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五章 遠い日、君の涙
キース編④「今からもっとサイテーなこと、言うね」
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「今日は吹雪かぁ」
湯気の立つカップを持ちながら俺は外を眺める。強い風にさらされた雪で、いつもなら遠くに見えるはずの学園の明かりが全く見えなかった。
「こんな中で学園に行きたくないなぁ。でも登校日だし……図書館には行きたいし……」
ここから学園までは徒歩で十分程の距離だ。何でもない日であれば気にならない距離だが、この吹雪の中を歩きたくはない。最悪、今日行かなくても卒業はできる。
……が、しかし。ピュアナを知る手掛かりは探したい。リマナセの図書館は国内有数の規模を誇る資料庫だ。歴史書や情報誌が無数にあるそこなら、何か情報を得られるかもしれない。
彼女への気持ちを自覚したあの日から今まで、何も前進していない。でもまだ三日だ。方向性を変えて資料を見れば、もしかすると。
だから、出来れば学園には行きたい。なんとか十分間耐えるしかないか。
俺は重い腰を上げる。と、その時。
ガタン!
玄関から大きな物音がした。
隣の住民が何かを運んでいるのだろうか。少し気になったので扉を開けてみる。
「え……ピュアナ、さん……?」
すると、そこにいたのは隣の住民ではなく、ずっと会いたいと願っていた女の子ピュアナだった。
彼女は壁に寄りかかるように座っており、以前拾った時と同じように髪や服を乱していた。しかしそれ以上に、今回は憔悴しきっている様子だ。
「突然ごめんなさい……、他に行く当てがなくて……」
「そんなことより、前よりも酷い状態じゃないか! 早く中に入って!」
扉を全開にして彼女を中に入れようとする。しかし彼女は俯くだけで動こうとしない。
「もしかして動けないの……? じゃ、ちょっとごめんね」
体力の限界を迎えている彼女を、俺はひょいと抱き上げる。あまりの軽さに、幼い子供と錯覚してしまうほどだ。どれだけ食事をしていないのだろう。これでは動けなくなるのも当然だ。
「一先ず食事をしよう。ご飯とスープはすぐ用意出来るから」
「ごめ、なさい……」
「いいよ。さ、ここで横になって待ってて」
そのまま彼女を寝室へと運んだ俺は、敷きっぱなしだった布団に寝かせ、急いで食事を温める。その間に外を確認し、玄関の施錠もした。
「先にこれだけ飲んでみて」
居間の戸棚から小瓶を一つ取り出し、蓋を開けてピュアナに渡す。中身は疲労回復用のドリンクだ。マナを使えなくなるくらい消耗した時に飲むとたちまち回復するという、俺のとっておきのものだった。
「これは……」
「青くて不味そうだけど、体力回復には一番いいものさ」
「では……」
そう言ってピュアナが小瓶を口にする。一瞬眉間に皺を寄せるが、なんとか全て飲み切ったようだ。
「すごい……元気が湧いてくるようです」
「でしょ。これで補助魔法が使えるようになったんじゃない。俺は傷まで治せないから」
「その為にこれを……? ありがとうございます」
「いや、いいんだ。じゃ、食事持ってくるね」
先程より顔色が良くなったのを確認し、俺は鍋のもとに戻った。そしてすぐに、食品用冷暗室を開ける。
どうしてもピュアナの身体の軽さが気になる。あれは年頃の女の子がダイエットしても辿り着けない程の、病的な軽さだ。一体どれだけ食事をしていなかったのだろう。とにかく、出来るだけ食べさせてあげたい。
冷暗室には常備菜をいくつか入れていた。そこからよりエネルギーになりそうなものを選び、小皿に入れる。味の再確認をしたスープとおにぎりも用意し、盆に乗せて彼女のもとへ向かった。
「ピュアナさん、これ……」
しかし俺はすぐに立ち止まる。
淡い緑色の光が浮かぶ中、自らを抱くようにして座るピュアナ。目を瞑り深く呼吸をする彼女の身体にその光が溶け込むと、傷付いた腕や足が少しずつ修復されていく。
補助型の人が傷を治す際に光を放つ姿は、何度も見てきたはずだった。けれど、全身を包み込むように光が漂うこの光景は初めて見た。
なんて綺麗なんだろう。
そのとても幻想的な光景に、思わず俺は目を奪われていた。
「ふぅ……これで大丈夫……、あ、キースさん戻っていたんですね。おかげで怪我はほとんど治りました。さっきの飲み物はすごいですね」
「え! あ、うん。治って良かったよ」
我に帰った俺は、スープを零しそうになりながらもなんとか返答する。既に光は消え、ニコニコと微笑むピュアナだけがいた。
「でも、あの飲み物は一時的な効果しかないから。ちゃんと回復するには、たくさん食べて、たくさん休まないとね」
「わ、すごい! こんな短時間でここまで用意出来るなんて……! これ、頂いていいんですか?」
盆のまま布団の脇に食事を置くと、それを前にして、彼女はあの日と同じ様に目を輝かせる。
「作り置きのものばかりで申し訳ないんだけどね。食べてくれると嬉しいな」
「ありがとうございます! とてもお腹空いているんです。いただきます」
そしてパンと手を合わせると、彼女は一口ずつ噛みしめる様に食事を進めた。
その幸せそうな表情を見ながら、俺はまた胸が温かくなるのを感じていた。
「とても美味しかったです。急に来たのにこんなに用意してもらって……本当にありがとうございました」
食事を終えたピュアナが、丁寧にお辞儀をして言った。空になった皿にはスープ一滴すら残っていない。ここまで綺麗に食べてくれるととても気持ちがいい。
「お腹は満たされたかい?」
「はい、お腹いっぱいです」
「それは良かった。お風呂用意しておくから、少し寝たら入るといいよ」
「え、でもそこまで……」
「助けを求めてここまで来たんだろう。だったら気にしないで。それに、俺が君にしてあげたいんだ。だから遠慮せず、たくさん甘えて」
頭をくしゃっと撫でてそう言う。
言ったことは全て本音だ。こんな猛吹雪の中で、他に行く当てもなく俺のところまで辿り着いた、ボロボロの女の子。その子は、名前しか知らない状況で好意を持って、ずっと手掛かりを探していた子。
その子を出来る限り甘えさせてあげたいと思うのは、何も不思議ではないだろう。
彼女は目を泳がせていたが、最後は静かに頷いた。その小動物のような愛らしい姿に、俺は更に頭を撫でる。
「ふふ、髪の毛ふわふわだね。可愛い」
「子供みたい、って思ってますか」
「あ、違うよ。気を悪くしたならごめんね。うん、一先ず寝ていいよ」
ぷくっと頬を膨らまし、上目遣いで睨んでくる姿がまた可愛い。もう少し撫でておこうか。
「……今は眠くないのでいいです。それより、お聞きしてもいいですか」
「ん、何?」
「私の方から来ておいて何ですが……どうしてこんな私に、そんなに良くしてくれるんですか。自分のことすら何も話していないのに……。返せるものだって、何もないです。それなのに、キースさんはどうして……」
布団を握る手が震えていた。こちらを睨んでいた目も伏し目がちになっていく。
食事と寝床を提供した。それだけのことにここまで戸惑うなんて、思っていなかった。
それほど彼女は人の優しさを知らないのだろう。
「ボロボロの女の子を見過ごすなんて、俺には出来ないよ」
「でも他の人は私なんて見向きもしませんでした」
「関わりたくない、って思ったからだろうね。あの日君がいたのはヤバイ人の巣窟みたいなところだったから。
俺もいつもなら素通りするんだ。でもあの日はたまたま、ボロボロの君が目に入った。だから声を掛けたんだよ」
俺はあの日のことを正直に言う。
どんな言葉で取り繕ったって、きっと彼女には響かない。それなら最初からありのままを伝える方がいい。
「年頃の女の子がどうしてこんな姿に、って思ったよ。少しでも助けになればって気持ちもあったけど、興味もあったんだ。本当、不純な動機さ。結局何も聞けずに君は消えちゃったんだけどね」
俯いたまま黙り込むピュアナ。それもそうだ。頼りにして来た人に興味本位でと言われて、ショックを受けない筈なんてない。
「自分のこと、サイテーだと思うよ。嫌なことから逃げている君に、その嫌なことを聞き出そうとしていた訳だし。
でもさ、膨らんだ興味ってなかなか消えてくれないんだ。君が消えたあの日から、俺はずっと、君を探していた。もう一度君に会うために。君のことを知るために。君を、捕まえるために」
そこまで言ったところで、ピュアナの身体がびくりと震えた。怯えた目でこちらを見つめ、布団を力強く握りしめている。
……そんな反応になると思った。でも、これは俺の率直な気持ちだ。そのままを、彼女に伝えたいんだ。
「今からもっとサイテーなこと、言うね」
「や、です……、聞きたくない……!」
「っう! いいから、ちゃんと聞いて」
耳を塞ごうとしている手を掴み、両手に走る電撃痛に耐えながら彼女の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「ピュアナさん。俺のお嫁さんになって」
彼女の潤んだ瞳に、余裕のない自分の姿が映る。
情けない。でも、彼女にはそんな自分も知ってほしい。
「およめ、さん……?」
「俺さ、君がいなくなってからずっと、心に穴が開いたみたいだった。思い出すのは君と過ごしたたった半日のことだけ。気がつけば大鍋にスープなんか作っててさ。壊れた機械みたいだった。
そしたら友人に、それは惚れたからだって言われた。信じられなかったよ。俺はフラフラと遊び歩くのが好きな男だからね」
俺の手に走った痛みは弱まっていた。一先ず警戒は解いてくれたみたいだ。
俺は一呼吸おいて続ける。
「でもね、よく考えたらその通りだった。あの日君ともっと一緒にいたいと思ったのは、あの日既に君に惚れていたからだったんだ。何の他意もなく、素直な感情を出して、心から言葉を紡げる君に」
彼女の小さな手をぎゅうと握る。状況が読めてきたのか、次第に彼女の頬は赤らんできた。
「ね、ピュアナさん。俺、もっと君のことが知りたい。君の素性も、抱えているものも、全部。それを受け止めた上で、これから先一緒に歳を取っていきたいんだ。だから」
「ま、待ってください! そんな……急に言われても……。そ、それってつまり、ぷぷプロポーズ、ってことですよね……⁉︎」
「そうだけど」
「へ、変ですよ! だってこの間会ったばかりで……私は追われる身で……キースさんは普通の学生さんで……」
声が小さくなると共に目を回し始めるピュアナ。無理もない。自分の名前しか伝えていない男に、出会って間もない中で求婚されているのだから。
「変わり者だとはよく言われるけどね。でも、俺は本気だよ。俺はピュアナさんがいいんだ。君が何者かは関係ない。俺の隣にいてほしいのは、ピュアナさんだけだから」
「キースさん……」
俺はまだ彼女を見つめ続けていた。
ぶっ飛んだことを言った自覚はある。助けを求めてやってきた筈の子に、いきなり心をかき乱すことを言って、本当最低だと思う。これっぽっちも彼女の気持ちを考えていない、傲慢で最低な自己満足だ。普通の女の子なら、とっくに引っ叩かれていただろう。
「……名前、ちゃんと呼んでくれた人は久しぶりです」
でも彼女は、怒るどころかどこか嬉しそうにはにかんだ。
「お気持ちはよく分かりました。恥ずかしいのでもう勘弁してください……」
「まだ全然言い足りないんだけどなぁ」
「いっ、いいですから! それより、今度は私の話、聞いてくれますか……?」
そう言って、彼女はゆっくりと、しかし確実に目線を合わせた。その瞳には希望と決意が混じっているように見える。
「どんな話かな」
「キースさんを巻き込むことになり得る、長い話です」
「たくさん君のことを知れるってことだね。いいよ。何時間でも付き合うよ。でもその前に」
握っていた手をようやく解放し、俺は立ち上がった。
「お風呂用意するね。まだ身体は汚れたままだし、さっきの返事もゆっくり考えてもらいたいから」
ニコッと笑いかけると、火がついたように彼女の顔が赤くなる。
「……長湯してもいいですか」
「思う存分どうぞ」
布団で顔を半分隠しているピュアナからは、決意の色は見えなくなっていた。
それでいい。今は少しでも、ゆっくり身体を休めた方がいいだろうから。
俺は空の食器を持って台所へ下がる。ピュアナが布団に潜ったのを見て、小動物の可愛さを感じると共に安心した。やはり、俺がいたから休みづらかったようだ。
「今日は学園行くのやめよ」
もう図書館で調べ物をする必要はない。それに、ピュアナを一人残しておくことも出来ない。学園に行く理由が無くなったので、今日はすっぽかそう。
窓から見える猛吹雪の中に、人影はない。この吹雪の中では追跡も容易ではない筈だ。一先ずはゆっくり話も聞けるだろう。
「そういえば、手やられたんだっけ」
未だにジンジンと痛む両手を改めて見る。火傷したように赤くなり、小さな水ぶくれもいくつか出来ていた。とは言えこれは自分が招いた結果でもあるので、自己解決するしかない。
補助型の彼女から放たれる電撃の謎も、これから分かるだろうか。
「……まずはお湯の準備しよ」
丸くなった布団の中身は、規則的に上下していた。寝顔が見られないのは残念だが、今はそっとしておこう。
俺は石造りの風呂釜の側面に手を置く。徐々に釜の中の氷が溶けていく様を眺めながら、俺は今更込み上げてくる恥ずかしさに耐えていた。
湯気の立つカップを持ちながら俺は外を眺める。強い風にさらされた雪で、いつもなら遠くに見えるはずの学園の明かりが全く見えなかった。
「こんな中で学園に行きたくないなぁ。でも登校日だし……図書館には行きたいし……」
ここから学園までは徒歩で十分程の距離だ。何でもない日であれば気にならない距離だが、この吹雪の中を歩きたくはない。最悪、今日行かなくても卒業はできる。
……が、しかし。ピュアナを知る手掛かりは探したい。リマナセの図書館は国内有数の規模を誇る資料庫だ。歴史書や情報誌が無数にあるそこなら、何か情報を得られるかもしれない。
彼女への気持ちを自覚したあの日から今まで、何も前進していない。でもまだ三日だ。方向性を変えて資料を見れば、もしかすると。
だから、出来れば学園には行きたい。なんとか十分間耐えるしかないか。
俺は重い腰を上げる。と、その時。
ガタン!
玄関から大きな物音がした。
隣の住民が何かを運んでいるのだろうか。少し気になったので扉を開けてみる。
「え……ピュアナ、さん……?」
すると、そこにいたのは隣の住民ではなく、ずっと会いたいと願っていた女の子ピュアナだった。
彼女は壁に寄りかかるように座っており、以前拾った時と同じように髪や服を乱していた。しかしそれ以上に、今回は憔悴しきっている様子だ。
「突然ごめんなさい……、他に行く当てがなくて……」
「そんなことより、前よりも酷い状態じゃないか! 早く中に入って!」
扉を全開にして彼女を中に入れようとする。しかし彼女は俯くだけで動こうとしない。
「もしかして動けないの……? じゃ、ちょっとごめんね」
体力の限界を迎えている彼女を、俺はひょいと抱き上げる。あまりの軽さに、幼い子供と錯覚してしまうほどだ。どれだけ食事をしていないのだろう。これでは動けなくなるのも当然だ。
「一先ず食事をしよう。ご飯とスープはすぐ用意出来るから」
「ごめ、なさい……」
「いいよ。さ、ここで横になって待ってて」
そのまま彼女を寝室へと運んだ俺は、敷きっぱなしだった布団に寝かせ、急いで食事を温める。その間に外を確認し、玄関の施錠もした。
「先にこれだけ飲んでみて」
居間の戸棚から小瓶を一つ取り出し、蓋を開けてピュアナに渡す。中身は疲労回復用のドリンクだ。マナを使えなくなるくらい消耗した時に飲むとたちまち回復するという、俺のとっておきのものだった。
「これは……」
「青くて不味そうだけど、体力回復には一番いいものさ」
「では……」
そう言ってピュアナが小瓶を口にする。一瞬眉間に皺を寄せるが、なんとか全て飲み切ったようだ。
「すごい……元気が湧いてくるようです」
「でしょ。これで補助魔法が使えるようになったんじゃない。俺は傷まで治せないから」
「その為にこれを……? ありがとうございます」
「いや、いいんだ。じゃ、食事持ってくるね」
先程より顔色が良くなったのを確認し、俺は鍋のもとに戻った。そしてすぐに、食品用冷暗室を開ける。
どうしてもピュアナの身体の軽さが気になる。あれは年頃の女の子がダイエットしても辿り着けない程の、病的な軽さだ。一体どれだけ食事をしていなかったのだろう。とにかく、出来るだけ食べさせてあげたい。
冷暗室には常備菜をいくつか入れていた。そこからよりエネルギーになりそうなものを選び、小皿に入れる。味の再確認をしたスープとおにぎりも用意し、盆に乗せて彼女のもとへ向かった。
「ピュアナさん、これ……」
しかし俺はすぐに立ち止まる。
淡い緑色の光が浮かぶ中、自らを抱くようにして座るピュアナ。目を瞑り深く呼吸をする彼女の身体にその光が溶け込むと、傷付いた腕や足が少しずつ修復されていく。
補助型の人が傷を治す際に光を放つ姿は、何度も見てきたはずだった。けれど、全身を包み込むように光が漂うこの光景は初めて見た。
なんて綺麗なんだろう。
そのとても幻想的な光景に、思わず俺は目を奪われていた。
「ふぅ……これで大丈夫……、あ、キースさん戻っていたんですね。おかげで怪我はほとんど治りました。さっきの飲み物はすごいですね」
「え! あ、うん。治って良かったよ」
我に帰った俺は、スープを零しそうになりながらもなんとか返答する。既に光は消え、ニコニコと微笑むピュアナだけがいた。
「でも、あの飲み物は一時的な効果しかないから。ちゃんと回復するには、たくさん食べて、たくさん休まないとね」
「わ、すごい! こんな短時間でここまで用意出来るなんて……! これ、頂いていいんですか?」
盆のまま布団の脇に食事を置くと、それを前にして、彼女はあの日と同じ様に目を輝かせる。
「作り置きのものばかりで申し訳ないんだけどね。食べてくれると嬉しいな」
「ありがとうございます! とてもお腹空いているんです。いただきます」
そしてパンと手を合わせると、彼女は一口ずつ噛みしめる様に食事を進めた。
その幸せそうな表情を見ながら、俺はまた胸が温かくなるのを感じていた。
「とても美味しかったです。急に来たのにこんなに用意してもらって……本当にありがとうございました」
食事を終えたピュアナが、丁寧にお辞儀をして言った。空になった皿にはスープ一滴すら残っていない。ここまで綺麗に食べてくれるととても気持ちがいい。
「お腹は満たされたかい?」
「はい、お腹いっぱいです」
「それは良かった。お風呂用意しておくから、少し寝たら入るといいよ」
「え、でもそこまで……」
「助けを求めてここまで来たんだろう。だったら気にしないで。それに、俺が君にしてあげたいんだ。だから遠慮せず、たくさん甘えて」
頭をくしゃっと撫でてそう言う。
言ったことは全て本音だ。こんな猛吹雪の中で、他に行く当てもなく俺のところまで辿り着いた、ボロボロの女の子。その子は、名前しか知らない状況で好意を持って、ずっと手掛かりを探していた子。
その子を出来る限り甘えさせてあげたいと思うのは、何も不思議ではないだろう。
彼女は目を泳がせていたが、最後は静かに頷いた。その小動物のような愛らしい姿に、俺は更に頭を撫でる。
「ふふ、髪の毛ふわふわだね。可愛い」
「子供みたい、って思ってますか」
「あ、違うよ。気を悪くしたならごめんね。うん、一先ず寝ていいよ」
ぷくっと頬を膨らまし、上目遣いで睨んでくる姿がまた可愛い。もう少し撫でておこうか。
「……今は眠くないのでいいです。それより、お聞きしてもいいですか」
「ん、何?」
「私の方から来ておいて何ですが……どうしてこんな私に、そんなに良くしてくれるんですか。自分のことすら何も話していないのに……。返せるものだって、何もないです。それなのに、キースさんはどうして……」
布団を握る手が震えていた。こちらを睨んでいた目も伏し目がちになっていく。
食事と寝床を提供した。それだけのことにここまで戸惑うなんて、思っていなかった。
それほど彼女は人の優しさを知らないのだろう。
「ボロボロの女の子を見過ごすなんて、俺には出来ないよ」
「でも他の人は私なんて見向きもしませんでした」
「関わりたくない、って思ったからだろうね。あの日君がいたのはヤバイ人の巣窟みたいなところだったから。
俺もいつもなら素通りするんだ。でもあの日はたまたま、ボロボロの君が目に入った。だから声を掛けたんだよ」
俺はあの日のことを正直に言う。
どんな言葉で取り繕ったって、きっと彼女には響かない。それなら最初からありのままを伝える方がいい。
「年頃の女の子がどうしてこんな姿に、って思ったよ。少しでも助けになればって気持ちもあったけど、興味もあったんだ。本当、不純な動機さ。結局何も聞けずに君は消えちゃったんだけどね」
俯いたまま黙り込むピュアナ。それもそうだ。頼りにして来た人に興味本位でと言われて、ショックを受けない筈なんてない。
「自分のこと、サイテーだと思うよ。嫌なことから逃げている君に、その嫌なことを聞き出そうとしていた訳だし。
でもさ、膨らんだ興味ってなかなか消えてくれないんだ。君が消えたあの日から、俺はずっと、君を探していた。もう一度君に会うために。君のことを知るために。君を、捕まえるために」
そこまで言ったところで、ピュアナの身体がびくりと震えた。怯えた目でこちらを見つめ、布団を力強く握りしめている。
……そんな反応になると思った。でも、これは俺の率直な気持ちだ。そのままを、彼女に伝えたいんだ。
「今からもっとサイテーなこと、言うね」
「や、です……、聞きたくない……!」
「っう! いいから、ちゃんと聞いて」
耳を塞ごうとしている手を掴み、両手に走る電撃痛に耐えながら彼女の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「ピュアナさん。俺のお嫁さんになって」
彼女の潤んだ瞳に、余裕のない自分の姿が映る。
情けない。でも、彼女にはそんな自分も知ってほしい。
「およめ、さん……?」
「俺さ、君がいなくなってからずっと、心に穴が開いたみたいだった。思い出すのは君と過ごしたたった半日のことだけ。気がつけば大鍋にスープなんか作っててさ。壊れた機械みたいだった。
そしたら友人に、それは惚れたからだって言われた。信じられなかったよ。俺はフラフラと遊び歩くのが好きな男だからね」
俺の手に走った痛みは弱まっていた。一先ず警戒は解いてくれたみたいだ。
俺は一呼吸おいて続ける。
「でもね、よく考えたらその通りだった。あの日君ともっと一緒にいたいと思ったのは、あの日既に君に惚れていたからだったんだ。何の他意もなく、素直な感情を出して、心から言葉を紡げる君に」
彼女の小さな手をぎゅうと握る。状況が読めてきたのか、次第に彼女の頬は赤らんできた。
「ね、ピュアナさん。俺、もっと君のことが知りたい。君の素性も、抱えているものも、全部。それを受け止めた上で、これから先一緒に歳を取っていきたいんだ。だから」
「ま、待ってください! そんな……急に言われても……。そ、それってつまり、ぷぷプロポーズ、ってことですよね……⁉︎」
「そうだけど」
「へ、変ですよ! だってこの間会ったばかりで……私は追われる身で……キースさんは普通の学生さんで……」
声が小さくなると共に目を回し始めるピュアナ。無理もない。自分の名前しか伝えていない男に、出会って間もない中で求婚されているのだから。
「変わり者だとはよく言われるけどね。でも、俺は本気だよ。俺はピュアナさんがいいんだ。君が何者かは関係ない。俺の隣にいてほしいのは、ピュアナさんだけだから」
「キースさん……」
俺はまだ彼女を見つめ続けていた。
ぶっ飛んだことを言った自覚はある。助けを求めてやってきた筈の子に、いきなり心をかき乱すことを言って、本当最低だと思う。これっぽっちも彼女の気持ちを考えていない、傲慢で最低な自己満足だ。普通の女の子なら、とっくに引っ叩かれていただろう。
「……名前、ちゃんと呼んでくれた人は久しぶりです」
でも彼女は、怒るどころかどこか嬉しそうにはにかんだ。
「お気持ちはよく分かりました。恥ずかしいのでもう勘弁してください……」
「まだ全然言い足りないんだけどなぁ」
「いっ、いいですから! それより、今度は私の話、聞いてくれますか……?」
そう言って、彼女はゆっくりと、しかし確実に目線を合わせた。その瞳には希望と決意が混じっているように見える。
「どんな話かな」
「キースさんを巻き込むことになり得る、長い話です」
「たくさん君のことを知れるってことだね。いいよ。何時間でも付き合うよ。でもその前に」
握っていた手をようやく解放し、俺は立ち上がった。
「お風呂用意するね。まだ身体は汚れたままだし、さっきの返事もゆっくり考えてもらいたいから」
ニコッと笑いかけると、火がついたように彼女の顔が赤くなる。
「……長湯してもいいですか」
「思う存分どうぞ」
布団で顔を半分隠しているピュアナからは、決意の色は見えなくなっていた。
それでいい。今は少しでも、ゆっくり身体を休めた方がいいだろうから。
俺は空の食器を持って台所へ下がる。ピュアナが布団に潜ったのを見て、小動物の可愛さを感じると共に安心した。やはり、俺がいたから休みづらかったようだ。
「今日は学園行くのやめよ」
もう図書館で調べ物をする必要はない。それに、ピュアナを一人残しておくことも出来ない。学園に行く理由が無くなったので、今日はすっぽかそう。
窓から見える猛吹雪の中に、人影はない。この吹雪の中では追跡も容易ではない筈だ。一先ずはゆっくり話も聞けるだろう。
「そういえば、手やられたんだっけ」
未だにジンジンと痛む両手を改めて見る。火傷したように赤くなり、小さな水ぶくれもいくつか出来ていた。とは言えこれは自分が招いた結果でもあるので、自己解決するしかない。
補助型の彼女から放たれる電撃の謎も、これから分かるだろうか。
「……まずはお湯の準備しよ」
丸くなった布団の中身は、規則的に上下していた。寝顔が見られないのは残念だが、今はそっとしておこう。
俺は石造りの風呂釜の側面に手を置く。徐々に釜の中の氷が溶けていく様を眺めながら、俺は今更込み上げてくる恥ずかしさに耐えていた。
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