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第一章 義士
小原田騒動(4)
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一同は大野屋に戻ると、夕餉の膳を共にした。郡山で泊まる予定だったため、宿が気を利かせたものか、食事の席には酒がつけられていた。鳴海が詰番になってからも立て続けにさまざまな出来事があり、彼らと親しむのはこれが初めてである。男同士で差しつ差されつというのも、案外悪くない。
「しかし、先程は驚きましたな。鳴海殿が、幕府の役人に啖呵を切られるとは」
孫九郎が、鳴海の杯に酒を注ぎながらにやりと笑った。この男の正確な歳は知らない。だが鳴海の見た限りでは、先日兵法の教授を受けた小川平助と、さして変わらないほどの年頃ではないか。
「何を申される、孫九郎殿。鳴海殿の『鬼鳴海』の二つ名は、伊達ではございませぬ」
酒が入ったからか、成渡も饒舌になっている。結局、特に五番組の活躍する場面はなかったが、彼らも彼らで、鳴海と親しむ機会を伺っていたのかもしれなかった。
この機会を設けてくれた市之進に、鳴海は感謝した。
「私も漏れ聞いております。確か、夏に脱藩者を追って守山の者とやりあったとか」
市之進の言葉に、鳴海は眉根を寄せた。何かが引っ掛かっている。
「守山か……」
口に出してみて、先程から引っ掛かっていたものの正体がはっきりした。守山藩だ。
夏に新十郎と二人で藤田を追って守山領の阿久津で三浦平八郎と対峙したが、その時の感触と、先程の祭囃子の騒動の感触が似ているのだ。
「笠間殿、何です?その脱藩者の騒ぎというのは」
成渡が怪訝な顔をした。どうやら、彼はあれほどの騒ぎについて知らなかったらしい。
市之進は成渡にあれこれと説明していた。考えてみれば彼の普段の上司は、あのとき鳴海と一緒に守山領まで馬を飛ばした丹羽新十郎なのだった。新十郎は間もなく郡代に昇格するのではないかとも言われており、役目上、市之進とも付き合いがある。市之進が新十郎から騒動の顛末を聞いていたとしても、不思議ではなかった。
「鳴海殿、藤田芳之助を見張っていたのですか?奴はいつの間にか、二本松から姿を消したとは思っていたのですが」
成渡は、怪訝そうな顔をした。
「柄ではないのだがな。丹波様に頼まれて、仕方なくだ」
酒の勢いも手伝って、鳴海の舌も滑らかになる。まったく、探索などは自分の柄ではないと思う。だが、あの時対峙した三浦平八郎は、確かに丹波が警戒するのも肯ける相手だった。
「脱藩した藤田は、以前から水戸に遊学させろと言って聞かなかった。だが、剣の腕を試すだけなら、何も水戸にこだわる必要はない。丹波様は、何か別のことについて警戒されていたのだろう」
事実、目の前にいる市之進が剣術指南として選んだのは、米沢藩である。今振り返っても、あのときの藤田には別の思惑があったに違いなかった。
「で、芳之助殿の脱藩の手引をしたのは、守山藩の者だったと」
落ち着き払った市之進の声が、耳の奥に届いた。鳴海も肯き返す。
「守山藩の三浦平八郎という者が、芳之助の傍らについていた。守山の三浦は、二本松の三浦一族の遠縁だと十右衛門も認めていたし、気になると言えば気になる」
「確かに」
市之進も、鳴海の言葉に考え込んでいる。
「確か、守山藩の御目付役の方でしょう?あの男が、実質的には現在の守山藩を動かしているようなものです」
よく知っている。鳴海は、市之進の情報通にも舌を巻いた。それを指摘すると、「代官同士いつ配置換えになるかわかりませんから、業務に差し支えのないように、情報を交換し合っているのです」と笑った。
それにしても、守山の動きはきな臭すぎる。
四人が黙り込んでいるところへ、「失礼します」という声と共に、すっと部屋の襖が開けられた。途端に、むっと女性の甘ったるい匂いが鼻腔を突き抜けていく。誰が手配したものか、芸妓が数名、そこに手をついて正座していた。
「誰だ、女を呼んだ者は」
鳴海は、一人一人を見据えた。
「鳴海殿が呼んだのではないですか?」
目に見えて、成渡が狼狽した。
「馬鹿を言え。女を呼んで騒ぐ趣味はない」
他の二人も、視線を泳がせている。昨晩、あれほど衛守から詰られてきた手前、とても女と遊ぶ気にもならない。この噂が城下に流れたら、四人はしばらく城下を出歩けなくなる。第一、りんに悪いではないか。
「まあ、つれないですこと」
三味線を抱えた代表格の女が、鳴海を睨みつけた。それも商売の手管のうちかもしれないが、鳴海は気分が悪くなった。
「うちの見世は、金子類様のご指導ご鞭撻を受けた女たちですからね。そんじょそこらの女達とは一味違います。一緒にしないで下さいませ」
「誰だ、それは。そのような者は知らぬ」
鳴海の不機嫌を察したか、成渡が「呼んでいないのだから、去ね」と叱ったが、女達は「既にさる御方からお代を頂戴した手前、何もしないでは我々が叱られます」と、頑として動こうとしない。鳴海はきっと女らを睨みつけたが、却って女らはうっとりとしているではないか。相手が男であれば、鳴海の睨みに恐れをなして退散するのだが、女には逆効果を発揮するだけであった。幼少期に義姉らの玩具にされた苦い思い出が蘇り、鳴海はげんなりとした。
せめて芸だけでも披露させろと騒ぐ芸妓たちを相手に、一同が押し問答を繰り返していると、「やかましい」という声と共に隣の部屋の襖が開けられ、隣室の男が闖入してきた。
あっ、と鳴海は思わず声が漏れた。隣の部屋の主は、今しがたまで話題に上っていた守山藩の三浦平八郎で、その部屋の奥には脱藩した藤田芳之助の姿があり、傍らには黒漆塗りらしき横笛が転がっていた。
「しかし、先程は驚きましたな。鳴海殿が、幕府の役人に啖呵を切られるとは」
孫九郎が、鳴海の杯に酒を注ぎながらにやりと笑った。この男の正確な歳は知らない。だが鳴海の見た限りでは、先日兵法の教授を受けた小川平助と、さして変わらないほどの年頃ではないか。
「何を申される、孫九郎殿。鳴海殿の『鬼鳴海』の二つ名は、伊達ではございませぬ」
酒が入ったからか、成渡も饒舌になっている。結局、特に五番組の活躍する場面はなかったが、彼らも彼らで、鳴海と親しむ機会を伺っていたのかもしれなかった。
この機会を設けてくれた市之進に、鳴海は感謝した。
「私も漏れ聞いております。確か、夏に脱藩者を追って守山の者とやりあったとか」
市之進の言葉に、鳴海は眉根を寄せた。何かが引っ掛かっている。
「守山か……」
口に出してみて、先程から引っ掛かっていたものの正体がはっきりした。守山藩だ。
夏に新十郎と二人で藤田を追って守山領の阿久津で三浦平八郎と対峙したが、その時の感触と、先程の祭囃子の騒動の感触が似ているのだ。
「笠間殿、何です?その脱藩者の騒ぎというのは」
成渡が怪訝な顔をした。どうやら、彼はあれほどの騒ぎについて知らなかったらしい。
市之進は成渡にあれこれと説明していた。考えてみれば彼の普段の上司は、あのとき鳴海と一緒に守山領まで馬を飛ばした丹羽新十郎なのだった。新十郎は間もなく郡代に昇格するのではないかとも言われており、役目上、市之進とも付き合いがある。市之進が新十郎から騒動の顛末を聞いていたとしても、不思議ではなかった。
「鳴海殿、藤田芳之助を見張っていたのですか?奴はいつの間にか、二本松から姿を消したとは思っていたのですが」
成渡は、怪訝そうな顔をした。
「柄ではないのだがな。丹波様に頼まれて、仕方なくだ」
酒の勢いも手伝って、鳴海の舌も滑らかになる。まったく、探索などは自分の柄ではないと思う。だが、あの時対峙した三浦平八郎は、確かに丹波が警戒するのも肯ける相手だった。
「脱藩した藤田は、以前から水戸に遊学させろと言って聞かなかった。だが、剣の腕を試すだけなら、何も水戸にこだわる必要はない。丹波様は、何か別のことについて警戒されていたのだろう」
事実、目の前にいる市之進が剣術指南として選んだのは、米沢藩である。今振り返っても、あのときの藤田には別の思惑があったに違いなかった。
「で、芳之助殿の脱藩の手引をしたのは、守山藩の者だったと」
落ち着き払った市之進の声が、耳の奥に届いた。鳴海も肯き返す。
「守山藩の三浦平八郎という者が、芳之助の傍らについていた。守山の三浦は、二本松の三浦一族の遠縁だと十右衛門も認めていたし、気になると言えば気になる」
「確かに」
市之進も、鳴海の言葉に考え込んでいる。
「確か、守山藩の御目付役の方でしょう?あの男が、実質的には現在の守山藩を動かしているようなものです」
よく知っている。鳴海は、市之進の情報通にも舌を巻いた。それを指摘すると、「代官同士いつ配置換えになるかわかりませんから、業務に差し支えのないように、情報を交換し合っているのです」と笑った。
それにしても、守山の動きはきな臭すぎる。
四人が黙り込んでいるところへ、「失礼します」という声と共に、すっと部屋の襖が開けられた。途端に、むっと女性の甘ったるい匂いが鼻腔を突き抜けていく。誰が手配したものか、芸妓が数名、そこに手をついて正座していた。
「誰だ、女を呼んだ者は」
鳴海は、一人一人を見据えた。
「鳴海殿が呼んだのではないですか?」
目に見えて、成渡が狼狽した。
「馬鹿を言え。女を呼んで騒ぐ趣味はない」
他の二人も、視線を泳がせている。昨晩、あれほど衛守から詰られてきた手前、とても女と遊ぶ気にもならない。この噂が城下に流れたら、四人はしばらく城下を出歩けなくなる。第一、りんに悪いではないか。
「まあ、つれないですこと」
三味線を抱えた代表格の女が、鳴海を睨みつけた。それも商売の手管のうちかもしれないが、鳴海は気分が悪くなった。
「うちの見世は、金子類様のご指導ご鞭撻を受けた女たちですからね。そんじょそこらの女達とは一味違います。一緒にしないで下さいませ」
「誰だ、それは。そのような者は知らぬ」
鳴海の不機嫌を察したか、成渡が「呼んでいないのだから、去ね」と叱ったが、女達は「既にさる御方からお代を頂戴した手前、何もしないでは我々が叱られます」と、頑として動こうとしない。鳴海はきっと女らを睨みつけたが、却って女らはうっとりとしているではないか。相手が男であれば、鳴海の睨みに恐れをなして退散するのだが、女には逆効果を発揮するだけであった。幼少期に義姉らの玩具にされた苦い思い出が蘇り、鳴海はげんなりとした。
せめて芸だけでも披露させろと騒ぐ芸妓たちを相手に、一同が押し問答を繰り返していると、「やかましい」という声と共に隣の部屋の襖が開けられ、隣室の男が闖入してきた。
あっ、と鳴海は思わず声が漏れた。隣の部屋の主は、今しがたまで話題に上っていた守山藩の三浦平八郎で、その部屋の奥には脱藩した藤田芳之助の姿があり、傍らには黒漆塗りらしき横笛が転がっていた。
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