悪い女王の殺し方

ROSE

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間 黒の女王の殺し方

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 レジーナは不満だった。
 レジナルドはレジーナをお嫁さんにすると言ったくせに素敵な指輪も結婚式もなしだという。それどころか衣装部屋みっつ分のドレスや宝石を処分しろなどという。
 確かに多すぎるとは思っていた。かれどもレジーナの所有物を処分しろなどと言う権限はレジナルドにはないはずだ。
 そう思って文句を言ってみたが、彼は「ある」と答えた。
「俺はレジーナの夫となり黒の王国の支配者になるのだからその権限がある。それに、黒の王国は白の王国に賠償金を支払わなければならない。青の王国と赤の王国にもだ」
 ほかにもいくつかの国の名前を並べられたかもしれない。
 その資金を作るためにレジーナのドレスや宝石を売り払えと言うのだ。
「お金がないならお金を作ればいいじゃない」
「……金を増やすと金の価値が下がる。つまり同じ物を買うのにたくさんの金貨が必要になるようになってしまう。わかるか?」
 レジナルドはできる限り噛み砕いて説明しようとしたがレジーナにはさっぱり理解出来なかった。
「さぁ? お金の管理は大人たちがしていたからわからないわ」
 女王陛下が気にすることではございませんと彼らはいつだって言っていた。レジーナの役目は書類に名前を書くことと林檎のお世話。それだけだと。
「……国庫が空なのはそのせいか」
 レジナルドは顔を覆いながら深いため息を吐く。
 どうやら黒の王国はレジーナが想像したことがなかったほどに困窮していたらしい。
 レジナルドは溜息を吐いて一枚の紙を差し出した。
「なぁに? また名前を書かせるの? 女王様はもう終わり何じゃないの?」
 そう、訊ねれば、これが最後だと彼は言う。
「これは、お前が俺の妻になるために必要な紙だ。まぁ、なくても構わぬとは思うが、結婚式を行わない以上形式的にな」
 彼が差し出した紙は、随分気取った飾り文字で書かれていて、レジーナには殆ど解読することが出来なかった。
「ここに、お前の名を書け」
 言われるまま名前を書けば、レジナルドはさっさとその紙をしまってしまう。
「ねぇ、そろそろお風呂の時間なのだけど、侍女が来ないの。お湯の準備は誰がするの?」
 普段なら侍女がお湯の準備をする時間だと言うのに誰も現れないと訊ねればレジナルドは再び顔を覆って溜息を吐く。
 それから仕方がないと自分の連れて来た女使用人を一人呼んだ。燃え上がるような赤毛のレジーナよりも年下に見える少女だった。
「メイだ。これからレジーナの生活の手助けをする。しかし、今までとは違う。ある程度のことは自分で出来るようになれ。お前には、まずは基本的な生活習慣を身につけてもらう」
 レジナルドの声はなぜかレジーナを哀れんでいるようだった。
「そう、メイ、よろしくね。大体この時間はお風呂の時間なの」
 レジーナがそう言うと、メイと呼ばれた少女は困ったような表情を見せる。
「陛下、彼女をどうなさるおつもりですか?」
「俺の妻に迎える。物を知らぬ子供と同じだ。躾けなおす。処分はそれからだ」
 レジナルドの声は、はじめレジーナが耳にしたものとは違い、随分と冷たく響いたように感じられる。
 心が凍っているのかしら。
 そう考えてレジーナは微かに笑う。
 もしかすると、それはレジーナも同じかもしれない。
 お父様が居なくなってから毎日つまらない。あんなに怖かったお母様も戻ってきてくれないかと期待するくらいには日々が退屈で堪らない。
 正直なところレジナルドが来てくれて嬉しい。大人たちはあまりレジーナに構ってくれないもの。
 メイと一緒に浴室へ向かう。どうやらメイは基本的な生活魔術を使いこなせるようですぐにお湯の用意をしてくれた。
 さっぱりしたあとはお気に入りの可愛い寝衣に身を包む。肌触りがよくてフリルがたくさん付いている。女王様らしいかはわからないけれどレジーナはこの寝衣が好きだ。
 ふわぁっと、大きなあくびが出るけれど寝る前にもう一度鏡の間に行かないと。大人たちがまた新しい書類を持ってきて名前を書くように促しに来る。
 レジーナが鏡の間に向かおうとするとメイに引き止められる。
「どちらに行かれるのですか? 寝室はあちらでは」
「鏡の間に行く時間なの。お前も来る?」
 そう訊ねるとメイは少しだけ困ったような表情を見せてから、決意したように頷いた。
 
 鏡の間は王城の中心にある壁が全て鏡になった部屋だ。真ん中に、レジーナの為に用意された黒い立派な椅子と机があって、上質な羽根ペンと書いている途中で色が変わる魔法のインクが並んでいる。
 この部屋の鏡の中に魔術師の魂がいて、彼はなんでも知っている。けれどもレジーナの魔力を与えないとなにも喋ることができないから彼に質問のある大人はレジーナを通して質問する。
 昼間大人が来なかった日は入浴を終えた後鏡の間を訪れる。
 今までの経験でレジーナはそれを知っている。
 一時間ほど鏡の間で大人に付き合って、戻る途中に図書館に寄って寝る前に読む本を選ぶのだけど、大抵、三行ほど読んだ頃に眠気が訪れる。だからといって図書館に寄らないととても落ち着かないのだ。
 鏡の間に入ると、メイは小さく悲鳴を上げた。
「本当に、全部鏡……」
 僅かに震えて見えるのは見慣れない光景が広がっていたからだろうか。
「そうよ。お前も何か知りたいことがあったら、鏡に聞いてあげようか? 私が魔力を与えたら、なんでも答えてくれるの」
 話し相手が居るのは嬉しい。それは、レジーナも鏡の中の魔術師も同じことだろう。
「知りたいこと、なんでも?」
「ええ。魔術師の知らないことはなにもないわ」
 レジーナはそう言って真ん中の椅子に腰を下ろす。ふかふかとした革張りの椅子は沈んでしまいそうなほど柔らかく居眠りをしてしまいそうになることもあるけれど、レジーナのお気に入りだった。
「では、レジナルド陛下が今、どこにいらっしゃるか」
 まるで試すようにメイは言う。鏡の能力が信じられない様子だ。
「ですって。鏡さん、答えてあげて」
 レジーナはそっと手鏡に魔力を注ぐ。すぐに部屋の壁の鏡の中に長髪の歳若い魔術師が現れる。
「白の国王ならば、この部屋の入り口に立っております。我が陛下をお探しのようです」
 魔術師が言い終わるか終わらないうちに、扉が開き、白い天人のような姿が目に映る。
「レジーナ、なぜ寝室に向かわない」
 レジナルドは少し厳しい声で言う。警戒しているのか機嫌が悪いのか、とにかく表情まで不快そうに見えた。
「だって、鏡の間で過ごす時間だわ」
 毎日毎日同じ事を繰り返すのだから全部時間が決まっている。レジーナは時間には正確なのだ。
 ゆったりと眠る。毎日、同じだけの時間。少し、同じ年頃の女の子よりは眠る時間が長いかもしれない。
 朝は焼きたてのパイと甘い香りのお茶で始まって、たっぷり二時間かけて身支度を。少し大人に会って書類に名前を書いたら、庭で林檎のお世話をして、それが終わったら昨夜読みかけた本の続きを読む。読書の後は大人に会うか会わなかったら大抵はそのまま庭で過ごし、日が傾いた頃に夕食を食べ、ゆっくりお風呂に浸かって、お気に入りの寝衣に着替えてから鏡の間で過ごし、帰りに図書館に寄って本を選んで、それから寝台で三行ほど読んでそのまま眠りに落ちる。
 小さい頃から、レジーナは同じ一日を繰り返す子だった。今と少し内容が違うだけで、毎日、毎日、同じ事を繰り返す。
 王城に住み込んでいた医者はレジーナがなにかの病気なのではないかと疑ったけれど、お母様がそれに腹を立てて彼を追い出してしまってから、王城に医者は居ない。
「ここで、お前はなにをする?」
 レジナルドはまるで観察するようにレジーナを見た。
「大人たちが知りたいことを鏡に聞くの。あとは、書類に名前を書いたりするくらいかしら」
 とっても退屈なことよと言えば、レジナルドはなにか考え込む様子を見せ、それからレジーナを見た。
「お前は、規則正しい生活をしているようだな」
 少し冷たい目。レジナルドの目からは何の感情も読めない。
「メイ、暫くレジーナの生活を監視してくれ。どの時間になにをしているのか把握したい」
 レディの私生活を監視だなんて失礼な人。そう思ったけれど、彼はレジーナの夫なのだからレジーナを知る権利くらいはあるかもしれない。
 また、大きなあくびが出る。今日は誰も来ないのね。珍しい。
「図書館に行く時間だわ」
 そう言って立ち上がればレジナルドは少し驚きを見せる。
「図書館も、あるのか?」
「ええ。沢山ご本があるわ。お前も、好きに使っていいわよ。私の夫なのでしょう? だったら、何も問題ないわ」
 そう言って部屋を出ようとすると、腕を捕まれた。
 反射的にレジーナの体は硬直する。他人に触れられるのは苦手だ。
「俺を呼ぶ時は、レジナルド様と呼べ。それと、お前ではなくあなた、と呼ぶべきだ」
 いちいち口うるさいのね。こんな小言を言うのは乳母と家庭教師だけで十分。けれども彼女達もいつの間にかどこかに消えてしまった。
「レジナルド様、ヘンな人ね。そう言うの鬱陶しいけど、嫌いじゃないわ」
 口うるさい乳母はいつの間にか消えてしまった。説教の長い家庭教師も、いつからか来なくなってしまった。
 レジーナと口を利くいてくれるのは、侍女と料理長と書類を持って来る大人だけ。
「図書館を管理していた司書がいたのだけど、彼女もいつの間にかいなくなってしまったわ。私がちょっと、本を戻すのを間違えたからって怒っていなくなってしまうのは酷いと思わない?」
 そう訊ねればレジナルドはまた難しい顔をしてしまう。ヘンな人。
「図書館は、いろんな本があるわ。黒の王国だから、魔術の本も多いけれど。私のお気に入りは砂漠の国の物語かしら」
 物語は好き。いつだってめでたしめでたしで終わるもの。作り話だからどんな主人公だって幸せになれる。
 レジーナは黒の王国の黒の女王になるために育てられた。物語で言うところのまさに悪役だ。黒の王国は悪役の国でなくてはいけない。
 それが、天が黒の王国に与えた役目。だからレジーナは滅びの魔力を持っている。
「物語の悪役は、最後は必ずやっつけられるけれど、現実だとどうなのかしら?」
 レジナルドに問えば、少し驚かれる。
「罪人は必ず裁かれるべきだ」
「そう? じゃあ、誰が裁くの?」
 そう、訊ねれば彼は答えを詰まらせた。
 勝った方が正義。いつだったか宰相が言っていた。レジーナにはよくわからなかったけれど、今なら分かる気がする。
「私が悪い女王の役で、レジナルド様が正義の王の役なんでしょう? だったら、悪い女王はこの後どうなるの?」
 物語の続きが知りたい。だから、進めてと彼を見ると、少し強引に抱き寄せられた。
「……まだ分からない。結末は、君次第だ」
 レジナルドの宝石のような瞳が揺れる。
「どうして?」
「悪い女王が、もしかしたら、正義の女王かもしれない」
 彼はそう言って笑う。
「逆転するかもってこと?」
「ああ。人生は何が起きるかわからない」
 ふわりと笑んだ彼に驚く。
 笑えたのか。
 優しい腕が包み込むと、お父様を思い出す。
 お父様が居なくなってから、誰もレジーナを抱きしめてくれなかった。
「ねぇ、特別に教えてあげようか?」
「なにを?」
「黒の女王の殺し方」
 そう言うと、彼は驚いた顔をする。
「レジーナは、俺に殺されたいの?」
「さぁ? わからないわ。でも……レジナルド様のことは嫌いじゃないから、別に構わないって思っているかも」
 ただの気まぐれ。
 だって、すごく退屈だもの。このままずっと同じ毎日を続けていたってなにも楽しくなんてならない。だったら、誰かが終わらせてくれる時に終わらせてしまいたい。
 舞台だって終幕があるから面白いのだ。いつまでもだらだらと引き伸ばしていてはいけない。
 レジーナは知っている。物語は終幕があるから楽しめる。「いつまでも」なんて望まれていないことを。
「黒の女王を殺すのは、真実の愛だってお母様が言っていたわ。大切な命と引き換えに永遠を得ると、心が迷子になってしまうんですって。その心を引き戻されると、永遠を失うって」
 永遠なんて望んでいない。けれど、真実の愛はもっと遠い。
 真実の愛なんて頭の中がお花畑の人が考えた物語でしかありえない。そうでなければ、レジーナがめでたしめでたしで終われないなんて悲しすぎる。
「まるで御伽噺だ」
 レジナルドは呆れたように言う。
「魔法ってそう言うものでしょう?」
 誰も信じなくなれば、魔法なんてものは存在しなくなってしまう。魔力は徐々に衰え、みんな大切なものを見失ってしまう。
 レジナルドは何も答えなかった。答えの代わりに、そっとレジーナの額に唇が触れた。
「……君が、黒の女王だなんて信じられない」
 どうして悲しそうなのと、問いたいのに体が硬直して動けない。
 人に触れられるのは苦手だ。
「あら、もう、眠る時間だわ」
「図書館は行かないの?」
「急いで本を選ばないと」
 そう言ってレジナルドの手を引けば、彼は驚きを見せる。
「俺も連れて行ってくれるのかな?」
「図書館を見たかったのではないの?」
 問い返せば彼は笑う。
 きっと彼は優しい人なのだろう。とても善良な王なのだろう。
 だから。レジーナを殺すのは彼であって欲しいと思った。
 きっと天も、それならば認めてくれるだろうと。









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