そのような……」
「ど、の、ようなです? ふふっ、レオナルド様。私、レオナルド様に対しても、メアリーに対しても、何もしておりませんわ」
「き、貴族……、公爵家の娘であるだけのアルメリアには、王太子の婚約者候補だというだけで、権限など何もないであろう!」
「……そうですか。実に残念ですね? 見た目だけではなくて中身やおつむまでとは」
憂いを帯びた表情は美しくアルメリアに注目していた貴族たちからは悩まし気なため息が再度聞こえてくる。こちらから見えるのは瞳だけであるのに、表情をさらに曇らせていることが全てを雄弁に語っていた。
「レオナルド様は私ではなく、あの小汚い何もできない小娘を妃としてお選びに?」
明らかに挑発をしているアルメリアは、憂い顔の裏側は少し楽しそうに見える。
「そ、そうだ! そ……そなた、アルメリア・ティーリングと……」
「と?」
「お、俺は、アルメリア・ティーリングとただちに婚約破棄をし、聖女メアリー・ブラックと婚約をする!」
さっきまで、ヒソヒソと話し合っていた階下の人だかりは、王太子の言葉に静まり返った。まるで、その言葉を王太子が言ってくれるのを待っていたかのようにだ。みながその場に膝をつき、メアリーの隣でアルメリアに人差し指をさし婚約破棄を宣言した王太子レオナルドと侮蔑の視線で王太子を見下している公爵令嬢アルメリアを仰いだ。
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……残念ながら王太子ではないな。みるからに、アルメリアのほうが女王らしい風貌なのだから。
「ここに宣言する!」
「……ふーん」とレオナルドの堂々たる宣言を聞き流し、同時に興味なさげにアルメリアはレオナルドへ失笑した。広げていた扇子をパチンと閉じると、明らかにレオナルドはぶるっと大きく震える。露わになったアルメリアの表情はまさに悪役令嬢そのもの。ニィっと口角をあげ、高笑いがホールに響き渡る。その様子を見て顔をひきつらせたのは、他の誰でもなくレオナルドだ。俯いたメアリーの表情は見えないが、一瞬、歯を食いしばったように見えた。
「レオナルド様」
「……ひゃ、ひゃい!」
「なんですの? その情けない返事は。王太子なら、もっとしっかりしてくださいませ! 王太子の位が泣いていますわ。クスクス」
「……アル、メリア?」
「気安く私の名を呼ばないでくださいませ。私はもう、あなた様の婚約者ではありませんもの。それとも、何かしら? 私に泣いて、縋って、媚びて……婚約破棄を取り消してほしいなんて、泣きついてきますか? 今なら、」
扇子を華奢な顎に当てて「うーん」と考えている。言葉を選んでいるのだろう。年相応の可愛らしい仕草にはみなが釘付けだ。
「そうですね……、私の靴を舐めるくらいで、許して差し上げますわ!」
「そ、そ、そんなことするわけが!」
「えぇ、えぇ、えぇ、そんなことできませんわよね? この国一高い山よりプライドだけは高い王太子殿下がたかだか公爵令嬢に頭を下げるぅ? 靴を舐めるくらいの安いプライドなんて私もいりませんし、ばかげていて全く笑えませんわ!」
「な……何を!」
立ち上がろうとするレオナルドを扇子で肩を叩いて立たせない。レオナルドに向けられたその冷笑には強い意志が込められていた。
「ふふっ、メアリーとのご婚約パーティーのおりは、是非とも私もご招待ください。とびっきりのドレスを着て、おしゃれして、お祝いにはせ参じますわ!」
「ごきげんよう!」とドレスを翻し、颯爽と残りの階段を下りるアルメリア。その手を取ろうと多くの階下にいた貴族令息が争っている。レオナルドはそんな令息たちのことを蔑む様に睨み、泣いていたはずのメアリーはさっきまでとは違い、意地の悪い微笑みを浮かべていた。
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