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蜥蜴
しおりを挟むあの頃、私は子供にしては珍しく頭痛に悩まされる子だった。
その日も重い頭痛で保健室の世話になるところだった。
保健室の先生は母と同じくらいの年齢の女の先生で、私が保健室に行くとすぐにベッドに寝かせてくれた。
すっかり常連だから先生はいつも私の場所を用意してくれている。
水銀の体温計で熱を測りながら氷枕で頭を冷やす。
いくつもの病院でたくさんの検査を受けたけれど私の頭痛はいつだって原因不明だった。
ううん。本当は知っている。
あいつの仕業だ。
黒い影。翼のある蜥蜴みたいな姿のそれは頻繁に姿を現した。
私の腕ほどの身長のそいつは二足歩行でタップダンスのような動きをする。
そいつはいつも私のそばをうろちょろして、そいつが笑い出すととても頭が痛くなる。
笑い声の不快さなのか、それともそんな力を持つ生き物なのか。
私はその生き物を【不幸】と呼んでいた。
あも【不幸】の笑い声で起きているのが辛いほど強烈な頭痛に襲われる。
その時も【不幸】は私のお腹の上に乗ってゲラゲラと笑い転げていた。
あの【不幸】の厄介なところは振り払おうとしても触れないことだ。
だから私はいつも【不幸】が飽きてどこかへ行くまでじっと耐えることしかできなかった。
あの【不幸】が悪い物だとわかっているから、追い払うためにおまじないを唱えようとしても激しい頭痛に妨害されて上手くいかない。
あの【不幸】はとても厄介だ。
常に監視されている気がするし、気まぐれに私の頭の上に乗ったりお腹の上に乗ったり、ゲラゲラ笑い転げては激しい頭痛の原因になる。
見た目だって不気味だ。翼のある蜥蜴だなんて、ゲームに出てくる敵モンスターみたいだと何度か思ったことがある。だったらあの笑い声は超能力か毒か、とにかく状態異常にしてくるようななにかだろう。
今日は【不幸】が上機嫌なのかとても楽しそうに、いつもより長い時間笑い転げている。
一体なにを考えているのか。ガンガンと締め付けるような頭痛が広がっていく。
今日は保健室の先生から母に連絡が行くかもしれない。迎えに来てくださいと。
一応病院で出された頓服薬は先生に預けてある。熱はないけれど痛みがすごいからと水と一緒に薬を用意してくれるけれど、この頭痛は薬なんかでは治まってくれない。
全部あいつが悪いんだ。
あの【不幸】がゲラゲラ笑っている限りはなにをしたって無駄。
だけれども保健室の先生にそんなことを言ったところで信じてもらえない。
先生は見えない人なのだから。
頓服薬を飲んでしばらく横になっていると、誰かが入ってくる音がした。
「様子はどうですか?」
聞き慣れた声。担任の先生だ。
この先生はいい先生だ。ひとりひとりを気にかけてくれる。特に私のことはへんな子だと思っているから気にかけてくれていた。
「今日はかなり酷いみたいで、保護者に連絡をしたのですが、繋がらなくて……」
保健室の先生が困った声をしている。
「うーん、少し本人と話してみて、自力で帰るのが難しそうならもうしばらくここで休ませましょう」
それからすぐに足音が近づいてくる。
だめだと思った。
担任の先生はたぶんこの【不幸】が見えてしまう人だ。
もしかしたら先生までこいつにやられてしまうかも。
心臓がばくばくした。
けれども先生はすぐ近くまで来て、それから私に声をかける。
「どう? 起き上がれそう?」
声は私に向けているくせに、先生の目は真っ直ぐ【不幸】に向いていた。
やっぱり先生は見えている。
「お母さんに連絡したけど、今電話に出られないみたいなんだ。一人で帰れないようだったらもう少しここで休んでて」
そう言いながら、先生は【不幸】に手を伸ばす。
それは触れないよと言おうとしたのに、次の瞬間にはひょいと首を掴んで持ち上げていた。
「大丈夫。すぐよくなるよ」
ぽんぽんと軽く頭を撫で、先生は【不幸】を摘まんでベッドの側を離れていく。
「まだ起き上がれないようなのでもう少し様子を見てください。保護者が迎えに来られないようでしたら僕が家まで送ります」
「本当はだめなんですけどね。仕方ないかな? 普段ならすぐお母さんに繋がるのに」
そんな先生達の話を聞いていると、【不幸】がじたばた暴れているのが見える。
先生に掴まれているのが不満な様子だ。
ざまあみろ。
そう考えると痛みがゆっくりと引いていく。
いったいどうして先生はあいつを捕まえられるのだろうと不思議に思った。
それに、先生はあいつに触れても全くなにも感じていない様子だ。
その晩、【不幸】は私の部屋に来なかった。
それからしばらくの間、やっぱり【不幸】は私の周りにやって来てゲラゲラ笑いで苦しめてきたけれど、先生は声をかけるついでに【不幸】を捕まえて追い払ってくれた。
あいつを始末することは出来ないみたいだけれど、捕まえることが出来る。
だから思い切って先生に聞いてみた。
「先生、それはなあに?」
「それって?」
「先生が捕まえたやつ」
そう訊ねると、先生は、【不幸】を捕まえていない方の手でしいっと口を押さえる。
「なんでもないよ。そのうち気にならなくなるから」
それっきり、先生はそいつの話をしてくれなかった。
けれども、そのうち気にならなくなるという言葉を信じていいのだろうか。
一生あいつが付き纏うかも。
先生がいないときにまたあいつが来たら前より酷いことになるのではないだろうか。
そう思うのに、先生はあいつを捕まえる方法を教えてくれなかった。
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