鬼と天狗

篠川翠

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第一章 義士

北条谷談義(4)

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「先程の兄者の言うところの察というのは、このことか」
 鳴海としても、第三の立場にある平助の言葉は嬉しかった。武勇ではなく智を褒められたのは、身内の者以外では、今まであまり例がない。
「丹波殿が鳴海殿にあれこれと申し付けられるのは、丹波殿なりに鳴海殿を信頼されているのかもしれませんな。『間を用い、間を用いるは兵法の大事なり』と申します」
 その言葉に、鳴海の口元が今度は歪められた。確か、間はそれなりに厚遇されるべきと素行は述べていたのではないか。その割に、鳴海が丹波から優遇されたという覚えはない。
 だが、先日新十郎にも「余分なことは口にしない性分だ」と評されたところを見ると、自分ではあまり気に入らないこの性分も、人によっては評価されるのかもしれない。各人の性格への評価とは、わからないものである。
 それにしても、山鹿流の教えを実践していこうとなると、手探りのことが多い。これから先、まだまだ平助から学ぶことは多そうである。
「鳴海殿が番頭として活動されるならば、広く情報を集め、人と交わるのはやはり必須。日頃の職務とは関係がないかもしれませんが、組下の者らは、意外な伝手を持っていることもございます。折を見て、組下の者らと交わられよ」
 与兵衛からも言われた言葉だったが、依然として鳴海が交際が苦手なことには違いない。それでも、平助の親身な助言に、鳴海は頭を下げた。
「御助言、然と承りました」 
 久しぶりの山鹿流の談義は、鳴海にとっても実りの多い時間だった。縫殿助の仕事の手伝いで、組の者らとたまに顔を合わせることはあったが、鳴海は元々人との交わりが苦手である。その上、武芸は万事に渡って達者であるから、どの武芸でも鳴海に打ちのめされるのを厭わしく感じるのか、組の者らが何となく鳴海を畏れているのも感じるのだ。鳴海としても、畏れられるばかりでは、あまり居心地がいいものではない。いっそ、家の女性陣に頼んで、組の者らを招いた茶会でも開くか。そのようなことをつらつらと考えていたときだった。
 玄関先から、「御免」と平助を呼ぶ声がした。その声にも、聞き覚えがある。
「鳴海殿、失礼」
 平助が、片手を挙げて玄関先に向かっていった。鳴海や十右衛門のいる客間まで、その話し声は届いてきた。
 鳴海や十右衛門も、よく知るその声の主は、安部井あべい清介きよすけ。鳴海より一つ年上で、六十五石という小身の安部井又之丞またのじょうの長男だ。だが、小身でありながら父の又之丞はよほど厳しく躾けたものか、勉強は鳴海よりも遥かに出来た。また、清廉潔白で嫌味なほどの優等生。特に古典文芸に通じ、あの長い古事記伝をどこからか手に入れてきて、四年かけて書き写したという経歴の持ち主である。
「そう言えば、安部井家もこの近所だったな」
 鳴海の声に、少しばかり苦々しさが混じった。
「この一帯の山は、概ね小川家の持ち物。季節柄、山の物を取る許しでも請いに来たのであろう」
 十右衛門の解説は、鳴海には実感を伴わないものだった。
 彦十郎家は城のすぐ下にあり、春の山菜取りや秋のきのこ狩りなどを行わなくても、家の菜は賄えるほどの扶持が支給されている。扶持米を元手にある程度現金に変えて、それで必要な物を買っているのだが、安部井家のような小身の家柄は、山へ入って食糧を確保することもあるらしい。もっとも、山には必ず持ち主がいて、好き勝手にその山の物を採取できるわけではない。薪拾いなど、その山に生える物を利用したい人物は、必ず入会権いりあいけんを取得して、山の持ち主に断ってから採取しているのだった。その許可を、小川家に取りに来たのだろうというのが、十右衛門の説明である。
 平助と清介は日頃から馴染みがあるのか、玄関先からは二人が穏やかに談笑している声が聞こえてきた。曰く、蘆洲先生は早暁に裏山で野糞をする奇癖があった。その折に安部井家まで聞こえてきた蘆洲先生の舟歌が二度と聞けないのは、寂しい限り、云々。普段は取り澄ました清介らしからぬ尾籠な話に、思わず鳴海の顔が赤らんだ。
 二人の談笑する声が、こちらへ近づいてくる。どうやら、平助は清介を家に上げたらしい。それであれば、そろそろ帰ろうと鳴海は思った。彦十郎家でも、夕餉の支度をしている時刻である。だが、鳴海が腰を上げかけた丁度その時、客間の襖が開かれた。
「鳴海殿。お久しぶりでござる」
 鳴海は、渋々頭を下げた。それに対して、清介は笑みを浮かべている。鳴海は、この絵に描いたような優等生が苦手だった。
「この度は、縫殿助のこと、誠に御愁傷様でござる」
「いや……」
 何と答えるのが正解なのか、鳴海はまだ掴みかねていた。家として見れば、身分の上でも仕事の役職の上でも、彦十郎家と安部井家の交流はなかった。だが、鳴海が彦十郎家の跡取りとなったからには、鳴海の一挙一動はそのまま彦十郎家の評判にも関わる。そのことを思えば、余分な敵は作らないほうが望ましい。
 先を制したのは、清介だった。
「先日は、守山まで藤田芳之助を追っていき、活躍されたそうではないですか。それも、守山の三浦平八郎を相手に一歩も引かぬ構えだったとか」
 隣にいた十右衛門が、鋭い眼差しを向けた。聞いていないぞ、とでも言いたげである。屋敷に清介を招き入れた平助も、じっとこちらを見守っている。鳴海の器量を、改めて見極めようとしているようだ。
(なぜ、この男が……)
 そう思わないでもなかったが、それを口にするのは憚られた。
「脱藩者を見逃すとは、鳴海殿らしくもない」
 微かに口元を上げた清介の様子を見て、鳴海はようやく言葉を発した。
「守山を通じて、水戸と事を構えるのは愚行でござろう」
 今度は、清介が黙る番だった。何かを考えているようにも見える。さらに、その場の異様な空気を静かに見守る平助。何度か視線が交錯した後、沈黙を破ったのは、家主の平助だった。
「他意があるわけではございませぬな、清介殿」
「無論。誤解を与えたのならば、申し訳ない」
 清介は、そう述べて曖昧な笑みを浮かべた。だが、その視線はまだ鋭い。
「他意がないのならば、良い。私もそろそろ御暇する」
 鳴海は、改めて平助に礼を述べた。ついでだからと、十右衛門も腰を上げた。
 また遠慮なく訪ねてきてほしいという平助に頭を下げると、二人は小川家の門を潜った。


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