上 下
4 / 7

エピローグ

しおりを挟む

「お待ちください殿下!お嬢様は……。」

 制止の声が聞こえたがそれどころではない。自殺を図ったと聞いたアレクサンデルは気が気ではなかったのだ。久しぶりに見た元婚約者のクリスティーナは少し痩せたように見えた。そっとその頬を撫でる。彼女の目の下には真っ黒な隈ができていた。

「ぅん……。」

 くすぐったそうにクリスティーナがもぞりと向きを変えてふと固まった。ゆっくりと開かれる瞳にアレクサンデルが映る。

「夢?」

「現実だよクリス。」

 アレクサンデルが告げるとクリスティーナの顔がみるみる赤くなった。寝姿を殿方に見られるなんて恥ずかしすぎる。

「あ、アレクサンデル様!やだ、どうして?」

 がばりと起き上がったが自分の姿を思い出したのか慌てて布団で体を隠す。めずらしく慌てた様子にアレクサンデルは思わずくすりと笑った。今までアレクサンデルが見てきたクリスティーナはいつも完璧な姿で何事も粗相なくやり遂げる人だった。
 それがこんなに愛らしく慌てる姿を見られただけでも来たかいがあったというもの。だが、今日はそんな事を確認しに来たわけではない。

「自殺を図ったと噂で聞いた。」

「はぇ?自殺ですか…。」

「違うのか?」

「違います。ただ、眠れなくて睡眠薬を規定より少し多めに飲んでしまっただけですわ。」

「駄目じゃないか!」

 薬を規定より多く飲むなどありえない。アレクサンデルは思わず大声を上げた。びくりと肩が揺れてクリスティーナはしゅんと項垂れた。

「ごめんなさい。」

「……私に謝ってどうする。全くなぜそんな事に。いや、私のせいなのか?」

 その言葉にそっとクリスティーナは目を伏せた。沈黙は肯定だ。目の前で切られたアレクサンデルを見たクリスティーナは不眠症になっていた。愛する人が目の前で血を流して倒れていくのを見たクリスティーナは目を瞑ればそれが脳裏に浮かんで眠れなくなってしまったのだ。
 アレクサンデルの看病をしていた時には起こらなかったこと。
 眠たいのに眠れない。それが続いてとうとう薬を使うようになったのだが、それも効きが悪くなってしまった。飲み続けることで耐性が出来たのだろう。飲むのを一旦止めるように言われたがとてもそれが出来る状態ではなかった。
 それで飲みすぎた結果ずっと目を覚まさないクリスティーナを誤解した侍女が慌てて医者を呼ぶという大騒ぎになったのだ。そして例の噂に繋がる。

「殿下のせいではありません。私が弱いのです。」

「今もそうなのか?」

「起きているときは大丈夫なのですが、眠ろうとすると…。」

「そうか。休んでいるところ悪かったな。ゆっくりと体を休めていいのだぞ?横になっているだけでも良いだろう。」

「それは、その。」

 殿下の前でそんな事はできませんとクリスティーナは言いたかったが体はだるく今にも倒れそうだ。アレクサンデル様のお言葉に甘える事にした。
 もぞりとベッドに横になるとアレクサンデルはそっとクリスティーナの手を握った。

「えっとアレクサンデル様?」

「なんだ?」

「手を…。」

「眠れるまで握っておいてやる。これなら私が無事だと分かるだろう?」

「…恥ずかしいです。」

「それとも寝かしつけてやろうか?」

「それは結構です。」

 子供扱いされてクリスティーナの頬が膨らむ。今日はクリスティーナの今まで見た事のない姿が多く見られてアレクサンデルは驚きの連続だった。アレクサンデルが握る手は冷たく冷えていたがすぐに暖かくなっていく。
 そしてクリスティーナが眠りにつくと愛おしい頬にそっと口付けた。やわらかな頬の感触にアレクサンデルはふと気が付く。
 指先へのキスはした事があってもこれまでクリスティーナに口付けた事がない事実に唖然とした。
 次の日の朝、小鳥の声でクリスティーナは目を覚ました。昨日はぼんやりとしていて誰かに会った気がするが定かではなかった。
 だからこそこの事態にどうしたら良いのか分からなくなったのだ。ずっしりとした重みが腕にかかっている。ふと視線を向ければ椅子に座ったままクリスティーナの手を握って腕に頭を乗せたアレクサンデルの姿があった。

「え?」

 薬も飲まずにぐっすりと眠れたのは久しぶりでクリスティーナの頭もすっかり靄が晴れたようにしっかりしている。
 ひとりあたふたするクリスティーナは侍女が事情を説明してくれたがどう考えてもこの状態は王子と一夜を共にしたと勘違いされるからだ。王子ともなれば責任をとらされてクリスティーナを望んでいなくても娶らねばならなくなる。
 せっかく望んでいない政略結婚を白紙にする事が出来たのだろうにクリスティーナは罪悪感でいっぱいになる。
 アレクサンデルからすればむしろ大歓迎な事態なのだがそんなことはクリスティーナには分からない。
 どうしようと慌ててもぞりと動いたおかげでアレクサンデルが目を覚ましてしまった。

「………おはようございます殿下。」

「おはよう。以前のようにアレクと呼んでくれクリス。」

 何でもないかのように返すアレクサンデルにクリスティーナは固まる。そして普通にしている王子を見て色々と考えていた事を放棄した。

「そうね。客室に泊まった事にすればいいのだわ。」

「何の事だ?」

 ぽそりと呟いたつもりがアレクサンデルにはしっかりと届いていた。気まずそうにクリスティーナはなんでもないという事にしたかったのだが、やはり頭の回転は早いようであぁという表情をしてクリスティーナに柔らかく微笑みかけた。

「クリスティーナ・ハウエル。」

「はい。」

「こんな状態で申し訳ないが、私と結婚して欲しい。」

「へ?け、けっこん?」

「クリスなしじゃもう駄目なんだ。私は1年前にやっとそれに気が付いた。こんな私を許してくれるかい?」

「わ、私で良いのですか?だって私の事なんて。」

 そっとクリスティーナの両手を握って跪く。

「そんな風に言わないでくれ。君以上の女なんて居ない。君が好きだ、愛しているクリス。ずっと傍にいて欲しい。」

「殿下……。」

「もう二度と寂しい思いはさせない。私に君の人生を共に歩む栄誉を与えてくれ。」

「私も貴方を愛しています。アレクサンデル様。」

 頬を染めて答えるクリスティーナは愛らしく思わずアレクサンデルはクリスティーナを抱きしめる。

「ひゃん。」

 がっしりと抱きしめられて思わず声が出る。薄い就寝用のドレスに身を包んだクリスティーナはここまでしっかりと抱きしめられたのは初めてだった。
 アレクサンデルの情熱の篭った瞳もこうして求められたことも初めての経験で嬉しいような怖いような奇妙な感覚が浮かんでくる。
 アレクサンデルの侍従が咳払いをするまでその状況は続いた。
婚約を再び交わして結婚をする。婚約してから半年アレクサンデルにとっては拷問のような時間だった。
 もともと結婚の準備を1年前に整えていたのである程度はすぐに準備が整ったのだがそれでも手順どおりに待たされる羽目になり日に日に愛らしくなっていくクリスティーナの傍で男としての誠意を試される事になった。
 その苦行の末、やっと夫婦となれる。一時は反対されることも多かったが反対する貴族たちを説得して回り、根回しを済ませて今日がある。
 純白のドレスに身を包んだ愛しいクリスティーナを同じく白の礼服で向かえる。

「綺麗だよクリスティーナ。」

「アレクサンデル様も素敵ですわ。」

 多くの貴族に祝福を受けながらアレクサンデルとクリスティーナは二人ゆっくりと歩みを進める。

「愛しているクリス。」

「私も愛しておりますアレク様。」

 もう二度と愛する人を手放すことはないと神に誓いを立てる。愛するクリスティーナに己の唇を重ねてその日二人は正式に夫婦となった。

 1年前の出来事は確かに一度二人を引き裂いた。

 だが、その出来事があったおかげで二人の距離は縮まり、真実の愛へと成長した。

 それは二人の心を傷つけもしたが、その分結びつきも強める結果となったのだ。

 乙女ゲームの結末は悲惨なものだった。だが、それによってアレクサンデルとクリスティーナは真の意味で結ばれた。
 その後の治世も安定しアレクサンデル王は妻と共に幸せに暮らした。アレクサンデル王は側妃も持たず、クリスティーナを寵愛した。
 二人の間には長男、次男、長女の3人の子がおり、優秀で聡明に育ったという。

‐END‐


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

Deseo

岩泉剱
現代文学
僕の職業?? えーっとね。 お願いを聞くこと。 え?聞くだけ?だって?? そりゃぁ叶えてあげたいさ。 でもね、現実ってそんな甘くないんだよね。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

【完結】「めでたし めでたし」から始まる物語

つくも茄子
恋愛
身分違の恋に落ちた王子様は「真実の愛」を貫き幸せになりました。 物語では「幸せになりました」と終わりましたが、現実はそうはいかないもの。果たして王子様と本当に幸せだったのでしょうか? 王子様には婚約者の公爵令嬢がいました。彼女は本当に王子様の恋を応援したのでしょうか? これは、めでたしめでたしのその後のお話です。 番外編がスタートしました。 意外な人物が出てきます!

いらないと言ったのはあなたの方なのに

水谷繭
恋愛
精霊師の名門に生まれたにも関わらず、精霊を操ることが出来ずに冷遇されていたセラフィーナ。 セラフィーナは、生家から救い出して王宮に連れてきてくれた婚約者のエリオット王子に深く感謝していた。 エリオットに尽くすセラフィーナだが、関係は歪つなままで、セラよりも能力の高いアメリアが現れると完全に捨て置かれるようになる。 ある日、エリオットにお前がいるせいでアメリアと婚約できないと言われたセラは、二人のために自分は死んだことにして隣国へ逃げようと思いつく。 しかし、セラがいなくなればいいと言っていたはずのエリオットは、実際にセラが消えると血相を変えて探しに来て……。 ◆表紙画像はGirly drop様からお借りしました🍬 ◇いいね、エールありがとうございます!

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜 ――『偽聖女を処刑しろっ!』 民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。 何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。 人々の歓声に包まれながら私は処刑された。 そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。 ――持たなければ、失うこともない。 だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。 『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』 基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。 ※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)

噂好きのローレッタ

水谷繭
恋愛
公爵令嬢リディアの婚約者は、レフィオル王国の第一王子アデルバート殿下だ。しかし、彼はリディアに冷たく、最近は小動物のように愛らしい男爵令嬢フィオナのほうばかり気にかけている。 ついには殿下とフィオナがつき合っているのではないかという噂まで耳にしたリディアは、婚約解消を申し出ることに。しかし、アデルバートは全く納得していないようで……。 ※二部以降雰囲気が変わるので、ご注意ください。少し後味悪いかもしれません(主人公はハピエンです) ※小説家になろうにも掲載しています ◆表紙画像はGirly Dropさんからお借りしました (旧題:婚約者は愛らしい男爵令嬢さんのほうがお好きなようなので、婚約解消を申し出てみました)

処理中です...