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シリアル
シリアル 1
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朝のルーチンを崩されるのはとても不快だ。
健康な耳を感謝するより先に恨めしく思ったのはいつ以来だろう。
しつこくメッセージを知らせるバイブ音が鳴る。
こんなことをするのは凜しかいない。
苛立ちながらも日課の通読を始めようとすると更にメッセージを受信する。
しつこい。
電源を切ってやろうか。
どうせたいした用事じゃないくせにと苛立ちながら、渋々とメッセージを確認する。
すぐにログインして確認して!
セッション依頼が来てる!
どういう意味だろう。
気怠い体を無理矢理起こす。
今日は一日最悪な日になりそうだ。
ルーチンを崩すとろくなことがない。
けれどもしつこい凜を放っておくのもろくなことにならない。
遙はうんざりしながらベッドの階段を下り、ベッドフレームに引っかけた着替えを取りながら防音室に向かう。
パソコンの電源ボタンを押し、起動するまでの間に着替えながら朝食のコーンフレークをいつもと同じ量だけ皿に盛り付け、牛乳を注ぐ。
机に皿を移動させて、また防音室に戻る。
今日のコーンフレークはひたひたになってしまいそうだと思いながら、パスワードを入力し、ブラウザを立ち上げる。
そして、凜がアカウントを作った音楽投稿サイト、『和音』にアクセスした。なんて安直なサイト名だろうだとかそんなことを考えながらログインすると、ベルの形のアイコンに赤い印が付いている。どうやら通知があるらしい。
いくらSNSに疎い遙だってそのくらいは知っている。この和音の少し特殊なところは『セッション依頼』という項目があることくらいだろうか。
通常のメッセージの他に、リクエスト、そしてセッション依頼ができるようになっている。
通常メッセージは入っていない。しかしリクエストにクラシックの名曲が数曲並べられているのが目に入った。
そうしてもう一つ。セッション依頼に印が付いている。
一体何事だろうか。
遙は不審に思いながら、メッセージを開く。
相手のユーザー名は『わっしー』と書かれていた。
随分とふざけた名前だなと思ったが、自分が『シリアル』であることを思い出し、SNSとはそう言うものなのだと思い返す。
アイコンは流行のイラストではなく、シンプルにピアノの鍵盤を写したものだ。そう言う部分に無頓着な人物なのかもしれない。
メッセージの内容は、合奏してみたいというシンプルなものだった。
はじめまして、シリアルさん。
僕はわっしーです。
チェロがとっても上手ですね。たくさん練習しているのが伝わってきました。
シリアルさんと合奏してみたいです。
どのジャンルでも弾けます。ピアノです。
メッセージの主、わっしーは人に文章を送ることに慣れていないのだろうか。なにも考えずにそのまま送られたようなメッセージだった。
もしかすると中学生くらいの子なのだろうか。
相手のページで演奏を確認出来るはずだとそのままわっしーのアイコンをクリックする。
わっしーのプロフィールはシンプルに「ピアノが大好きです。合奏してください」とだけ書かれているが、トラックリストの投稿数が多い。
遙のページにはなかった『セッション』の項目も二十を超える投稿があるようだった。本当に沢山の人と合奏したいらしい。毎回違う相手とのセッションが投稿されていた。
それ以外にも毎日練習や演奏を投稿している。とても積極的に活動しているらしい。
なんとオリジナル曲まで投稿していた。
しかし、タイトルを付けるのは苦手らしい。無題の後に日付を添えている曲ばかりだ。
最新投稿は昨日の夕方だ。
投稿された曲は『エリーゼのために』と定番曲なのだが、再生数とお気に入りの数がものすごく多い。
そんなにすごい演奏なのだろうか。
遙はヘッドフォンを装着し、再生ボタンをクリックした。
空気が変わった気がする。
録音だと言うのに、振動が響いてくる。
切なくて甘い。そしてどこか柔らかい。
繊細な音だ。少し神経質で、それでも温かみがある。
言語で表現することが困難なほど、遙の芯が震えた気がした。
揺さぶられる。
遙の日常生活では殆ど存在しない感覚だ。
気がついたときにはヘッドフォンを外して床に落としていた。
「なに、こいつ……」
上手い下手で言えば圧倒的に上手い。けれどもそれが教科書通りだとかそう言うものではなく、基礎を徹底的に積み上げそれを自己流にまで運べている人間の上手さだ。
この人は一体どれだけ練習したのだろう。
人生の中のどれだけの時間を音楽のために費やしてきたのだろう。
負けた。
真っ先に考えたことがそれだった。
音楽への情熱でこのわっしーには勝てない気がしてしまう。
メッセージの文面からして、おそらく年下。それも中学生くらいだろう。そう考えると、遙は一生掛かってもこのわっしーに勝てない。
そんな伸び盛りの子がこれだけ大量に投稿しているのだ。固定ファンも多いだろう。そしてこれからもっと伸びていく。
本当に芸術とは残酷で恐ろしい世界だ。
年齢だとか積み重ねた年月だけでは優位に立てない。結局のところ生まれ持ったものがものを言う。
痛い。
胸が痛い。
この残酷なまでの差が恐ろしく、遙の人生を否定するようだった。
夢で生きていくというのは、この恐ろしい才能のような人達と同じ舞台で競い合わなくてはいけないということだ。
結局夢で生きていくなんて遙には不可能なことなのだ。
諦めの感情と共に全身から力が抜けてしまう。
ルーチンを乱すとろくなことがない。
今日のコーンフレークは牛乳を吸い込みすぎてふにゃふにゃにふやけてしまっているだろう。
きっと講義でもろくなことがないに決まっているのだ。
健康な耳を感謝するより先に恨めしく思ったのはいつ以来だろう。
しつこくメッセージを知らせるバイブ音が鳴る。
こんなことをするのは凜しかいない。
苛立ちながらも日課の通読を始めようとすると更にメッセージを受信する。
しつこい。
電源を切ってやろうか。
どうせたいした用事じゃないくせにと苛立ちながら、渋々とメッセージを確認する。
すぐにログインして確認して!
セッション依頼が来てる!
どういう意味だろう。
気怠い体を無理矢理起こす。
今日は一日最悪な日になりそうだ。
ルーチンを崩すとろくなことがない。
けれどもしつこい凜を放っておくのもろくなことにならない。
遙はうんざりしながらベッドの階段を下り、ベッドフレームに引っかけた着替えを取りながら防音室に向かう。
パソコンの電源ボタンを押し、起動するまでの間に着替えながら朝食のコーンフレークをいつもと同じ量だけ皿に盛り付け、牛乳を注ぐ。
机に皿を移動させて、また防音室に戻る。
今日のコーンフレークはひたひたになってしまいそうだと思いながら、パスワードを入力し、ブラウザを立ち上げる。
そして、凜がアカウントを作った音楽投稿サイト、『和音』にアクセスした。なんて安直なサイト名だろうだとかそんなことを考えながらログインすると、ベルの形のアイコンに赤い印が付いている。どうやら通知があるらしい。
いくらSNSに疎い遙だってそのくらいは知っている。この和音の少し特殊なところは『セッション依頼』という項目があることくらいだろうか。
通常のメッセージの他に、リクエスト、そしてセッション依頼ができるようになっている。
通常メッセージは入っていない。しかしリクエストにクラシックの名曲が数曲並べられているのが目に入った。
そうしてもう一つ。セッション依頼に印が付いている。
一体何事だろうか。
遙は不審に思いながら、メッセージを開く。
相手のユーザー名は『わっしー』と書かれていた。
随分とふざけた名前だなと思ったが、自分が『シリアル』であることを思い出し、SNSとはそう言うものなのだと思い返す。
アイコンは流行のイラストではなく、シンプルにピアノの鍵盤を写したものだ。そう言う部分に無頓着な人物なのかもしれない。
メッセージの内容は、合奏してみたいというシンプルなものだった。
はじめまして、シリアルさん。
僕はわっしーです。
チェロがとっても上手ですね。たくさん練習しているのが伝わってきました。
シリアルさんと合奏してみたいです。
どのジャンルでも弾けます。ピアノです。
メッセージの主、わっしーは人に文章を送ることに慣れていないのだろうか。なにも考えずにそのまま送られたようなメッセージだった。
もしかすると中学生くらいの子なのだろうか。
相手のページで演奏を確認出来るはずだとそのままわっしーのアイコンをクリックする。
わっしーのプロフィールはシンプルに「ピアノが大好きです。合奏してください」とだけ書かれているが、トラックリストの投稿数が多い。
遙のページにはなかった『セッション』の項目も二十を超える投稿があるようだった。本当に沢山の人と合奏したいらしい。毎回違う相手とのセッションが投稿されていた。
それ以外にも毎日練習や演奏を投稿している。とても積極的に活動しているらしい。
なんとオリジナル曲まで投稿していた。
しかし、タイトルを付けるのは苦手らしい。無題の後に日付を添えている曲ばかりだ。
最新投稿は昨日の夕方だ。
投稿された曲は『エリーゼのために』と定番曲なのだが、再生数とお気に入りの数がものすごく多い。
そんなにすごい演奏なのだろうか。
遙はヘッドフォンを装着し、再生ボタンをクリックした。
空気が変わった気がする。
録音だと言うのに、振動が響いてくる。
切なくて甘い。そしてどこか柔らかい。
繊細な音だ。少し神経質で、それでも温かみがある。
言語で表現することが困難なほど、遙の芯が震えた気がした。
揺さぶられる。
遙の日常生活では殆ど存在しない感覚だ。
気がついたときにはヘッドフォンを外して床に落としていた。
「なに、こいつ……」
上手い下手で言えば圧倒的に上手い。けれどもそれが教科書通りだとかそう言うものではなく、基礎を徹底的に積み上げそれを自己流にまで運べている人間の上手さだ。
この人は一体どれだけ練習したのだろう。
人生の中のどれだけの時間を音楽のために費やしてきたのだろう。
負けた。
真っ先に考えたことがそれだった。
音楽への情熱でこのわっしーには勝てない気がしてしまう。
メッセージの文面からして、おそらく年下。それも中学生くらいだろう。そう考えると、遙は一生掛かってもこのわっしーに勝てない。
そんな伸び盛りの子がこれだけ大量に投稿しているのだ。固定ファンも多いだろう。そしてこれからもっと伸びていく。
本当に芸術とは残酷で恐ろしい世界だ。
年齢だとか積み重ねた年月だけでは優位に立てない。結局のところ生まれ持ったものがものを言う。
痛い。
胸が痛い。
この残酷なまでの差が恐ろしく、遙の人生を否定するようだった。
夢で生きていくというのは、この恐ろしい才能のような人達と同じ舞台で競い合わなくてはいけないということだ。
結局夢で生きていくなんて遙には不可能なことなのだ。
諦めの感情と共に全身から力が抜けてしまう。
ルーチンを乱すとろくなことがない。
今日のコーンフレークは牛乳を吸い込みすぎてふにゃふにゃにふやけてしまっているだろう。
きっと講義でもろくなことがないに決まっているのだ。
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