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2 日記帳
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レイナ・アルシナシオンには二人の兄と二人の姉、そして腹違いの妹が一人いる。気難しい長男、病弱な次男、着飾ることにしか興味がない長女、臆病な二女。まだ、妹の姿はここにはない。
兄姉たちのレイナへの対応は様々だ。気難しい長男は厳しい。レイナの演奏の欠点まで指摘するほどに。
病弱な次男は無関心だ。というより、彼は他人に構っている余裕などないほどに弱っていた。なにしろ彼は、『EVER《エバー》』の物語開始の数年前に病で亡くなるのだ。
長女は着飾るので忙しい。毎日次女と共にファッションショーを開いている。高価なドレスやアクセサリーを買いあさり父王を悩ませているが、厳しい父王でさえ亡くなった王妃によく似た長女を溺愛し、殆ど言いなりになってしまっている。そして、彼女は気が強く、欲しいものは手に入れないと気が済まない性格のようで、次女やレイナに贈られたアクセサリーでさえ彼女に奪われることもあった。
そんな彼女は後に攻略対象キャラクターのテオドラと親しくなるはずだが、まだ接点は無いようだ。
気の弱い次女は長女の言いなりと言うべきか、押しに弱い。強く言われるとすぐに従ってしまう。彼女は時々レイナをかばおうとすることもあるが、結局は姉に強く言われると逆らえずに従ってしまう。彼女が一人の時はとても穏やかで、レイナの演奏を聴きながら刺繍を刺すのが好きなのだという。
こんなにも兄姉が多いのにも関わらず、三女であるレイナが王位を継承することになるとは、この時点では誰も思ってもいないはずだ。
次兄は病死、長兄は暗殺され、娘が三人残った際、父王は考えた。長女の浪費癖は国庫を空にしてもまだ足りない。二女では気が弱すぎてすぐに周囲の言いなりになってしまう。
つまりは消去法でレイナが継承することになったのだ。兄妹のなかで一番まともだと判断されたのだろう。
『EVER』の中のレイナ・アルシナシオンは闇の魔力に魅入られる前は、ただ音楽が好きな娘だった。常に楽器を手元に置き、身体が動く限りチェロを弾いている。魔術の才能にも恵まれ、人望もそこそこ。欲も無く、色恋に関心がない以外は目立った欠点も噂されないような娘だった。
彼女がなぜ悪い女王になってしまったのか。それは、国を守るためだ。
愛国心が彼女を蝕んだ。愛する民を守るため行き過ぎた結果、多くの民を失い、護るべきはずの民に憎まれ命を落とすことになる。
レイナはベッドに横たわり、天蓋を見つめる。
沈むほど柔らかなベッド。たぶん、黒咲凛《くろさきりん》の部屋と同じくらいの大きさはある。重い扉のある部屋は、夜にチェロを弾いても大丈夫なほどに防音の工夫が施されている。女の子が好みそうなドレッサー周りの小物は最低限しか置かれず、人形のひとつもない部屋には棚がひとつだけあり、大人の音楽家が学びそうな難しい楽譜がいくつか納められている。この部屋からは子供らしさを感じられない。
ああ、レイナもまた音楽馬鹿だったようだ。
シナリオを書く時、幼いレイナをそこまで深く掘り下げていなかった気がする。いや、凜はそもそも登場人物をそこまで深くは考えていなかった。ただのキャラクター。シナリオを動かすための設定さえあればいいと考えていた。
初日には目を瞑れば目覚めた時に元の部屋に居ると思っていたけれど、そんな気配は全くなく、どうやら私はレイナ・アルシナシオンとして生涯を終えなくてはいけないようだ。
なんとなく思うのは、きちんと彼女の人生を掘り下げて、彼女に対する理解を深めなくてはいけないということだ。
レイナは良き女王になろうとして失敗した哀れな女だと思っていた。けれども、それは表面上の話だったかもしれない。もっと彼女の過去を見て、行動の理由を理解し、彼女がなぜ主人公に敗れてしまったのかをしっかりと理解しなくてはいけない。
だが、未だ主人公、アリアと遭遇する気配がない。
『EVER』の主人公、アリアは使用人が産んだレイナの異母妹だ。アリアが七つの時に王城に引き取られる。丁度二番目の兄が病で亡くなる頃だ。
アリアは兄姉たちに歓迎はされず、虐げられる。おそらくはレイナも彼女を快くは思わなかったはずだ。そう考えて描いたはずなのに、それは違ったのではないかと思う。
レイナは、音楽にしか関心のない娘だった。暇さえあればチェロを弾いているような娘だ。虐げることはしなかっただろう。それどころか、レイナは異母妹に無関心だった。ただ、それだけだろう。
二番目の姉が異母妹を虐めたということも考えにくい。しかし、彼女は長姉の言いなりだ。逆らえずに加担した可能性が無いとも言えない。
問題はどの段階で、アリアはレイナを倒そうと決意したのかというところだ。
姉との和解を不可能だと考えたから戦いに発展したのだ。
どのようにして運命を書き換えるべきか。脳内で乱雑な思考が展開される。
考えが纏まらない。
そう思った次の瞬間には既に身体が動いている。
チェロをケースから取り出し、椅子に腰かける。
木の床に突き刺さるのも気にせずエンドピンを刺し、抱きしめる。
妙に落ち着く。
不思議な気分だ。
黒咲凛は一度も触れたことが無かった楽器が手の中にあるというだけで落ち着く。弓を動かし響かせればそれだけで乱雑な思考が晴れるような気分だ。
そのまま、何かに操られるように弓を動かし、演奏する。
知らない曲だ。けれども、とても大切な曲な気がした。
遠くに景色が見える気がする。
この景色を知っている。『EVER』の主人公の部屋だ。この部屋にセーブポイントである日記帳がある。そして、机の引き出しがアイテムボックスに、宝石箱で好感度確認ができる。
しかし、レイナは主人公ではない。その手段は使えないはずだ。
身体は勝手に演奏を続ける。
日記帳が見える。古びた日記帳だ。セーブはできなくても、その日記帳に何か意味があるのかもしれない。
手が、勝手に動く。せわしない動きはとても自分の身体とは思えなかった。少なくとも黒咲凛の指はこんなに動かない。
そうしてようやく、弾ききった。一曲が終わったところで手が止まる。
日記帳を探す。
それが最初の目標になりそうだ。
チェロをケースに戻そうとしたはずなのに、身体が勝手に布を手にし、楽器の手入れを始める。
すごい。既に身体に染みついているというべきか。どうやらレイナはとても几帳面らしい。
「楽器は君の一部だ。手入れを欠かしてはいけない」
ホセの言葉が浮かぶ。
つまりレイナにとってこのチェロはとても大切な存在なのだろう。
どうして自分で生み出したキャラクターのことを理解できていないのだろう。
自分に腹が立つ。
静かに楽器をケースに戻し部屋を出ると、メイドと目が合った。
「レイナ様、どうかなさいましたか?」
少し驚いた様子で訊ねられる。
「レッスンが終わったから、少し気分転換に歩こうと思って」
こんな理由でメイドは納得してくれるだろうか?
「毎日本当に熱心ですね。レイナ様は音楽家になりたいのですか?」
メイドが優しく訊ねる。彼女は二番目の姉の様におっとりとした雰囲気だ。きっとレイナのことも妹の様に思っているのだろう。
「うん。それもいいかも」
そう、答えて、メイドと別れようとする。
「私もご一緒させてください」
「え?」
ついてくるの?
驚く。これは少しまずいかもしれない。
ここに来て一週間は経ったはずだが、彼女の名前なんて知らない。
そもそもメイドのひとりひとりになんて名前なんか付けていない。
「ホセ様がレイナ様の様子を気にしていらっしゃいましたよ」
メイドは楽しそうに言う。なんというか、子供の恋愛を見守りつつ楽しんでいる大人のような表情だ。
「ホセって……あのピアニスト?」
メイドに訊ねるとくすくすと笑う。
「はい。近頃はすっかりレイナ様に熱を上げている様子ですよ。とても優秀なようですし、美しい方ですし、きっと将来も有望かと。今のうちにキープしてしまうのがよろしいのでは?」
メイドは完全にホセとレイナをくっつけたいようだ。
「キープって……そんなの失礼でしょ? それに、彼はただ、楽器に興味があるだけよ」
そう、私の調弦が狂っていたから気になっただけ。
そう考えたところで疑問を抱く。
なぜ彼は王城に居たのだろう。
「ねぇ、どうしてホセは城にいたの? あの音楽室、私のレッスン用じゃないの?」
兄姉たちは、音楽に熱心とは言い難い。長兄は武芸ばかりだし、長姉は着飾ることにしか興味がない。次姉は音楽よりも刺繍に熱心だ。唯一次兄だけは時折ピアノやオルガンを嗜むが、近頃は体調を崩すことが多く、音楽室にも寄り付かない。
「ホセ様のお父様が魔術師で、よく陛下の相談役として出入りしています。ホセ様はその付き添い、なのですが、機密に触れさせるわけにはいかないと、時間を潰させるために時々音楽室の使用を許可されているようでして」
それで先客呼ばわりされたのかと納得する。
それにしても、王城で暇つぶしを要求するなんて随分図太い男だ。
『EVER』の世界を思い出しても、ホセという男は図太かったかもしれない。
基本的には他人に関心を持たない。レイナ以外に話しかけられても反応を示すことが少ないし、レイナに話しかけられた時でさえ口数が少ない男だ。黙り込んでしまうことさえある。
しかし、先日会ったホセはどうだったろう。
『EVER』の世界のホセよりもずっと口数が多かったように思える。
それは単に彼がまだ幼いからだろうか?
人間は歳を重ねるごとに様々な思惑に覆われ、行動に変化が現れる。今の彼は『EVER』の世界よりもずっと素の彼なのかもしれない。
「私の音が聴きたかったって言われたけど、そもそもどこで出会ったのかしら?」
彼とは面識はあったようだ。もしかすると、ホセの基準では親しいに部類されるかもしれない。
「昨年の演奏会でレイナ様が初の独奏を披露された際にとてもレイナ様に興味を持たれたそうです」
メイドが答える。
演奏会。確かにこの世界では音楽がとても重要だ。音楽と魔術が密接に絡み合い、楽器、楽曲、魔力、そして演奏の腕が魔術の効果や威力に影響する。
『EVER』の世界の多くのルートではホセはレイナに寄り添っていた。彼自身、とても強力な魔力を持っているにも関わらず、彼は常にレイナの傍で、魔術を使う。いつでも、誰とでも合わせることが出来るのだと彼の能力を示す場面もあった。
しかし、レイナの力はホセが居ないと十分の一以下に下がってしまうというのに、レイナは独奏という道を選び彼を活かしきれなかった。
「ホセって、魔力も相当高いのよね?」
「おそらくは」
メイドの返答は曖昧だ。
「あなたはどうして彼を推すの?」
確かに外見は整っているし、将来有望かもしれない。だが、第三王女とはいえ王族にふさわしい相手であるかは疑問を抱く身分だ。
「え? だって彼は……お美しいですし、将来有望ですよ? それに、ピアニストです」
メイドは強調する。
「ピアニストなのは重要?」
訊ねると、メイドはぐいぐい近づいて、レイナの肩を掴んだ。
「当然です。レイナ様は、どういうわけか、チェロという合奏向きの楽器を選んでしまわれたのですから、生涯寄り添える伴奏者が必要です」
とんでもない力説だ。
チェロにだって素晴らしい独奏曲は沢山ある。けれども、合奏でよりその素晴らしさが際立つ楽器かもしれない。
黒咲凛は何かの記事で、チェリストは合奏好きであるという記述を見つけたから、レイナという人物の傍にピアニストであるホセを添えたのだ。
「伴奏者……」
ホセがレイナに寄り添い続けたのは、生涯寄り添う伴奏者であろうとしたからなのだろうか。
そもそも、レイナがチェロという楽器を選んだのは、誰かと共にありたかったからかもしれない。
『EVER』の主人公であるアリアの楽器はヴァイオリンだ。見た目と音色の華やかさで選ばれた他、立って演奏できるという点も重要だった。
レイナもホセも座って演奏する楽器で、二人が待ち構える場に挑む主人公は持ち運べ立って演奏できる楽器である必要があった。さらに、会話できる楽器。つまり、口を塞がれない楽器である必要があった。
ギターというのも考えたが、世界観の設定上ヴァイオリンの方が見栄えが良いという理由でヴァイオリンを選んだ。アリア自身がヴァイオリンを選んだ理由についての記述は一切していない。彼女はただ与えられ、それを使う。
では、レイナはどうだろう。
彼女がチェロを弾いているのは主人公と対峙する際の見栄えで選ばれたからではなく、この世界のレイナなりの理由が無くてはいけない。
最早私は黒咲凛ではなくレイナ・アルシナシオンとして生きなくてはいけない。ならば、チェロを弾き続ける理由を認識しなくてはいけない。
「ホセは伴奏者であることを望むかしら?」
ホセは魔術も音楽も非常に優秀な人物だ。そもそも、一人で完結できてしまうピアノという楽器を演奏するのだ。レイナがホセを必要とするのはわかるが、ホセがレイナを必要とする理由は何だろう。
ここでまた、己の設定に対する杜撰さを自覚する。
「彼はきっと、レイナ様の音に寄り添いたいと願っているはずですよ」
メイドがそう答えた時、目的の部屋に着く。
「ここ、何のための部屋だったかしら?」
メイドに訊ねる。広い王城は王族でさえ把握していない部屋や通路も存在するから決して不自然ではない質問のはずだ。
「今は使われていませんが、昔、レイナ様のお母様の妹君が使われていたお部屋です」
頭の中で知識ロール。レイナの母は嫁入りの時に妹も王城に連れて来た変わり者だった。しかし、レイナが生まれる前には亡くなっている。
「じゃあ、今は誰も使っていないのね?」
メイドに確認すると、彼女は頷く。
ならば入っても問題ないだろう。
ドアノブに手を掛けるが、鍵が掛かっているようだ。
しかし、レイナの魔力であれば簡単に開けることができるだろう。
「王族だもの、入っても問題ないわよね?」
念のため、メイドに確認する。
「特に禁止はされていません。鍵をお持ちしましょうか?」
「このくらい、すぐ開くわ」
軽く振動させればいい。それだけの話。
振動は、音。つまり、人には聞こえない波の力。
あっさりと鍵は開き、中に入る。
ずっとしまい込んでいたような古びた匂いのする部屋だった。内装は薄紅色をベースにした女性が好みそうな花柄やレースをふんだんに使われたもので、『EVER』のヒロインが使っていた部屋と雰囲気が似ている。たぶん同じ部屋で間違いないだろう。
少なくとも間取りは同じようだった。
迷わずに、机に向かう。
日記帳があるはずだ。
「お探し物ですか?」
メイドに訊ねられる。
「ちょっと、ね」
別に知られても問題はないと思うが、なんとなく暈したかった。
引き出しを開けると、すぐに目当ての日記帳が見つかる。ゲーム内のアイテムと同じものの様だ。
パラパラとめくると、ぎっしりと誰かの日記が書かれている。
流石にメイドの前で熟読するわけにはいかないと流し読みすると、少し不穏な話が見え隠れしているように思える。
「叔母上はとても音楽に情熱を持った方だったのですね。演奏の参考になりそうだわ」
こういえば、メイドは苦笑しながら持ち出しを黙認してくれるだろう。
「レイナ様も本当に熱心ですね」
散りばめていないはずの情報が見え隠れしている。
少し、寒気がした。
「お部屋で勉強するわ。お茶を持ってきてくださる?」
メイドに言い残し、少し早歩きで自室に向かう。
なぜ、主人公が姉を倒さなければいけないのか。
そのヒントがこの日記帳に記されている気がする。
兄姉たちのレイナへの対応は様々だ。気難しい長男は厳しい。レイナの演奏の欠点まで指摘するほどに。
病弱な次男は無関心だ。というより、彼は他人に構っている余裕などないほどに弱っていた。なにしろ彼は、『EVER《エバー》』の物語開始の数年前に病で亡くなるのだ。
長女は着飾るので忙しい。毎日次女と共にファッションショーを開いている。高価なドレスやアクセサリーを買いあさり父王を悩ませているが、厳しい父王でさえ亡くなった王妃によく似た長女を溺愛し、殆ど言いなりになってしまっている。そして、彼女は気が強く、欲しいものは手に入れないと気が済まない性格のようで、次女やレイナに贈られたアクセサリーでさえ彼女に奪われることもあった。
そんな彼女は後に攻略対象キャラクターのテオドラと親しくなるはずだが、まだ接点は無いようだ。
気の弱い次女は長女の言いなりと言うべきか、押しに弱い。強く言われるとすぐに従ってしまう。彼女は時々レイナをかばおうとすることもあるが、結局は姉に強く言われると逆らえずに従ってしまう。彼女が一人の時はとても穏やかで、レイナの演奏を聴きながら刺繍を刺すのが好きなのだという。
こんなにも兄姉が多いのにも関わらず、三女であるレイナが王位を継承することになるとは、この時点では誰も思ってもいないはずだ。
次兄は病死、長兄は暗殺され、娘が三人残った際、父王は考えた。長女の浪費癖は国庫を空にしてもまだ足りない。二女では気が弱すぎてすぐに周囲の言いなりになってしまう。
つまりは消去法でレイナが継承することになったのだ。兄妹のなかで一番まともだと判断されたのだろう。
『EVER』の中のレイナ・アルシナシオンは闇の魔力に魅入られる前は、ただ音楽が好きな娘だった。常に楽器を手元に置き、身体が動く限りチェロを弾いている。魔術の才能にも恵まれ、人望もそこそこ。欲も無く、色恋に関心がない以外は目立った欠点も噂されないような娘だった。
彼女がなぜ悪い女王になってしまったのか。それは、国を守るためだ。
愛国心が彼女を蝕んだ。愛する民を守るため行き過ぎた結果、多くの民を失い、護るべきはずの民に憎まれ命を落とすことになる。
レイナはベッドに横たわり、天蓋を見つめる。
沈むほど柔らかなベッド。たぶん、黒咲凛《くろさきりん》の部屋と同じくらいの大きさはある。重い扉のある部屋は、夜にチェロを弾いても大丈夫なほどに防音の工夫が施されている。女の子が好みそうなドレッサー周りの小物は最低限しか置かれず、人形のひとつもない部屋には棚がひとつだけあり、大人の音楽家が学びそうな難しい楽譜がいくつか納められている。この部屋からは子供らしさを感じられない。
ああ、レイナもまた音楽馬鹿だったようだ。
シナリオを書く時、幼いレイナをそこまで深く掘り下げていなかった気がする。いや、凜はそもそも登場人物をそこまで深くは考えていなかった。ただのキャラクター。シナリオを動かすための設定さえあればいいと考えていた。
初日には目を瞑れば目覚めた時に元の部屋に居ると思っていたけれど、そんな気配は全くなく、どうやら私はレイナ・アルシナシオンとして生涯を終えなくてはいけないようだ。
なんとなく思うのは、きちんと彼女の人生を掘り下げて、彼女に対する理解を深めなくてはいけないということだ。
レイナは良き女王になろうとして失敗した哀れな女だと思っていた。けれども、それは表面上の話だったかもしれない。もっと彼女の過去を見て、行動の理由を理解し、彼女がなぜ主人公に敗れてしまったのかをしっかりと理解しなくてはいけない。
だが、未だ主人公、アリアと遭遇する気配がない。
『EVER』の主人公、アリアは使用人が産んだレイナの異母妹だ。アリアが七つの時に王城に引き取られる。丁度二番目の兄が病で亡くなる頃だ。
アリアは兄姉たちに歓迎はされず、虐げられる。おそらくはレイナも彼女を快くは思わなかったはずだ。そう考えて描いたはずなのに、それは違ったのではないかと思う。
レイナは、音楽にしか関心のない娘だった。暇さえあればチェロを弾いているような娘だ。虐げることはしなかっただろう。それどころか、レイナは異母妹に無関心だった。ただ、それだけだろう。
二番目の姉が異母妹を虐めたということも考えにくい。しかし、彼女は長姉の言いなりだ。逆らえずに加担した可能性が無いとも言えない。
問題はどの段階で、アリアはレイナを倒そうと決意したのかというところだ。
姉との和解を不可能だと考えたから戦いに発展したのだ。
どのようにして運命を書き換えるべきか。脳内で乱雑な思考が展開される。
考えが纏まらない。
そう思った次の瞬間には既に身体が動いている。
チェロをケースから取り出し、椅子に腰かける。
木の床に突き刺さるのも気にせずエンドピンを刺し、抱きしめる。
妙に落ち着く。
不思議な気分だ。
黒咲凛は一度も触れたことが無かった楽器が手の中にあるというだけで落ち着く。弓を動かし響かせればそれだけで乱雑な思考が晴れるような気分だ。
そのまま、何かに操られるように弓を動かし、演奏する。
知らない曲だ。けれども、とても大切な曲な気がした。
遠くに景色が見える気がする。
この景色を知っている。『EVER』の主人公の部屋だ。この部屋にセーブポイントである日記帳がある。そして、机の引き出しがアイテムボックスに、宝石箱で好感度確認ができる。
しかし、レイナは主人公ではない。その手段は使えないはずだ。
身体は勝手に演奏を続ける。
日記帳が見える。古びた日記帳だ。セーブはできなくても、その日記帳に何か意味があるのかもしれない。
手が、勝手に動く。せわしない動きはとても自分の身体とは思えなかった。少なくとも黒咲凛の指はこんなに動かない。
そうしてようやく、弾ききった。一曲が終わったところで手が止まる。
日記帳を探す。
それが最初の目標になりそうだ。
チェロをケースに戻そうとしたはずなのに、身体が勝手に布を手にし、楽器の手入れを始める。
すごい。既に身体に染みついているというべきか。どうやらレイナはとても几帳面らしい。
「楽器は君の一部だ。手入れを欠かしてはいけない」
ホセの言葉が浮かぶ。
つまりレイナにとってこのチェロはとても大切な存在なのだろう。
どうして自分で生み出したキャラクターのことを理解できていないのだろう。
自分に腹が立つ。
静かに楽器をケースに戻し部屋を出ると、メイドと目が合った。
「レイナ様、どうかなさいましたか?」
少し驚いた様子で訊ねられる。
「レッスンが終わったから、少し気分転換に歩こうと思って」
こんな理由でメイドは納得してくれるだろうか?
「毎日本当に熱心ですね。レイナ様は音楽家になりたいのですか?」
メイドが優しく訊ねる。彼女は二番目の姉の様におっとりとした雰囲気だ。きっとレイナのことも妹の様に思っているのだろう。
「うん。それもいいかも」
そう、答えて、メイドと別れようとする。
「私もご一緒させてください」
「え?」
ついてくるの?
驚く。これは少しまずいかもしれない。
ここに来て一週間は経ったはずだが、彼女の名前なんて知らない。
そもそもメイドのひとりひとりになんて名前なんか付けていない。
「ホセ様がレイナ様の様子を気にしていらっしゃいましたよ」
メイドは楽しそうに言う。なんというか、子供の恋愛を見守りつつ楽しんでいる大人のような表情だ。
「ホセって……あのピアニスト?」
メイドに訊ねるとくすくすと笑う。
「はい。近頃はすっかりレイナ様に熱を上げている様子ですよ。とても優秀なようですし、美しい方ですし、きっと将来も有望かと。今のうちにキープしてしまうのがよろしいのでは?」
メイドは完全にホセとレイナをくっつけたいようだ。
「キープって……そんなの失礼でしょ? それに、彼はただ、楽器に興味があるだけよ」
そう、私の調弦が狂っていたから気になっただけ。
そう考えたところで疑問を抱く。
なぜ彼は王城に居たのだろう。
「ねぇ、どうしてホセは城にいたの? あの音楽室、私のレッスン用じゃないの?」
兄姉たちは、音楽に熱心とは言い難い。長兄は武芸ばかりだし、長姉は着飾ることにしか興味がない。次姉は音楽よりも刺繍に熱心だ。唯一次兄だけは時折ピアノやオルガンを嗜むが、近頃は体調を崩すことが多く、音楽室にも寄り付かない。
「ホセ様のお父様が魔術師で、よく陛下の相談役として出入りしています。ホセ様はその付き添い、なのですが、機密に触れさせるわけにはいかないと、時間を潰させるために時々音楽室の使用を許可されているようでして」
それで先客呼ばわりされたのかと納得する。
それにしても、王城で暇つぶしを要求するなんて随分図太い男だ。
『EVER』の世界を思い出しても、ホセという男は図太かったかもしれない。
基本的には他人に関心を持たない。レイナ以外に話しかけられても反応を示すことが少ないし、レイナに話しかけられた時でさえ口数が少ない男だ。黙り込んでしまうことさえある。
しかし、先日会ったホセはどうだったろう。
『EVER』の世界のホセよりもずっと口数が多かったように思える。
それは単に彼がまだ幼いからだろうか?
人間は歳を重ねるごとに様々な思惑に覆われ、行動に変化が現れる。今の彼は『EVER』の世界よりもずっと素の彼なのかもしれない。
「私の音が聴きたかったって言われたけど、そもそもどこで出会ったのかしら?」
彼とは面識はあったようだ。もしかすると、ホセの基準では親しいに部類されるかもしれない。
「昨年の演奏会でレイナ様が初の独奏を披露された際にとてもレイナ様に興味を持たれたそうです」
メイドが答える。
演奏会。確かにこの世界では音楽がとても重要だ。音楽と魔術が密接に絡み合い、楽器、楽曲、魔力、そして演奏の腕が魔術の効果や威力に影響する。
『EVER』の世界の多くのルートではホセはレイナに寄り添っていた。彼自身、とても強力な魔力を持っているにも関わらず、彼は常にレイナの傍で、魔術を使う。いつでも、誰とでも合わせることが出来るのだと彼の能力を示す場面もあった。
しかし、レイナの力はホセが居ないと十分の一以下に下がってしまうというのに、レイナは独奏という道を選び彼を活かしきれなかった。
「ホセって、魔力も相当高いのよね?」
「おそらくは」
メイドの返答は曖昧だ。
「あなたはどうして彼を推すの?」
確かに外見は整っているし、将来有望かもしれない。だが、第三王女とはいえ王族にふさわしい相手であるかは疑問を抱く身分だ。
「え? だって彼は……お美しいですし、将来有望ですよ? それに、ピアニストです」
メイドは強調する。
「ピアニストなのは重要?」
訊ねると、メイドはぐいぐい近づいて、レイナの肩を掴んだ。
「当然です。レイナ様は、どういうわけか、チェロという合奏向きの楽器を選んでしまわれたのですから、生涯寄り添える伴奏者が必要です」
とんでもない力説だ。
チェロにだって素晴らしい独奏曲は沢山ある。けれども、合奏でよりその素晴らしさが際立つ楽器かもしれない。
黒咲凛は何かの記事で、チェリストは合奏好きであるという記述を見つけたから、レイナという人物の傍にピアニストであるホセを添えたのだ。
「伴奏者……」
ホセがレイナに寄り添い続けたのは、生涯寄り添う伴奏者であろうとしたからなのだろうか。
そもそも、レイナがチェロという楽器を選んだのは、誰かと共にありたかったからかもしれない。
『EVER』の主人公であるアリアの楽器はヴァイオリンだ。見た目と音色の華やかさで選ばれた他、立って演奏できるという点も重要だった。
レイナもホセも座って演奏する楽器で、二人が待ち構える場に挑む主人公は持ち運べ立って演奏できる楽器である必要があった。さらに、会話できる楽器。つまり、口を塞がれない楽器である必要があった。
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では、レイナはどうだろう。
彼女がチェロを弾いているのは主人公と対峙する際の見栄えで選ばれたからではなく、この世界のレイナなりの理由が無くてはいけない。
最早私は黒咲凛ではなくレイナ・アルシナシオンとして生きなくてはいけない。ならば、チェロを弾き続ける理由を認識しなくてはいけない。
「ホセは伴奏者であることを望むかしら?」
ホセは魔術も音楽も非常に優秀な人物だ。そもそも、一人で完結できてしまうピアノという楽器を演奏するのだ。レイナがホセを必要とするのはわかるが、ホセがレイナを必要とする理由は何だろう。
ここでまた、己の設定に対する杜撰さを自覚する。
「彼はきっと、レイナ様の音に寄り添いたいと願っているはずですよ」
メイドがそう答えた時、目的の部屋に着く。
「ここ、何のための部屋だったかしら?」
メイドに訊ねる。広い王城は王族でさえ把握していない部屋や通路も存在するから決して不自然ではない質問のはずだ。
「今は使われていませんが、昔、レイナ様のお母様の妹君が使われていたお部屋です」
頭の中で知識ロール。レイナの母は嫁入りの時に妹も王城に連れて来た変わり者だった。しかし、レイナが生まれる前には亡くなっている。
「じゃあ、今は誰も使っていないのね?」
メイドに確認すると、彼女は頷く。
ならば入っても問題ないだろう。
ドアノブに手を掛けるが、鍵が掛かっているようだ。
しかし、レイナの魔力であれば簡単に開けることができるだろう。
「王族だもの、入っても問題ないわよね?」
念のため、メイドに確認する。
「特に禁止はされていません。鍵をお持ちしましょうか?」
「このくらい、すぐ開くわ」
軽く振動させればいい。それだけの話。
振動は、音。つまり、人には聞こえない波の力。
あっさりと鍵は開き、中に入る。
ずっとしまい込んでいたような古びた匂いのする部屋だった。内装は薄紅色をベースにした女性が好みそうな花柄やレースをふんだんに使われたもので、『EVER』のヒロインが使っていた部屋と雰囲気が似ている。たぶん同じ部屋で間違いないだろう。
少なくとも間取りは同じようだった。
迷わずに、机に向かう。
日記帳があるはずだ。
「お探し物ですか?」
メイドに訊ねられる。
「ちょっと、ね」
別に知られても問題はないと思うが、なんとなく暈したかった。
引き出しを開けると、すぐに目当ての日記帳が見つかる。ゲーム内のアイテムと同じものの様だ。
パラパラとめくると、ぎっしりと誰かの日記が書かれている。
流石にメイドの前で熟読するわけにはいかないと流し読みすると、少し不穏な話が見え隠れしているように思える。
「叔母上はとても音楽に情熱を持った方だったのですね。演奏の参考になりそうだわ」
こういえば、メイドは苦笑しながら持ち出しを黙認してくれるだろう。
「レイナ様も本当に熱心ですね」
散りばめていないはずの情報が見え隠れしている。
少し、寒気がした。
「お部屋で勉強するわ。お茶を持ってきてくださる?」
メイドに言い残し、少し早歩きで自室に向かう。
なぜ、主人公が姉を倒さなければいけないのか。
そのヒントがこの日記帳に記されている気がする。
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ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
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