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第二章 尊攘の波濤
西の変事(7)
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「――断る」
数日後、蔵場丁の三浦屋敷を訪ねていくと、十右衛門は即座にそっけない返答をした。
「何故、今更京で丹波様の指図を受けねばならぬ」
にべもない返事に、鳴海も次の言葉が出てこない。説得する鳴海も、十右衛門の思いはよく理解できるのである。
だが、鳴海自身もどうしても気になることがあった。
「――できれば、それがしも京の情勢の詳細を、誰かに書き送ってもらいたい」
その言葉に、十右衛門がじろりと鳴海を睨みつけた。
「――拙者に探索役の真似事をしてほしい、それだけの理由があるのか?」
自分の思いを言葉にするのは難しい。だが、「命令」という形ではその思いを伝えたくなかった。
ぽつぽつと、鳴海は今までの経緯を話していった。昨年夏に芳之助が脱藩して以来、何かと守山藩は二本松藩にちょっかいを掛けてくる。その裏には、やはり現況への不満を煽ることで、尊攘派の同志を増やそうとしている水戸尊攘派の思惑があるのではないか。だが、彼らの言う「攘夷」が実行されれば、現在生糸の輸出が財政の重要な糧となっている二本松藩は、大打撃を受ける。そして尊攘派の存在は藩論を二分しかねず、万が一の場合、藩公を追い詰めかねない。丹波はそこまで見越しているからこそ、尊攘派に厳しく当たっているのではないか――。
鳴海の言葉を、十右衛門は黙って聞いていた。
「以前にも尋ねたが」
そう言うと、十右衛門は大きく息を吐き出した。
「お主は、二本松が戦に巻き込まれると思うか?」
鳴海もしばらく黙っていたが、以前に小川平助から諭された言葉を口にした。
「――やはり、丹波様は『戦わずして勝つ』方法で、ご自身なりに藩を守ろうとしているのだと、拙者も思う」
十右衛門は、目を閉じて何か考え込んでいる。
今であれば、鳴海もあのとき平助が示した言葉の重みが分かる。昨今の二本松はたびたび警衛を命じられ、財源も人員も足りぬ。浪士共からすれば、そこが狙い目となろう。水戸を始めとする尊攘派を出し抜くには、今はどうしても京の情報がほしい。今は、戦に巻き込まれぬことこそが、肝要。鳴海がそこまで述べると、十右衛門が目を開き、厳しい口調を崩さずにぽつりと呟いた。
「『間を用い、間を用いるは兵法の大事なり』、か……」
かつて、平助はその重要性についても説いていた。十右衛門も、あのときの平助の言葉を思い出したに違いない。
「鳴海殿、一つ尋ねる。お主にとっての敵とは、いかなるものでござるか」
「――我らの民を傷つける者ら、というところでござるかな」
鳴海は曖昧に答えた。自分自身でも、まだその正体が掴めていないところがある。だが、二本松の生糸の生産者は領内の民らであり、生糸輸出の上がりは、今の二本松の財政の一端を担っている。ここ数年天候不順に悩まされているにも関わらず、御用金がどうにか目標額に達したのは、多くの者が生糸生産に携わりそれが儲かったからに違いなかった。針道の宗形善蔵などはそれを誇りとしており、彼らもまた、二本松藩の民には違いない。二本松藩における武士と民の関係とは、そのような関係性である。
「民を守るためには、強いて私情を捨てねばならぬこともある」
鳴海が自身に言い聞かせるように吐き出した言葉を、十右衛門は噛み締めているようだった。そうして、どれくらいの時間が流れただろうか。
「やはり、お主は変わったな」
ふっと、十右衛門が笑った。先日、種橋にも言われた言葉である。
「擬戦の話を聞いたときには、相変わらずの無骨者と思ったが」
「何も、今その話を持ち出すことはなかろう」
鳴海は憮然とした。あの戦いは、鳴海の指揮官としての力量不足を思い知らされた結果でもあったから、持ち出されてあまり嬉しいものではない。
「あれで六番組が西洋兵法を用いたというのは、拙者も聞いた。だが、その結果を如何に今後の軍制に反映させていくかを考えるのは、兄者や拙者の役割。掃部助様と与兵衛様からも、そのように申し伝えられた」
「――分かっておるではないか」
既に、掃部助や与兵衛は十右衛門を説得しようとしていたのだろう。だが、丹波に対する反発心からなかなか首を縦に振らない十右衛門に、手を焼いているに違いなかった。
「上洛の一行に加われば、自ずと他藩の軍制の情報も得られよう。掃部助様や与兵衛様らが仰られたのは、そこまでだ」
十右衛門が、軽くいなした。二人とも生来は温厚な気性であるから、丹波のように居丈高な命令を下すのは抵抗があるのだ。だからこそ、与兵衛は鳴海にあのような示唆を与えたに違いなかった。
「丹波様は、『次期番頭として三浦十右衛門に上洛随行を命じよ』とまで、仰られたらしい」
鳴海は渋々ながら、与兵衛から聞いた秘事を打ち明けた。鳴海の告白が余程思いがけなかったのだろう、十右衛門は大きく目を見開いた。
「異例だな。お主も、番頭就任がこれ程早いとは思わなかったのではないか」
そして、慌てて声を潜めた。同じ敷地内には、尊攘派の一人である権太夫もいる。十右衛門の住まいは権太夫らとは別棟であるから声が届いたとは思わないが、権太夫の耳にこの情報が届けば、またひと悶着起こしかねない。確かに和田弥一右衛門の事があるとはいえ、詰番就任から一年余りで番頭就任というのは異例であり、丹波の意向が強く働いているのは、明らかであった。
鳴海の番頭就任時期までは、まだはっきりとは決まっていないらしい。だが、丹波ら一行が上京中に万が一江戸近辺で変事が起これば、国元は別部隊を現場へ繰り出さねばならない。そのような諸々を考え合わせると、藩が上洛を命じられている十月頃が、鳴海の番頭就任の目安となるだろう。
「まだ、お主に番頭としての命を下したくはない。それがしがお主に京へ行ってほしいというのは、あくまでも、個人的な頼みに過ぎぬ」
鳴海としても、できることならば旧友に上から目線で命じたくはない。また、鳴海が京の情勢が気になるのは、別の理由もあった。
「――芳之助の事が気になるか」
十右衛門の言葉に、鳴海は素直に肯いた。鳴海が清助から「芳之助が京に上っているらしい」との情報を得たのは、この屋敷でのことである。それも先月のことだった。あの席には、十右衛門も同席していた。
十右衛門の言う通り、芳之助の一件は鳴海の中で未だ尾を引き続けている。多忙であり、また番頭職にある与兵衛にこの件を探ってもらうのは、無理があった。ある程度事情に通じており、かつ身軽に動ける身分の者の手助けが必要なのである。
「事の成り行き次第では、追手を出さねばならぬと思うておる」
鳴海の言葉に、十右衛門が両腕を組んだ。その表情は、厳しい。十右衛門としても、甥のしでかした不始末と芳之助の関係は、三浦一族の後難を避けるためにも、断ち切っておきたいに違いない。
鳴海自身も、芳之助が尊攘派の志士として二本松に仇を為すようなことがあれば、情を断ち切って斬り捨てる覚悟を固めねばなるまい。恐らくその役割は、藩からの追放という処分を下した鳴海に回ってくることになる。まして、今は情勢が混沌としており、いつか非情の命令を下す場面が出てくるのではないか。そんな予感がした。
「仕方がないな」
やれやれという様子で、十右衛門はぐるりと首を回した。鳴海は、はっと顔を上げた。
「お主がそこまで番頭としての覚悟を決めているのならば、拙者も応じるしかないではないか」
そう言いながらも、十右衛門はどこか楽しげだった。
「頼む」
甥の権太夫も俊才の誉れが高い一人だが、さして年の変わらない十右衛門もまた、優秀な藩士の一人であった。派手な振る舞いで、人の耳目を集める甥ばかりが目立っている感はあるが。
数日後、蔵場丁の三浦屋敷を訪ねていくと、十右衛門は即座にそっけない返答をした。
「何故、今更京で丹波様の指図を受けねばならぬ」
にべもない返事に、鳴海も次の言葉が出てこない。説得する鳴海も、十右衛門の思いはよく理解できるのである。
だが、鳴海自身もどうしても気になることがあった。
「――できれば、それがしも京の情勢の詳細を、誰かに書き送ってもらいたい」
その言葉に、十右衛門がじろりと鳴海を睨みつけた。
「――拙者に探索役の真似事をしてほしい、それだけの理由があるのか?」
自分の思いを言葉にするのは難しい。だが、「命令」という形ではその思いを伝えたくなかった。
ぽつぽつと、鳴海は今までの経緯を話していった。昨年夏に芳之助が脱藩して以来、何かと守山藩は二本松藩にちょっかいを掛けてくる。その裏には、やはり現況への不満を煽ることで、尊攘派の同志を増やそうとしている水戸尊攘派の思惑があるのではないか。だが、彼らの言う「攘夷」が実行されれば、現在生糸の輸出が財政の重要な糧となっている二本松藩は、大打撃を受ける。そして尊攘派の存在は藩論を二分しかねず、万が一の場合、藩公を追い詰めかねない。丹波はそこまで見越しているからこそ、尊攘派に厳しく当たっているのではないか――。
鳴海の言葉を、十右衛門は黙って聞いていた。
「以前にも尋ねたが」
そう言うと、十右衛門は大きく息を吐き出した。
「お主は、二本松が戦に巻き込まれると思うか?」
鳴海もしばらく黙っていたが、以前に小川平助から諭された言葉を口にした。
「――やはり、丹波様は『戦わずして勝つ』方法で、ご自身なりに藩を守ろうとしているのだと、拙者も思う」
十右衛門は、目を閉じて何か考え込んでいる。
今であれば、鳴海もあのとき平助が示した言葉の重みが分かる。昨今の二本松はたびたび警衛を命じられ、財源も人員も足りぬ。浪士共からすれば、そこが狙い目となろう。水戸を始めとする尊攘派を出し抜くには、今はどうしても京の情報がほしい。今は、戦に巻き込まれぬことこそが、肝要。鳴海がそこまで述べると、十右衛門が目を開き、厳しい口調を崩さずにぽつりと呟いた。
「『間を用い、間を用いるは兵法の大事なり』、か……」
かつて、平助はその重要性についても説いていた。十右衛門も、あのときの平助の言葉を思い出したに違いない。
「鳴海殿、一つ尋ねる。お主にとっての敵とは、いかなるものでござるか」
「――我らの民を傷つける者ら、というところでござるかな」
鳴海は曖昧に答えた。自分自身でも、まだその正体が掴めていないところがある。だが、二本松の生糸の生産者は領内の民らであり、生糸輸出の上がりは、今の二本松の財政の一端を担っている。ここ数年天候不順に悩まされているにも関わらず、御用金がどうにか目標額に達したのは、多くの者が生糸生産に携わりそれが儲かったからに違いなかった。針道の宗形善蔵などはそれを誇りとしており、彼らもまた、二本松藩の民には違いない。二本松藩における武士と民の関係とは、そのような関係性である。
「民を守るためには、強いて私情を捨てねばならぬこともある」
鳴海が自身に言い聞かせるように吐き出した言葉を、十右衛門は噛み締めているようだった。そうして、どれくらいの時間が流れただろうか。
「やはり、お主は変わったな」
ふっと、十右衛門が笑った。先日、種橋にも言われた言葉である。
「擬戦の話を聞いたときには、相変わらずの無骨者と思ったが」
「何も、今その話を持ち出すことはなかろう」
鳴海は憮然とした。あの戦いは、鳴海の指揮官としての力量不足を思い知らされた結果でもあったから、持ち出されてあまり嬉しいものではない。
「あれで六番組が西洋兵法を用いたというのは、拙者も聞いた。だが、その結果を如何に今後の軍制に反映させていくかを考えるのは、兄者や拙者の役割。掃部助様と与兵衛様からも、そのように申し伝えられた」
「――分かっておるではないか」
既に、掃部助や与兵衛は十右衛門を説得しようとしていたのだろう。だが、丹波に対する反発心からなかなか首を縦に振らない十右衛門に、手を焼いているに違いなかった。
「上洛の一行に加われば、自ずと他藩の軍制の情報も得られよう。掃部助様や与兵衛様らが仰られたのは、そこまでだ」
十右衛門が、軽くいなした。二人とも生来は温厚な気性であるから、丹波のように居丈高な命令を下すのは抵抗があるのだ。だからこそ、与兵衛は鳴海にあのような示唆を与えたに違いなかった。
「丹波様は、『次期番頭として三浦十右衛門に上洛随行を命じよ』とまで、仰られたらしい」
鳴海は渋々ながら、与兵衛から聞いた秘事を打ち明けた。鳴海の告白が余程思いがけなかったのだろう、十右衛門は大きく目を見開いた。
「異例だな。お主も、番頭就任がこれ程早いとは思わなかったのではないか」
そして、慌てて声を潜めた。同じ敷地内には、尊攘派の一人である権太夫もいる。十右衛門の住まいは権太夫らとは別棟であるから声が届いたとは思わないが、権太夫の耳にこの情報が届けば、またひと悶着起こしかねない。確かに和田弥一右衛門の事があるとはいえ、詰番就任から一年余りで番頭就任というのは異例であり、丹波の意向が強く働いているのは、明らかであった。
鳴海の番頭就任時期までは、まだはっきりとは決まっていないらしい。だが、丹波ら一行が上京中に万が一江戸近辺で変事が起これば、国元は別部隊を現場へ繰り出さねばならない。そのような諸々を考え合わせると、藩が上洛を命じられている十月頃が、鳴海の番頭就任の目安となるだろう。
「まだ、お主に番頭としての命を下したくはない。それがしがお主に京へ行ってほしいというのは、あくまでも、個人的な頼みに過ぎぬ」
鳴海としても、できることならば旧友に上から目線で命じたくはない。また、鳴海が京の情勢が気になるのは、別の理由もあった。
「――芳之助の事が気になるか」
十右衛門の言葉に、鳴海は素直に肯いた。鳴海が清助から「芳之助が京に上っているらしい」との情報を得たのは、この屋敷でのことである。それも先月のことだった。あの席には、十右衛門も同席していた。
十右衛門の言う通り、芳之助の一件は鳴海の中で未だ尾を引き続けている。多忙であり、また番頭職にある与兵衛にこの件を探ってもらうのは、無理があった。ある程度事情に通じており、かつ身軽に動ける身分の者の手助けが必要なのである。
「事の成り行き次第では、追手を出さねばならぬと思うておる」
鳴海の言葉に、十右衛門が両腕を組んだ。その表情は、厳しい。十右衛門としても、甥のしでかした不始末と芳之助の関係は、三浦一族の後難を避けるためにも、断ち切っておきたいに違いない。
鳴海自身も、芳之助が尊攘派の志士として二本松に仇を為すようなことがあれば、情を断ち切って斬り捨てる覚悟を固めねばなるまい。恐らくその役割は、藩からの追放という処分を下した鳴海に回ってくることになる。まして、今は情勢が混沌としており、いつか非情の命令を下す場面が出てくるのではないか。そんな予感がした。
「仕方がないな」
やれやれという様子で、十右衛門はぐるりと首を回した。鳴海は、はっと顔を上げた。
「お主がそこまで番頭としての覚悟を決めているのならば、拙者も応じるしかないではないか」
そう言いながらも、十右衛門はどこか楽しげだった。
「頼む」
甥の権太夫も俊才の誉れが高い一人だが、さして年の変わらない十右衛門もまた、優秀な藩士の一人であった。派手な振る舞いで、人の耳目を集める甥ばかりが目立っている感はあるが。
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