鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

掃討(8)

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「目指すは市毛村および枝川。かかれ!」
 与兵衛の怒号が響き渡った。それを合図に、九右衛門や寺西が率いる歩兵が駆け抜けていく。敵兵はまさか那珂川上流側から攻められるとは思っていなかったのか、慌てふためき棚倉街道方面に逃げ去っていくのが見えた。街道を越えたところで、与兵衛は馬をこちらに寄せた。もう騎兵を投入しても良いだろうというのが、与兵衛の判断である。
「政之進」
 鳴海の求めに応じ、政之進が前方へ馬を走らせた。幾ばくもしないうちに、前方が大きく開けた。騎兵突撃の合図である。
 五番組および六番組の騎馬武者らの蹄音あしおとが、台地を轟かせる。
 二本松藩兵と内藤の軍はそのまま中合村、津田村、市毛村と駆け抜けた。そこから右に折れ、枝川村へ入る。距離にして渡河地点からわずか一里ほどだが、一刻ほども敵兵を追い回したところで、再び前方に那珂川が見えてきた。秋晴れの爽やかな気候にも関わらず、きな臭い匂いが鼻をつく。何かが燃やされているのだ。匂いは、此方岸の右手から漂ってきているようだった。
「あれは……」
 内藤の顔色が変わった。右手上流の青柳村には、確か長福寺に幕軍本営が置かれているはずだった。松平頼徳の本意であったかどうかはわからないが、天狗党らは水戸の古刹の一つに火を放ったのだった。
「許すまじ」と内藤が呟いたのが鳴海の耳に入った。その様子をちらりと見て、鳴海は十右衛門を手招いた。
「砲撃の用意を頼む」
「承知した。狙いは対岸の神勢館だな」
「左様。届くか?」
「十分だ」
 十右衛門が口角を上げてみせた。それに軽く肯いてみせると、鳴海は与兵衛に顔を向けた。
「長福寺が燃やされたということは、あの方角に天狗共が逃げたということでございましょう。この場は六番組と内藤殿にお任せ致し、我らは川の上流にいる天狗の残党を追って参りまする」
 与兵衛は眉を上げた。
「無理は禁物ぞ。日が落ちてきたら速やかに市毛村に戻られよ」
「畏まりまして候」
 鳴海は再び馬に跨ると、長槍を手にして背後を振り返った。
「参るぞ」
「はっ」
 長柄奉行の権太左衛門が目を煌めかせ、鳴海を守るように前方に出た。右に政之進、井上が控える。背後には平山磯右衛門が回った。平山と並んで馬を並べているのは、旗奉行の原兵太夫である。荒々しい馬の鼻息に混じって、直違紋の旗指物がパタパタと音を立てているのが聞こえてきた。
 前方にはえびらを背負った成渡や、白刃を下げた市之進らが馬を走らせている。多くの者が入り混じり、何かを叫んでいるはずなのだが、不思議とその音声は聞こえてこなかった。鳴海の耳に届くのは、馬の蹄音と旗の翻る音ばかりである。更に遥か向こうには、白襷しろだすきを掛けた天狗党員らしき農兵らが、目を大きく見開きながら右往左往しているのが、手に取るように見えた。
 千歳の渡河地点にほど近い清水原付近まで、天狗党員を追い立てた頃だろうか。気がつくと、汗で濡れた肌着が冷えてきていた。既に日が陰り始めている。天狗党員は既に対岸側へ逃げたものか、いつの間にかその姿は消えていた。
「鳴海殿。そろそろ、市毛村に戻りませぬか」
 井上が、鳴海に尋ねた。確かに、ぼちぼち引き上げる頃合いである。
「市毛村に戻る」
 鳴海の号令に、全軍が棚倉街道方面を目指す。市毛村に到着すると、鳴海らの帰陣を待ち構えていた与兵衛が、気遣わしげな顔を向けた。
「兵の損失は?」
「ございませぬ。もっともさしたる武功もございませぬが」
「そうか」
 与兵衛がほっとした顔を見せた。その傍らに控えていた十右衛門の顔には、煤がついている。どうやらあのまま、自ら二本松藩の砲撃戦の指揮を取っていたらしかった。
 一行はそのまま中台に進んで宿泊し、付近の農家に分宿した。
 夕餉の席で、鳴海はふと思い出して成渡に尋ねてみた。
「成渡。あの計算はどのような意味があったのだ?」
 結果として幕軍側の勝利には違いなかったが、それにしても成渡の自信は鳴海にとって不思議だった。成渡は笑いながら、肩を竦めた。
「古今の戦例を紐解いて兵力を分析し、気付いたものです。欧米などでは既に火器が戦いの局面において、重要な役割を果たしているそうではございませぬか。一人ひとりの武芸の技量も大事ではございますが、それだけに頼らないで済む方法はないものかと考えまして」
 そう述べると、成渡はちらりと右門の方を振り返った。本人曰く成渡に教わって弓の腕前は上達したというが、皆が名人になれるわけではないというのが、成渡の言い分だった。
 成渡曰く、たとえば今回のような砲術戦の場合、幕軍の兵数が九に対し、天狗勢の兵数が十だったとする。それぞれ狙撃される確率は、幕軍側が十分の九に対して天狗勢は九分の十。この比を取ると、八十一対百となる。その比に別途武器性能の比を乗じると、幕軍の勝利となる計算だというのだ。単なる当てずっぽうではなく、きちんと根拠があってのことだったらしい。
「なるほどな……」
 口ではそう言ってみたものの、鳴海には未だ理解が追いつかなかった。だが、弘道館で助教も勤めたという内藤はくすりと笑った。
「計算が早いですな。しかも、理に適っておられる。戦が終わったら、ぜひ大島殿を弘道館算術方の教授にお招き致したいものですな」
 内藤の言葉に、成渡ははにかんだような笑みを浮かべるに留めた。



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