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タルトのかみさま

タルトのかみさま

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 タルトが居ない。
 フローレンスが珍しく仕事(真っ当な翻訳の仕事だ)が終わらないとわたわたしているからたまには僕が遊んでやろうとおもちゃを手にしていたのに宙ぶらりん状態だ。
 しかしどこへ行ったのだろう。お気に入りのキャットタワーにもフローレンスの指定席にもいない。てっきりフローレンスの足下ですりすり媚を売っているのかとも思ったがそんなこともなかった。
 キッチンでおやつを狙っているのだろうか。食べることに猫生を賭けているような猫だからな。
 そう考え、キッチンを確認するがやはりタルトの姿はない。
 どこへ行ったんだ?
 家の中を見渡すと、窓が僅かに開いていることに気がつく。
 タルトの体格であれば外に出られそうだ。
 まさか外か?
 脱走?
 タルトに限ってそんなことはないだろう。家を出るよりは家でフローレンスに媚びている方が安全に美味しい物が食べられる。あいつはそういう損得勘定を出来る猫だ。
 仮に外に出たとしても庭程度だろう。
 小魚のおやつと小さな鹿肉の欠片を手に庭に出る。小魚で釣れなかったら肉の出番だ。
 そう考えていると、見慣れた虎模様が見える。タルトだ。
 白い靴下のような前足を泥んこにしてなにかを運んでいるようだった。
「タルト、なにをしている? 風呂に入れられるぞ」
 こんなに泥だらけなら風呂に直行だ。普段はフローレンスが優しく念入りにマッサージしながら洗ってくれるだろうが残念ながら彼女は仕事中だ。今日は僕が入浴させることになる。フローレンスほど快適な入浴時間は保証できないぞ。
 タルトを捕獲しようとする。
 しかしいつもより少し鈍い動きですり抜けていった。
「タルト?」
 一体なにをしているんだ。
(うげっ……ぱぱ?)
 ぼとり、タルトの口からなにかが落ちる。
 羽毛? いや、鳥?
 よく見なくても鮮やかな色の小鳥だ。どこかの家庭で飼育されていたものにしか見えない。
 逃げ出した鳥をどうやってか捕獲したらしい。
「……まさか、フローレンスが朝の餌をやらなかったのか?」
 記録は付けているはずだが彼女の記憶力では忘れてしまうこともあるだろう。けれどもそう言うときはタルトは激しくおねだりに行くはずだ。
 そもそもタルトの性格を考えると空腹だからと言ってわざわざ自分で狩りをしたりはしない。フローレンスにねだった方が簡単に美味しいおやつがもらえる。
 タルトは猫のくせに心底嫌そうな表情を見せている。
(ぼくねこちゃんだから……)
「飼い猫は飼い猫らしく家で大人しくしていろ。フローレンスが泣くぞ」
 可愛がっている猫ちゃんが余所の家の鳥を食べていたなんて泣くか気を失うか……。
(だからままがおしごとちゅうにしてるんだよ)
 当然だろうと言わんばかりの様子で落とした小鳥をくわえ、再び歩き出そうとする姿に呆れる。
「どこへ行くつもりだ」
 所詮は子猫だ。ひょいと掴み上げる。
(ぎゃーどーぶつぎゃくたーい)
 ぽとりと小鳥を落としたタルトはじたばたと暴れた。
「夕食を減らされたくなければ正直に話せ」
 一体なにをしているのだろう。タルトがせっせと小鳥を運ぼうとした方向には古い木が一本あるだけだ。フローレンスが家を買ったときには既に敷地内にあったらしいその木は林檎の一種だが全く手入れされていなかった為、僕が暇なときに世話をしている。
 しかしこの木は妙だ。たぶん前の持ち主かこの近隣に居た誰かがやったのだろうが、木の一部が彫刻作品のようになっている。経年による変化で元の形はよくわからないが人の形に見えるなにかだ。正直気味が悪い。けれども切り倒してしまうのは可哀想だと思う。
「木に悪戯するなよ。爪とぎはちゃんと用意してあるだろう?」
(いたずらじゃないよ)
 タルトは不満そうに言う。そしてとうとう僕の手から抜け出した、また地面に落ちた小鳥を銜える。
「そんなに腹が減っているのか?」
 だったらと、ポケットに入れていた小魚を取り出す。
 けれどもタルトは見向きもしないで小鳥を引きずりながら木の方へ向かった。
「やっぱりお前は肉食か。ほら、鹿肉もあるぞ」
 ぴくりと耳が反応する。
 さては小鳥と鹿肉を天秤にかけたな。そういう計算は得意な猫だ。どうせすぐに安全で美味しい鹿肉の方に食いつく。
 そう思ったのに、タルトは頑固だった。
 小鳥を引きずってひたすら木の方を目指す。
 まさか、食べるためではないのか?
 あのタルトがこんなことに労力を割くのが不思議だった。
 こうなったらもう見守るしかない。
 ゆっくりタルトの後ろを歩く。子猫の歩幅と僕の歩幅ではあっという間に追いつくが、踏まないようにだけ気をつける。
 たぶん余所で飼育されていた鳥だから大丈夫だとは思うが変な病気を持っていないだろうかだとか、もう庭で洗ってから家に入れなくてはいけないのではないかだとか余計なことばかり考えてしまう。
 フローレンスは気にせずに泥だらけのタルトにキスをするかもしれないが、それが原因で病気にでもなったら大変だ。
 動物はかわいいが病気を運ぶ。特にフローレンスの可愛がり方は危険だ。
 簡易検査の試薬は家にあっただろうかなどと考えていると、ようやく木の下、丁度彫刻されているような部分に辿り着いたらしいタルトがそこに小鳥を置いた。
 そして驚くことに、フローレンスが時々している祈りのような仕草をするのだ。目を閉じて。
 一体なにが見えているのだろう。
 いや、そもそも猫は祈ったりするのだろうか。
 そもそも人語を話す(いや、僕が猫語を話しているのか?)時点で普通の猫ではないのだが、それにしたって猫が祈ったりするのだろうか。
 まさか、この木に彫られた謎の彫刻はなにかの偶像で、あの小鳥は供物、なのか?
 思わずタルト、彫刻、小鳥を交互に見てしまう。
 どのくらいタルトが祈っていたのだろう。僕は一瞬だってその空間から目を離していなかったはずなのに、突然小鳥が消えた。
「……は?」
 なにが起きた?
 他の獣が横からかっ攫っていったと言うのであれば納得する。
 けれども色鮮やかな小鳥は羽根の一つも残さずに消えてしまった。
 そして、タルトはとぼとぼ家に向かおうとする。
「おい、タルト」
 なにが起きたか説明しろ。
 そう言いたいが、僕はとても混乱していた。
 本当になにが起きているのだろう。
 このところ、いやフローレンスと出会ってから僕の理解が追いつかないことが多すぎる。
(ままにはないしょね)
 タルトはそう言って、そのまま家の中に入ろうとする。
「こら、先に風呂だ。いや、もうバケツで洗う。こんな泥まみれで家に入れられるか」
 うわ、血まで付いている。フローレンスには見せられない。
(うげぇ……おふろきらーい)
「嫌いじゃない。勝手に外に出て泥まみれになったのだから当然だ。だいたい鳥の血が付いた状態をフローレンスに見せるわけにはいかない」
 湯を持ってくるから待っていろとタルトを庭に座らせる。
 これで本当に大人しく待っているのだろうかと思いつつ、バケツと桶に湯を入れて庭先まで運ぶ。
「それで、あれはなにをしていたんだ?」
 お風呂嫌だと逃げ出そうとするタルトを捕まえて桶に突っ込む。洗濯石鹸で洗わないだけ感謝して欲しいと、ペット用のシャンプーを泡立てた。
(えっとね、かみさまにおそなえ)
「神様?」
 なんとなくそんな気はしていたが、一体どういうことだろう。
(ねこにはねこのかみさまがいるんだよ。ぼくらはみーんなうまれたときからしってる)
 大人しくシャンプーをされながら、時々下手くそという視線を向けてくるタルトの話はとてもじゃないが信じられない。
(おそなえしないとままをもっていかれちゃう)
「フローレンス?」
(おにくがいいの。かみさまおにくすき)
 それはお前の好物だろうと言いかけて、先程の消えた小鳥を思い出す。
「買ってきた肉じゃだめなのか?」
(しんせんじゃないと!)
 意外とタルトは信仰心がある猫なのだろうか。
(ぼくはねこのしゅーかいにいけないからおそなえはしっかりしないと)
「猫の集会?」
(みんなあつまるんだよ。そこでおいのりするの)
 猫には猫の神様がいる。
 そう言えばフローレンスも聞いたことのない神を信仰していた気がしたが、育った国が違うのだとあまり気にしたことがなかった。そもそも僕は科学信者だ。宗教とは縁がない。たぶん。
 時として精神に信仰が必要だと言うことは理解しているが、なんとか教の組織に所属したことはないし、これからもそのつもりはない。神の存在も否定はしないが肯定もしていない。だから余計にタルトの話が信じられなかった。
「だとしても、鳥はやめろ。たぶんどこかの家で飼われていた鳥だぞ。それに、フローレンスが見たら大変だ」
 フローレンスを口実に叱るのはどうかとも思うが、実際可愛がっている猫ちゃんの行動で彼女の精神状態が不安定になるのは避けたい。折角少し落ち着いてきたというのに。
 ダニエルが帰って数日は少し寂しそうにしていたが、この数日はいつも通りに見える。寧ろ仕事の遅れを取り戻そうと必死にさえ見える。
(うーん、ねずみとかむしだとしょぼいきがしたんだけどなぁ)
 そこもっとと催促しながら欠伸をする姿が憎たらしい。
「いつからこんなことをしているんだ?」
(このおうちにきたころだよ)
 気づかなかった。
 たぶんフローレンスも気づいていない。
(うんどうしたらおなかすいたー! おにくー!)
「……ちゃんと毛を乾かしてからな」
 まあポケットの中にある欠片くらいなら与えてもいいだろうと考える僕もこの猫には甘い。
 それにしても。
 どうもあの木は切り倒してはいけないようだ。あの偶像には触れない方がよさそうだ。
 タルトの話が本当だとして、猫の神様とやらが人間に対して好意的かどうかなんてわからない。
 むしろ、突然消えた小鳥のように僕も肉と判断されてしまう可能性があるのではないだろうか?
 どうもこのところ不安ばかりが増えていく。
 シャンプーを洗い流し、タオルで包み込んで拭く。
 ラスールの件もそうだし、あの木。
 いっそフローレンスとタルトを連れてどこか遠くの町に引っ越そうかとも考えるが、フローレンスの生活水準を考えると同条件を用意するのは現実的ではない。
 それに、どうやって一緒に引っ越す? 
 まず僕が引っ越したいなんて言い出したら間違いなく彼女は泣く。泣きわめく。そして存在しない浮気相手を必死に探す。
 フローレンスもタルトも一緒だと告げればたぶん頷いてくれるだろう。
 けれども、どうしてと訊ねられれば答えられない。
 なにより僕は未だに彼女に正式な婚約を申し込めていない。
 ずっと有耶無耶になったままだ。
(ぱぱ?)
 どうしたの、と覗き込む瞳がある。
「あ、いや……その……人間にはいろいろ悩みがあるんだ」
 僕は一般的な生活を送っていれば決して悩むことのないことにばかり悩まされているような気もするが。
 洗い終えたタルトを連れ家の中に戻れば、珍しく眼鏡を掛けたフローレンスが微笑みかけてくる。
「お庭で遊んでいたのですか?」
「あ、ああ……泥まみれになってしまったから洗ったんだ」
「まあ、猫ちゃんは今日も元気ですね」
 フローレンスは嬉しそうに笑いながら顔に対して少しばかり大きすぎるであろう眼鏡を外す。
 似合っていたのに。勿体ない。
 思わずそう考えてしまったがフローレンスの眼鏡は資料を読むときの疲れ目防止の為で視力は悪くないのだ。僕と違って。
「丁度休憩にしようと思っていたのですが、お茶にしませんか?」
「ああ。そうだな」
 フローレンスが元気そうだ。それだけで安心する。
 足下をがりがりするタルトに、ポケットの中に入れていた小魚と鹿肉の欠片を与えればこれだけかと不満そうな様子を見せられた。
 いつものハーブティーの香りがする。
 家の中に居れば、あの奇妙な現象が夢だったのではないかと思えるほどいつも通りだ。
 見なかったことにすればいい。全部。
 僕はなにも見ていないと自分に言い聞かせ、いっそタルトの言葉もわからない振りをすれば【まとも】になれる。
 美人の恋人がいて、ペットを飼っていて、世間から豪邸と言われてしまうような家に住んでいる。恵まれた暮らしではないか。
 そんな風に自分を説得することは無駄だとわかっている。残念ながら僕は好奇心が強い方で、しかもフローレンスは【まとも】じゃないことの当事者だ。
「お疲れですか?」
 フローレンスの困り顔がいつもよりも困っている様に見える。
「そう、かもしれないな」
 しばらく長椅子生活だったから疲労が溜まっているんだ。きっとそうだ。
 フローレンスがいつもより多めの砂糖を投入したハーブティーを差し出す。きっと砂のように甘いのだろうが彼女なりの気遣いだ。おとなしく受け取る。
 やはり一度気になると気になってしまう。
「フローレンス、庭にある林檎の木なんだが……」
「はい」
「君は……あれを気に入っているのか?」
 変な彫刻が彫られている気がするなんてどう言えばいいのだろう。遠回しに訊ねようとする。
「うーん、家を買ったときからあったのでよくわかりませんが立派だったので切るのも勿体ないかなと思ってしまって……あ、でもブラン様が物置を作りたいのであれば切ってしまっても構いません」
 フローレンスは特に気にしていないという様子だ。それもそうか。手入れもしていなかったからな。
「いや、立派な木だと思って……祖国から持って来たのかと」
「いいえ? 建売住宅を購入したので庭は窓際の一部しか手入れしていません。ゆっくり時間も取れなくて」
 そりゃあ講師の仕事と僕のストーキングの他に非科学的なこと本業があるのだから忙しいに決まっている。
「そうか。なら、僕が世話しておこう。もしかしたら実を付けるかもしれない」
「大変ではありませんか?」
「いや、植物の世話は好きなんだ」
 僕の鉢植えは何度かフローレンスに全滅させられているが植物の世話は好きだ。
 けれども、あの妙な木は……フローレンスを近づけたくない。
 タルトがおかわりの催促に来る。
「おやつはさっきやっただろ」
(もっとー! たりない!)
「夕食の方が近いから我慢しろ」
 甘やかしすぎるのもよくない。そう思ったがタルトはすぐに標的をフローレンスに切り替えた。
 もう普段のタルトだ。わざわざ狩りをしたりしない。
 そして巧みにおねだりして小さな鶏肉を得た。
 いつも通りに見える。
 けれども、僕の周囲は常になにかが隠され続けているように感じられてなんだかとても落ち着かない気分だ。 
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