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第15話 普通の恋をしたいのです
しおりを挟む光球を出た先はのどかな丘の上の草原でした。森があって湖があって、眼下に町が広がって。
ジルドは草原の真ん中で大きく両腕を広げます。
「ここに大きな屋敷を構えよう! あの大木の枝にブランコをぶら下げてさ、こっちには君の大好きな薔薇園を整えて」
「ねぇ、さっきのミケちゃんの言ってたこと――」
「本当だよ。俺は帝国で一二を争う魔術師だ。って言ってもジジイにはまだ敵わないけど。だからね、あんなちっぽけな銃から身を守るくらい大したことじゃない」
「じゃあなんで……え、もしかしてわたくしに治癒魔法を使わせるため?」
彼は満面の笑みで手を叩きながら「大正解ー」と言いました。いやいやいやいや、おかしいでしょう、死んでしまうかもしれないのに!
「どうしてそんな無茶をするの!」
「君と結婚したいから。他に理由なんてない」
「ば……ばっかじゃないの! わたくしはあなたが死んでしまうかもって、死んでしまったらどうしようって、もう胃が痛くて痛くて」
ゆっくりと近づいて来たジルドが罵るわたくしの手をうやうやしく取りました。ガラス細工を扱うみたいに優しく。
「俺はね、子どもの頃からずっとピエリナだけが大切だった。君を幸せにするためだけに生きてきたんだよ。だから、君の嫌がることはしない」
「あなたが銃で撃たれるのはいやよ」
「じゃあ、今後は気を付けるね。それで、俺との結婚はいや?」
あらためて聞かれると、嫌じゃないとしか答えられません。本当に嫌じゃないというか、ジルドの愛を知ってしまった今、他の人との結婚だなんて考えられないというのが本音です。
ちょっとひねくれ者なわたくしは素直にそうと言いたくない……というのもあるのですけど。でもね、もうひとつ大きな理由があって。
「恋」
「ん?」
「あのね、わたくしが帝国へ来たばかりの頃に『普通の令嬢の生活がしたい』と言ったのを覚えてる?」
「ベッドに寝転んだまま食事をしてもいいって話をしたときだね」
「ええ。それもいずれ挑戦したいわ。それでね、あの時は言えなかったんだけど」
ジルドは一方の手でわたくしの手をとったまま、もう一方の手で指を小さく振りました。すると草原に大きな布が現れたのです。ジルドに手を引かれるまま、わたくしはその布の上に腰を下ろしました。ジルドも横に座ります。
「恋がしてみたいの。素敵な殿方を陰から見つめては溜め息をついたり、ときにはダンスを踊ったりするんですって。ねぇ、デートってどんなことをするのかしら、ジルドはご存じ?」
「あー……。ピエリナ、デートっていうのは男女が二人で食事に行ったり」
「ええ」
「買い物に行ったり、ピクニックをしたりするんだ」
そう言ってジルドはわたくしたちのお尻の下にある布をぽんぽんと叩きました。確かに、これはまるでピクニックだわ。……あら?
「これはデートということ? そういえばダーチャもさっき」
「今までのぜんぶデートだと思ってたよ、俺は」
確かに、ジルドとふたりで外食に出掛けました。お買い物にも行ったし、なんなら旅行だって。
「えっと、恋をするという気持ちがどんなものか知りたかったの。ジルドは恋をしたことは?」
「いましてる、ずっとしてる。君に」
「それはどんな気持ち? 好きな人の話をする令嬢たちはいつもキラキラの瞳でね。恋をするってどういうことなのかしら」
「例えば、ふとしたときにその人のことを考える。今なにをしてるのかな、元気にしてるだろうかって」
ベルトルド殿下のことをそんな風に思ったことはありません。考えるだけ無駄だもの。その代わりにわたくしはいつもジル――あら?
「つ、続けて?」
「一緒に食べるものはなんだって美味しくなるし、一緒だったら何をやっても楽しいし、目に見えるものすべてが華やかに輝きだす、色を持つ。今まで見ていた景色は無味乾燥なものだったのだと思い知る」
ジルドの言葉を聞きながら、わたくしは彼と目を合わせることができなくなっていました。遠くの町を、青い空を眺めてはこの半年を振り返っています。
「わ、わかるような気がするわ。でもそれは友人でも起こり得るのではないかしら」
「では、そうだな……。俺だったら、好きな人の視界の中には常に自分が入っていたいと思うよ。少なくとも、他の男を見てほしくない」
ハッとしました。
クラリッサ嬢が甘やかな声を出したとき、潤んだ目でジルドを見上げたとき、彼の腕に彼女が手を絡ませたとき、すごくすごく胃のあたりがもやもやとしたから。
「それが恋だというの? ではわたくしはもしかして……え、でも」
「恋がどんなものかわかった?」
「わかった気がするわ。でも、だけど、それが恋だと自覚してなかった。これからちゃんと恋だと自覚しながら楽しんでみたいのだけど、どう思う?」
横に座っていたジルドが立ち上がり、わたくしの正面で跪きました。しかもすごく近くよ。そして再びわたくしの手をとったの。
「君は少し鈍感なところがあるからちゃんと確認しておきたいんだけど」
「どうぞ」
「君が自覚したというその恋の相手は、俺?」
ええ、そうよ。
その一言が出ませんでした。びっくりしました。こんなことってあるんですか? 喉につかえたみたいに、たった一言がまるで出て来ないの。
恥ずかしくて、どうにか言葉にしようとしても「あ」とか「その」とか、そんな意味をなさないことしか出ないのです。
心臓がお父様に叱られたときよりもずっと早く動いていて息苦しいし、熱を出したときみたいに顔が熱い。伝えたいけど伝えたくないもどかしさで泣きたくなるし、自分で自分がコントロールできません。
「あの、わたくし、……きゃっ」
ジルドが両の膝をつき、わたくしの手を強く引っ張りました。前のめりに倒れかけたわたくしをジルドが受け止めて、抱きしめます。
「肯定なら頷いてくれたらいい、違ったら首を横に。もう一度聞くよ。その相手は俺?」
彼に抱きしめられながら、必死で頷きました。
そうよ、わたくしが恋をしたのはあなただったの。
次の瞬間、彼はもっともっと強くわたくしを抱き締めて立ち上がりました。いつの間にかわたくしの身体は彼に抱き上げられています。
「結婚しよう、ピエリナ」
「恋を楽しみたいって言ったのに!」
「夫婦で恋を楽しもう」
彼の提案は悪くない気がします。
そうね、せっかく恋を自覚したのに俗世を離れて教会に縛り付けられるだなんて絶対にごめんだわ。
わたくしが頷くと、ジルドは「ひゃっほう!」と叫んで空高く飛び上がりました。
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