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第一章 二本松の種子
新春
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武谷剛介が初めて戦場に赴いたのは、慶応四年、十四の年だった。
二本松藩の武士の子弟は、十一になると手習所に通い、そこで三年の修練を積んでから藩校の敬学館で四書五経を始めとする儒学など、各種の学問について本格的に学ぶのが習わしである。
剛介の父の半左衛門は、敬学館の書道師範であった。日頃は「武谷先生」として門弟から慕われているが、決して文弱の徒ではない。
知行は七十石と石高は低かったものの、その祖をたどると、あの柴田勝家に仕えていたという。家には勝家手ずから与えたという正宗の銘刀も伝えられており、剣術でも陰流の奥義を極め、兵法にも明るい。弓馬もこなし、親しみやすい人柄は誰からも愛された。現在は、勘定奉行の役割を任されている。
一方、剛介はまだ身長が五尺にも満たない小兵である。やっと母の背に追いついたところであり、少々幼さがあるのは、致し方のないところであった。
「剛介。我が藩でも、そなたらは砲術を学ぶことに相成った」
帰宅後、半左衛門がまず伝えたのが、その一報だった。
「砲術……でございますか?」
日頃父に逆らうことはない剛介だが、わが耳を疑った。砲術とは、つまり剛介の好きな剣術ではなく、鉄砲を習うことを意味した。
「今更、火縄銃という時代でもありますまいに」
脇から、兄の達が口を挟んだ。武谷家は、仮にも士分の家柄である。その子弟が鉄砲など雑兵の扱う道具を習うのか、と鼻白んでいるのは、明らかだった。
「いや、そうではないらしい」
半左衛門は、首を横に振った。
「剛介らが学ぶのは、新式の銃だということだ」
「ほう、そうするとあのミニエーとかいう、先込めの銃でございますな」
達が頷いた。
「だろうな」
半左衛門も我が意を得たり、という体で達を見た。
「それだけではない。砲の撃ち方も伝授してくださるとのことだ」
「ほほう」
なるほど、剛介たちは兄が習わなかった最新の知識を学べるということらしい。どちらかというと、武術よりも学問を好む兄が半左衛門の言葉に反応するのも当然だった。
「ですが、父上。剛介の身の丈はまだ五尺にも足りておりませぬ。そのようななりで、あの大きいミニエー銃が扱えますかね?」
達は、ちらっとからかうような視線を剛介に向けた。
「兄上!」
剛介は顔を真っ赤にした。
「きっと、扱えるようになってみせます!」
「まあまあ」
母の紫久が、剛介をなだめるように笑った。もっとも、達の心配も最もなことで、ミニエー銃は銃身が大きい。小型のものでも四寸余りの長さがあり、しかも先込めなので屹立して、銃口から弾を込めなければならない。小柄な剛介に果たしてそのような真似ができるであろうか。達は思わずその場面を想像したのだろう。
「さあ、お汁が冷めますよ」
紫久が食事を促した。竃からは、冬菜の干したものと、これまた干した大根の入った味噌汁の香りが漂ってきていた。
「そうだな。まずは夕餉に致すか」
半左衛門が、紫久に命じて家族の膳を整えさせた。膳に乗ったほかほかの粟入りの飯と、芋の子を煮たものを目にした途端、剛介の腹がグウと鳴り、剛介は再び顔を赤らめた。
「そういえば」
食事後の茶を啜りながら、剛介は父に訊ねた。
「砲術を学ぶことになったというと……」
誰を師に選べばいいのか、剛介はそれが気になった。
「ああ。木村様のご子息が新しく門弟を募り、教えて下さるらしい」
「木村様が……」
剛介は首をすくめた。木村貫治は稽古が非常に厳しく、怖いと、日頃剛介が通う日夏道場の仲間の間でも、囁かれていた。
「ご子息の銃太郎様の評判は、聞いたことがあるだろう」
「はい」
弘化三年生まれの兄より一つ年上の銃太郎は、藩の砲術大会において見事な成績を収めたことで名高かった。その評判は、いつぞや兄が興奮して話していたから、剛介もよく覚えている。
「先頃まで江戸の江川塾に学ばれ、そこでも大層優秀な成績を残されていたそうな。このたび御広間番を仰せつかり、四人扶持も拝領したと言うから、御家老の方々も期待されておるのだろう」
――二本松の老臣達は、連日苦悩していた。
この頃、上方の情勢は全く読めない状況にあった。
慶応三年十月には、将軍である徳川慶喜が政権を御上に返上してしまっていた。いわゆる、大政奉還である。長国公は江戸にいて、国元はこれからどうするべきか紛糾した。
更に十二月九日には、天皇の御代の始まりを告げる「王政復古の大号令」が、一方的に宣言された。何と、幕府もなくなるという。同日夜に開かれた小御所会議では、慶喜の辞官納地が一方的に決められた。十二月には幕府から諸大名への新しい政についての説明があったものの、諸大名も困惑するばかりであった。
二本松藩でも、十二月には、京の円山で留守居役の会合が開かれた。また、年末には会津藩の使者である鈴木丹下と土屋哲之介が容保公の意を汲んだ書状を持って、城下にある旅籠の「小松屋」に逗留。二日に登城し、一学に面会したばかりである。会津の薩長許すまじの気風は凄まじかったが、この時点では二本松は数々の変事にどのように対応するかどうか、決めあぐねていたのである。
年末に政権が朝廷の手に渡ってからは、藩論はさらに混迷を深めていた。
剛介たちは知らなかったが、敬学館の教授である竹内貞や渡邊新助は、大政奉還の直後から上層部に「勤王を貫くべし」と上奏していたのである。「時勢が切迫している今、公の進退は代々の君主の名誉にも関わる。私は平素より大義を唱えてきた。どうしてこの事態を見過ごせようか。いやしくも国の利益になるならば、越職の罪であっても、決して避けまい」
竹内は、そう公言して憚らなかった。皆、一様に押し黙っている。ただ一人、渡邉新助はこれに「その通りである」と賛同し、上奏文に連署した。
上奏文の大意は、以下のようなものだった。
「公に兵を率いて速やかに上洛し、京を護衛して勤王の忠誠を示すのが上策である。次に、江戸を去って国元に帰り、尊王の大義を明示して人心を鎮撫し、使いを京にやって朝命を請うのが、中策である。
慶喜公は昨年将軍の座に就いたが、今は我々と同列である。安全な江戸にいて日が徒に過ぎるのをざして待ち、時機を逃すのは無策も甚だしい」
簡潔に述べると、「徳川を見限って、帝に忠誠を誓うべし」という内容であった。
丹羽丹波は、これを無視した。丹波は、家老座上の地位にある。二本松藩では常時六人の家老がいたが、座上は、その代表者とも言うべき地位であった。藩主丹羽長国公に次ぐ貴人と言ってもいい。
また、尚武を尊ぶ藩風の二本松藩では珍しく、丹波は現実主義者でもあった。自身は家老座上の地位にあり、いくら相手が敬学館の教授方とはいえ、目下の者が自分に意見するのは面白くない。もっとも、丹波の気性は二本松において余り好まれず、表向きはともかく、裏では密かに酒の肴にされているのを、丹波は薄々察していた。
「御家老、それはあまりにも無体ではございませぬか」
そう言って諫止したのは、日野源太左衛門の息子、大内蔵である。
「何を申すか。明らかに職の分を越えているではないか」
学者風情が偉そうに、と丹波は腹が煮えくり返った。
「藩の行く末を決めるのは、儒者共ではないわ。そなたも大概にせい」
腹立ちのあまり、丹波は小者に命じて大内蔵に縄をつけ、ひったてようかと一瞬思った。もっとも、あまり感情を見せるのも、他の重臣の手前外聞が悪い。丹波は、辛うじて怒りを抑えた。
この後、竹内と渡邊は再度上奏文をしたためているが、丹波はそれも無視した。本当は両名を馘首したいところであるが、さすがにそれは、と他の家老達に止められた。
だが、年明けて一月三日に鳥羽・伏見の戦いが勃発。火力において最新式の装備を供えた新政府軍に対し、旧幕府軍はなす術もなかった。
この事変に対して、京都警固の任に当たっていた高橋竹之進が江戸藩邸に急使として馬を飛ばし、その江戸藩邸から石田軍記が急使として二本松に急行した。
「大樹公と肥後守が賊軍に貶められただと?」
その知らせを受け取った丹波は、絶句した。
「何かの間違いではないのか」
やっとのことで国元に辿り着いた石田に対して、丹波は思わず疑惑の目を向けた。
「間違いござりませぬ」
負けじと、石田も丹波を睨み返す。
「薩長の陣には、紛れもなく錦旗が翻っていたとの由」
石田の言葉を受けた面々は、しばし言葉を失った。さらに石田は、大樹公と会津肥後守が密かに大阪から船で上方を脱出し、江戸に帰ってきたという話も伝えた。その事実も、俄かには信じ難かった。そもそも、将が兵を置いて逃げ戻るなど、前代未聞である。
ともあれ、藩公の安全確保が最優先事項である。この変事に対し、二本松からは日野源太左衛門、大谷与兵衛、本山大介らに命じて、藩兵を江戸藩邸に急行させた。
父から木村道場の若先生の話を聞かされた翌朝、剛介は日夏道場で成田虎治と顔を合わせた。
「おはよう、虎治」
二本松藩の子どもたちは、年齢に関係なく呼び捨てにする仲であることが多い。
「ああ、剛介か」
虎治が剣先をおろした。その額には、真冬にもかかわらず、既に薄っすらと汗が浮いていた。
「木村先生の砲術の話、聞いたか?」
剛介の質問に対して、虎治は軽く頷いた。
「ああ、俺も父上から聞いた。なんでも、上からのお達しで我々若輩の者に砲術を学ばせるのが、藩の新しい方針らしい」
そこへ、水野進もやってきた。
「何でも、木村先生のご子息の銃太郎様は、五尺七寸もある大きなお方だそうだ。その上、算術にも秀でているそうな」
「ふうむ」
なるほど、砲術とはただ闇雲に撃てば良いというものではないらしい。
「お父上の血をたどれば渡邊東岳様につながるというから、算術もお得意なのだろう」
訳知り顔にうなずく水野の話に、剛介も興味を惹かれた。渡邉東岳は、二本松における和算の大家である。また、砲術の研究にも熱心だった。
二本松では、朝河道場や斎藤道場などで武衛流の砲術を学べた。木村道場でも武衛流を伝授していたはずだか、銃太郎が江戸の江川塾で学んできたという砲術は、西洋の砲術理論に基づくらしい。西洋流の砲術は、特殊な算術で砲の距離や角度を素早く計算し、砲の命中の精度が上がるらしかった。
剛介も父が勘定奉行をしていることもあり、多少の算術は嗜んでいた。だが、銃太郎が教えてくれるのは勘定とは別の、算術らしい。
その知識を身につければ、他の道場で習う者たちよりも、一歩先んじて武功を立てられるだろうか。
「問題は、弘道先生の授業を続けながらどうやって木村道場に通うか、ということだな」
虎治は、本気で悩んでいる様子だった。それもそのはずで、二本松の武士の子は、習い事をいくつも掛け持ちしていることが多い。
剣術師範の日夏弘道は、小野派一刀流の達人である。怒らせると怖いが、からりとした気骨のある人物で、剛介は弘道の剣術を疎かにするのは勿体ないと感じた。藩からの命令であるから砲術を習うのは当然として、何処にしよう。それに、銃太郎はともかく、その父の貫治は恐ろしいので有名である。どうしよう。
「こらあ、お主ら。さっさと支度をせんかあ!」
道場に、雷のような一喝が響いた。道場主の、日夏弘道の怒声である。
三人は、慌てて道着を整えた。
***
一方、大人たちは難しい話をしていた。
「どうもきな臭い」
銃太郎の父、貫治は難しい顔をしていた。
「京都の鳥羽・伏見で、幕府の軍が負けたというのは、まことでござるか」
半左衛門はそっと訊ねた。
「まことらしい。それだけではない。大樹公(慶喜公)と、容保公は兵を置いて早々と大阪から江戸に戻られたそうな。いずれ、薩長は会津討伐を言い出すかもしれぬ」
「会津は辛抱できるでしょうか」
会津に薩長が攻めてくるとなれば、その隣にある二本松藩が巻き込まれるのは必定であった。
「ここだけの話だがな。暮に、密かに会津より鈴木丹下様と土屋鉄之助様がいらしていて、一学様にお目通りしたらしい」
「一学様に……」
丹羽一学は、先年家老になったばかりである。だが丹羽一門の中でも重きを置かれる系譜であるため、その発言力は決して侮れない。
「会津は薩長と断固として戦う、と伝えられたそうな」
貫治は溜息をついた。
「一学様は、まだお若いですからな」
既に半左衛門や寛治は老齢の域に入ってきているが、一学はまだ若かった。その上、剛毅果断といえば聞こえが良いが、老齢の彼等から見ると、いささか気が逸っているようにも見える。
「和左衛門殿などは、五郎君に藩の優秀な者をお付けしてご上洛せしめ、京都警衛の任に当っていただくしかないなどと申される」
貫治は苦虫を噛み潰したような顔をした、
「五郎君は、まだ御年十三ではござらぬか」
「左様。それで帝の信任を得ようというのだが、絵空事と一笑に付されたわ」
勤王は大切であるが、二本松にとってもっと大切なのは、徳川家であった。二本松藩は、二代目長重公が時の将軍徳川秀忠公の恩寵を受けて以来、幕府に忠誠を誓っている。だが、二百五十年余りも泰平の世が続き、陸奥の地に戦火がもたらせられるのは、できれば避けたかった。
「すると、ご子息が二本松に戻られて、剛介らが砲術を習うというのは」
「夷狄だけでなく、薩長の動きも見越してのことであろう。会津が朝敵だとは、論外。だが、薩長の者共は会津に対して恨みを持っているからの。会津の動き次第では、我々も戦に備えなければならぬ」
貫治は、ぬるくなった茶を一口啜った。
「仮に薩長が来るとして、我々は間に合うでしょうか」
半左衛門は、勘定奉行を兼ねていることもあり、藩の財政状況も多少なりとは把握していた。息子たちが砲術を習うのは良いが、その砲も決して安いものではない。火縄銃はともかく、ミニエー銃は一丁十五から十八両もするのだ。銃身だけでは無用の長物であるから、弾もいる。もちろんその他にも、大砲などを購入しなければならぬ。また、中島黄山ら商人に頭を下げて買い求めねばならないだろう。考えるだけで溜息が出そうになるのを、半左衛門はぐっと堪えた。
「薩長は、金だけはたんまり持っているからな」
貫治が皮肉な口調でつぶやいた。
有り体に言うと、二本松藩の財政は決して豊かではない。例えば、元治元年(一八六四年)の水戸藩領内で起きた天狗党の乱には、二本松藩も幕府より討伐の命令を受けた。その際に、侍大将を務めた大谷鳴海は、針道村の豪商宗形善蔵から、六十両を借り入れている。大谷家は代々の重臣であり、一四〇〇石を拝領していたが、生活苦から武士の魂とも言える陣太刀大小を、質草に入れていた。それを一時的に返してもらい、尚且つ、六十両を軍資金として宗形から借り入れたという話が残されている。
この度の「砲術道場にて、子弟に砲術を教授する」というのは良いのだが、そのための銃の費用をまたやりくりせねばならない。
それに対して、貫治の言うように薩長は、金はたんまり持っている。「武士の気概」だけで戦ができる時代は、既に過去の話となっているのを、半左衛門はぼんやりと感じていた。
二本松藩の武士の子弟は、十一になると手習所に通い、そこで三年の修練を積んでから藩校の敬学館で四書五経を始めとする儒学など、各種の学問について本格的に学ぶのが習わしである。
剛介の父の半左衛門は、敬学館の書道師範であった。日頃は「武谷先生」として門弟から慕われているが、決して文弱の徒ではない。
知行は七十石と石高は低かったものの、その祖をたどると、あの柴田勝家に仕えていたという。家には勝家手ずから与えたという正宗の銘刀も伝えられており、剣術でも陰流の奥義を極め、兵法にも明るい。弓馬もこなし、親しみやすい人柄は誰からも愛された。現在は、勘定奉行の役割を任されている。
一方、剛介はまだ身長が五尺にも満たない小兵である。やっと母の背に追いついたところであり、少々幼さがあるのは、致し方のないところであった。
「剛介。我が藩でも、そなたらは砲術を学ぶことに相成った」
帰宅後、半左衛門がまず伝えたのが、その一報だった。
「砲術……でございますか?」
日頃父に逆らうことはない剛介だが、わが耳を疑った。砲術とは、つまり剛介の好きな剣術ではなく、鉄砲を習うことを意味した。
「今更、火縄銃という時代でもありますまいに」
脇から、兄の達が口を挟んだ。武谷家は、仮にも士分の家柄である。その子弟が鉄砲など雑兵の扱う道具を習うのか、と鼻白んでいるのは、明らかだった。
「いや、そうではないらしい」
半左衛門は、首を横に振った。
「剛介らが学ぶのは、新式の銃だということだ」
「ほう、そうするとあのミニエーとかいう、先込めの銃でございますな」
達が頷いた。
「だろうな」
半左衛門も我が意を得たり、という体で達を見た。
「それだけではない。砲の撃ち方も伝授してくださるとのことだ」
「ほほう」
なるほど、剛介たちは兄が習わなかった最新の知識を学べるということらしい。どちらかというと、武術よりも学問を好む兄が半左衛門の言葉に反応するのも当然だった。
「ですが、父上。剛介の身の丈はまだ五尺にも足りておりませぬ。そのようななりで、あの大きいミニエー銃が扱えますかね?」
達は、ちらっとからかうような視線を剛介に向けた。
「兄上!」
剛介は顔を真っ赤にした。
「きっと、扱えるようになってみせます!」
「まあまあ」
母の紫久が、剛介をなだめるように笑った。もっとも、達の心配も最もなことで、ミニエー銃は銃身が大きい。小型のものでも四寸余りの長さがあり、しかも先込めなので屹立して、銃口から弾を込めなければならない。小柄な剛介に果たしてそのような真似ができるであろうか。達は思わずその場面を想像したのだろう。
「さあ、お汁が冷めますよ」
紫久が食事を促した。竃からは、冬菜の干したものと、これまた干した大根の入った味噌汁の香りが漂ってきていた。
「そうだな。まずは夕餉に致すか」
半左衛門が、紫久に命じて家族の膳を整えさせた。膳に乗ったほかほかの粟入りの飯と、芋の子を煮たものを目にした途端、剛介の腹がグウと鳴り、剛介は再び顔を赤らめた。
「そういえば」
食事後の茶を啜りながら、剛介は父に訊ねた。
「砲術を学ぶことになったというと……」
誰を師に選べばいいのか、剛介はそれが気になった。
「ああ。木村様のご子息が新しく門弟を募り、教えて下さるらしい」
「木村様が……」
剛介は首をすくめた。木村貫治は稽古が非常に厳しく、怖いと、日頃剛介が通う日夏道場の仲間の間でも、囁かれていた。
「ご子息の銃太郎様の評判は、聞いたことがあるだろう」
「はい」
弘化三年生まれの兄より一つ年上の銃太郎は、藩の砲術大会において見事な成績を収めたことで名高かった。その評判は、いつぞや兄が興奮して話していたから、剛介もよく覚えている。
「先頃まで江戸の江川塾に学ばれ、そこでも大層優秀な成績を残されていたそうな。このたび御広間番を仰せつかり、四人扶持も拝領したと言うから、御家老の方々も期待されておるのだろう」
――二本松の老臣達は、連日苦悩していた。
この頃、上方の情勢は全く読めない状況にあった。
慶応三年十月には、将軍である徳川慶喜が政権を御上に返上してしまっていた。いわゆる、大政奉還である。長国公は江戸にいて、国元はこれからどうするべきか紛糾した。
更に十二月九日には、天皇の御代の始まりを告げる「王政復古の大号令」が、一方的に宣言された。何と、幕府もなくなるという。同日夜に開かれた小御所会議では、慶喜の辞官納地が一方的に決められた。十二月には幕府から諸大名への新しい政についての説明があったものの、諸大名も困惑するばかりであった。
二本松藩でも、十二月には、京の円山で留守居役の会合が開かれた。また、年末には会津藩の使者である鈴木丹下と土屋哲之介が容保公の意を汲んだ書状を持って、城下にある旅籠の「小松屋」に逗留。二日に登城し、一学に面会したばかりである。会津の薩長許すまじの気風は凄まじかったが、この時点では二本松は数々の変事にどのように対応するかどうか、決めあぐねていたのである。
年末に政権が朝廷の手に渡ってからは、藩論はさらに混迷を深めていた。
剛介たちは知らなかったが、敬学館の教授である竹内貞や渡邊新助は、大政奉還の直後から上層部に「勤王を貫くべし」と上奏していたのである。「時勢が切迫している今、公の進退は代々の君主の名誉にも関わる。私は平素より大義を唱えてきた。どうしてこの事態を見過ごせようか。いやしくも国の利益になるならば、越職の罪であっても、決して避けまい」
竹内は、そう公言して憚らなかった。皆、一様に押し黙っている。ただ一人、渡邉新助はこれに「その通りである」と賛同し、上奏文に連署した。
上奏文の大意は、以下のようなものだった。
「公に兵を率いて速やかに上洛し、京を護衛して勤王の忠誠を示すのが上策である。次に、江戸を去って国元に帰り、尊王の大義を明示して人心を鎮撫し、使いを京にやって朝命を請うのが、中策である。
慶喜公は昨年将軍の座に就いたが、今は我々と同列である。安全な江戸にいて日が徒に過ぎるのをざして待ち、時機を逃すのは無策も甚だしい」
簡潔に述べると、「徳川を見限って、帝に忠誠を誓うべし」という内容であった。
丹羽丹波は、これを無視した。丹波は、家老座上の地位にある。二本松藩では常時六人の家老がいたが、座上は、その代表者とも言うべき地位であった。藩主丹羽長国公に次ぐ貴人と言ってもいい。
また、尚武を尊ぶ藩風の二本松藩では珍しく、丹波は現実主義者でもあった。自身は家老座上の地位にあり、いくら相手が敬学館の教授方とはいえ、目下の者が自分に意見するのは面白くない。もっとも、丹波の気性は二本松において余り好まれず、表向きはともかく、裏では密かに酒の肴にされているのを、丹波は薄々察していた。
「御家老、それはあまりにも無体ではございませぬか」
そう言って諫止したのは、日野源太左衛門の息子、大内蔵である。
「何を申すか。明らかに職の分を越えているではないか」
学者風情が偉そうに、と丹波は腹が煮えくり返った。
「藩の行く末を決めるのは、儒者共ではないわ。そなたも大概にせい」
腹立ちのあまり、丹波は小者に命じて大内蔵に縄をつけ、ひったてようかと一瞬思った。もっとも、あまり感情を見せるのも、他の重臣の手前外聞が悪い。丹波は、辛うじて怒りを抑えた。
この後、竹内と渡邊は再度上奏文をしたためているが、丹波はそれも無視した。本当は両名を馘首したいところであるが、さすがにそれは、と他の家老達に止められた。
だが、年明けて一月三日に鳥羽・伏見の戦いが勃発。火力において最新式の装備を供えた新政府軍に対し、旧幕府軍はなす術もなかった。
この事変に対して、京都警固の任に当たっていた高橋竹之進が江戸藩邸に急使として馬を飛ばし、その江戸藩邸から石田軍記が急使として二本松に急行した。
「大樹公と肥後守が賊軍に貶められただと?」
その知らせを受け取った丹波は、絶句した。
「何かの間違いではないのか」
やっとのことで国元に辿り着いた石田に対して、丹波は思わず疑惑の目を向けた。
「間違いござりませぬ」
負けじと、石田も丹波を睨み返す。
「薩長の陣には、紛れもなく錦旗が翻っていたとの由」
石田の言葉を受けた面々は、しばし言葉を失った。さらに石田は、大樹公と会津肥後守が密かに大阪から船で上方を脱出し、江戸に帰ってきたという話も伝えた。その事実も、俄かには信じ難かった。そもそも、将が兵を置いて逃げ戻るなど、前代未聞である。
ともあれ、藩公の安全確保が最優先事項である。この変事に対し、二本松からは日野源太左衛門、大谷与兵衛、本山大介らに命じて、藩兵を江戸藩邸に急行させた。
父から木村道場の若先生の話を聞かされた翌朝、剛介は日夏道場で成田虎治と顔を合わせた。
「おはよう、虎治」
二本松藩の子どもたちは、年齢に関係なく呼び捨てにする仲であることが多い。
「ああ、剛介か」
虎治が剣先をおろした。その額には、真冬にもかかわらず、既に薄っすらと汗が浮いていた。
「木村先生の砲術の話、聞いたか?」
剛介の質問に対して、虎治は軽く頷いた。
「ああ、俺も父上から聞いた。なんでも、上からのお達しで我々若輩の者に砲術を学ばせるのが、藩の新しい方針らしい」
そこへ、水野進もやってきた。
「何でも、木村先生のご子息の銃太郎様は、五尺七寸もある大きなお方だそうだ。その上、算術にも秀でているそうな」
「ふうむ」
なるほど、砲術とはただ闇雲に撃てば良いというものではないらしい。
「お父上の血をたどれば渡邊東岳様につながるというから、算術もお得意なのだろう」
訳知り顔にうなずく水野の話に、剛介も興味を惹かれた。渡邉東岳は、二本松における和算の大家である。また、砲術の研究にも熱心だった。
二本松では、朝河道場や斎藤道場などで武衛流の砲術を学べた。木村道場でも武衛流を伝授していたはずだか、銃太郎が江戸の江川塾で学んできたという砲術は、西洋の砲術理論に基づくらしい。西洋流の砲術は、特殊な算術で砲の距離や角度を素早く計算し、砲の命中の精度が上がるらしかった。
剛介も父が勘定奉行をしていることもあり、多少の算術は嗜んでいた。だが、銃太郎が教えてくれるのは勘定とは別の、算術らしい。
その知識を身につければ、他の道場で習う者たちよりも、一歩先んじて武功を立てられるだろうか。
「問題は、弘道先生の授業を続けながらどうやって木村道場に通うか、ということだな」
虎治は、本気で悩んでいる様子だった。それもそのはずで、二本松の武士の子は、習い事をいくつも掛け持ちしていることが多い。
剣術師範の日夏弘道は、小野派一刀流の達人である。怒らせると怖いが、からりとした気骨のある人物で、剛介は弘道の剣術を疎かにするのは勿体ないと感じた。藩からの命令であるから砲術を習うのは当然として、何処にしよう。それに、銃太郎はともかく、その父の貫治は恐ろしいので有名である。どうしよう。
「こらあ、お主ら。さっさと支度をせんかあ!」
道場に、雷のような一喝が響いた。道場主の、日夏弘道の怒声である。
三人は、慌てて道着を整えた。
***
一方、大人たちは難しい話をしていた。
「どうもきな臭い」
銃太郎の父、貫治は難しい顔をしていた。
「京都の鳥羽・伏見で、幕府の軍が負けたというのは、まことでござるか」
半左衛門はそっと訊ねた。
「まことらしい。それだけではない。大樹公(慶喜公)と、容保公は兵を置いて早々と大阪から江戸に戻られたそうな。いずれ、薩長は会津討伐を言い出すかもしれぬ」
「会津は辛抱できるでしょうか」
会津に薩長が攻めてくるとなれば、その隣にある二本松藩が巻き込まれるのは必定であった。
「ここだけの話だがな。暮に、密かに会津より鈴木丹下様と土屋鉄之助様がいらしていて、一学様にお目通りしたらしい」
「一学様に……」
丹羽一学は、先年家老になったばかりである。だが丹羽一門の中でも重きを置かれる系譜であるため、その発言力は決して侮れない。
「会津は薩長と断固として戦う、と伝えられたそうな」
貫治は溜息をついた。
「一学様は、まだお若いですからな」
既に半左衛門や寛治は老齢の域に入ってきているが、一学はまだ若かった。その上、剛毅果断といえば聞こえが良いが、老齢の彼等から見ると、いささか気が逸っているようにも見える。
「和左衛門殿などは、五郎君に藩の優秀な者をお付けしてご上洛せしめ、京都警衛の任に当っていただくしかないなどと申される」
貫治は苦虫を噛み潰したような顔をした、
「五郎君は、まだ御年十三ではござらぬか」
「左様。それで帝の信任を得ようというのだが、絵空事と一笑に付されたわ」
勤王は大切であるが、二本松にとってもっと大切なのは、徳川家であった。二本松藩は、二代目長重公が時の将軍徳川秀忠公の恩寵を受けて以来、幕府に忠誠を誓っている。だが、二百五十年余りも泰平の世が続き、陸奥の地に戦火がもたらせられるのは、できれば避けたかった。
「すると、ご子息が二本松に戻られて、剛介らが砲術を習うというのは」
「夷狄だけでなく、薩長の動きも見越してのことであろう。会津が朝敵だとは、論外。だが、薩長の者共は会津に対して恨みを持っているからの。会津の動き次第では、我々も戦に備えなければならぬ」
貫治は、ぬるくなった茶を一口啜った。
「仮に薩長が来るとして、我々は間に合うでしょうか」
半左衛門は、勘定奉行を兼ねていることもあり、藩の財政状況も多少なりとは把握していた。息子たちが砲術を習うのは良いが、その砲も決して安いものではない。火縄銃はともかく、ミニエー銃は一丁十五から十八両もするのだ。銃身だけでは無用の長物であるから、弾もいる。もちろんその他にも、大砲などを購入しなければならぬ。また、中島黄山ら商人に頭を下げて買い求めねばならないだろう。考えるだけで溜息が出そうになるのを、半左衛門はぐっと堪えた。
「薩長は、金だけはたんまり持っているからな」
貫治が皮肉な口調でつぶやいた。
有り体に言うと、二本松藩の財政は決して豊かではない。例えば、元治元年(一八六四年)の水戸藩領内で起きた天狗党の乱には、二本松藩も幕府より討伐の命令を受けた。その際に、侍大将を務めた大谷鳴海は、針道村の豪商宗形善蔵から、六十両を借り入れている。大谷家は代々の重臣であり、一四〇〇石を拝領していたが、生活苦から武士の魂とも言える陣太刀大小を、質草に入れていた。それを一時的に返してもらい、尚且つ、六十両を軍資金として宗形から借り入れたという話が残されている。
この度の「砲術道場にて、子弟に砲術を教授する」というのは良いのだが、そのための銃の費用をまたやりくりせねばならない。
それに対して、貫治の言うように薩長は、金はたんまり持っている。「武士の気概」だけで戦ができる時代は、既に過去の話となっているのを、半左衛門はぼんやりと感じていた。
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