シスターリリアンヌの秘密

ROSE

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出会い

6 詰まる言葉

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 リノから聞かされた話は別世界の物語のようだった。
 兄が消えた世界で、学友が皇帝になった。
 そして皇帝がラファーガを探しているのだという。
 御伽話のようだ。
「ラファーガ様、一日も早いお戻りをとご両親も毎日祈られています」
「……そうか……兄上は……家へ、戻られたのだろうか」
 せめて亡骸だけでも祖国の地で埋葬されていて欲しい。
 そう思ったが、リノは首を振る。
「ロベルト様の行方を辿ることができません。しかし……こちらが……戻ってきたと言うことは……既に侯爵は絶望的だと判断されています」
 リノが持っていた肖像は、やはり兄のものだったらしい。
「……逆であったならどんなに喜ばしいことかと、父上もお考えだろう……」
 帰還してどうなるというのだろう。腫れ物を扱うようにされ、兄が得るべきだった場にお飾りとして置かれる。そんな未来しか見えない。
 貴族は人前で泣いたりしない。
 うっかり彼女の前で泣いてしまったのは、彼女の持つ雰囲気のせいだったに違いない。少なくとも、ラファーガは従者の前で泣いたりはしない。
 そう思うのに、握りしめる拳が震えている。
 兄の喪失はあまりにも大きすぎる。
「少し……外の空気を吸ってくるよ」
 流れそうになる涙を必死に堪え、そう告げ、駆け足で外へ出る。
 その瞬間、堪えていた涙が一気に溢れ出したのだと思う。
 目の前の景色が滲んでいる。
 村の豊かな自然が、緑と青と茶の滲みにしか見えない。
 とっくに覚悟していたはずの多くがラファーガを蝕むようだった。
 今すぐなにかに縋りたい。
 なんでもいいからラファーガ以外のなにかに決断を委ねてしまいたかった。たとえ道端の棒きれひとつでも構わない。行き先を決めて欲しい。
 感じたのはきっと恐怖だ。
 兄の居ない世界を、兄と比べ続けられていたあの世界で過ごさなくてはいけない。
 この先どんなに努力を重ねたところで「お兄様は素晴らしかった」と評価され続ける。
 死んだ人間には勝てない。
 そう言う世界を、貴族の息子という意地だけで生き延びることなどできそうにない。
 身勝手な思考に自己嫌悪し、更に追い打ちをかける。
 自分に生きる価値などない。
 もし、神が存在するのであれば、彼は間違いを犯したのだ。
「今すぐ過ちを正し、兄上と私を入れ替えてくれ……死ぬべきなのは私の方だ」
 一体どの神に祈ればいいのだろう。
 この地で崇拝されている神は、帝国の信仰する神なのか、王国の神なのか。それとも土着の神だろうか。
 帝国は他の神を認めてはいないが、今は縋ることが出来るのであればなんでもよかった。
「そのようなことをおっしゃらないでください」
 静かな声が響く。
「あなたは必要とされています」
 優しい手が背を撫でた。
「……シスター……、なぜそう思うのだ?」
 慌てて涙を拭い訊ねる。
「私があなたと出会ったことも神の計画の一部だからです」
 彼女がどんな神を信仰しているのか、ラファーガにはわからない。
 けれども背に触れた手の温かさは暗闇の中で光る一本の糸のようだった。
「私は……」
 なにかを口にしようとして、言葉に詰まる。
 どんな言葉を並べたところで、それが真実にはならないように思えたのだ。
「あなたは今、大きな試練に対峙しています。けれども、大丈夫。あなたは必ず乗り越えられます」
 優しく握られた手はいつも献身的な看護や畑仕事をしている割に傷ひとつない滑らかなものだった。
「どうだろう……私は今……とても不安なのだ……そう、不安。兄の居ない世界を直視するだけの勇気がない。つまり……現実逃避をしたいのだろう」
 彼女と話すことで、自分の中を少しだけ整理できたような気がした。
 彼女は黙って話を聞いてくれる。
「シスター……あなたには何度感謝しても足りないな……。私の人生にあなたが必要だ」
 手を握り返せば、少しだけ驚いた様な反応がある。
「何年かかっても必ずあなたに恩返しをさせて欲しい」
「……はい。では、それまで生きてください」
 優しく微笑み、そっと頭を撫でられる。
 まるで子供達にするような仕草で、少しだけ恥ずかしくなった。
「シスター……私の方が年上だと思ったのだが……あなたから見て私はそんなに子供だろうか?」
「あ、ごめんなさい……つい……」
 申し訳なさそうに引っ込められた手を寂しく思う。
「いや、怒っているわけではないのだよ。ただ……」
 その先の言葉に迷う。
 彼女には一人の男性として扱われたい。そう思う一方で、そう主張してしまえば、今までのような対応をしてもらえなくなるかもしれない。
 聖職者だ。異性とは距離を取ろうだとかそんなことを考えられてしまうのではないかと思い、それでも彼女はそんなことを気にしないのではないかとさえ考える。
「これでも名のある貴族の生まれなのだ……」
「……そうでしたね。失礼致しました」
 一瞬、寂しそうな目を向けられた気がした。
 そして恭しく礼を取る仕草は、やはり上流の教育を受けたものに思える。
「やはりあなたは貴族の生まれなのではないか?」
 個人的なことは答えてくれないだろうと思いつつも、訊ねずにはいられない。
「……いいえ。私は、貴族ではありません」
 少し迷うように答えられたのは、没落した家の出自だからなのか、それとも庶子だからなのか。
 少なくとも高貴な血筋であることは確かなのだろう。それだけでも彼女を知る手がかりになりそうだ。
「だいぶ落ち着かれたようなので……私はこれで……」
 まるで逃げるように、手を振り払い立ち去った彼女は余程出自を知られたくないらしい。
「……参ったな……」
 傷つけてしまっただろうか。
 それでもなぜ彼女がそこまで出自を隠そうとするのか気になってしまう。
 結局のところ、ラファーガは彼女の名前すら知らないのだから。
 
 
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