鬼と天狗

篠川翠

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第二章 尊攘の波濤

針道の富豪(3)

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「――そこで、話は先程の天保小判になりまする」
 黄山がにこやかに解説を加え、懐から一分銀と鳴海が初めて見る銀貨を取り出した。見慣れぬ銀貨は、海の向こうのものなのか、表面に鷲らしき鳥の文様が刻まれている。一方、一分銀は鳴海も時折手にすることがあった。
「鳴海殿。一両は、一分銀何枚になりますか?」
「四枚であろう?」
 子供でも、それくらいは知っている。
「左様。横浜などの運上所では、このメキシコドルラル一枚につき、一分銀三枚と交換できる取り決めとなっております」
「ふむ……。それは、メキシコドルラルでござるか」
 鳴海が海外の通貨を目にしたのは、初めてである。
「持ってみなされ」
 黄山が、鳴海の右の掌にメキシコドルの銀貨を一枚乗せた。
「そのまま、左手を出してくださいませ」
 素直に左手を出すと、黄山は今度は鳴海の左手の上に一分銀を三枚乗せた。
「持ち量りの具合は、如何でござる?」
 しばし考えてみたが、右手と左手の違いは、よく分からなかった。
「重さは同じ具合に思えるが……」
「正解です」
 黄山は、鷹揚に肯いた。
「一分銀三枚は、メキシコドルラル一枚と同じ重量。これを市中の両替商に持っていったと致しましょう。すると、何両になります?」
「四分の三両。半端であるから、一分銀四枚を持ち込み、小判に変えてもらうのが良いだろうな」
 傍らで聞いていた善蔵が、口元を歪めた。それに構わず、黄山は説明を続ける。
「さて、その小判一枚が海の向こうへ持ち出され、売られたとしましょう。メキシコドルラルでいくらになると鳴海様はお思いになりますか?」
 鳴海はしばし考えたが、黙って首を横に振った。鳴海は生まれてこの方、二本松藩領から外へ出たことがないのである。見当もつかなかった。
 鳴海の向こうに座っている善蔵が、指を四本立てた。
「四……ドルラル?」
 一枚のメキシコドルラルが日本へ持ち込まれ、それで商いをして海外へ再び持っていくと、三倍にもなるというのである。何やら、怪しげな話を聞いているようだ。思わず、顔をしかめる。
「外つ国の商人共は、したたかですよ。日本の小判を海の外へ持ち出せば何倍にも利を上げられるため、奴らは敢えて小判での支払いを要求してきまする」
 善蔵は、忌々しげに吐き捨てた。
 鳴海の思考は混乱してきた。なぜ、そのような怪しげなからくりが罷り通るのか。
「細かな計算は難しいのですが、一言で申せば、日本と欧米の金銀の等価比率が異なるのが、そもそもの大きな原因です」
 黄山によると、日本の場合、金一に対して銀はおよそ一〇から一二の比率で交換される。一方、欧米では金一に対して銀は一五から一六の比率で交換される。日本の金は海外と比較した場合、それほど価値が重視されてこなかったということである。
「……すると、日本の金は大量に海の向こうへ流れているということか」
 思わず、身震いした。経済に詳しくない鳴海でも分かる。それは、日本の経済力が疲弊し、国力が下がることを意味した。
「その通りでございます」
 善蔵が、重々しく肯いた。
「……尊攘派が鎖港鎖港と騒ぐのは、だからか」
 国元の結束を見出しかねない尊攘派は、今でも根本的に好意を持てない。だが、黄山の説明によって、鳴海は尊攘派の理屈の一端を理解したのだった。
「鳴海殿。まだ、講義は終わってはおりませぬよ」
 軽く笑いながら、黄山は話を続けた。思わず腰を浮かしかけた鳴海も、改めて正座し直す。
「さて、今しがた鳴海殿がおっしゃられたように、金が日本の外へ流れ出るのは早急に食い止めねばなりませぬ。そこで幕府が改鋳して現在江戸で出回っているのが、こちらの万延小判でございます」
 黄山は、さらに別の小判を取り出した。見た目は天保小判と似ているが、受け取ってみると、天保小判より軽い気がする。思わず、黄山の顔を見た。
「天保小判より、軽いのでは?」
「それだけ、小判に含まれる金が少ないということです」
「なるほど……」
 鳴海は黄山から受け取った万延小判を手にしたまましばし思索に耽っていたが、そこで一つの考えに至った。
「小判に含まれる金が少ないということは、小判一枚当たりの価値は、もしや下がっているのか?」
「さすが鳴海様でございますな」
 黄山は瞬時笑顔を見せたが、すぐに真顔になった。
「江戸やその周辺で騒がれている物価の騰貴の原因は、万延小判の改鋳にもあるでしょう」
は、万延小判の改鋳にもあるでしょう」
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