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一、溺愛始めました。

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 何か、とても、大切なことを忘れているような気がした。

 ◇


 魔王に捕まってから十日くらい経ったころ、俺はすっかり魔王との生活に慣れていた。
 三食美味しいごはんが出てきて、ふかふかの布団で寝ることが出来て、毎日シャワーどころかお風呂が入れる贅沢な生活。至れり尽くせり。この十年で一番甘やかされている自信がある。
 今日もふかふかの布団で魔王が来るまで惰眠を貪る。

「ルカ……ルカ……」
 俺を呼ぶ声がした。

「はぁ……あるぅ……?」
 覚醒しきっていないせいか上手く舌が動かない。
 俺は思わず上擦ったような声を上げた。

「私の前で他の男の名前を呼ぶなんて」

 ベッドのスプリングが軋む音がした。

「え、違っ……あ……」

 目の開けるとそこには眉を顰める魔王がいた。

 目が痛い。
 今日も朝からキラキラと綺麗なお顔でいらっしゃる。本当に目に毒ですこと。
 俺は黙って布団を被り直した。

「今日も治療をするんだろう」

 嗚呼、魔王と一緒に引っ付いて回るやつね。
 どうやら、今日も成長するために必要な魔力の供給をしてくれるつもりらしい。

 治療を始めてから約一週間。
 お陰様で身体がここ数日、忘れていた成長期を思い出したかのように身体がミシミシいっている。
 関節が痛いのは治療のお陰として、筋肉痛もあるんだよな。

 この筋肉痛は、魔王がご無体なことをしようとして、俺は貞操を守るために暴れるせいだと思う。
 魔王が暴走しないようできるいい首輪はないものだろうか。

「……やだっ」
 眠気と身体の怠さに思わず俺はそう呟いていた。

 魔王の誘いは、身長は180オーバーを目指したい俺にとっては有難いことだった。
 でも、七、八時間も魔王に引っ付いてるんだぞ?
 いい加減飽きても来るだろうし、なにしろ身体が怠い。
 怠くて何もしたくない。

「そんなこと言わずに……」
 魔王は優しく甘い声でご機嫌をとる。

 魔王様ともあろう人がご機嫌取りなど片腹痛い。
 俺はいつも飄々としている魔王を翻弄していることに優越感を覚える。
 もっと困らせてやりたいな。どうしたらいいだろう。

「ん……魔王がキス……してくれたらいいよ」
「いいのか?」
 嬉しそうに魔王の声が弾んだ。

 魔王はものすごい勢いで布団を引き剥がそうとしてくる。
 俺は慌てて布団を抱き締めた。

「あ、ああ! 前言撤回。嘘、嘘だから! キス禁止!」
「キス……禁止?」
 魔王の布団を引っ張る力が緩むのが分かった。

 危ない危ない。前回、キスでからかったときと同じ轍を踏むところだった。
 調子に乗った魔王に俺のおしりを揉みくちゃにされる未来が見える。
 もう少し慎重に誘うべきだった。

「嗚呼、そうか。そうだったな。キスをしたら一緒にいられる口実がなくなってしまうものな。お前はそんなに私と一緒にいたいのか……」
 魔王はそう言って布団ごと俺を抱き締める。
 全く、都合のいい脳みそをしている奴だ。

「ちーがーうーーー!!」
「素直じゃないルカも可愛いな」
「おい、やめろ! 窒息する! せめて布団から出してくれ!」

 顔にかかった布団がぎゅっと押し込められ、なかなか息が吸えない。
 暗殺者を暗殺しようとするな、バカタレ!

「ルカ、今日も一緒にいよう」
「はぁはぁ……分かった。分かったから、もう起きるから……」

 俺は諦めてベッドから上半身を起こした。

 魔王との朝は長い。まだ、着替えすらしていない。

 さて、今日はどんな服だろう。
 そう思っていると、甲斐甲斐しく魔王は俺の服を持ってくる。
 そして、ベッドの端に座り、俺の寝衣を脱がそうと手を伸ばしてくる。

「自分で出来るから」

 俺は魔王の手を払い除けた。
 毎度の事ながら、着替えを手伝おうとするのはやめて欲しい。

 俺が寝衣に手を掛けた。
 すると、させないと言わんばかりに魔王の背後から勢いよく影が伸び、俺の服を引き剥がした。
 そのときの魔王と言ったら何処か得意げな顔をしていていた。ムカつく。

 俺は魔王の額にデコピンをしてやった。
 魔王は豆鉄砲を食らったような表情をしていた。
 こんなことされたことないんだろうな。いい気味だ。

「ばぁーか!」

 俺は少し楽しい気分になってニヤニヤと笑いながら、魔王の膝に抱えられた新しい服を引ったくった。

「私が着せたかったのだが……」
「甘やかせば俺が落ちるなんて思うなよ」
「どうやったら落ちてくれるんだ?」
「そんなの、お前が考えるものだろ?」
 イラッとしてつい口調が荒くなる。

 万が一、落ちる方法があったとしても誰が教えるか。
 俺は魔王に落ちたくないんだよ。俺に聞くな。

 魔王は落ち込んだような様子で下を見る。
 魔王の癖に簡単にしょぼくれるなよ。こんなことで落ち込むようなタマじゃないだろ。

「あ、あー、甘やかされるのはむず痒いんだよ……別に嫌ってわけじゃない」

 なんで俺が魔王の機嫌をとらねばならないんだ。コイツは俺の敵なんだぞ。
 そうは思うもののなんだか気まずい。

「やはりそうか。それならば甘やかそう。私が甘やかしたいからな」
 魔王は顔を上げると決心したように頷く。

 あー、俺、要らないこと言った。
 またコイツが調子に乗る。
 いや、調子に乗った魔王を相手にするのは面倒だけど、落ち込んだりされるとどうしたらいいのか分からなくなる。
 だから、これはこれでいいんだ。

「はいはい。服は着たからもう何でもしてくれ」
「もう終わったのか。着替えさせかったのに……」
 残念そうな声を出しながら、魔王は濡れたタオルを差し出してくる。じんわりと温かい。

 俺はそれで顔を拭いた。
 顔がさっぱりする。

「はいはい。タオルはありがと。じゃ、トイレ行ってくるから飯の準備よろしく」
「あ、トイレ……」
「トイレには絶対ついてくるなよ!」

 俺は叫んでから急いでトイレに滑り込んだ。

 以前、魔王のやつが、俺を担いでトイレに連れていったことがあった。
 あの変態と一緒にトイレに入る恐怖が分かるか?
 いつ何されるか分からないんだ。
 流石にずっと見ているわけでもなく、俺をトイレに入れたらトイレの前で待機してたけど。
 それでも、魔王の気配を感じてしまって出るもんが出た気がしなかった。

 もう絶対トイレの前で待たないで欲しい。
 そうは言っても聞かないのが魔王なので、俺は毎回魔王にやって欲しいことを押し付けては逃げるようにしていた。
 今日もどうやら上手くいったようで魔王の気配はない。

 それにしても、人材不足なのか、はたまたお金がないのか、なんで俺の世話を魔王がするのだろう。
 こういうのは別にそういう人を雇うものじゃないのか?
 魔王ってそんなに暇な訳でもなさそうだし、俺に時間を割く理由が分からない。
 単純にそういう性癖だとか?

 悪寒がした。

「あー、やだやだ。野郎にお世話されても何も嬉しくないだろ」

 流されているけど、俺だって男なんだ。魔王にお世話されてもちっとも嬉しくない。
 俺は小さく呟くと、トイレを後にした。
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