心鏡

さち

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心鏡

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 朝、少年は台所で朝御飯の支度をしている母親の声で目覚めた。いつの間にか目覚まし時計のスイッチは切られているが、これはいつものことである。

 半覚醒の少年は一階に降りると洗面台に向かった。鏡を見れば、半開きの目の自分が映っている。何てことない、いつものことだと少年は蛇口を捻り水を出す。春先のこの季節であっても、水道の水は指先で触れても痛いほど冷たい。少年はまず洗顔のために身を屈め、目をつむり両手で水を掬おうとしたその時

「相変わらず、不甲斐ない顔をしてるな」

 と、何処からともなく声が聞こえた。その声は気のせいか自分の声に似ている。少年は不思議には思ったが、幾分寝ぼけているため目を閉じたまま体を起こすが、直ぐにまた身を屈めた。

「おーい、聞こえてるか俺。こっちだよ、こっち」

 信じられない事に、その声は正面から聞こえてくる。少年はまさかと思い目を開き、体を起こすと、どういうわけだか右手を挙げて笑っている自分が目の前にいた。

「やっと気付いたか。どうした、俺。口が開いたままだぞ」

 今、少年の前の鏡に映っているのは紛れもない、自分だ。しかし、その動きは自分の動きとシンクロしていない。むしろ独立している。少年がだらしなく口を半開きにしたまま蛇口を閉めると

「お前は...、俺...、なのか...」

「そうだよ、見れば分かるだろ。でもな、俺は言うなれば、お前自身の本音さ」

 目の前にいる自分と会話するというのは、それなりに奇妙なもので、俺という一人称が同じ人間を示しながら多用されている。

「す、すげえ...。お前、本当に俺なのか。すげえよ」

 少年の眠気は何処へやら、興奮した様子で鏡の自分に食い入るように尋ねる。

「じゃあさ、お前が俺ならさ、俺の相談とか聞いてくれよ。俺、こういうのに憧れてたんだよ。自分自身と自分の悩みを話すっていうのに」

「構わないぜ、何せ、俺はお前だからな」

 少年は、興奮冷めやらぬままに尋ねる。

「俺さ、好きな子がいるんだけどさ、どうしたらいい」

 少年は、自分の答えに期待を抱いた。
 
「そんなの決まってんだろ。告白しろよ」

 鏡の自分の答えは、あまりにも簡単でかつ大胆だった。

「えっ、アドバイスとかくれないの。俺なんだからさ」

「お前、何か勘違いしてないか。最初に言ったけど、俺はお前何だぞ。お前が考えてる本当のことを具現化したのが、俺なんだよ。だから、俺が言うことは全部お前、俺自身が考えてることなんだぞ」

「えっ、じゃあ俺は告白しちゃえって考えてるのか」

「そういうことだな」

 そう言うと、鏡の自分は屈託のない笑顔で少年に微笑んだ。少年は、初めて見る自分の晴々しい笑顔に心底驚いた。自分はこんな風に笑えるのかと。

「ま、それが成功するかは、俺にはわかんねえけどな」

 これが本当の自分なのか、少年は自分の知らない自分を目の当たりにした。

貴史たかし、何してるの、遅刻するわよ」

  洗面所に行ったきり戻って来ない息子を心配した母がリビングから声をかけた。

「分かった、今行くよ。」

 少年は、リビングの方に顔を向けてそう言った。そうして顔を再び鏡に戻すと、自分と同じく鏡に向き直る自分が映っていた。

 少年は顔を洗う前に少し笑ってみせた。ぎこちなさはあるものの、なかなかいい顔をしているように思えた。


    
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