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第三章 常州騒乱
掃討(10)
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翌日、水野九右衛門や平山磯右衛門、松井政之進、井上勘右衛門らを伴い、鳴海は二丁半ほど先にある浄光寺に足を向けた。鳴海が到着するとほぼ同時に、一旦兵を宿に入れた与兵衛も寺西次郎介、青山伊記、佐倉などを連れてやってきた。
浄光寺では、既に源太左衛門が植木や小川平助と共に日立地方の図面を囲んでいた。鳴海や与兵衛らの姿に気づくと、源太左衛門は軽く眉を上げた。
「青柳辺では御苦労であったな」
ねぎらいの言葉に、与兵衛が首を振った。
「何の。敵兵を追っただけで終わりましてございまする」
「左様か」と源太左衛門は軽く笑った。が、どこか上の空である。既に次の戦いに心が向いているらしい。
「山野辺主水正殿が降伏を申し出ていると、外記右衛門殿から伺いましたが」
鳴海の疑問に、源太左衛門は顔を顰めてみせた。
「正確には、山野辺家中の者が幾度も嘆願に来ておるのだがな。『幕府に対して異心無き故、城の囲みを解かれたし』と申し、実際に助川海防城に立てこもる山野辺家中の者も、さほど多くはないらしい。だが、大炊頭様の手の者が与している以上、市川殿はやすやすと投降を認められまい」
源太左衛門の見立てでは、山野辺側が余程の決意を見せない限り、水戸藩側は主水正の降伏を認めないだろうし、家中も恐らく徹底抗戦を唱える者と和議派で割れているだろうというのである。その激烈さと昨日制札場で見た相羽の名前での投稿文の落差に、鳴海は戸惑いを覚えた。
問題はそれだけではない。二十五日から二十九日にかけての金沢合戦で、諸生党は山野辺軍に対してほぼ完全な形で勝利を収めた。その際にもっとも蛮勇を振るったのが、民兵隊を率いる寺門登一郎である。それは良い。だが、その出自が気になるというのだ。
「元は、額田村で幾度も捕縛された経歴のある博徒だそうだ」
鳴海は、顔を顰めた。天狗党があちこちで乱暴を働いていたのは見聞きしていたが、諸生党側でもならず者を使って事に当たらせているというのである。
元博徒が積極的に諸生党に与しているのは、決して純粋に国難を憂えてのことではなく、何らかの見返りを求めているのではないか。事実、源太左衛門の疑念を裏付けるかのように、大沼海防掛の戸祭は金沢合戦における功績を理由として、寺門に二百名ほどの兵を任せた。だが元が博徒であるからか、寺門の言動も粗野な一面があり、どうも戸祭らの目を盗んで押し借りなども働いているらしい。
「あれは、なかなかの曲者かもしれませぬな」
平助の顔も、曇っている。そして平助は、ちらりと鳴海に視線を向けた。
「御家老」
平助の言葉に、思い切ったように源太左衛門が顔を上げた。
「いずれにせよ、助川方面は勝ちを収めつつあるとは言え、引き続き南方の防備を委ねられている。そこで、我が手勢と入れ替えに、鳴海殿らに向かってもらいたい」
「それがしが、でござるか……」
鳴海は、しばし言い淀んだ。拒否するつもりはないのだが、本隊を離れて単独で向かい、他藩の得体の知れない者と共に生死を賭さなければならないというのは、やはり怖い。そんな鳴海の逡巡を読み取ったかのように、平助が微笑を浮かべた。
「五番組には、武勇を誇る者が多くございます。五番組の武威を見せつければ、寺門殿も不用意には荒事を起こしますまい」
そう言われてしまうと、身も蓋もない。五番組が武闘派ばかりと思われるのは、やや心外である。だが、平助の言葉を聞いた与兵衛が傍らで笑っているのを見ると、反論する気にはなれなかった。どうも源太左衛門や平助は、鳴海の気性を知り尽くした上で、その掌の上で転がされているような気もするのだが。
「――五番組の責任も、重大でござるな」
九右衛門がぽつりと呟いたのを聞いて、鳴海も気付いた。戯言のように申し付けられたが、本隊とは別に助川海防城方や諸生党の動きも考慮せねばならず、役回りとしては総大将と遜色ない。その意味を悟ると、今しがた抱いていた感情は雲散霧消した。
「承知仕りましてござる」
鳴海が首を縦に振ったのを見て、源太左衛門の表情が緩んだ。既に大目付の岡には助川方面の偵察を命じてあったため、引き継ぎも兼ねて、一日二日程度は岡を五番組の補佐に回してくれるという。
続けて、軍議は久慈川河岸防備の話題に移った。
湊方面から大発勢や筑波勢が北上して来た場合に備え、与兵衛は久慈浜口の守備に当たる。そこから上流に向かって六番組の殿である青山伊記は留の渡し、同じく六番組の物頭である寺西次郎介は土木内村上手にある竹瓦の浅瀬を押さえる。また、源太左衛門自身は太田村の浄光寺に控え、土木内の渡しには植木次郎右衛門、そして棚倉街道からの渡河地点である河合の渡しには、小川平助が配備された。沿岸沿い、磐城街道沿い、棚倉街道沿いのいずれの道を進むにしても、大発勢や筑波勢は久慈川を渡らねば北上できない。さらに、鳴海は助川方面からの出撃に備え、そのさらに北から囲んでいる諸生党軍と適宜連絡し合いつつ、南方の動き次第では六番組を援護するという方針が定められた。
翌三日朝六ツ時(午前六時)、朝霧の向こうに見える曙光に向かって各隊が出立した。五番組からは連絡役として政之進を太田に残していき、いつでも太田や久慈川沿岸の援護に回れるように手配してある。
「鳴海殿」
出立しようとする鳴海を、源太左衛門が呼び止めた。
「助川海防城の主水正殿の御身の扱い、くれぐれも粗略に致さぬようにな」
鳴海は、眉を上げた。
「主水正様の御真意がどうあれ、水戸藩宗家の重鎮には違いございますまい。かつて守山の助郷騒動の折、守山の民らを諭し帰した一事を鑑みても、決して愚将ではないと思われまする」
「なるほど」
源太左衛門は、微笑を浮かべて鳴海に顔を寄せて、小声で囁いた。
「主水正殿の扱いは、そなたに任せる」
鳴海も源太左衛門に微笑を向けると、踵を返して馬をそのまま隊列の前方に進めさせ、東坂を下り、海岸方面を目指し始めた――。
浄光寺では、既に源太左衛門が植木や小川平助と共に日立地方の図面を囲んでいた。鳴海や与兵衛らの姿に気づくと、源太左衛門は軽く眉を上げた。
「青柳辺では御苦労であったな」
ねぎらいの言葉に、与兵衛が首を振った。
「何の。敵兵を追っただけで終わりましてございまする」
「左様か」と源太左衛門は軽く笑った。が、どこか上の空である。既に次の戦いに心が向いているらしい。
「山野辺主水正殿が降伏を申し出ていると、外記右衛門殿から伺いましたが」
鳴海の疑問に、源太左衛門は顔を顰めてみせた。
「正確には、山野辺家中の者が幾度も嘆願に来ておるのだがな。『幕府に対して異心無き故、城の囲みを解かれたし』と申し、実際に助川海防城に立てこもる山野辺家中の者も、さほど多くはないらしい。だが、大炊頭様の手の者が与している以上、市川殿はやすやすと投降を認められまい」
源太左衛門の見立てでは、山野辺側が余程の決意を見せない限り、水戸藩側は主水正の降伏を認めないだろうし、家中も恐らく徹底抗戦を唱える者と和議派で割れているだろうというのである。その激烈さと昨日制札場で見た相羽の名前での投稿文の落差に、鳴海は戸惑いを覚えた。
問題はそれだけではない。二十五日から二十九日にかけての金沢合戦で、諸生党は山野辺軍に対してほぼ完全な形で勝利を収めた。その際にもっとも蛮勇を振るったのが、民兵隊を率いる寺門登一郎である。それは良い。だが、その出自が気になるというのだ。
「元は、額田村で幾度も捕縛された経歴のある博徒だそうだ」
鳴海は、顔を顰めた。天狗党があちこちで乱暴を働いていたのは見聞きしていたが、諸生党側でもならず者を使って事に当たらせているというのである。
元博徒が積極的に諸生党に与しているのは、決して純粋に国難を憂えてのことではなく、何らかの見返りを求めているのではないか。事実、源太左衛門の疑念を裏付けるかのように、大沼海防掛の戸祭は金沢合戦における功績を理由として、寺門に二百名ほどの兵を任せた。だが元が博徒であるからか、寺門の言動も粗野な一面があり、どうも戸祭らの目を盗んで押し借りなども働いているらしい。
「あれは、なかなかの曲者かもしれませぬな」
平助の顔も、曇っている。そして平助は、ちらりと鳴海に視線を向けた。
「御家老」
平助の言葉に、思い切ったように源太左衛門が顔を上げた。
「いずれにせよ、助川方面は勝ちを収めつつあるとは言え、引き続き南方の防備を委ねられている。そこで、我が手勢と入れ替えに、鳴海殿らに向かってもらいたい」
「それがしが、でござるか……」
鳴海は、しばし言い淀んだ。拒否するつもりはないのだが、本隊を離れて単独で向かい、他藩の得体の知れない者と共に生死を賭さなければならないというのは、やはり怖い。そんな鳴海の逡巡を読み取ったかのように、平助が微笑を浮かべた。
「五番組には、武勇を誇る者が多くございます。五番組の武威を見せつければ、寺門殿も不用意には荒事を起こしますまい」
そう言われてしまうと、身も蓋もない。五番組が武闘派ばかりと思われるのは、やや心外である。だが、平助の言葉を聞いた与兵衛が傍らで笑っているのを見ると、反論する気にはなれなかった。どうも源太左衛門や平助は、鳴海の気性を知り尽くした上で、その掌の上で転がされているような気もするのだが。
「――五番組の責任も、重大でござるな」
九右衛門がぽつりと呟いたのを聞いて、鳴海も気付いた。戯言のように申し付けられたが、本隊とは別に助川海防城方や諸生党の動きも考慮せねばならず、役回りとしては総大将と遜色ない。その意味を悟ると、今しがた抱いていた感情は雲散霧消した。
「承知仕りましてござる」
鳴海が首を縦に振ったのを見て、源太左衛門の表情が緩んだ。既に大目付の岡には助川方面の偵察を命じてあったため、引き継ぎも兼ねて、一日二日程度は岡を五番組の補佐に回してくれるという。
続けて、軍議は久慈川河岸防備の話題に移った。
湊方面から大発勢や筑波勢が北上して来た場合に備え、与兵衛は久慈浜口の守備に当たる。そこから上流に向かって六番組の殿である青山伊記は留の渡し、同じく六番組の物頭である寺西次郎介は土木内村上手にある竹瓦の浅瀬を押さえる。また、源太左衛門自身は太田村の浄光寺に控え、土木内の渡しには植木次郎右衛門、そして棚倉街道からの渡河地点である河合の渡しには、小川平助が配備された。沿岸沿い、磐城街道沿い、棚倉街道沿いのいずれの道を進むにしても、大発勢や筑波勢は久慈川を渡らねば北上できない。さらに、鳴海は助川方面からの出撃に備え、そのさらに北から囲んでいる諸生党軍と適宜連絡し合いつつ、南方の動き次第では六番組を援護するという方針が定められた。
翌三日朝六ツ時(午前六時)、朝霧の向こうに見える曙光に向かって各隊が出立した。五番組からは連絡役として政之進を太田に残していき、いつでも太田や久慈川沿岸の援護に回れるように手配してある。
「鳴海殿」
出立しようとする鳴海を、源太左衛門が呼び止めた。
「助川海防城の主水正殿の御身の扱い、くれぐれも粗略に致さぬようにな」
鳴海は、眉を上げた。
「主水正様の御真意がどうあれ、水戸藩宗家の重鎮には違いございますまい。かつて守山の助郷騒動の折、守山の民らを諭し帰した一事を鑑みても、決して愚将ではないと思われまする」
「なるほど」
源太左衛門は、微笑を浮かべて鳴海に顔を寄せて、小声で囁いた。
「主水正殿の扱いは、そなたに任せる」
鳴海も源太左衛門に微笑を向けると、踵を返して馬をそのまま隊列の前方に進めさせ、東坂を下り、海岸方面を目指し始めた――。
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