シスターリリアンヌの秘密

ROSE

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五年後

13 再会と別れ

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 時間が止まったのかと思ってしまった。
 何度も何度も脳内で作り出し夢の中で再現した彼女は、ラファーガの想像以上だった。
 かつて見たリリアンヌは美しかった。女神が存在するのであればきっとこんな姿なのだろうという神聖さを纏い、それと同時にどこか強かな芯がある。
 しかし、その美は完成形ではなかったらしい。
 この五年、彼女の美しさは更に磨きかかったようだ。元々年齢以上に落ち着いたところがあったが、今の彼女は幾度も苦難を乗り越え、多くの悲劇に胸を痛めてきたような厳しさと儚さを併せ持っているように思える。
 美しい。
 ただその一言にどれだけの感情を込められるだろう。
 彼女の人生の苦楽を想像させるくせに、その真実を全く見せてくれない。
 リリアンヌの美とはそういう部分なのだろう。
 どんな言葉を並べたところで彼女を表現することなどできない。
 彼女に向ける感情を言語化できないまま、視線だけが奪われてしまう。
 再会したらどう声をかけるか、何度も脳内で反復していたはずなのにその全てが吹き飛んでしまったようだ。
「リリアンヌ……誓いを果たしに来た……つもりなのだが……」
 言葉が続かない。
 どうしてだろう。誓ったあの日のような勢いを持てずにいる。
 リリアンヌは一瞬不思議そうな様子を見せ、それから驚きへと表情を変えた。
「……ラファーガ……なのですか?」
 拒絶ではなく純粋な驚き。
 ラファーガがこの場に現れることを予期していなかったとでもいうようにさえ見えた。
「ああ、そうだ。リリアンヌ。あなたに救われたラファーガ・デ・グラーシアだ。あなたを迎えに来た……のだが、他にいい人がいるのだろうか?」
 ルカの話していた客人が気になった。それに、彼女がなぜ手紙を書いていたのか。そして誰を待っていたのか。
「立派になられましたね。いくつもの試練を乗り越えた目をしています」
「ああ。あなたの言葉を支えに、この五年生き抜いてきたよ」
 祈りの話もするべきだろうか。正しい作法はわからないなりに見様見真似で続けてきたのだから。
 ラファーガの問いには答えず、リリアンヌがなにかに対して頷いたように見えた。
「今日現れなければあなたはきっと永遠に姿を見せなかったでしょうね。我が神が、あなたが試練を乗り越えたと告げられました。つまり……次は私への試練なのです」
 一瞬、思い悩むような表情を見せたリリアンヌは、すぐに顔を上げ、ラファーガに近づく。
「貴族の生活には馴染めないと思います。それに……あなたから見れば敵国の人間です。私のせいで……あなたが辛い思いをすることも多くなるでしょう。それでも……あの日と同じように私を必要としてくださいますか?」
 リリアンヌの言葉を理解するまでどれだけの時間を消費しただろう。
 ラファーガの脳はその言葉の意味を受け取るまで大混乱状態だった。
 思い違いでなければ、彼女はラファーガの求婚に対して前向きに検討してくれていたらしい。
 それだけではない。随分と情熱的な気持ちを向けられている気がした。
「リリアンヌ……勿論だとも! 私の人生にはあなたが必要だ。この五年、あなたのことを考えない日はなかった。どうか、私の生涯の伴侶になって欲しい」
 手を握れば拒まれることがない。
「……あなたは私との誓いを果たしてくださいました。今度は私がそれに応えましょう」
 優しく握り返された手の温もりは幸福感を与える。
 それなのに。
 ラファーガの心は傷ついた。のだと思う。
 リリアンヌは誓いの為に無理をしているのではないかと言う考えが急速に膨らんだのだ。
「本当に、いいのかい? あなたはこの地を離れることになる」
「はい。実は、既にそのための準備は出来ています」
 彼女はそう言って、離れてしまう。
「ルカ、あとのことはあなたに任せます」
 様子を見守っていたらしいルカは溜息を吐く。
「シスターの頼みだから仕方ないけど……こっちだって不安なんだからね」
 拗ねた様な、寂しがるような様子に胸が痛まないわけではない。ルカはラファーガにも懐いてくれていた。
 あの少年が、五年の間でリリアンヌに後を任されるほど立派に成長したのだと思うと、胸の奥が熱くなる。ラファーガにとって一時とはいえ教え子だったのだ。誇らずにはいられない。
「ルカなら大丈夫です。私の知識を授けました。それに、村一番の根性です」
 リリアンヌの励ましに、ラファーガは首を傾げる。
 根性はそんなに重要視されるべきなのだろうかと。
「ずるいよシスター。兵士さんも、時々会いに来てよね。それと、時々でいいからもうちょっと勉強教えて? 賢くないと生き残れないからさ」
 精一杯の背伸びをして強がろうとするルカはやはりまだ少年なのだ。
 彼からリリアンヌを奪ってしまうことを申し訳なく思いつつ、それでも諦めることなどできないラファーガは、買い込んだ文房具と書籍を渡すことしかできない。
「文字は書けるのだろう? 手紙はいつでも歓迎するよ。君が望むなら領地にも、帝都にだって招く。頻繁には足を運べないが、ルカ、困った時はいつでも頼って欲しい。君にも恩がある」
 帝国貴族は恩を忘れない。
 たとえそれがなくたって、元教え子であるルカの力になりたい気持ちに偽りはないつもりだ。
「兵士さんもちゃんと手紙書いてよね」
 がっしりと握手を交わし、随分と力強くなったものだと驚く。
「子供の成長とは素晴らしいな」
「もう子供じゃないよ」
「すまない。だが、出会った頃は子供だっただろう? 許してくれ」
 立派になったなと背を叩けば、はにかむように笑う。
 そういえば、よく一緒に居たもう一人はどこへ行ったのだろう。
「君とよく一緒に居た……確か、レイフだったな。あの子は一緒ではないのか? 彼にも礼を言いたい」
「兵士さん、レイフは女の子だよ。彼女は、王都に行ったよ。シスターの知り合いのところで、魔術の修行をしているんだ。紹介状がないと行けない凄いところに一発で合格したんだって」
 ルカは自分のことのように誇らしい様子で話す。
「むっ……失礼した。君といつも一緒だから、てっきり少年だとばかり……そうか。王都へ行ってしまったのか……」
 王都であれば会うことは難しいだろう。
「いい学校に入ったのであればこれは必要ないかもしれないな」
 当時一緒に過ごした子供達分、書物も果物も用意していた。
 文房具も、もしかするともっと手に馴染む良い物を使っているかもしれない。
「宛先がわかれば、ペンだけでも彼女に贈りたいが……王都であれば自分の気に入った良い品を使っているかもしれないな」
 それに、帝国の品を使っては嫌がらせを受けるかもしれない。
「兵士さんの気持ちだけ伝えておくよ。向こうの学校は全部支給されるって言ってたから」
 ルカはそう言って、ラファーガが持ち込んだ品物をどこの子供になにを分けるかと仕分け作業を始める。
「リリアンヌ、出発は……明日、というのは気が早すぎるだろうか?」
 荷造りやその他諸々が必要になるだろうと思った。
「いいえ。荷造りは済んでいます。今夜、発つべきです」
 ラファーガはその発言に驚いた。
 リリアンヌの声には一切の迷いがなく、その瞳に決意が宿っていたからだ。
「そうか。実は、一週間は村に滞在する必要があるのではないかと思っていたのだよ。しかし、今夜発つのであれば途中で観光もできそうだ。帝国も悪くないと、あなたに見て欲しい場所がたくさんあるのだ」
 そう発言し、彼女を見ると、小さな鞄一つしか荷物がないことに気がつく。
「……リリアンヌ? 荷物は……それだけなのか?」
「私の持ち物はこれだけなのです」
 彼女と過ごした部屋には沢山の書物も、文房具も、裁縫道具や編み物の品、それに薬を調合するための道具もあったはずだ。
「数日分の着替えと路銀程度があれば問題ありません」
「……必要な物があればなんでも言ってくれ。私が用意する。それと、路銀の心配はしなくていい。隣町の宿に馬車を待たせてある。町までは私の馬で移動することになるが、宿も全て手配する。快適な旅にしてみせるよ」
 どんな事情があるのかはわからない。
 しかし、彼女の家にあった全ては彼女の所持品ではなかったらしい。
 ということは、誰かが彼女に貸し与えたか、彼女はその誰かからの受け取りを拒否したのだ。
「えっと……私は、馬の隣を歩きます」
「二人くらい乗れる。それとも……馬が苦手なのか?」
 リリアンヌが馬に乗る姿を想像できない。しかし、馬に怯えている様子もなかったはずだ。
「いえ……では……隣町まで……お世話になります」
 僅かに視線が合わない。
 ただ、彼女は移動に対して不安があるようだった。
 
 
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