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勉強

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◇◆◇◆

「全く……旦那様には、困ったものだわ。まさか、生贄の件をちゃんと伝えてなかったなんて……」

 そう言って、『はぁ……』と深い溜め息を零すのは────マーサだった。
憂いげな表情を浮かべ、部屋の掃除に勤しむ彼女はやれやれと頭を振る。
『一番大事なことでしょう』と文句を言い、棚やテーブルを拭いた。

 昨日の一件から、ずっとこんな感じなんだよね。
私を一人の人間として扱ってきたマーサとしては、やはりショックだったのだろうか?

「マーサ、ごめんね。私の頭が悪くて、カーティスの言ったことをちゃんと理解出来てなかった」

 『自分の落ち度だ』と説明する私は、ソファから飛び降りた。
その足でマーサの元へ向かい、下から顔を覗き込む。
すると、マーサは優しげに微笑み、腰を折った。

「いいえ、奥様のせいではありませんわ。全て旦那様のせいです。だって、あんな言い方で伝わる訳ありませんもの」

 『付き合いの長いクロウはさておき』と零しつつ、マーサはエプロンで手を拭く。
そして、私の頭を優しく撫でた。

「奥様はもっと自分に自信を持つべきですわ。他人の落ち度まで、自分のせいにする必要はないんですから」

 『何でもかんでも、自分が悪いと思っちゃいけません』と諭すマーサに、私はパチパチと瞬きを繰り返す。

「そんなこと今まで一度も言われなかった。全ての失敗は私のせいだって、言われてきたから」

 皇城で働く侍女達が減給された時も、第一皇女がテストで不合格を取った時も……責任は私にあるとされた。
不吉の象徴とも言える私と関わったせいで、呪われたんだって。
だから、悪いのは自分だと思っていたけど……違うのかな?

 『生贄の運命から解放された今と昔じゃ、色々変わるよね』と思案する中、マーサは眉間に皺を寄せた。
怒ったような……でも、ちょっと悲しそうな表情を浮かべ、口を開く。

「小さな奥様、あのクソ共……じゃなくて、愚かな人間達の言ったことは信じないでください。全てデタラメなので」

「分かった」

 『マーサがそう言うなら』と、私は迷わず首を縦に振る。
すると、マーサはホッとしたように表情を和らげた。

「ありがとうございます。では、そろそろお勉強を始めましょうか。旦那様より、幾つか資料を預かっておりますので」

 『掃除はもうおしまい』とでも言うように、マーサは布巾をバケツに戻した。
かと思えば、棚の引き出しを開け、中から資料を取り出す。
『あちらで読みましょう』と促すマーサに一つ頷き、私はソファへ足を運んだ。

 昨日の今日だというのに、もう用意してくれたのか。それも、こんなにたくさん。

 『後でお礼を言わないと』と思いながら、私はソファに腰掛ける。
マーサも隣に腰を下ろし、手に持った資料を膝の上に乗せた。

「失礼ですが、奥様はどのくらい文字を読めますか?」

「分からない」

 文字を読める基準やレベルが判断出来ず、私は素直にその旨を伝える。
すると、マーサは少し考え込むような仕草を見せ、こちらに目を向けた。

「では、文字を習い始めたのはいつ頃からですか?」

「ここへ来る三ヶ月前。花嫁修業の一貫で少し習った」

「花嫁修業の一貫って……」

 『一般常識の範疇でしょうに……』と絶句するマーサは、呆れたように溜め息を零す。
でも、直ぐに平静を取り戻し、『愚かな人間達に期待するだけ無駄か』と一人納得していた。

「事情は大体、分かりました。では、私が文章を読み上げるので奥様は聞いていてください。分からない単語や文章については、その都度言ってくれれば補足します」

「分かった」

 マーサの提案に間髪容れずに頷くと、彼女はニッコリと微笑む。
『今度、文字の勉強もしましょうね』と言いながら、資料の文面をこちらに見せた。
かと思えば、右上の文章に指を添え、静かに口を開く。

「こちらは種族に関する資料になります」

 そう伝えてから、マーサは文章を読み始めた。

「この世界には、主に七つの種族が存在しています。世界の調整者たる吸血鬼ヴァンパイア族、時代を作る人族、多様性の象徴である獣人族、魔を統べるドラゴン族、自然の管理者たる精霊族、発展を呼ぶドワーフ族、世界の見届け人であるエルフ族。どの種族も、世界を維持するために重要な役割を持っています」

 文章を指でなぞりながら、マーサは資料の内容を読み上げていく。
おかげで、どの単語がどういう意味を持っているのか何となく理解出来た。

「では、一つずつ順番に種族特性を説明していきましょう。まずは、吸血鬼ヴァンパイア族。彼らは戦闘能力に長けており、世界の意志によって生まれてきます。なので、子孫繁栄本能や生殖能力はありません」

「赤ちゃんを作れないってこと?」

 聞き慣れない単語を脳内で反芻し、私は何とか意味を理解しようとする。
コテリと首を傾げる私に対し、マーサは小さく頷いた。

「そうです。吸血鬼ヴァンパイアは不老不死の最強種族なので、増えすぎると危険なんですよ」

「ふ~ん。じゃあ、吸血鬼ヴァンパイアはどんな風に生まれてくるの?」

 『母体なしで生まれる』というのが理解出来ず、私は直球で質問を投げ掛ける。
すると、マーサは『私も人伝に聞いた話ですが……』と前置きを加えてから答えてくれた。

「ある日、突然世界に現れるそうですよ。他の生き物のように、出産や成長といった過程はないようです」

「生まれた時から既に大人ってこと?」

「ええ、そうです。吸血鬼ヴァンパイアは世界の敵を討ち滅ぼすために生まれる種族なので。幼いままだと、都合が悪いのでしょう」

 自分なりの憶測を交えながら説明するマーサに、私は『なるほど』と理解を示す。
と同時に、新たな疑問が湧き上がった。

「ねぇ、その敵って既に居る吸血鬼ヴァンパイアじゃ倒せないの?」

「さあ、それはどうでしょう。倒せる・倒せないの前に、彼らが敵を討ち滅ぼすために動くかどうか分からないので。一つの生命体として自我を持っている以上、思考や決断は自由です。世界の意志によって、左右されることはありません」

 『選択権は彼らにある』と説明するマーサに対し、私は怪訝な表情を浮かべる。

「それは生まれたばかりの吸血鬼ヴァンパイアも同じじゃないの?」

 『大人の状態で生まれてくるなら自分の意思を持っているでしょう?』と、疑問を投げ掛けた。
すると、マーサは困ったように眉尻を下げる。

「えっと……生まれた直後は他の生物と同じく、自我がないそうですよ。私も詳しいことは分かりませんが……もし、気になるようであれば旦那様にお聞きになっては?」

 『吸血鬼ヴァンパイアのことは吸血鬼ヴァンパイアに聞くのが一番良い』と主張するマーサに、私は理解を示した。

 確かに。当事者から教えてもらった方が早いし、確実だよね。

「じゃあ、今から聞いてくる」

 思い立ったら即行動の私は、ソファから飛び降りる。
ドレスの裾が捲れているのも気にせず出入り口へ向かうと、マーサが慌てて追いかけてきた。
私の後ろで片膝をつく彼女はテーブルに資料を置き、せっせとドレスを直す。

「途中までご一緒しても、よろしいですか?昨日の一件からまだ半日も経っていないので、奥様を一人にするのは不安なんです」

 『執務室の中には入りませんから』と譲歩する姿勢を見せつつ、妥協案を提示した。
心配そうな素振りを見せるマーサの前で、私は少し考える。

 直ぐに戻ってくるから、大丈夫なのに。
でも、一緒に行くことでマーサの不安を取り除けるなら、そうするべきなのかな?

 『一人で行かなきゃいけない理由もないし』と思い、私は手を差し伸べた。
マーサがいつも、そうしてくれるように。

「分かった。一緒に行こう」
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