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第一章
4-9 語られる真実
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最初に声を発したのはベーヴェだった。
「まさか、そんな……!」
彼は愕然とした表情のまま膝を折り、口を大きく開いている。石を放り込んでも気付かなさそうだ。
だが、ベーヴェに対し、エルは怒鳴り声を上げた。
「なにが、まさか、そんな……だ。この愚か者が!」
「ひっ!」
「吾の魂は、ラックスの魂に幾分か混ざり合っている。右目を抉り出すだと? 同時に吾の魂も引きずり出され、ラックスは死ぬぞ! この大嘘つきめ!」
ベーヴェが黙って俯いていることから、エルの言っていることは事実なのだろう。
しかし、なにもかもが分からない。
俺は勇者様を見て首を傾げる。勇者様も俺を見て首を傾げていた。
「で、ですが魂は見つからず、探し出す方法も分からなかったのです! 消えてしまったと考えてもしょうがないでしょう! 自分なりに考えて、姉上の力をこの身に宿し、新たな魔王になるのが正しいと――」
「黙れ! 料理人の分際で次代の魔王だと? 調子にノりおって!」
「料理は趣味ですからね!? 魔王の右腕として、辣腕を振るっていたではありませんか、姉上!」
「「姉上?」」
「どちらでもいいわ! 吾の魂が見つかった以上、従わぬか! この愚弟が!」
「「愚弟」」
どうやらこの二人、姉弟らしい。しかもエルは魔王。ベーヴェはその料理人で右腕。右腕で料理人? まぁどちらでもいいか。
つまり、この場には勇者、魔王、魔王の右腕、平兵士が集っている。……完全に俺だけ浮いているじゃないか。
エルは一頻りベーヴェを叱った後、足を組んで息を吐いた。俺の肩の上で偉そうに。
「すまんな、ラックス。こやつが迷惑をかけた」
「あぁ、いや、助かったよ。ありがとな。……ところで、さ」
「なんだ?」
「俺は、どうしたらいいんだろう」
ずっと助けてくれた妖精さんは魔族の王で、人類の敵だった。
俺は勇者様の仲間で、魔族と敵対している。
ただ困り果てていると、エルが神妙な顔で頷いた。
「これより全て説明しよう。それを聞いてから、どうするかを決めてくれ。ラックスも、勇者も、な」
「わたしも?」
「あぁ、お主もだ」
そしてゆっくりと、魔王エル=ウィズヴィースは、全てを語り始めた。
◇
世界には大まかに、二種類の種族がいた。
青き血の有翼人種。赤き血の人間種。この二種類だ。
しかし、立場には大きな違いがあった。
白く美しい翼を持ち、人間よりも優れた知能と魔力を備えた有翼人は、人間という種を下に見始める。そして、人間も彼らを崇め、それで良しとしてしまった。
長い時、その関係は変わらなかった。
だがしかし、違和感を覚える有翼人と人間が、少しずつ出始める。
数人、十数人、数十人。彼らは気付かれぬよう、人里離れた場所で、同じ立場で暮らし始める。
そしてそうなれば、当たり前のように有翼人と人間の番いが出来始めた。二つの種族、その両方の血を持って産まれた者は、後に魔族と呼ばれる者になった。
幸せな時間だっただろう。少しずつ有翼人が、人間が、魔族が増えていく。どちらが上などと決めることはなく、互いを尊重して生きているのだから。
時間が経てば、その土地だけでは足らず、彼らは新天地を求めた。……今、暗黒大陸と呼ばれている土地だ。
過酷な環境化ではあったが、彼らはまだ幸せであった。そう、この時までは。
――気付かれたのだ。
最早地上に見切りをつけ、天空に大陸を浮かばせ、自分らを「神」と自称し始めていた、傲慢なる有翼人たちに。
平和を愛していた魔族と共に暮らす者たちは、彼らに対話を望んだ。
しかし、それは叶わない。対話の席へ着くこともせず、先に攻勢へ出たのは傲慢なる有翼人たちだった。
これに対し、優しき有翼人と人間は、戦わざる得なくなる。だがそれは倒すためではなく、より多くを逃がすための時間稼ぎだった。
新たな種である魔族。特にその幼子たちを暗黒大陸へと逃がす。彼らはそのために戦い、儚く散った。
――数百年の時が経つ。
強く、美しく成長した漆黒の翼を持ちし魔王エル=ウィズヴィースは、有翼人たちへの宣戦布告を行った。準備は整った、と。
しかし、彼らは戦うことすらせず、代わりに人間たちへ魔族を攻めさせた。
魔族は人と戦いたくはない。だが、戦わなければ殺される。長く、意味の無い戦いが続いた。
それを空高くから、まるでゲームの盤上を眺めるように見ていた有翼人たちは、新たな遊びを思いつく。
別の駒を増やす術法。異世界から、勇気ある者を召喚する術である。
誰の呼び出した勇者が魔王を討つか。彼らは人間たちから多大な供物を集め、数えきれないほどの勇者を召喚した。
そして、魔王は討たれた。
だが純血である魔族には、有翼人と同じく不死に近い特性がある。長い時はかかろうとも、魔王が生き返ることは分かっていた。
しかし、それに反発する魔族が現れる。魔貴族と呼ばれていた者たちだ。
彼らはベーヴェの隙を狙い、安置されていた魔王の体をバラバラに切り分けて喰らった。そして、その力の一端を得ることに成功したのだ。
ベーヴェは、当たり前のように激怒した。だが、僅かとはいえ、最強と呼ばれた魔王の力を得た魔族たちのほとんどが敵に回ったのだ。勝利することはできなかった。
戦いが終わり、魔貴族たちは、ベーヴェの体も喰らおうとした。
しかし、それに反発する魔貴族たちがいた。魔王の体を喰らわず、隠して保存した魔貴族たちである。
魔王派、とでも言えばいいだろうか。
彼らはベーヴェを罵倒し、弄び、玩具のように扱いながらも……生かすことに成功した。ベーヴェも、彼らがそうしてくれなければ殺されていたことに気付いていたため、糾弾するようなことはしなかった。
彼らはその力のほとんどを失ったベーヴェを中心として誓う。
いつか必ず、魔王を復活させる、と。
だが、その際に大きな問題が見つかった。
魔王の体を集めることができたとしても、魂が失われていたのである。
魂無き体など、ただの器に過ぎない。魔王派の者たちは計画を変更せざる得なかった。
そして出された答えが、魔王の体を集め、ベーヴェがそれを喰らう。……新たな魔王ベーヴェ=ウィズヴィースを誕生させることだった。
ベーヴェは屈辱に耐えながら、まずはオルベリアに頭を下げた。
いつか、姉の体を取り戻し、彼女の力を奪うために。
――魔王エル=ウィズヴィースは、魔貴族たちの動きへ気付いていた。
しかし、それを伝える手段が無い。彼女は口惜しく思いながらも、ギリギリのところで己の魂だけは逃がすことに成功した。
エルは魂だけの状態で生き延びる方法を模索する。まず、暗黒大陸に居てはダメだと、別の大陸へと向かった。
だが、有翼人の手が入っていない大陸などは無い。どこへ行っても、必ず存在を嗅ぎつけられる。
そう思っていた中で、ある戦乱へと遭遇した。
傭兵王ミューと呼ばれる、可愛い名前の青年の率いる傭兵団が、悪しき王を撃ち滅ぼし、新たな国を建国したのだ。
本来、あり得ることではない。エルが不思議に思いながら見ていると、あることに気付いた。…… 彼らは、青き血の呪縛から逃れていた。
この大陸ならば、隠れ潜むことができる。エルは確信を持ち、それを果たせる肉体を探し始めた。
慎重に、長い時間を掛け、彼女は探す。見つからぬよう隠れながら、条件を満たせる者を。
この国は、有翼人にとって罪びとに他ならない。早く滅ぼしたいと、そう考えていることは間違いなかった。
だからこそミューステルム王国では、異世界勇者召喚術が行われるだろうと、エルは考えた。有翼人が魔族に手を貸している以上、ミューステルム王国に勝利は無い。最後に勇者へ頼るのは、この世界では至極当然のこと。そして、有翼人たちはそれを喜んで受け入れるだろう。
勇者を呼ぶということは、自分たちに屈したという意味に他ならないからだ。
エルは探した。
勇者が呼ばれるとき、その近くに居る体を。
兵士になる可能性の高い、正義感の強い人間を。
取り柄などはなく、目立たない平凡な存在を。
……そして都合良く、一人の人間が見出された。
道具屋の次男坊。正義感が強く、王国の兵になりたいと望んでいる。能力は平凡。少し運が良いだけの少年だ。
エルは、運が悪い人間だ、と思った。いつか彼を殺して、勇者の体に乗り移る。彼女にとっては、それまでの繋ぎにしか過ぎない。
こうしてラックス=スタンダードの左腕の薬指は、魔王の魂が宿った副作用で黒く染まり、少しずつ魔力を吸われ続けているせいで、魔法の使用にも制限がかけられる。並以下。平兵士と呼ぶに相応しい存在になる運命が決まった。
よく遊ぶ少年だった。
よく笑う少年だった。
よく走る少年だった。
よく本を読む少年だった。
よく剣を振り、槍を使い、盾を持ち、魔法を学ぶ。
ラックスは、努力を怠らない少年だった。
優しい彼は、よく人を助けようとして、窮地に陥ることがあった。
だからだろうか。少しずつ貯めている貴重な魔力を消耗すると分かっていながらも、つい口を開いていた。
『危ないぞ!』
エルは、彼に注意喚起をしていた。
自分では、死なれては困るからだと思っている。いや、思い込んでいた。
だが一度やってしまえば二度となり、三度四度と続いてしまう。気付けばラックスに、妖精さんと呼ばれるようになっていた。
それでもエルは、彼に情などは湧いて無いと信じ切っていた。人間も嫌いだと疑わなかった。
予定通り、ラックスは兵士になる。そして三年が経ち、異世界勇者召喚術が行われた。
準備していたままに召喚術へ割り込み、ラックスの上に勇者が召喚される。
お別れだな、とエルは思う。胸が痛むこともなく、惜しむこともない。
そう思いながらラックスへ目を向けるとだ。
――途端、彼女の中に様々な感情が溢れ出した。
最初は無関心だった。
直に、怪我をすると心配するようになった。
母のような目で見ていた。
姉のような目で見ていた。
仲間のような目で見ていた。
友のような目で見ていた。
家族のような目で見ていた。
彼女にとって、ラックスは掛け替えのない存在となっていた。
『……殺せない』
この日、魔王エル=ウィズヴィースは、長い時間をかけた計画を頓挫させた。
己の甘さから、平凡な青年を殺すことができずに。
◇
エルの話が終わり、静寂が訪れる。
呆然としている俺に、勇者様が言った。
「確かにラックスさんのことを知ったら殺せないわよね。わたし、その気持ち分かるわ」
「……自分にはさっぱり分からないのですが」
「えっ」
「だって、長い時間を掛けたんですよ? 大儀のためならば、多少の犠牲はやむなしではありませんか?」
俺の言葉を聞き、ベーヴェが何度も頷く。エルは苦笑いを浮かべ、勇者様は拳を握ってプルプルと震え――ぶん殴られた。
殴り飛ばされた俺は、地面へ仰向けに倒れる。よろよろと起き上がり、勇者様に聞いた。
「な、なぜ殴られたんでしょうか……?」
「そういうところよ」
「どういうところですか?」
「そういうところよ」
「あの、具体的に」
「そういうところよ」
「は、はい」
有無を言わさぬ感じからして、教えてはもらえない。
とりあえず、そういうところらしい。……さっぱり分からなかった。
「まさか、そんな……!」
彼は愕然とした表情のまま膝を折り、口を大きく開いている。石を放り込んでも気付かなさそうだ。
だが、ベーヴェに対し、エルは怒鳴り声を上げた。
「なにが、まさか、そんな……だ。この愚か者が!」
「ひっ!」
「吾の魂は、ラックスの魂に幾分か混ざり合っている。右目を抉り出すだと? 同時に吾の魂も引きずり出され、ラックスは死ぬぞ! この大嘘つきめ!」
ベーヴェが黙って俯いていることから、エルの言っていることは事実なのだろう。
しかし、なにもかもが分からない。
俺は勇者様を見て首を傾げる。勇者様も俺を見て首を傾げていた。
「で、ですが魂は見つからず、探し出す方法も分からなかったのです! 消えてしまったと考えてもしょうがないでしょう! 自分なりに考えて、姉上の力をこの身に宿し、新たな魔王になるのが正しいと――」
「黙れ! 料理人の分際で次代の魔王だと? 調子にノりおって!」
「料理は趣味ですからね!? 魔王の右腕として、辣腕を振るっていたではありませんか、姉上!」
「「姉上?」」
「どちらでもいいわ! 吾の魂が見つかった以上、従わぬか! この愚弟が!」
「「愚弟」」
どうやらこの二人、姉弟らしい。しかもエルは魔王。ベーヴェはその料理人で右腕。右腕で料理人? まぁどちらでもいいか。
つまり、この場には勇者、魔王、魔王の右腕、平兵士が集っている。……完全に俺だけ浮いているじゃないか。
エルは一頻りベーヴェを叱った後、足を組んで息を吐いた。俺の肩の上で偉そうに。
「すまんな、ラックス。こやつが迷惑をかけた」
「あぁ、いや、助かったよ。ありがとな。……ところで、さ」
「なんだ?」
「俺は、どうしたらいいんだろう」
ずっと助けてくれた妖精さんは魔族の王で、人類の敵だった。
俺は勇者様の仲間で、魔族と敵対している。
ただ困り果てていると、エルが神妙な顔で頷いた。
「これより全て説明しよう。それを聞いてから、どうするかを決めてくれ。ラックスも、勇者も、な」
「わたしも?」
「あぁ、お主もだ」
そしてゆっくりと、魔王エル=ウィズヴィースは、全てを語り始めた。
◇
世界には大まかに、二種類の種族がいた。
青き血の有翼人種。赤き血の人間種。この二種類だ。
しかし、立場には大きな違いがあった。
白く美しい翼を持ち、人間よりも優れた知能と魔力を備えた有翼人は、人間という種を下に見始める。そして、人間も彼らを崇め、それで良しとしてしまった。
長い時、その関係は変わらなかった。
だがしかし、違和感を覚える有翼人と人間が、少しずつ出始める。
数人、十数人、数十人。彼らは気付かれぬよう、人里離れた場所で、同じ立場で暮らし始める。
そしてそうなれば、当たり前のように有翼人と人間の番いが出来始めた。二つの種族、その両方の血を持って産まれた者は、後に魔族と呼ばれる者になった。
幸せな時間だっただろう。少しずつ有翼人が、人間が、魔族が増えていく。どちらが上などと決めることはなく、互いを尊重して生きているのだから。
時間が経てば、その土地だけでは足らず、彼らは新天地を求めた。……今、暗黒大陸と呼ばれている土地だ。
過酷な環境化ではあったが、彼らはまだ幸せであった。そう、この時までは。
――気付かれたのだ。
最早地上に見切りをつけ、天空に大陸を浮かばせ、自分らを「神」と自称し始めていた、傲慢なる有翼人たちに。
平和を愛していた魔族と共に暮らす者たちは、彼らに対話を望んだ。
しかし、それは叶わない。対話の席へ着くこともせず、先に攻勢へ出たのは傲慢なる有翼人たちだった。
これに対し、優しき有翼人と人間は、戦わざる得なくなる。だがそれは倒すためではなく、より多くを逃がすための時間稼ぎだった。
新たな種である魔族。特にその幼子たちを暗黒大陸へと逃がす。彼らはそのために戦い、儚く散った。
――数百年の時が経つ。
強く、美しく成長した漆黒の翼を持ちし魔王エル=ウィズヴィースは、有翼人たちへの宣戦布告を行った。準備は整った、と。
しかし、彼らは戦うことすらせず、代わりに人間たちへ魔族を攻めさせた。
魔族は人と戦いたくはない。だが、戦わなければ殺される。長く、意味の無い戦いが続いた。
それを空高くから、まるでゲームの盤上を眺めるように見ていた有翼人たちは、新たな遊びを思いつく。
別の駒を増やす術法。異世界から、勇気ある者を召喚する術である。
誰の呼び出した勇者が魔王を討つか。彼らは人間たちから多大な供物を集め、数えきれないほどの勇者を召喚した。
そして、魔王は討たれた。
だが純血である魔族には、有翼人と同じく不死に近い特性がある。長い時はかかろうとも、魔王が生き返ることは分かっていた。
しかし、それに反発する魔族が現れる。魔貴族と呼ばれていた者たちだ。
彼らはベーヴェの隙を狙い、安置されていた魔王の体をバラバラに切り分けて喰らった。そして、その力の一端を得ることに成功したのだ。
ベーヴェは、当たり前のように激怒した。だが、僅かとはいえ、最強と呼ばれた魔王の力を得た魔族たちのほとんどが敵に回ったのだ。勝利することはできなかった。
戦いが終わり、魔貴族たちは、ベーヴェの体も喰らおうとした。
しかし、それに反発する魔貴族たちがいた。魔王の体を喰らわず、隠して保存した魔貴族たちである。
魔王派、とでも言えばいいだろうか。
彼らはベーヴェを罵倒し、弄び、玩具のように扱いながらも……生かすことに成功した。ベーヴェも、彼らがそうしてくれなければ殺されていたことに気付いていたため、糾弾するようなことはしなかった。
彼らはその力のほとんどを失ったベーヴェを中心として誓う。
いつか必ず、魔王を復活させる、と。
だが、その際に大きな問題が見つかった。
魔王の体を集めることができたとしても、魂が失われていたのである。
魂無き体など、ただの器に過ぎない。魔王派の者たちは計画を変更せざる得なかった。
そして出された答えが、魔王の体を集め、ベーヴェがそれを喰らう。……新たな魔王ベーヴェ=ウィズヴィースを誕生させることだった。
ベーヴェは屈辱に耐えながら、まずはオルベリアに頭を下げた。
いつか、姉の体を取り戻し、彼女の力を奪うために。
――魔王エル=ウィズヴィースは、魔貴族たちの動きへ気付いていた。
しかし、それを伝える手段が無い。彼女は口惜しく思いながらも、ギリギリのところで己の魂だけは逃がすことに成功した。
エルは魂だけの状態で生き延びる方法を模索する。まず、暗黒大陸に居てはダメだと、別の大陸へと向かった。
だが、有翼人の手が入っていない大陸などは無い。どこへ行っても、必ず存在を嗅ぎつけられる。
そう思っていた中で、ある戦乱へと遭遇した。
傭兵王ミューと呼ばれる、可愛い名前の青年の率いる傭兵団が、悪しき王を撃ち滅ぼし、新たな国を建国したのだ。
本来、あり得ることではない。エルが不思議に思いながら見ていると、あることに気付いた。…… 彼らは、青き血の呪縛から逃れていた。
この大陸ならば、隠れ潜むことができる。エルは確信を持ち、それを果たせる肉体を探し始めた。
慎重に、長い時間を掛け、彼女は探す。見つからぬよう隠れながら、条件を満たせる者を。
この国は、有翼人にとって罪びとに他ならない。早く滅ぼしたいと、そう考えていることは間違いなかった。
だからこそミューステルム王国では、異世界勇者召喚術が行われるだろうと、エルは考えた。有翼人が魔族に手を貸している以上、ミューステルム王国に勝利は無い。最後に勇者へ頼るのは、この世界では至極当然のこと。そして、有翼人たちはそれを喜んで受け入れるだろう。
勇者を呼ぶということは、自分たちに屈したという意味に他ならないからだ。
エルは探した。
勇者が呼ばれるとき、その近くに居る体を。
兵士になる可能性の高い、正義感の強い人間を。
取り柄などはなく、目立たない平凡な存在を。
……そして都合良く、一人の人間が見出された。
道具屋の次男坊。正義感が強く、王国の兵になりたいと望んでいる。能力は平凡。少し運が良いだけの少年だ。
エルは、運が悪い人間だ、と思った。いつか彼を殺して、勇者の体に乗り移る。彼女にとっては、それまでの繋ぎにしか過ぎない。
こうしてラックス=スタンダードの左腕の薬指は、魔王の魂が宿った副作用で黒く染まり、少しずつ魔力を吸われ続けているせいで、魔法の使用にも制限がかけられる。並以下。平兵士と呼ぶに相応しい存在になる運命が決まった。
よく遊ぶ少年だった。
よく笑う少年だった。
よく走る少年だった。
よく本を読む少年だった。
よく剣を振り、槍を使い、盾を持ち、魔法を学ぶ。
ラックスは、努力を怠らない少年だった。
優しい彼は、よく人を助けようとして、窮地に陥ることがあった。
だからだろうか。少しずつ貯めている貴重な魔力を消耗すると分かっていながらも、つい口を開いていた。
『危ないぞ!』
エルは、彼に注意喚起をしていた。
自分では、死なれては困るからだと思っている。いや、思い込んでいた。
だが一度やってしまえば二度となり、三度四度と続いてしまう。気付けばラックスに、妖精さんと呼ばれるようになっていた。
それでもエルは、彼に情などは湧いて無いと信じ切っていた。人間も嫌いだと疑わなかった。
予定通り、ラックスは兵士になる。そして三年が経ち、異世界勇者召喚術が行われた。
準備していたままに召喚術へ割り込み、ラックスの上に勇者が召喚される。
お別れだな、とエルは思う。胸が痛むこともなく、惜しむこともない。
そう思いながらラックスへ目を向けるとだ。
――途端、彼女の中に様々な感情が溢れ出した。
最初は無関心だった。
直に、怪我をすると心配するようになった。
母のような目で見ていた。
姉のような目で見ていた。
仲間のような目で見ていた。
友のような目で見ていた。
家族のような目で見ていた。
彼女にとって、ラックスは掛け替えのない存在となっていた。
『……殺せない』
この日、魔王エル=ウィズヴィースは、長い時間をかけた計画を頓挫させた。
己の甘さから、平凡な青年を殺すことができずに。
◇
エルの話が終わり、静寂が訪れる。
呆然としている俺に、勇者様が言った。
「確かにラックスさんのことを知ったら殺せないわよね。わたし、その気持ち分かるわ」
「……自分にはさっぱり分からないのですが」
「えっ」
「だって、長い時間を掛けたんですよ? 大儀のためならば、多少の犠牲はやむなしではありませんか?」
俺の言葉を聞き、ベーヴェが何度も頷く。エルは苦笑いを浮かべ、勇者様は拳を握ってプルプルと震え――ぶん殴られた。
殴り飛ばされた俺は、地面へ仰向けに倒れる。よろよろと起き上がり、勇者様に聞いた。
「な、なぜ殴られたんでしょうか……?」
「そういうところよ」
「どういうところですか?」
「そういうところよ」
「あの、具体的に」
「そういうところよ」
「は、はい」
有無を言わさぬ感じからして、教えてはもらえない。
とりあえず、そういうところらしい。……さっぱり分からなかった。
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矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
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