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第六話─交渉─

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 連れられるようにして、車に乗せられ到着したのは、明らかに高級感漂うカフェテリアだった。
普段私が利用するような場所とは全く違うので、少し気後れしてしまう。

「あぁ、明堂院様でございますね。いつもお世話になっております。個室でよろしいでしょうか?」

「えぇ、お願いします」

「かしこまりました。ご案内致します」

 そこへ、とても優秀そうなウェイターがやってきて、私たちを案内する。
もうこれカフェテリアとかじゃなくて、高級ホテル並の接客だよ。
しかもいつもお世話になっております、ってなんだ。そんなに頻繁に利用しているのか。流石は御曹司というか、なんというか。

 そして不安なのが、個室という点。他人から話し声を聞かれる心配はないとはいえ、彼と密室で二人きりというのはなるべく避けたかったのだが、ここで嫌ですと言える雰囲気でもなく。
私の意思は華麗に無視され、席へと案内される。

「こちらになります。ごゆっくりお過ごしください」

 そう言って丁寧な礼をとり、ウェイターは行ってしまった。

「........」

 気まずい。
何を話そうとか全く決めていなかったから、どう切り出せばいいのかわからない。

「ふふ、そんなに緊張しないでください。まずはここのディナーでも楽しみましょう?
ここの食事はとてもおいしいのです」

 そんな私の様子に気づいた彼が話しかける。

「は、はぁ」

 気の抜けた返事をしながら、テーブルに置かれたメニューを見る。

「.........」

 絶句した。何がすごいって、その値段だ。明らかにカフェテリアで払う金額ではない。というか、私の財布の中身が全て飛んでいきそうなぐらい高額だ。ちょっと、いやかなり気は引けるが、ここは断った方がいいかもしれない。
主に私のお金のために。

「値段なら気にしなくてもいいですよ。私が無理に連れてきたのだし、私が払いますから。
好きなメニューを頼んでください」

 またしても、助け舟が寄越される。

「で、でも」

 彼に借りを作りたくなかったので、再度断ろうとしたら

「ね?」

 にっこり微笑まれてしまった。
...どうしてだろう。笑いかけられているのに、圧を感じる。ここはイエスと言っておいたほうが身のためかもしれない。

「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えて」

 彼に言われた通り、値段など気にせず好きなものを注文した。

「..................」

「..................」

 会話がない。なさすぎる。
食べている最中、会話は皆無だった。私は食べながらベラベラ喋るタイプではないので、助かったといえば助かったのだか、気まずくはなかろうか。まぁ、行儀が悪いと言われれば、それまでなのだけれど。
ちなみに私はトマトパスタを、彼は牡蠣かきのアヒージョを頼んだ。美味しいのだろうが、残念ながら味を楽しむ余裕はなかった。
あと、彼のマナーが洗礼されていて、見ていて綺麗だなと思ったのだが、私のマナーは大丈夫だろうかとビクビクしてしまった。

「ご馳走様でした」

 目をつむり、祈るようにして小さく呟く。やっぱりこういう挨拶はとても大切だと思うのだ。私たちは命を頂いているのだから感謝するべきだろう。

「お口にあいましたか?」

「は、はい。とても美味しかったです」

 嘘だ。本当は全然わからなかったが、誤魔化した。食後にコーヒーを頼む。そろそろ本題に入る頃だろう。

「貴女は頭が良いのですね」

「......?」

 急に何を言うのか。一瞬、何に対しての賛辞なのかわからなかった。

「いえ、ノートを読んで、そして私の意図を組み、逃げずに貴女は待っていた。貴女は物事をよく考えているでしょう?」

 射貫くように彼が私を見る。
その瞳は、相変わらずドロドロと濁っていて怖かったが、逃げるわけにはいかない。そして、私を探るように見てくる。

 その時に、私は察した。
この人は、逃げるだなんて許してくれない。誤魔化しなんて、すぐに見抜いてしまう、と。

 でも、私だって貴方に囚われるために今まで生きてきたわけじゃない。それを回避するために、今、私はここに居るのだから。

 彼に幻滅してもらう為に。


 ──選べ。彼が幻滅する回答を。


 私はしっかりと彼に目を合わせて言った。

「確かに、私はあのノートを見た後に[逃げない]という選択をしました。
でも、それは決して貴方のことを理解していたわけではありません。
だって、そうでしょう?あの日記を読めば誰だって、この日記を書いた人は自分と会話したがっている、ということは一目瞭然です。
そして、脅しのような文面も書かれていた。
さらに、日記を書いた人は自分よりも遥かに地位の高い人です。
そんな人に逃げ切れると考える方が馬鹿です。
だったら、私は貴方に一度応じるしかなくなります。
単純なことですよ。
私の頭の良さとか、そんなの関係ありません」

 逃げ切れない。
そんなことを言いながら、逃げるための布石を打っていく。とりあえず、彼には私が特別でないこと、ノートを読んだ後の反応は当たり前のことであることを全面的に押し出して、彼の興味を削ごうとした。

「そうですね。確かに、逃げられる、と考える人は少ないでしょうね。
ふふ、そう考えると貴女はとても普通の人間だ。」

 クスクスと。彼はとても可笑しそうに笑う。
それを見て、私は少し不安になった。明らかに私が話した後の方が、彼の機嫌がいいからだ。
私は、膝の上にのせた手をぎゅっと握りしめた。
爪が喰い込むほどに。

「ですから、私は何ら変わりのない人間なんです。
確かに少し察しはいいのかもしれませんが、それは心理学を勉強して身につけたものです。
私自身の能力ではありません」

「そのようですね。どうやら私は、貴女を買いかぶりすぎていたようです。
すみません。何事かと驚かれたでしょう」

「い、いえ。確かに驚きましたけど、謝れられる程のことではありませんから」

 買いかぶりすぎていた。
その言葉を聞いて私はホッとした。
.........ホッとして、良いはずだ。確かに私は、彼の興味を削げたはずなのだから。
拭えない不安感から震えそうになる体を叱咤しったして、背筋を伸ばした。
バクバクと鼓動がする。早くこの場から逃れたい。私の精神状態は限界まで達しそうになっていた。

「ところで」

「は、はい?」

 彼が突然話を切り出す。
あまりの緊張で声が裏返ってしまった。

「気になってたことがあるんです」

「なんでしょう?」

 ドクドクと体中が脈打っているようだ。一体何を聞かれるのか。

「どうして貴女は伊達眼鏡をしているのです?」

「はい?」

 ...あまりの意味不明さに思わず聞き返してしまった。
え、何?どうして伊達眼鏡をしているのかって?
どうしてそんなことを聞くのか。意味がわからない。そんなことを聞くなら、早く帰してほしい。

「え、えっと。眼鏡をしていると落ち着くんです。
なんていうか、視線を気にせずに済むっていうか」

 しどろもどろになりながらも答える。

「そうなんですか。いえ、ファッションでそうしているわけでもなさそうでしたから、どうしてなのかなと、気になっただけなのです」

 彼が笑う。
正直、伊達眼鏡をしている理由はそれだけではないのだ。確かに他人の視線を遮断してくれる、ということを利点としているのだが、他にも、男避け、という意味がある。
何かと、昔から男に話しかけられるので、それが鬱陶しくて顔を隠せるように伊達眼鏡をしだしたのだ。それには効果があったようで、それ以来、男に話しかけられることはなくなった。

 多分、男受けがいい顔をしているのだと思う。
父も母も、内面には問題を抱えているが、黙っていれば相当な美形だ。その血を受け継いでいる私も、それなりに整った容姿をしているのだろう。あまり意識したことはないが。

 だって、興味がない。
そんなものがあったって、人と関わりをつくるだけでろくな事にならない。人との関わりなんてなくていいのだから。

 まぁ、もう一つの理由は彼に言わなくてもいいだろう。
それに、正直助かった。関係の無いことを突然聞かれたおかげか、緊張がとけたのだ。

「すみません。長く引き止めってしまって。
申し訳ないのですが、この後用事がありまして。一人で帰られますか?」

「心配しないでください! 一人で帰れますから」

「そうですか。今日はありがとうございました」

 この時私は歓喜していた。彼が私を離した。
これは引き止める価値のない人間だと、彼が判断したいうことだ。

 私は無事、彼に幻滅されることに成功したようだ。


 後から思えば、私はこの時冷静じゃなかった。
自分では冷静だったつもりだったが、やはり彼と初めて対面して、冷静に対処出来るわけがなかった。

「こちらこそ、ありがとうございました。では、さようなら」





「はい、さようなら。 さん」

 彼に別れを告げて、さっさと行ってしまった私は、彼が告げた別れの言葉は聞こえなかった。
だから、彼が初めて私の名前を呼んだことも知らなかったのだ。


─────────────────────────────────


「ふふ、本当に馬鹿だなぁ。」

 一人、残された個室で凛翔は笑った。

 今日の彼の目的は、単なる様子見だ。これでこれからの全てを決めてしまうなんて馬鹿げてる。たった一度の対面で相手の本質を見抜くなんて、そんなのは誰でも出来ない。

 よって、凛翔が彼女への興味を失う理由にはならないのだ。
たった一度の対面で、自分が求める言葉を言わなかったくらいで、失うようなものなら、はなから持っていない。

 でも、彼女はそれを失念している。
一度で人間は量れないということを、頭からごっそり抜け落としていたらしい。

 そして命の尊さを知っていたこと。当たり前を当たり前だと思わなかったことも。

 それらも、可愛らしいと思った。

 元々、凛翔は他人に興味がない。
皆、凛翔にとってはその辺に落ちている石ころと変わらないのだ。
ただ、彼女には興味をもった。
明堂院 凛翔が他の人間に興味もほんの少しでももったのは、とても大きな変化だった。

 だから、凛翔は御嘉が、本当に興味に値する人間かどうか確かめようと思ったのだ。ノートを用意して、舞台を整えて、彼女がどう動くかその様子を観察しようと思った。

 凛翔は、色々と予想していた。
あまりの恐怖に言葉も出ないようになるのか?
それとも、ありのままを口に出してしまうのか?
嘘をつくのか?
逃げるのか?
あらゆる可能性を考えた。
もし、恐怖で何も言えなくなるような小物なら、凛翔の興味は失せっていた。それぐらいのものなら、一度でも見限る程度の価値だからだ。
他の選択をしていれば、そのまま観察対象として監視を続けようと思っていた。

 でも、彼女はどれもしなかった。

 彼女は、凛翔に感情を植えつけた。

だって、そうだろう?



 、彼女は凛翔をとても良く理解していることがわかる。

 彼女は、僕からの興味をどう削るかに気をとられすぎていて、冷静な判断が出来なくなっていたようだ。

「本当に、馬鹿で可愛いなぁ」

 クスクスと笑う。
何も知らずに、ホッとしたような顔した彼女に、興味ではなく加虐心が煽られた。

 彼女の話に納得したように見せたのは、彼女を安心させるためだ。彼女の反応が知りたかった。後で冷静になったとき、自分の判断がもたらした結果を彼女自身が、正確に理解出来るかどうか、知りたかったから。

 意味のない質問をしたのは、彼女の精神状態を鑑みて判断しただけのこと。彼女がもろい人間だというのはわかる。脆いが、強い意志がある。そのアンバランスさにも惹かれる。

 その彼女が、強い瞳で僕が幻滅するような言葉を並べれば、わざと言っているのだとすぐにわかる。

 あまりにも彼女が、予想外のことをしてくるからとても驚いて、面白くて、気分が高揚した。それが、凛翔にとってどれだけのことか、彼女は理解していない。

「可哀想に、もう君はから逃げられないね」

 クスクス、クスクスと笑い声が響いた──。
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