黒炎の宝冠

ROSE

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14 絡み合う視線

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 あれからレイナは数日熱を出した。レイナ・アルシナシオンとしては人生で初めての発熱だ。原因は魔力の暴走らしい。感情が不安定になってしまったことで魔力が暴走してしまったと言うことだ。
 数日後、目が覚めるとノアの私室で寝かされていた。どうやら兄は自分のベッドをレイナに譲り渡してくれたらしい。ここが一番安全だと言わんばかりに過ごしやすい環境を整えてくれていた。が、枕元には書類の山がある。
「寝込んでいた分働いて貰わないとね」
 笑顔で言う兄を一瞬殴りたくなってしまったのは秘密だ。
 レイナはベッドの中で上体だけを起こし、枕を背もたれ代わりにして書類に目を通す。殆ど寝たきりだったノアの為に作られたベッドは書類仕事ができる机付きだ。豪華な作りの病院のベッドのような印象だ。
 ルイスに選んで貰った眼鏡を掛け、書類を読み進めればどうも即位に伴う雑務があるらしい。
「これ、私じゃなくてもいい気がするわ」
 隣国の王族と面会だなんてレイナには向いていない。けれども即位の祝いに駆けつけてくるということはそれなりに交流があるのだろう。
 が、【EVER】の世界にそんな話はなかったはずだ。
 頭が痛い。
 それよりルイスは付き添ってくれなかったのかと思うと寂しくなってしまう。それに、数日寝込んでいたと言うことは、その分楽器の腕も衰えていると言うことだ。
 チェロを弾きたい。そう思ったけれど、書類仕事が終わるまでお預けだと笑顔のノアに没収されてしまった。ホセに預けていたはずなのに、いつの間にかここにあるということは、寝ている間も楽器は傍にあったのだろう。
「視察は行けないからなにがどうなっているのかさっぱりだわ。ここってルイスの領地のあたりよね?」
 治水がどうだとか国境がどうだとか小難しい文章で延々と書かれている。三行に纏めなさいよと内心毒づきながら、ルイスが会いに来てくれないかとそわそわしてしまう。
 おかしい。普段のレイナなら書類仕事くらい真面目にこなせるはずだ。
「……お兄様……ルイスは、お見舞いに来てくれましたか?」
 ルイスのことばかり考えてしまうから、正直に訊ねれば兄は笑う。
「ああ、何度も来ていたよ。うん。レイナが目覚める直前も来ていたんだ。ああ、ルイスから約束の品って香水を預かっているよ。でも、自分の分しか購入していないから小分けにしたものだって」
 どうして目が覚めるまで傍に居てくれなかったのと不満になってしまうほど、今のレイナはわがままで、ルイスのことしか考えられない。
 きっと不安だから。
 即位が不安だからこうやって……ルイスに執着しているふりをしている。
 レイナはただルイスを利用しているだけだ。
 最低。自己嫌悪に陥る。
 もやもやしたまま小瓶を受け取り、一吹きだけ手首にかけてみる。
「……ルイスの匂い……ちょっと違うわ」
 この香水で、彼の匂いに包まれて眠れると思ったのに、なにかが違う。やっぱりルイスじゃないとだめなのだろう。
「……婚約者と仲がいいのはいいことだよ。でも、レイナ……近頃は少し度が過ぎている」
 ノアは顔をしかめる。
「レイナがあからさまにルイスに夢中だと、ルイスを利用しようとする人間も増える。つまり、ルイスが危険に晒されるということだ」
「ルイスのことは私が護るわ」
 私のルイスだもの。絶対逃がしてなんてあげない。
 絶対、アリアになんて……。
 そんな考えが過り、おかしいと思う。
 ルイスは一度もアリアに関心を示していないはずなのに、どうしてレイナはそう考えてしまったのだろう。
 ルイスを横取りされる。
 そんな考えに支配されそうになっている。
 きっと黒咲凜の知識がそうさせているのだ。
「……ただ、即位が不安なだけよね。ルイスに……ルイスに依存していれば少し気が楽になる気がしただけ」
 これではただの言い訳だ。
 再び書類に視線を戻す。
 退屈。楽譜の他はルイスが時々くれる手紙だけで十分よと思ってしまう程度には、中身が頭に入らない。
 音楽のことだけ考えて生きていたいのに、人生は上手くいかない。
 思わず溜息が出る。
 それからうんざりするほどの時間、書類とにらめっこする羽目になった。



 次兄の許可が下り、ようやく自室に戻れるようになったのは即位式の前日だった。
 渡し損ねた贈り物は次兄の部屋に届けられ、このまま渡せないままになってしまいそうだと思いながら抱きしめる。
 付き添うことが当然というような表情のホセを視界に入れない不利をして自室へ向かう道、その光景を目にしてしまった。
 思わず、手前の壁に隠れて様子を覗う。
 ルイスが、なぜかアリアと居る。
「レイナ?」
 不思議そうなホセに指で黙れと合図し、それから聞き耳を立てる。
 どうして王位継承者のレイナがこんな盗み聞きのような真似をしなくてはいけないのかと思う一方で、様子が気になってしまうのは仕方がない。
 よく聞こえないけれど、ルイスとアリアがなにかを言い合っているように見える。
「ホセ、聞こえる?」
「ええ。ルイス、『それがレイナの為になるとでも?』アリア・グラーベ『お姉様には必要なことよ』ルイス『悪いが考えさせて欲しい』アリア・グラーベ『急がないと。お姉様には時間がないの』」
 ホセはまるで台本を棒読みで読み上げるように二人の会話を伝えてくれる。
「なんの話かしら」
「アリア・グラーベ『即位式前に決断して』ルイス『私はレイナを裏切れない』」
 不穏な会話に思える。
 ここで【EVER】のシナリオを思い出してみよう。
 だめだ。ここはまだ描かれていない。凜の役立たず。
 レイナは前世の自分を罵った。
 そうしている間に、アリアとルイスが離れていく。
 ルイスが僅かに舌打ちをしたように思えた。
「ルイス?」
 偶然ねと、できる限り動揺を隠して声を掛ける。
「レイナ……体調はどう?」
「あなたが傍に居てくれたらもっと早く良くなったわ」
 ルイスのせいよと責めるように言えば、彼は困り果てた表情を見せる。
「すまない、レイナ。私も君に会いたかったのだけど……ノア殿下にレイナが働かなくなるから仕事が終わるまで面会禁止と言われてしまって……」
 本当に困り切った顔を見せられるとレイナが悪い子みたいだ。
「ルイスは私のルイスなんだから……お兄様より私を優先してくれなきゃだめよ」
 そう告げ、ホセに身振りで下がれと命じる。楽器を預けて。
 すっかりホセの扱いも慣れた。彼はとても忠実な僕になってくれている。魂を預けても構わないと思えるほどに。
 これが正しいことなのかはわからない。
 けれども。
 今のレイナはルイスしか見えない。
「お願い、側に居て」
 ルイスに手を伸ばす。頬に触れれば、一瞬、拒絶なのか躊躇いなのか彼の体が震えるのを感じた。
「私が怖い?」
「違うよ。けど……君は王女で……私は……婚約者とは言えいち貴族でしかない」
 あれだけレイナに執着を見せてくれたルイスが身分を気にして躊躇っている。
「それじゃあ……明日になったら、あなたはもっと遠くなってしまうの?」
 即位してしまえば、女王とただの貴族になってしまう。結婚するまでの間、越えられない身分の壁が出来てしまうなんて、そんなこと、納得できない。
「レイナ……それは……」
「言わないで」
 背伸びして、ルイスの首の後ろに腕を回す。
「たぶん、明日になったら言えなくなってしまうと思うわ。だから……今、言わせて」
 こつんと額を合わせるのは魔力の核が近づく特別な触れ合い。
 痛みはない。嫌悪感も。ただ、合奏とは違う魔力の触れ合い。
「好きよ。私、あなたが好きなの。あなたになら傷つけられても構わないと思っていたけれど……あなたを手放さないために世界だって壊せるわ」
 こんなに苦しい感情なら知らない方がよかった。
 胸が痛い。ぜんぶルイスのせいよ。
「レイナ?」
 ルイスはとても動揺している様子で、抱きしめ返していいのかそれすらも迷うような手の動きだ。
「あなたってひどい人。最低よ」
 そう言って、唇を触れる。
 物語で聞かされるような甘さやときめきなんてない。
 ただ、呼吸も苦しくなるような痛みが、彼を忘れたくないと思わせる。
「私に……音楽のことだけ考えさせてくれないあなたって本当にひどい人」
 たぶん今のレイナは泣いている。
 ルイスの前でみっともない顔を晒している。それがまた情けなくて、精一杯王女の威厳とやらを発揮しようと彼を睨みつけた。
「レイナ……すまない……君をそんなに追い詰めてしまっていたとは思いもしなかった。その……レイナは音楽のことばかり考えているのだと思っていたから……私のことなど眼中にないと思っていた」
 ぎゅっと、痛いほどに抱きしめられる。
「君に、愛を語ることを許して貰えるだろうか? 君に触れることを許して貰えるだろうか?」
 戸惑うような声で訊ねられる。
「今夜は……身分のことはなしにして。だって、最後の夜よ」
 明日には、きっとレイナはレイナでなくなってしまう。
 なんとなく、そう感じている。
「怖いわ。でも、ルイスが居てくれるなら……」
「レイナ……ああ。私はいつも君と共にあると誓うよ」
 おそるおそる。まるで硝子細工を慎重に取り扱うみたいにゆっくりと唇を重ねられる。
 僅かに柔らかく、湿った感覚。
 もう少し、まだ去らないでと惜しんでしまうほどの間触れ合い、そして自然と視線が絡む。
「続きは私の部屋でいいかしら?」
「……流石にそれは……」
 酷い男。レイナが勇気を出して誘ったというのに。
「ルイスと寝たい」
 ただ、ルイスの匂いに包まれて眠りたい。そうしたら、きっと凄く安心できるから。
「香水じゃ満たされなかったわ。あなたとなにかが違うの」
「……うん。私が期待しすぎてしまったことは認めよう。けど、レイナ、流石に未婚の男女が、それも、君は王女だ。婚約者とは言えそれは拙い」
「ホセに誤魔化してもらえばいいじゃない」
 王宮の警備も全て把握している変人よ。敵にはしたくないけれど僕としては有能よ。
「添い寝して欲しいけど、難しかったら眠るまで側に居て欲しいわ」
 今夜だけよと思い切りわがままを口にすればルイスは困ったように笑う。
「参ったな。君がそれを命令ではなくお願いで口にしてしまうことが一番参るんだ……」
 それから、優しい手が頬に触れ、また唇を重ねられる。
 それは先程のものよりも少し長い時間に感じられた。
 

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