上 下
71 / 105
第四章

71:自動防衛システム

しおりを挟む
 闇夜の草むらに溶け込むような濃緑色こみどりいろのローブを身にまとい、男は仲間の信徒達と共に魔法学園に忍び込んでいた。

 聖堂教会より暗殺部隊『使徒』へ下された任務は、大賢者レンの誘拐である。必ず生かして捕らえよと言われているため、魔法学園の人間に見つかるわけにはいかない。

 男が待っていると、偵察に向かわせた信徒の一人が戻ってきた。

「対象は見つかったか?」

「はい。レンと思しき少年奴隷は現在、ジエッタニア姫とともに王族専用の学生寮におりました」

「よくやった。では手はず通りに行くぞ」

 人目につかないよう物陰を進み、月明かりの下で周囲を警戒する。

 そんな中、先頭をいく信徒が『止まれ』を意味するハンドサインを送ってきた。

「どうした?」

「トラップです。ジエッタニア姫の部屋の窓の前に仕掛けられているようです」

 男が確認すると、鈴が吊るされた麻糸が窓辺から地面に向けて二本張られていた。引っ掛けると音が鳴る仕組みのようだ。

(ただの鳴子か……。無いよりはマシだろうが、こんなに目立つように仕掛けるとは素人仕事にもほどがある)

 聖堂教会の暗部としてこれまで生きてきた中で、トラップの張り巡らされた家屋への侵入は幾度となくこなしてきた。

 要人暗殺、誘拐、情報工作などなど。そのすべてを成功させてきたからこそ今ここに生きていられるのだ。この程度のチープなトラップに引っ掛かるような間抜けなどこの使徒の隊員には一人としていない。

「誘拐の対象は大賢者という噂だが、しょせんは眉唾もののようだな。しかし一応突入前に防御魔法を付与しておけ」

「必要ありますかね?」

「念のためだ。相手は無詠唱で魔法を使う事ができるらしい。万一魔法戦になったら不利になるぞ」

「なるほど。では……エルト・ル・ヴェア・ロエブ・ウィンダーレ――ぐあっ!?」

 突然石つぶての魔法がばらまかれ、服に付与された風の防護膜ごと信徒達がぶっ飛ばされた。

(伏兵かっ!?)

 とっさに草むらへ身を隠す。

 だが今ので半数の仲間がやられてしまったらしい。死んではいないようだが、この状況で気を失う事は致命的である。

(くそ、やられた……!)

 おそらくワイヤートラップはあえて目立つよう仕掛けられた囮で、警護の伏兵を用意していたのだろう。

 だが予想していた追撃はなく、辺りは虫の音だけが鼓膜を震わせている。

 魔法を放った伏兵は物音どころか呼吸音一つ立てず、どこにいるのかがまったくわからない。まるで最初からそこに誰もいなかったかのようである。

(なんという手練だ……気配さえ感じさせないとは!)

「がぁっ!?」

 暗闇の中で再び仲間の悲鳴が聞こえた。

 魔法は見えなかったのでトラップに引っ掛かったのかもしれない。

 悲鳴は一度では終わらず、一人、また一人と罠に掛かって倒れていく。更には鳴子まで鳴り響き、人の気配が増した。

(まずい……! 伏兵に気を取られすぎてトラップへの警戒が薄れている!!)

 うかつだったと男は後悔した。

 まさかチープなトラップを見せて油断を誘った上で、別のトラップを隠しておくとは。しかも気配を完全に殺せるほど手練の伏兵を配備しておくなど、使徒の襲撃を予期していたとしか思えない。

(恐るべき遠謀深慮えんぼうしんりょの持ち主だ。まさに大賢者の名に相応しい……。なるほど、テラミス王女殿下がその力を欲するのも道理というわけか!)

 男が苦渋に顔を歪めていた、その時だ。

「誰かいるの?」

 突如窓が開かれた。中から白銀の半獣人であるジエッタニア王女が顔を出す。

(バカめ、油断したな! ジエッタニア王女を誘拐してレンをおびき寄せるための人質にしてやる……!!)

「お前達、王女を狙え! エルト・ラ・スロヴ・ランゼス・ウィンダーレ!」

「ひゃっ!?」

 男の杖先から風の槍が雨のように放たれる。

 当たりどころが悪ければ命はない。多少の防御魔法など意にも介さぬ威力を込めたその魔法を、殺さないようジエッタニア王女の手足のみに集中させる。

 しかし――

「なにぃっ!?」

 その光景に、男は我が目を疑った。

 すべての魔法がことごとく防御障壁に弾かれたのだ。

「あー、ビックリしたぁ」

 慌てて窓から離れるジエッタニア王女。

(バカな……!? すべてを一瞬で防いだだと……!?)

 防御魔法にしては尋常ならざる数だった。多重展開するにも限界はあるのだ。

 術者の腕にもよるが、障壁を五枚張れれば熟練者と言われる。十枚も展開できるなら宮廷魔法使いにもなれるほどの実力者である。それを見越して十以上の風の槍を仲間と共に一点集中したのだ。

 それが、防がれた。

(つまり、かの大賢者レンは少なくとも宮廷魔法使い以上の実力を持つという事なのか……!?)

 恐るべきその実力に、男は震え上がる。

 人目に付いた以上、もはやレンの誘拐任務は続行不可能だ。今はこの事を聖堂教会とテラミス王女へ報告する事が最優先だろう。

 苦虫を噛み締める思いで、男は仲間の信徒を動けるだけ集めてその場から逃げ出した。



 ***



 報告が届いたのは、翌朝テラミスが桶の湯でメリナに体を洗ってもらっていた時だった。

「失礼致します! テラミス王女殿下はいらっしゃいますか!?」

 駆け込む勢いで男の声が聞こえ、メリナが護身用のナイフをつかみ取る。

「どなたですか?」

「失礼! 私は使徒所属の司祭でございます。急ぎご報告をと思いまして」

「テラミス様は湯浴みの最中です。後ほどなさってください」

「いいわ、報告なさい」

「よろしいのですか?」

「ドア越しでも話くらい聞けるわ。それでどうしたの?」

「はい。昨夜、使徒の信徒達が大賢者誘拐の任を受けて王立魔法学園へ向かったのですが、およそ半数が捕縛され、失敗したとの事でございます!」

「は……?」

 思わずテラミスはドアへ目を向けた。メリナも体を洗う手が止まっている。

「あなた達『使徒』は、聖堂教会の信徒の中でも選りすぐりの戦士なのよね?」

「そのつもりではございますが……」

「なのにレンを捕まえ損ねたという事?」

「申開きの言葉もございません……」

 司祭は沈んだ声音で答えた。それほどまでに完敗だったのだろう。

「……まぁいいわ。それで失敗の原因は?」

「はい。なんでもジエッタニア様の部屋の周囲に多数のトラップが仕掛けられていた上、恐るべき伏兵がいたとの事で……」

「伏兵とは?」

「手練れの信徒の目耳をしても気配すら感じさせず、詠唱もなしに魔法を乱発し、宮廷魔法使いに優るとも劣らない数の防御魔法を施せる者がいたようです」

「ジエッタニアにそんな凄腕の魔法使いが付いているという情報はないわ。あるとすれば大賢者であるレンではなくて?」

「可能性はございます……」

 再び司祭の声音が重く沈む。

(気配すら感じさせずに魔法を使い、たやすく暗殺者達を退ける大賢者ね……。ますます欲しくなったわ)

「それと、ご報告はもう一つございます」

「話しなさい」

「王国魔法騎士団に動きありとの情報が入りました」

「王国魔法騎士団という事は、ハーヴィンお兄様が?」

「はい。おそらく王太子殿下もかの大賢者を狙っているのでしょう」

「そう……レンを巡ってお兄様と奪い合いというわけね」

 メリナにタオルで体を拭かれながら、テラミスは口元を歪めて笑った。

 相手も動くというなら、それより早く動くまでだ。

「聖堂騎士団を動かしなさい。王立魔法学園にいるわたくしの支持者達には避難命令を出すように」

「テラミス様!? よもや王都を戦場にするおつもりですかっ!?」

「戦場にするのは魔法学園だけよ。何なら更地にしてもいいわ。レンを奪われるくらいならね」

「さ、さすがにそれは……。貴族のご子息も通う学園なのですよ?」

 なおも渋る司祭に、テラミスはため息をついた。

 体を拭くメリナの手を払い除け、そばに置いてあった宝玉を手に取る。

「王位継承権を持つ王族で、現在生き残っているのは三人。エムトハの魔術師を持つわたくしと、アラマタールの杖を持つジエッタニア。そしてファラガの笛を持つハーヴィンお兄様。それぞれが王家の秘宝を有している。でも一人だけ、このパワーバランスを崩しかねない存在を有する者がいるわ」

「……それは一体?」

「まだわからないの? この戦い、わたくしとハーヴィンお兄様のどちらかで、レンを手にした陣営が勝利を収めるという事よ」

 テラミスは王宮から逃げる際に出くわした錬の姿を思い出す。

 彼は両手に杖をそれぞれ持って魔法を行使していた。

 あの杖は魔石銃という魔法具らしいが、あんな物を作れる魔法使いなどこの国には他に誰一人としていない。

「ジエッタニアは支持基盤もなく取るに足らないお飾り王女だけれど、あの子には大賢者が付いている。彼の英知は王国の秘宝にも優る力を持っているわ」

「魔石の入手経路を封鎖してもなお……でございますか?」

「魔石の貯蔵がなくならない限りはね。だからこそ聖堂騎士を派兵するのよ」

 王国魔法騎士団が錬を狙うなら、それより先に聖堂騎士団が錬をかすめ取るのだ。

 いかに強固な防御魔法が使えようと、魔石は使うほどに消耗し、いずれは枯渇する。錬を狙うならそこだ。

「魔石を山ほど持って行って、王立魔法学園へ魔法を放ちなさい。かの大賢者レンを無力化するため、魔石の消耗戦を強いるのよ」

「御意に!」

 司祭は素早くドアから離れていく。

(魔石がなくなる時が楽しみね)

 テラミスは不敵に口元を歪めて笑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

歩くだけでレベルアップ!~駄女神と一緒に異世界旅行~

なつきいろ
ファンタジー
 極々平凡なサラリーマンの『舞日 歩』は、駄女神こと『アテナ』のいい加減な神罰によって、異世界旅行の付き人となってしまう。  そこで、主人公に与えられた加護は、なんと歩くだけでレベルが上がってしまうというとんでもチートだった。  しかし、せっかくとんでもないチートを貰えたにも関わらず、思った以上に異世界無双が出来ないどころか、むしろ様々な問題が主人公を襲う結果に.....。 これは平凡なサラリーマンだった青年と駄女神が繰り広げるちょっとHな異世界旅行。

W職業持ちの異世界スローライフ

Nowel
ファンタジー
仕事の帰り道、トラックに轢かれた鈴木健一。 目が覚めるとそこは魂の世界だった。 橋の神様に異世界に転生か転移することを選ばせてもらい、転移することに。 転移先は森の中、神様に貰った力を使いこの森の中でスローライフを目指す。

異世界でお金を使わないといけません。

りんご飴
ファンタジー
石川 舞華、22歳。  事故で人生を終えたマイカは、地球リスペクトな神様にスカウトされて、異世界で生きるように言われる。  異世界でのマイカの役割は、50年前の転生者が溜め込んだ埋蔵金を、ジャンジャン使うことだった。  高級品に一切興味はないのに、突然、有り余るお金を手にいれちゃったよ。  ありがた迷惑な『強運』で、何度も命の危険を乗り越えます。  右も左も分からない異世界で、家やら、訳あり奴隷やらをどんどん購入。  旅行に行ったり、貴族に接触しちゃったり、チートなアイテムを手に入れたりしながら、異世界の経済や流通に足を突っ込みます。  のんびりほのぼの、時々危険な異世界事情を、ブルジョア満載な生活で、何とか楽しく生きていきます。 お金は稼ぐより使いたい。人の金ならなおさらジャンジャン使いたい。そんな作者の願望が込められたお話です。 しばらくは 月、木 更新でいこうと思います。 小説家になろうさんにもお邪魔しています。

社畜だけど転移先の異世界で【ジョブ設定スキル】を駆使して世界滅亡の危機に立ち向かう ~【最強ハーレム】を築くまで、俺は止まらねぇからよぉ!~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
ファンタジー
 俺は社畜だ。  ふと気が付くと見知らぬ場所に立っていた。  諸々の情報を整理するに、ここはどうやら異世界のようである。  『ジョブ設定』や『ミッション』という概念があるあたり、俺がかつてやり込んだ『ソード&マジック・クロニクル』というVRMMOに酷似したシステムを持つ異世界のようだ。  俺に初期スキルとして与えられた『ジョブ設定』は、相当に便利そうだ。  このスキルを使えば可愛い女の子たちを強化することができる。  俺だけの最強ハーレムパーティを築くことも夢ではない。  え?  ああ、『ミッション』の件?  何か『30年後の世界滅亡を回避せよ』とか書いてあるな。  まだまだ先のことだし、実感が湧かない。  ハーレム作戦のついでに、ほどほどに取り組んでいくよ。  ……むっ!?  あれは……。  馬車がゴブリンの群れに追われている。  さっそく助けてやることにしよう。  美少女が乗っている気配も感じるしな!  俺を止めようとしてもムダだぜ?  最強ハーレムを築くまで、俺は止まらねぇからよぉ!  ※主人公陣営に死者や離反者は出ません。  ※主人公の精神的挫折はありません。

本日は、絶好の婚約破棄日和です。

秋津冴
恋愛
 聖女として二年間、王国に奉仕してきたマルゴット。  彼女には同じく、二年前から婚約している王太子がいた。  日頃から、怒るか、罵るか、たまに褒めるか。  そんな両極端な性格の殿下との付き合いに、未来を見れなくなってきた、今日この頃。  自分には幸せな結婚はないのかしら、とぼやくマルゴットに王太子ラスティンの婚約破棄宣が叩きつけられる。  その理由は「聖女が他の男と不貞を働いたから」  しかし、マルゴットにはそんな覚えはまったくない。  むしろこの不合理な婚約破棄を逆手にとって、こちらから婚約破棄してやろう。  自分の希望に満ちた未来を掴み取るため、これまで虐げられてきた聖女が、理不尽な婚約者に牙をむく。    2022.10.18 設定を追記しました。

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

前世は剣帝。今生クズ王子

アルト
ファンタジー
生きる為に剣を執り、剣に殉じ、剣に死んだ男。 彼は後世にて『剣帝』と讃えられた。 生きる為には戦う技術を身につけるしか道は無かった。ゆえに剣を執ったに過ぎず、常に死が隣に迫ってきていた彼の口癖は ——〝心は常在戦場〟 そんな彼は死後、ひょんな事からとある王国の第3王子として転生を果たす。王子という立場上、何もせずに普通以上の暮らしができることから数年後。 第3王子は例を見ない堕落しきった〝クズ王子〟として諸国に名を馳せる事となるが——?! 世界は〝剣帝〟を堕落させたまま終わらせる気などさらさらなかった。

未亡人となった側妃は、故郷に戻ることにした

星ふくろう
恋愛
 カトリーナは帝国と王国の同盟により、先代国王の側室として王国にやって来た。  帝国皇女は正式な結婚式を挙げる前に夫を失ってしまう。  その後、義理の息子になる第二王子の正妃として命じられたが、王子は彼女を嫌い浮気相手を溺愛する。  数度の恥知らずな婚約破棄を言い渡された時、カトリーナは帝国に戻ろうと決めたのだった。    他の投稿サイトでも掲載しています。

処理中です...