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9.幸せの象徴

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 三歳の誕生日に両親からもらったのは、犬のぬいぐるみだった。

 子供の胸に抱えると丁度良いくらいの大きさで、クリーム色のふわふわの毛をしたそのぬいぐるみをオレは大層気に入って、アルトと名付けた。食事の時、寝るとき、出かけるときもずっと一緒。オレはアルトを本物の家族のように扱った。

 だけど、だんだん成長するにつれて、オレのまわりには刺激的なおもちゃが増えていった。ブロック、ラジコン、ゲーム機……興味はアルトから、新しいおもちゃへと移ってしまった。
 そして、母親が死んで引っ越しをする頃にはアルトの存在をすっかり忘れてしまったのだった。
 長い間見ていないから、もう捨てられてしまっているものだと思っていたけれど……

 アルトは消える直前「思い出したら、私を見つけて」と言った。
 
 ということは、捨てられてなんかいない!
 まだどこかにあるのだ。あの犬のぬいぐるみのアルトが !!
 
 オレはホテルを飛び出すと、急いで会社に向かった。 
 父親の元を去るとき、オレは犬のぬいぐるみなんて持ち出さなかった。だから、アルトがあるとしたら、父親の遺品の中ではないだろうか。

 実家と呼ばれるような場所はもうなく、父親が生前暮らしていた家もすでに処分してしまっている。だから父親が遺したものは、もう会社にあるものだけだ。

 会社に到着すると、オレは社長室の隣にある物置に積まれた段ボールを片っ端からひっくり返した。
 経営には直接関係のないものだからと、封を開けることすらしなかった段ボールの中身は、オレの思い出の品ばかりだった。
 子供のころのアルバム、通知表、写生大会で描いた絵……
 もうとっくに処分されているだろうと思っていたもの、自分の記憶にすらなかったものが次々に出てくる。

 ────なんで、こんなガラクタみたいなものばかり残して……

 父親にとっては、これが家族の幸せな思い出だったのかもしれない。
 ゲイだと打ち明けるまでは、オレたちはとても仲のいい親子だったのだから……

 何箱目かの段ボールをひっくり返したとき、薄汚れた毛玉を見つけた。 
 記憶よりも随分くすんだ色をしている。クリーム色というよりほぼ灰色だ。だけど、この犬のぬいぐるみは……

 見つけた!! アルトだ!!

「……社長、何をされているのですか?」

 不意に入口から声を掛けられて、オレは慌てて振り返った。

「アルト!?」

 物置の入口に立っていたのは、小柄でずんぐりとした体型の、初老の男────木野下きのしただった。彼は父親の秘書をしていたらしい。しかし、父親が死んだ後は退職していたはずだが……
 タイミングよく声を掛けられて、アルトが戻ってきたのかと勘違いしてしまった。

「……じゃないか。どうした、今日は休みだろう?」
「すみません。来週から社長秘書を代行して欲しいと、小暮に頼まれました。それで念のため、事前に引継ぎ内容を確認しておこうと思いまして……」

 木野下の姿を見て、思わず落胆の表情を浮かべてしまっていたのだろう。謝らせてしまったことを申し訳なく思った。

「そのぬいぐるみ……懐かしいですね」

 オレが手に抱えたぬいぐるみを見て、木野下が表情を綻ばせる。

「……これを、知っているのか?」

 父親の遺品の中にアルトがあったことにも驚いたが、木野下がアルトのことを知っていたことにも驚いた。

「ええ、前社長のお気に入りだったのか、ずっと机の上に飾ってあったんですよ。前社長は大層厳めしい顔つきをしていらっしゃるので、場を和ませるのに大活躍でしたよ」
「……そうか」

 この会社にオレの知らないアルトの姿があったことに、複雑な気分になる。
 だけど木野下の言葉で、アルトが父親の仕事を把握していたのは、机の上で父親の働く姿をずっと見ていたからなんだと気づいた。
 オレは、腕の中のアルトをぎゅっと抱きしめた。

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